神尾山から八高山へ

道なき稜線を辿って一等三角点の山へ

1996年11月23日


経塚山山頂
 
神尾駅(715)→神尾集落(730)→地蔵峠(740〜750)→神尾山(835〜855)→福用分岐(910〜920)→経塚山(935〜950)→林道(1025〜1030)→468mピーク(1045〜1055)→馬王平(1125)→登山口(1135〜1140)→電波板(1155)→白光神社(1210〜1215)→八高山(1220〜1240)→カザンタオ峠(1315〜1325)→前山集落(1405)→家山駅(1445〜1500)

 
 大井川右岸分水稜は、水源・間ノ岳から光岳までは南アルプス主稜線、光岳から大札山辺りまでは南アルプス深南部と呼ばれる。分水稜は大札山から先も大井川右岸に沿って南下し、粟ヶ岳まで続いている。この大札山から粟ヶ岳まで続く山稜(大井川西山稜とでも呼ぼうか)の主峰が八高山である。標高は832メートルに過ぎないが、何と言っても一等三角点がその山頂に設置されている。さらに山頂直下には白光神社が鎮座しており、地元のハイカーに愛されている山である。当然「静岡の百山」にも選ばれており、静岡の山をホームグランドにする限り一度は足跡を印しておかねばならない。一方、八高山から派出する支尾根上に経塚山、神尾山があり、時々ハイキング雑誌に案内が載る。地図を読むと、神尾山から経塚山を経て八高山に至るルートはちょうど1日の行程であるが、案内書には経塚山から八高山への縦走は藪が深く不可能とある。藪山の神様を自認する私としては真価が問われる。

 東海道線大井川鉄橋から上流を眺めると、一本の山並みが大井川の流れを立ち塞いでいる。今日辿る地蔵峠から神尾山に続く稜線である。東海道筋から川根地区に入るにはこの山並みを地蔵峠で越えなければならない。古来交通の難所である。神尾山の背後には八高山がわずかに頂きを覗かせている。金谷発7時の大井川鉄道に乗る。連休とあって何組かのハイカーの姿が見られるが神尾駅で降りたのは当然私一人であった。駅舎はおるか、周りに人家一軒ない実に寂しい駅である。駅の真上が神尾山への登山口となる地蔵峠なのだが、実は地蔵峠までの道がよくわからない。どこかに峠への登り道はないものかと神尾集落への道を進む。道の両側は竹林である。結局峠に登る道はなく、約15分で神尾集落まで来てしまった。この集落は地蔵峠から続く尾根が大井川に突き出す先端に位置する。集落に人影はない。見当をつけて集落内の道を登り、戻る感じで地蔵峠に通じると思われる舗装道路を辿る。今日の天気予報は「午前中は晴れ、午後から曇り」。雨の心配はなさそうである。約10分で旧道の乗っ越す地蔵峠に達した。小さな社がある。この少し先が県道の乗っ越す新地蔵峠で、引っ切りなしに大型ダンプカーが通る。登山口を探すと、切り通しの北側に尾根に這い上がるコンクリートの階段を見つけた。「神尾山、経塚山登山口」と小さな私製の標示がある。これで第一関門突破である。

 落葉広葉樹の気持ちのよい尾根道を登る。まるで我が故郷・奥武蔵の雰囲気である。照葉樹林もすばらしいが、晩秋の落葉広葉樹林はなんとも言えない風情がある。落ち葉が道を覆い、静まり返った雑木林の中にカサカサという私の足音のみが響く。分岐を標示に従い右に進むと急登となる。登山道は確りしており、何の心配もない。蜘蛛もすでに活動を止めたと見えて嫌な蜘蛛の巣もない。緩急を織り混ぜながら30分も登ると「木立ちの森」との標示があるすばらしい照葉樹林の森となった。いったん少しくだって登ると三叉路に出た。標示は右を経塚山、左を展望台と示しており、近いはずの神尾山山頂の標示がない。左に進んでみる。水平な巻道を5分も進むと送電線鉄塔に出た。この先、道は樹林の中を下っており「居林方面」と標示されている。何もなさそうなので戻ることにする。二万五千図を読むと、神尾山の山頂部は二つの小ピークに分かれており、地図では手前の551メートル標高点ピークを「神尾山」と記しているが、奥のピークは約560メートルとわずかに高い。どうも先程の三叉路が551メートルピークと思える。今までとは打って変わった微かな踏み跡を追って、檜林の中をわずかに登ると、緩やかなピークに達した。ここに神尾山山頂標示があった。ほとんど人の登った気配もなく、欝蒼とした檜林の中でなんとも陰欝な山頂である。座り込んで遅い朝食をとる。

 三叉路まで戻り、経塚山を目指す。神尾山までは気持ちのよい雑木林であったが、ここからは植林の中の道である。所々に金谷のボーイスカウトのつけた標示があるが、よく踏まれた一本道でルートに心配はない。小さな上下を繰り返し、間伐材の散らばる551メートルピークを下ると、福用からの道が合わさる。いよいよ経塚山への最後の登りに入る。15分ばかり急登に耐えると、ついに経塚山山頂に達した。ここも樹林の中の緩やかな山頂で、展望は一切ない。山頂には三角点とともに、高さ1メートルほどの自然石の石柱が立っている。石面に刻まれた消えかかった漢文を読んでみると、何やら雨乞いをして経文を遠州榛原郡大代村の坊主某がこの山頂に埋めた旨が記されている。日付は寛延3年(西暦1751年)庚午秋7月。今から250年近くも前のものである。この納経塚が経塚山の山名の由来である。

 さて、いよいよここからが今日の本番である。無事に八高山までの縦走ができるかどうか。続いてきた登山道もここで終わり。八高山を示す標示は何一つない。展望の利かない樹林の中の緩やかな山頂のため、八高山への尾根筋も見出せない。地図を広げ、その上にコンパスを置いて方向を定める。覚悟を決めて樹林の中を下る。幸い、手入れのよい檜の植林地帯で歩くのには支障がない。八高山でも見通せればルートファインディングも容易なのだが。尾根筋もはっきりせず、又赤テープ一つないが、「境界見出標」と標示され頭を赤く塗られた標石が点々とある。どうも、この標石が尾根筋を示していると思われる。注意してみると、微かな踏み跡らしき気配も感じられる。小鳥の鳴き声一つしない深い樹林の中をどんどん下っていく。地形の変化は斜面の緩急だけだが、細心の注意を払って現在位置を見失わないようにする。傾斜が緩みルートがいくぶん左に振れる。462メートル標高点付近のはずだ。すぐに地図にも記されている鞍部を乗っ越す細い林道に出た。ここまでルートに過ちがないことが確認できた。ここに古びた道標があり、行く手を八高山、林道の左を大尾山、右を福用駅と示している。

 小休止後、鞍部の反対側斜面に取り付く。尾根筋もようやく明確となり、心なしか踏み跡がはっきりしてきた。しかし、すぐに猛烈な藪が行く手を塞いだ。薄と灌木の入り混じった藪である。左側がまだ若い檜林であり、数年前の伐採によって発達した藪なのだろう。藪を漕ぎ漕ぎ急登すると、伐採地となって突然視界が開けた。目の前に八高山が高々とそびえ立っている。今日初めての展望である。ここは468メートルピークのはず、日が燦燦と当って暖かい。これからたどるルートも手に取るように見渡せる。切り株に座って小休止とする。

 樹林の中の急坂を下って小ピークを2〜3越えると林道に出た。微かな踏み後を追って急斜面に取り付く。杉檜の林床は灌木の藪でヒイラギが多い。息せき切って登り着くと檜の欝蒼と茂る薄暗い台地に達する。馬王平と呼ばれる580メートル標高点ピークである。踏み跡を追って下ると、再び林道に出た。この林道が福用駅からの登山道である。道端で夫婦が萱とを刈っている。すぐに林道の交差する広場に達する。ここが八高山の登山口である。数台の車が止まり、マウンテンバイクの若者が二人休んでいる。

 大垂ノ滝に通じる林道と分かれて、いよいよ八高山の登りに入る。樹齢百年は越えると思われる欝蒼とした杉木立ちの中の登りである。ハイキングコースゆえ道は確りしているが、かなりの急登、しかも腹が減っていささかバテ気味である。白光神社までなんとか我慢しよう。小学校低学年と思える幼女が二人下ってきて「こんにちは」と挨拶する。元気なものだ。しかし、親はどこへいってしまったのだろう。電波反射板が現われた。相変わらず急登が続き苦しい。登山口から30分でなんとか白光神社に登り着いた。杉木立ちの中の好ましい小社である。戦時中は武運長久を祈る参拝者でにぎわったと聞く。ベンチに腰を下ろし遅い昼食をとろうとしたら、夫婦連れが下ってきて「上にいいところがありますよ」という。「よぉし、もうひと踏ん張り」とばかり山頂を目指す。約5分の登りであっさり一等三角点の立つ八高山山頂に達した。雑木に囲まれた狭い山頂は東側に展望が開け、眼下に大井川とこれから下る家山の街並が見える。山頂には福用から登ってきたという中年の夫婦が休んでいた。ベンチに座り、稲荷寿司を頬張る。

 12時40分、若い男女が登ってきたのを潮に山頂を辞す。照葉樹林の気持ちのよい道を行く。約820メートル峰を越えるとザイルの張られた急坂となる。下り切った鞍部から登山道は地図の破線とは異なり東面の巻道となった。714メートル標高点ピ−クと次の約690メートルピークを巻くと大垂ノ滝から山腹を巻いてきた林道に飛び出した。そのすぐ先が753.3メートルピークとの鞍部で、原野谷川流域の黒俣集落から登ってきた林道が合わさり広場となっている。カザンタオ峠との標示がある。ここにもマウンテンバイクの若者が休んでいた。道標が「家山7.8 七キロ」と標示しているが、車輌用のものだろう。登山道を行けば家山まではこれほど遠くはない。

 ここから前山集落までは林道歩きである。林道は753.3メートル三角点ピークの東側を巻きながら続く。山々の紅葉が実にきれいである。道端にリンドウやノコンギクの花も見られるが、もう花の季節は終わりである。30分もひたすら林道を急ぐと前山集落の上部に達するが、車道の開削工事が行なわれていて、どっちへ行っていいのかさっぱり分からない。八高山頂を先に出発した夫婦が立往生している。「どっちでしょうねぇ」と聞くので、「こっちでしょお」と言って小道を集落の中に下る。夫婦は半信半疑で立ち止まったまま私の行く末を見つめている。集落を抜けると、小さな道標が「家山」を示している小道を見つけた。しめたとばかり、小道に踏み込む。二万五千図に記された破線に違いない。樹林の中をトラバース気味にどんどん下っていく。所々崩壊地もあるが道はよく踏まれている。はるか下方に家山の街並が見える。やがて茶畑に出て、入り組んだ道を下へ下へと遮二無二下る。家山川を渡り、ついに野守の池に達した。京の遊女・野守と夢想国師の悲しい恋物語の伝説の残る池である。街並を抜け、3時45分、終着点・家山駅に下り着いた。

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