浜石岳から薩垂峠へ

展望の山から東海道の難所へ 

1994年11月26日

              
 
坂本集落(730)→小屋場の段(800〜805)→狼煙台分岐(830)→狼煙台(840〜845)→槍野分岐(905〜910)→浜石岳(930〜950)→西山寺分岐(1030〜1035)→茶畑(1055〜1100)→農道(1150)→薩垂峠(1210〜1220)→興津駅(1300)

 
 10月15日の富士見峠ー井川峠縦走以来すでに1ヶ月半近く山から遠ざかっている。決してチャンスがなかったわけではないが、どうも気が乗らなかった。静岡市近郊の主だった山々はほぼ登り尽くしてしまったし、踏み跡なき藪山に行くにはまだ季節が早すぎる。ようやく浜石岳に行ってみる気になった。浜石岳は興津川左岸稜上のピークで、展望の山として名高い。標高は700メートル強とさして高くはないが、海から直接盛り上がった山だけに、目の前に富士山が立ちはだかり、眼下には駿河湾が広がっているはずである。ただしこの山はピクニックの対象であり、由比駅から歩いても山頂まで2時間も掛からず、登山としてはいささか物足りない。考えた末、興津川奥の坂本集落からこの山稜の北の端にとりつき、浜石岳を越えて南端の薩垂峠まで、山稜の完全縦走を試みることにした。

 駿府は三方を山、一方を海に囲まれている。古来この駿府の地に入るには必ず峠を越えなければならない。北側には南アルプスから続く安部奥の山々が起伏し、海沿いの道も海まで押し寄せた山並みによって二方面とも分断されている。いずれも東海道の難所である。江戸から駿府に入るには、由比宿と興津宿の間にたち塞がる浜石岳を主峰とする山並を薩垂峠で越えなければならなかった。

 興津駅発7時5分の宍原車庫行きのバスに乗る。バスは国道52号線を興津川に沿っての奥へと進む。7時30分坂本集落着。降り立ったのは私一人であった。バス停の10メートルほど先で道標に導かれて小沢沿いの小道に入る。空はどんよりと曇り、今にも降りだしそうな天気である。風はないが底冷えして寒い。10分ほど進むと道標があり、左に登山道が分かれる。手入れの行き届いた杉檜の植林の中を時折ジグザグを切りながら高度を上げる。登山道は確り整備されている。到る所に「浜石を愛する会」の道標があり、要所要所には清水市の確りした道標がある。いつも思うのだが、静岡市の山と異なり清水市の山は道標が確り整備されており、両市の活力の違いがわかる。ダブルヤッケを着込んでいるのだが、登りに掛かってもなお寒い。山道を20分も登ると支尾根に達した。「小屋場の段」との標示がある。ひと休み後「高校大学受験合格坂」との標示がある急坂を登る。一瞬視界が開け、「富士見台」との標示があるが、辺りは濃いもやにつつまれ、富士山はまったく見えない。30分で狼煙台分岐に着いた。主稜線の一角である。狼煙台とは、戦国の昔武田軍が築いた狼煙台の跡で、主稜線から南西に派生した陣場山の頂にある。10分ほどの行程なので行ってみることにした。広々とした樹林の中の緩やかな尾根道を辿ると、あっさり狼煙台に達した。由来を記した石版が建てられ、視界が若干開けてはいるが平凡な山頂である。

 分岐まで戻り、浜石岳を目指す。すぐに桜野・槍野分岐に達する。どちらも山稜の東側の集落である。杉檜の樹林の中の単調な道を左右に現われる小ピークを縫うようにして進む。地形は実に複雑で尾根筋の感覚はないが、道標もしつこいほどありルートファインデングなどまったく不要である。崩壊により通行止めとなっている小河内集落への下山道を右に分ける。辺りは静寂で小鳥のさえずりさえ聞こえない。突然大きな電波塔が現われ、左側から舗装道路が登ってきている。ひと登りで浜石岳山頂に達した。9時30分である。

 一面芝生で覆われ、広々とした山頂は案内の通り大展望台である。冬晴れの日に来たらすさまじい展望が得られるであろう。山頂におかれた展望盤によると、南アルプス全山、天子山塊、安倍奥の山々等が目の前に広がっていることがわかる。今日はあいにく富士山とてみえない。それでも眼下に駿河湾が広がり、その向こうに伊豆の山々と愛鷹連峰が霞んでいる。背後には高ドッキョの鋭い三角形と篠井山のゆったりした山容が灰色の空の中に浮かんでいる芝生の上に腰を下ろし、昨夜作った海苔巻きを頬張る。山頂には誰もいない。休むといっそう寒い。天気予報は「曇り時々晴れ」であったのにその「時々」の気配がまったくない。行く手にはこれから辿る山稜が海に向かって一直線に伸びている。

 9時50分、薩垂峠に向け出発する。短い間だが、ロープを張った急坂がある。但沼コースを右に、続いて西山寺コースを左に分け、小さな上下を繰り返しながら次第に高度をさげる。どこまで行っても杉檜の樹林の中で展望はいっさい利かない。500メートル峰の登りに掛かると立花コースを右に分ける。所々に見られる蜘蛛の巣も破れ、すでに蜘蛛も活動を停止していることがわかる。それでも時々巣が顔にかかる所を見ると1〜2週間このコースは誰も歩いていないようだ。突然右側に手入れのよい茶畑が現われ、浜石岳以来初めて視界が開ける。ようやく薄日が差し出し、ヤッケを脱ぐ。時々アセビなどの灌木も現われるようになる。承元寺じコースを左に分け、いくぶん藪っぽくなった樹林の中を進む。相変わらず人の気配はまったくない。またもや分岐に達した。まっすぐ進む道は「興津」、左に下る道を「薩垂峠」と標示してある。道を左にとる。急に道が細くなり、一瞬道を間違えたかと思った。竹藪が現われ、続いて蜜柑畑が現われた。目の前には、もう海が迫っている。どんどん下ると、ついに舗装された農道に達した。浜石山稜の縦走が終わったのである。時刻はまだ11時50分、何ともあっけない幕切れであった。

 「薩垂峠」という道標の標示からして、山稜の最先端である薩垂峠に直接下山するのかと思ったが、峠のだいぶ東側に下山した。由比駅へ向かうほうが近いが、薩垂峠は今日の目的地の一つである。海に落ち込む絶壁の中腹に這うように作られた農道を薩垂峠に向かって西に進む。周りは一面蜜柑畑で、黄色に色づいた夏蜜柑がたわわに実っている。12時10分、薩垂峠に達した。立派な案内板があり、この峠が東海道の難所であったばかりでなく、古来多くの合戦の場でもあったことがわかる。また、この地点は、昔は押し寄せた山並みが絶壁となって海に落ち込み海岸線の通行は不可能であったが、安政の大地震により海が隆起してわずかに海岸に陸ができたことが記されている。

 薩垂峠から興津駅までは遠かった。里道は入り組みさっぱりわからない。何回も道を聞き聞き、ちょうど13時に駅に到着した。

 浜石岳は、確かにすばらしい展望の山であり、一度は登ってみる価値のある山であった。しかし山稜はすべて単調な杉檜の植林地帯で、期待していた紅葉もまったくなかった。登山道も道標も完ぺきに整備されており、藪山歩きの魅力はまったく感じなかった。ただ、一日誰にも会わず、静けさだけが取り柄であった。