安倍奥 八森山から見月山へ

安倍奥屈指の難ルートに挑む

1996年3月20日

              
 
上渡集落(805〜810)→一軒家(835〜840)→支尾根(855)→八森山(1010〜1030)→973m峰(1055)→三星峠( 1155〜1210)→送電線鉄塔(1225〜1240)→見月山(1315〜1325)→972m峰(1355)→934m峰(1415〜1420)→904m峰(1430)→相淵分岐(1515)→中沢集落(1540)→六番バス停(1555〜1616)

 
 安倍奥の山々は登り尽くした感があるが、地図に引かれた赤線を眺めているといくつかの未踏破の山稜が気になる。この冬はもっぱらこれらの気になる山稜を辿っている。冬枯れの季節は踏み跡があろうとなかろうと気ままに歩くことが出来る。安倍川右岸に二王山−八森山−見月山と続く一本の山稜がある。安倍川本流とその支流の中河内川を分ける山稜である。三山のうち二王山だけは安倍川筋から割合明確な登山道があるが、見月山はかなり怪しげな踏み跡があるだけである。八森山に至っては定かな踏み跡さえない。いずれもその頂に滅多に人影を見ることのない忘れられた山々である。いわんや、これら三山を結ぶ縦走は地図読みと山勘を最大限に要求される安倍奥屈指の難ルートといえる。一昨年の2月、二王山から八森山まで縦走したが、山稜上には踏み跡はおろか赤布一つなかった。八森山と見月山を結ぶ稜線が未踏破のまま残っている。
 
 新静岡センター発7時の有東木行き一番バスに乗る。この2月、3月はマラソンやらゴルフやらに時間を取られ、十分な山登りが出来ずに欲求不満気味である。今日はもう春分の日、いつのまにか里はすっかり春である。通勤途中で見る人家の庭先には沈丁花やビャクレンの花が満開となっている。藪山シーズンもそろそろ終わりである。8時過ぎ、上渡集落でバスを下りる。今日の天気予報は晴れであるのだが、空はどんよりと曇り周囲の山々はかすんでいる。支度を調え、吊橋で安倍川を渡って登山を開始する。この八森山山頂に至ルートは2年前に下ったので勝手は知っているつもりであるが、上部はまともな踏み跡もなく、記憶を頼りでうまく山頂まで行けるかどうか若干心配である。確りした踏み跡を10分ほど急登すると茶畑に出る。背後に展望が開け、正面に真富士山が見えるが、視界は良くない。さらに急登する。約15分で見覚えのある一軒家に達する。出造小屋であろうか。人影はない。周りは荒れた茶畑となっている。幾つかの踏み跡が分岐するが、登りの場合、上に上にと辿ればよいのでルートファインディングは楽である。杉檜林の中の急登が続く。相変わらず踏み跡は確りしているが、当然、道標も赤布も一切ない。支尾根に達し、木々の間から二王山方面が微かに見える。
 
 傾斜が緩み尾根が広々としてくると、続いてきた確りした踏み跡は完全に消えてしまった。かまわず植林の中の下藪を蹴散らして前進を続ける。スズタケの藪に入ると微かに踏み跡らしき気配が感じられる。危なっかしいナイフリッジを過ぎ、地図上の767メートル峰を左から巻く。猛烈なスズタケの藪で、足元に微かに踏み跡らしき気配がある。巻き終わると欝蒼とした檜林の鞍部にでる。再び二王山方面が木々の間より見える。踏み跡の完全に消えた緩やかな尾根を進むと、スズタケの藪の急登となる。自然林となって、日陰にわずかに残雪を見る。念のため軽アイゼンを持ってきたが、必要なさそうである。手入れの悪い薄暗い杉檜の植林に入ると目標となる倒壊した作業小屋があった。どうやら間違いなくルートを辿れたようだ。それにしても前回よくも間違わずに下山できたものである。一度辿ったことがあるにもかかわらずかなり神経を集中しなければならないこのルートを初めての下りで間違うことなく辿れたとは神業の感がする。しかも、かなりの積雪の中であった。ルートファインディングは登りより下りが数段難しい。踏み跡のまったくない樹林の中を大きく右に周り込んでひと登りすると見覚えのある山頂に達した。
 
 山頂は薄暗い杉檜林の中で、背丈より高いスズタケがまばらに生えている。立ち木に、あの悪評高いM大学ワンゲル部のM型の青いブリキ板のみが5〜6枚打ち付けられている。何班かに分かれて登ったようだ。まったくこの標示を見ると胸糞が悪くなる。さすが千メートルを超える山頂、休むと寒い。ヤッケを着込んで昨晩作った稲荷ずしを頬張る。さて、ここからが問題である。山頂はだだっ広く、しかもまったく展望が利かないので、うまく縦走ルートである西南西に伸びる尾根に乗れるかどうか。二万五千図を広げてコンパスで方向を定めて進むべき方向を探る。どうも磁針の示す方向と尾根らしき方向とが15度ぐらい合わない。もちろんルートを示すものは道標はおろか赤布一枚ない。勘を頼りに樹林の中の尾根らしき方向を辿る。尾根が細まりスズタケの藪を漕ぐと思いがけずも伐採地に出た。北に展望が開け、正面に見月山が聳え、そこから尾根が足元に続いている。違わずルートの尾根に乗っていることが確認できた。さすが自称「藪山の神様」、いい勘をしている。
 
 再びスズタケの密生する尾根を辿る。微かに踏み跡らしき気配はある。973メートル峰で左に90度曲がる。まったく踏み跡のない広々とした樹林の中を緩やかに登ると約980メートル峰に達した。二万五千図を頻繁にチェックする。緩やかに下ると、左側がまだ若い檜の植林となり、萱との藪がうるさい。森林開発公団の大きな看板が場違いのように建っている。相変わらずルートを示すものは何もない。1,004メートル峰を越え、小ピークを二つ過ぎると、いよいよ今日最大の問題地点が近づいてきた。実は八森山から南に伸びる尾根と見月山から北に伸びる尾根は続いていないのである。二つの尾根は擦れ違っており、その間は深くえぐれて、実に複雑な地形となっている。尾根を乗り換える地点が問題である。地図を見る限りその地点を特定する地形は何もない。ピンポイントの読図能力と磨ぎ澄まされた山勘だけが頼りである。私は今、おそらく25メートル以内の誤差(二万五千図では1ミリ)で現在位置を把握しているつもりである。意を決して左の大急斜面を下る。立ち木にぶら下がりながらの大急下降である。赤布が現われた。赤布は三星峠から長妻田集落へのルートを示すものであろう。ルートファインディングに過ちがなかったと言うことだ。まさに神業中の神業、自称「藪山の神様」は健在である。ナイフリッジの藪尾根に降り立つ。スズタケの藪はきついが点々と赤布があるのでもう安心である。ついに三星峠に降り立った。12時5分前である。
 
 三星峠は、八森山山稜と見月山山稜の擦れ違いの狭い隙間を縫って安倍川筋と中河内川筋を結ぶ古い峠である。この古道は二万五千図にはいまだに破線が記入されているが、現在は通行不能の完全な廃道である。こんな藪山の峠にも来る登山者がいると見えて標示があり、わずかに痕跡の残る峠道を「通行不能」、来し方を「栗駒、長妻田」、反対側の急斜面を登る踏み跡を「見月山」と示している。物音一つしない谷間のような峠に座り込んで再び稲荷ずしを頬張る。
 
 見月山に向かって前進を開始する。いきなりものすごい急登である。踏み跡はかなり薄いが、赤布が点々とあるのでもうルートに心配はない。ようやく尾根に達する。反対側から来た場合、見月山山稜を離れて三星峠に下るこの地点もかなり分かり難いところだが、ちゃんと小さな道標がルートを示している。すぐに二本の送電線鉄塔に出て、久しぶりに展望が大きく開けた。山々を同定しようと二十万図を出してコンパスと合わせる。目の前に見える山は大岳でその左奥が七ツ峰のはずなのだが、再び磁針と15度ぐらいズレが生じる。どうもこのコンパスはおかしい。帰ったら調べてみよう。長い急登を経てようやく991メートル峰を越える。ルートは猛烈なスズタケの藪となった。微かに踏み跡はあり、かつ点々と赤布があるのでルートに心配はないのだが、剥き出しの顔は傷つくし時には眼鏡さえ飛ばされる。ヘキヘキしながら背よりも高いスズタケをかきわける。藪が薄くなると小さな標示が現われ、安倍川筋からのルートが合流した。一昨年の1月に私はこのルートから見月山に登ったが、その時には何の標示もなかった。この地点をもって、ついに二王山から見月山に続く山稜の完全踏破がなったことになる。すぐに見覚えのある見月山の頂に達した。藪と樹林に囲まれた展望もない尾根の一角で、三角点とYK氏の山頂標示によりかろうじて山頂であることが確認できる。
 
 ここから安倍川筋に下ってもいいのだが、まだ時間も早いので、見月山山稜を安倍川本流と中河内川の合流点まで完全縦走することにする。2年前に辿った勝手知ったルートである。すぐに右側が真新しい植林地となっている地点に達した。以前は檜の幼苗がまだ膝ぐらいで実に展望が良かったのだが、2年の間に背よりも高く成長して展望を妨げだしている。それでもどんよりした空のもとに、七ツ峰、大岳、天狗岳、夕暮山、大棚山などの連なりが見える。足元は萱との藪がうるさい。大きく下って次の972メートル峰に達する。私は地図もろくに見ずにすたこら歩いているが、この見月山山稜縦走ルートだって上級者向けの藪山ルートである。所々に赤布はあるものの踏み跡は極めて薄い。急降下して大岩のある鞍部を経て緩く登ると九三四メートルの平頂に達する。この見月山山稜はらくだの背のようにいくつものピークが続いている。広々とした尾根を進み緩やかに登ると最後のピークとなる904メートル峰に達した。時刻は2時半、少し急がなければならない。
 
 長い下りに入る。灌木の藪がかなりうるさく、ズボンの上からでも足が傷つく。次第に踏み跡がはっきりしだし、気持ちのよい照葉樹の林となる。いい加減足に疲れを覚えるころ荒れた茶畑が現われ、さらに進むと送電線巡回路が合わさり相淵分岐に達した。前回はここから相淵集落に下ったが、今回はさらに尾根を忠実に辿る。すぐに送電線鉄塔が続けて二本現わる。尾根の末端を急降下すると、竹藪の沢を横切り中沢集落上部の墓地に下り着いた。困難な縦走の終結である。中沢のバス停は30分待ちであったので、バスの便の多い一つ先の六番まで歩く。
 
 ようやく懸案であった二王山から見月山までの完全縦走を果たすことが出来た。ただただ藪を漕ぐ山稜の縦走は、自己満足以外何ものでもないが、やり遂げた満足感だけは大きい。