大雪山系 緑岳から白雲岳へ

秋晴れのもと、中央高地の大展望を満喫

1996年10月5日

              
 
大雪高原温泉(710〜730)→緑岳(925〜940)→小泉岳→白雲岳分岐→白雲岳(1050〜1130)→白雲岳分岐→白雲小屋(1205〜1210)→緑岳(1250〜1305)→大雪高原温泉(1440)

 
 北海道の山々に憧れるが、されど北海道は余りに遠しである。学生時代に北海道を放浪した際、羅臼岳、利尻岳には登ったが、以来、北の大地の山々に登る機会はなかった。ところが今回帯広に行く機会があり、ひょんなことからH氏と一緒に中央高地に足を踏み入れてみることとなった。大雪高原温泉から緑岳を越えて白雲岳往復の計画である。

 5時30分、車で帯広を出発する。昨日は飛行機の着陸が危ぶまれるほどの荒天であったが、今日は晴天が期待できる。出発時の帯広の外気温は7度、静岡より10度ほど低い。音更町、士幌町、上士幌町を抜け北へ北へと向かう。さすが北海道、どこまでもどこまでも一直線の道が続く。私が学生の頃にはまともな道などなく、代わりに今走っている道に沿って帯広から十勝三股まで一本の鉄道が走っていた。行く手に山々が見えるのだが、初めての地域のため山名はわからない。やがて糠平ダムに達する。学生時代に然別湖からこの糠平まで山道を一人で歩いたことがある。しかし今目にする風景に30数年前の面影はまったくない。周囲の山々は紅葉の真っ盛りで、まさに山が燃えるという感じがする。山中に入ってもすばらしく整備された道が続くが、通る車とてない。北海道は、国の予算を注ぎ込んで、無理矢理にも道路を作り続けている。そうでもしないと経済がもたないのだろう。いたるところに「野生動物に注意」の標識を見る。道路脇にはエゾ鹿が群れている。三国峠を越えて、地道の林道に入る。林道を鹿が歩いている。帯広から1時間40分走って、登山口となる大雪高原温泉に着いた。外気温はちょうど0度、水溜りには氷が張っていた。

 たった一軒の温泉ホテルと環境庁の森林パトロール高原事務所がある。登山道入り口には羆に対する注意がくどいほど書かれている。「あなたは今、羆の生息地帯にいます」。心にズキンとくる注意書きである。この辺りは北海道内でも羆の生息数が一二を争うほど多いと聞く。森林パトロール高原事務所に登山届けを出し、かつ注意を受ける。予定していた高根ヶ原経由の下山は羆の危険が大きいと言うことで禁止された。登山届けを見ると我々が今日最初の入山者のようである。7時30分、ヤッケを着て手袋をはめ、登山を開始する。まずは緑岳まで2時間50分の登りである。紅葉は最盛期を過ぎたようだが、それでも見上げる山の斜面はナナカマドや楓の赤、ダケカンバの黄と樹皮の白、針葉樹の緑、さらに澄み渡った空のブルーが重なり、まるで絵具をキャンパスに塗りたくったようである。周囲は到る所で地面より蒸気が吹き出し、この山域がいまだ生きた火山であることを示している。

 いきなりダケカンバを中心とした樹林の中の急登である。昨日雨がだいぶ降ったが、水溜りはすべて凍り付いている。「遅いので先頭を歩きます」などと、出発前は殊勝なことを言っていたH氏だが、歩き始めるや否や大股でグイグイ登っていく。明らかに私に勝負を挑んでいる。私より二つ年上だが、昔は先鋭的社会人山岳会の猛者で、真冬の越後三山縦走という離れ業までやったと聞く。初めてパーティを組む場合、相手の実力を見定めるのが常套手段である。負けるわけには行かない。相手が参ったと言うまで、後ろにピッタリくっついて追い立ててやろう。互いに知らん顔をしながらの葛藤に火花が散る。登るに従い、忠別岳方面が木々の間に見え隠れする。
 
 少1時間の急登で上の台地に達した。ここはもうハイ松の茂る森林限界で、前方に視界が大きく開けた。夏にはさぞすさまじいお花畑となるであろう草原が足元から広がり、その向こうに目指す緑岳が緩やかな稜線を引いてそびえている。空は真っ青に晴れ渡り快晴無風である。出発時は寒さに震えていたのに、身体も暖まりぽかぽかと暖かい。実は今回、10月の北海道の2千メートルを越える山ということで、新雪を予想してやってきた。重い皮の登山靴を履いてスパッツまで用意してきた。昨日下界で降った雨も山では雪ではなかったのかと心配していたのである。しかし、見渡す山々に新雪は一切ない。少々拍子抜けである。これなら軽登山靴を履いてくるのであった。小休止後、緑岳を目指す。緩やかにうねる草原の道で、小さな池塘が混じる。今は草枯れの原であるが、よく見ると苔のような小さなリンドウがたくさん咲いている。ハイ松のトンネルを抜け、いよいよ緑岳への登りに掛かる。ルートの状況が変わり、岩の重なった急登である。相変わらずH氏の足取りは早い。勝負はまだまだである。
 
 ひと登りと思ったが、この急登は意外にしつこい。苛々しながら歩を早める。9時25分、ついに緑岳山頂に達した。と同時に、大展望が待っていた。目の前には広大な台地が広がり、その中にいくつものもピークがそそり立っている。憧れの北海道中央高地の山々である。初めて仰ぐ山々でなんにもわからない。それにしても、なんと残雪の多いことか。否、この季節ではもう万年雪と呼ぶべきだろう。いたるところ山肌を白く染めている。我々は新雪を心配してやってきたというのに。すぐに、地図を広げて山岳同定である。わずかに新雪をまとったドーム型のピークがこの中央高地、いや、北海道の最高峰・旭岳だ。足元からは緩やかな太い尾根が谷を回り込むようにしてこれから向かう白雲岳の横長のピークへ続いている。眼下には雪渓の側に白雲岳避難小屋が見え、そこからハイ松に覆われた雄大な台地が南へと続いている。その先にはなんとも格好いい山がそびえている。地図を目で追う。トムラウシ山だ。その右手奥に噴煙が見える。活火山である十勝岳ではないか。南東の方向にも大きな山並みが見える。再び地図を目で追う。石狩岳である。北西の方向に見えるのはニセイカウシュッペ山。東の方はるか彼方に見えるのは阿寒の山々であろうか。地図の上でしか知らなかった山々が、次から次へと目の前に現われる。うれしくてうれしくて仕方がない。カメラをもって山頂を右往左往する。
 
 まだまだ見足らないが、白雲岳に向け出発する。緩くうねりながら続く太い尾根をたどる。草木のまったくない岩屑の尾根である。白雲岳避難小屋への踏み跡を左に分け、さらに緩やかな登り下りを繰り返す。北海道中央高地とはまさに広大な台地である。この台地の上に丘のような山々がポコリポコリと盛り上がっている。私はいまだかってこのような景色を見たことがない。何しろスケールが大きい。しかもこの台地は森林限界を越えている。山域全体は緩やかであるといえども、ところどころ火山地帯特有の急な絶壁が掛かる。火山礫の積み重なった緩やかな斜面を足早に登り詰めると、小泉岳山頂に達する。ここでルートは90度左に折れる。だだっ広い斜面で、ガスにでも巻かれたらルートファインディングに苦労しそうである。ただし、道標は完ぺきに整備されている。
 
 女性の単独行者と擦れ違う。今日初めて出会う登山者である。この雄大な台地を一人出歩き回るとはなんともうらやましい。緩く下って白雲岳分岐に達する。右は旭岳に続く表大雪縦走路、左は白雲岳避難小屋へ下る。白雲岳へは直進である。岩の積み重なった道を登ると、白雲岳直下に続く台地に出る。右側は白雲岳から続く山稜から切れ落ちる絶壁、左側は広々とした草原で、おそらく雪解けの頃は大きな池塘となるのであろう。単独行の男性二人と擦れ違う。いよいよ白雲岳の登りに掛かる。大岩の積み重なった急斜面を一気に登り切ると大展望が待っていた。大きくうねる赤茶けた大地。残雪の白とハイ松の緑。その中に盛り上がる緩やかなピーク。火山特有の崩壊した絶壁と浸食された谷。見渡す限り、北海道中央高地の大自然が続いている。緑岳では見えなかった白雲岳から北海岳に続く稜線の背後の山々が初めてその姿を現す。丘のような間宮岳の背後にはギザギザした頂をもつ熊ヶ岳、安足間岳と比布岳が双耳峰となり、その右には中央高地第二の高峰・北鎮岳が丸い頂を見せている。主峰・旭岳は後旭岳の背後にうっすらと新雪まといドーム型のピークを盛り上げている。南方を眺めれば、一枚岩のような水平な大地がはるか彼方まで続き、その先端に忠別岳が盛り上がり、その背後にトムラウシ山がその雄大な山容を見せている。その右奥遙には十勝岳が白い煙を真っ青な空に吹き上げている。地図とカメラをもって山頂を走り回る。山頂には中年の夫婦がのんびりと休んでいた。
 
 瞬く間に時間が経過した。後ろ髪引かれる思いで山頂を後にする。帰路は少しルートを変えて、白雲岳避難小屋経由で戻ることにする。白雲岳分岐まで戻り、谷底の小屋目指して一気に下る。ハイ松の中の道である。この辺りは羆が徘徊しているとのこと。恐々視界の利かないハイ松の中をたどる。下り切った谷には清流が流れ、一段高い台地に立派な避難小屋が立っていた。周りはキャンプ指定地となっているが、もちろん人影はない。周囲のハイ松の中には羆が潜んでいるのだろうか。この地点からトムラウシ山に向かって広大な台地の上を一本の踏み跡がまっすぐに続いている。いつか辿ってみたいルートである。小休止後、大きな雪渓の光る谷底に向かって更に下る。小屋を出てすぐにハイ松の中でルートを失った。小屋から緑岳へのルートは案内書でも踏み跡が薄く迷いやすいとある。戻ってようやくルートを見つけ、谷に下る。晩秋とは思えない大きな雪渓が谷を覆っている。

 緑岳へ登り返す。さすがにH氏のピッチも落ちた。再び緑岳山頂に達し、最後の展望を楽しむ。中年の単独行者が登ってきた。緑岳だけ往復とのこと。午後になったといえどもガス一つ湧かず、相変わらず良好な視界が広がっている。下りで初めて私が先頭に立って少々飛ばしてやった。H氏が遅れ気味となって「もっゆっくり歩いてくれぇ」と、ついに白旗を揚げた。下り着いた温泉は何組もの紅葉狩りの人々でにぎわっていた。
 
 安倍奥の藪山を歩き回っている身にとってはなんとも新鮮な山行きであった。初めて足を踏み入れた北海道中央高地。その雄大さは、本州のどの山域とも異なる雰囲気をもっている。羆にあわなかったのは幸運であったが、内心、ちょっぴり期待外れの感もある。一つだけ気に食わないことがある。この中央高地の山名である。旭岳、北鎮岳、間宮岳、北海岳、緑岳、白雲岳、何と情緒のない俗っぽい名前をつけてしまったことか。アイヌによるすばらしい山名があったはずなのに。なんとも残念である。