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小川町駅(820)→松郷峠入り口(850)→御嶽山登山口(915)→八坂神社分岐(930)→御嶽山山頂(945〜955)→大峰山分岐(955)→車道と接触(1015)→行風山山頂(1030〜1040)→地道林道(1045)→車道に合流(1110)→三差路(1115)→雷電山登山口(1130)→雷電山山頂(1145〜1155)→雀川ダム分岐(1210)→東光寺登山口(1230)→県道23号線(1240)→大峰山下山地点(1305)→矢ノ口バス停(1310〜1320) |
1月14日の山行きの続きである。御嶽山から今度は南に進路を採り、行風山、雷電山を目指す。果たして無事に雷電山まで行き着けるか楽しみである。稜線上に踏跡があるのかないのかーーー。インターネットで検索しても縦走記録は見当たらない。
いつもの通りバスで東松山に出て、東武東上線で小川町に向う。武蔵嵐山を過ぎると車窓に比企丘陵の山々が広がってくる。1週間前に関東地方にも雪が降った。その名残か、標高800メートルを越える笠山から堂平山に続く山肌は残雪で真っ白である。ただし、標高300メートル前後の仙元山から物見山にかけての山稜には残雪は見られない。今日私の辿る稜線は標高300〜400メートル、雪がなければよいのだがーーー。 8時20分、小川町駅着。駅前には多くのハイカーがうごめいていた。「新ハイキング」の山行きでもあるのだろうか。私は見向きもせずに一人街中に歩を進める。空は真っ青に晴れ渡り、朝の光がまぶしいが、今朝はこの冬一番の寒さのはずである。武蔵野の小京都と呼ばれ、情趣ある家並みの残る街中を足早に歩く。2週間前に歩いた道筋であり、迷うこともない。県道11号線から松郷峠に通じる県道273号線に入る。槻川の橋の上から山肌の残雪を朝日に輝かす笠山を眺める。 駅から歩いて55分、9時15分に御嶽山登山口に到着した。辺りに人の気配はまったくない。休むこともなく、塹壕のごとく深い溝となった登山道を、厚く積もった落ち葉を踏みしめながら登る。15分で鳥居が現れ、八坂神社分岐に達する。神社に寄ると、山頂へのルートがないことは前回経験ずみなので、そのまま小道を直進する。幾つかの倒木を潜り跨ぎして進むと小さな尾根に達してルートは右に90度カーブする。楽しげな男女の声が左奧から聞こえ、左に位置するゴルフ場のグリーンが見えた。立ち止まって女性のアプローチを見ていたら、とんでもない方向に打ち損じた。ルートは尾根上の急登に変わる。 9時45分、小川駅から休むことなく1時間半歩き続けて山頂に達した。2週間振りの山頂である。樹木が鬱蒼と茂り、陽の光も差さず肌寒い。日陰にわずかに雪が残る。座り込んで握り飯をほお張る。朝から飲まず食わずでここまで登ってきた。前回は気がつかなかったが、私の登ってきた東側のルートとは反対側、西側からも確りした踏跡が山頂に登り上げている。おそらく地図にも破線が記されている下古寺集落からのルートであろう。 9時55分、いよいよ行風山、雷電山に向って縦走を開始する。確りした踏跡を2〜3分南東に進むと大峰山/行風山分岐に達した。2週間前はここを直進して大峰山に向ったが、今日は右折して行風山へ向う。尾根上に確りした踏跡は見られるが、果たしてこの踏跡がどこまで続いていることやら。もちろん道標の類いは何もない。 ちょっと下って、標高300メートルの顕著なピークに登り上げる。尾根は明確であり、踏跡も忠実に尾根上に続く。樹相が広葉落葉樹林から鬱蒼とした檜の植林に変わり、次の280メートルピークに緩やかに登り上げる。道標はおろか赤テープもないが、迷うような分岐もない。向きを南に変えて鞍部に下ると、左より舗装された林道が現れ、稜線に接触する。二万五千図に記載された通りの状況である。 鞍部から20〜30メートル進むと、続いてきた踏跡は目の前に立ち塞がるピークを右から巻にかかる。しかし、潅木に巻かれた一筋のテープがあり、左に、斜面を登って行く細い踏跡が分かれる。勘としてルートは左だ。やや急な登りとなった細い踏跡を辿り、ピークを登る。このピークは目指す行風山のはずである。 登るに従い、ルートは次第に南から南東に向きを変え、緩やかな広がりを持つ地形となる。右から緩やかな尾根が合流してくるのが分かる。これから辿るべき雷電山に続く尾根である。合流した2本の尾根はゆったりとした1本の尾根となり、大きく向きを東に換えて山頂に向って緩やかに登って行く。尾根上は広葉樹林の雑木林である。この辺りはもう山頂部の一角である。踏跡上を1本の倒木が塞いでいる。何の気なしに避けて通ったのだが、帰路、この倒木の意味を知った。 すぐに山頂に達した。時刻は10時30分、御岳山頂を出発してから35分である。山頂は雑木林の中で展望はない。めったに訪れる人のない頂きのはずなのだが、立派な山頂標示があった。ただし、この標示には標高332.6メートルと記されている。二万五千図の記載は標高332メートルの標高点ピークなのだがーーー。0.6メートルはどこから生じたのだろう。山頂に座り込んで握り飯をほお張る。陽の光が燦々と降り注ぎ暖かい。この山は二万五千図には山名標示もないし、登山道の記載もない。ただし、インターネットで調べると、東側麓の雀川ダムサイドから山頂に到る登山道が開かれているらしい。何件かの登山記録がヒットする。登ってきた方向と山頂を挟んだ反対側、すなわち東側から山頂に登り上げている確りした踏跡がある。何の標示もないが、この時は雀川ダムからのルートと思った。10分ほどの休憩で山頂を辞す。 登ってきた踏跡を戻る。登りに気になった踏跡を塞ぐ倒木を避けようとしてふと気がついた。左に分岐して下って行く踏跡があるではないか。しかも、分岐の地面にうち捨てられたように横たわる板切れに「雀川ダム」との標示されている。何と、この踏跡が雀川ダムからの登山道なのだ。そして、倒木に思えた踏跡を塞ぐ枯れ木は、間違えて直進しないよ注意を促すためにわざわざ置かれた「通せんぼ」であったのだ。 私は、「通せんぼ」を乗り越えて直進する。すぐに登りに確認しておいた尾根分岐に達する。左の尾根に乗る。小さな伐採地があり、今日初めて左に視界が開け、これから向う雷電山が見えた。尾根は緩やかに大きく広がり、薄暗い檜の植林地帯となった。左(北)に向きを変えながら踏跡を追うと、地図に記載されている地道の細い林道に出た。余り使われた形跡はない。 林道を横切ると、尾根筋は消え、樹林の中の微傾斜の広がりとなる。踏跡もほとんど消え、わずかな気配のみとなった。地図を眺めても、地形がいたって複雑で、進むべきルートもよくわからない。少々薮っぽい樹林の中をさまようがごとく進むと、右側に北上する地道の細い林道が現れた。これ幸いと林道を辿る。林道は次第に道幅を狭め、四輪車では通行不能の道幅となって続く。この道は何なのだ。使われた痕跡もなく、普通の林道とも思えない。突然道端に青面金剛と思われる石仏が現れ、続いて小さな石の祠が現れた。どうやらこの道は林道などではなく古い街道のようだ。帰宅してから、手持ちの昭和7年発行の五万図「寄居」をチェックしたら、この道は実線となって記載されている。戦後、松郷峠と雲河原集落を結ぶ車道が新たに開削されたので、使われなくなったのだろう。 それにしてもここは何処で、この道は何処に通じているのだろう。二万五千図を凝視する。検討結果、この道は二万五千図に破線として記載されている道らしい。このまましばらく進むと、松郷峠から雲河原集落に通じる細い車道に合流するものと思える。道は山腹に突き当たり、それを右から巻きながら南に続く。突然爆音がして、オフロードバイクがあらわれた。運転手は申し訳なさそうに私に頭を下げて通り過ぎていった。バイクならこの道を走れる。 やがて予想通り細い舗装道路に合流した。ただし通る車もない。すぐに雀川ダムに通じる林道との三差路に出た。これで明確に現在位置が確認できた。さらに進むと、右側に四幢神社が現れた。雲河原集落の鎮守である。道の両側に人家が現れ雲河原集落に達した。秩父の典型的な山上集落である。暮す人は大変だろうが、他所者の目には実に情緒ある山村風景である。開けた畑の向こうに山肌を白く染めた笠山がすっくと聳えている。 集落の中ほどまで進むと、確りした道標が左に登って行く細道を「雷電山登山道」と示している。農家の庭先をかすめて山中に入る。登山道は確りしているが、相当な急登である。今日初めての登りらしい登りにウンウン云いながら耐える。しかし登りは短い。登山口からわずか15分で今日の終着点・雷電山山頂に達した。 懐かしい頂きである。2001年12月16日、南東から続く薮尾根を辿ってこの山頂に達した。それから約10年、再びこの頂に戻ってきた。何とも嬉しいことである。二つの小さな木製の祠と幾つかのさらに小さな石の祠の鎮座する山頂は昔のままであった。樹木が鬱蒼と茂り展望は利かない。日陰にはうっすらと残雪が見られた。この頂きも人の気配はない。腰を下ろし、一人握り飯をほお張る。 いよいよ下山に移る。もうハイキングコースであり何の心配もない。確りした登山道を日影集落めがけて下る。時々木々の合間より関東平野の広がりが見える。日陰にはかなりの残雪が見られる。山腹を巻く慈光寺道に合し、雀川分岐を過ぎ、12時30分、日影集落に無事下り着いた。 日影バス停に行く。小川町行きの次のバスは13時16分、約40分待ちである。待っていてもしょうがないので小川町に向って歩き始める。30分ほど歩き、矢ノ口バス停でバスに乗り小川町に戻る。
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