榛名山 掃部ヶ岳から杏ヶ岳へ

深いガスの中、濡れた笹をかき分け

1999年10月31日


 
湖畔駐車場(725〜730)→硯岩(750〜755)→尾根合流点(815)→掃部ヶ岳山頂(825〜835)→地蔵岩(845)→西峰(855〜900)→杖ノ神峠(930〜950)→杏ヶ岳(1035〜1055)→杖ノ神峠(1125)→湖畔(1200)→駐車場(1205)

 
 上州の野に起立する赤城山、榛名山、妙義山の三山を上毛三山と称する。いずれも関東平野から眺めると極めて目立つ山々である。赤城山には三度、妙義山にも一度足跡を残しているが、榛名山はいまだ未踏のままである。いや、正確に言うなら、幼稚園か、小学校低学年の頃に両親につれられて伊香保温泉からバスで山頂部を訪れた微かな記憶がある。名の知れた山だけに一度は登っておかねばならない。

 榛名山はゆったりとした裾野を持つ大きな二重式火山である。榛名湖を中心とした山頂部は今では観光バスの行き交う観光地となっているが、この山は六世紀まで活発な噴火を繰り返した。麓からは火山灰に埋まった古代の集落も掘り出されている。中央火口丘の榛名富士はケーブルカーが掛かり今ではハイキングとは無縁の山となっているが火口原を囲む外輪山である掃部ヶ岳や相馬山等にはハイキングコースが開かれている。1週間前、北隣りの小野子三山に登り、いやというほどこの山を眺めた。山頂部はいくつもの岩峰がそそり立ち、思っていた以上に格好いい。今日は、最高峰の掃部ヶ岳から杏ヶ岳まで縦走するつもりである。何はともあれ、まずは榛名山の最高峰に登らなければ榛名山に登ったことにならない。また、先週十二ヶ岳山頂より展望写真を撮ったが、上信国境の山々の同定が今一つはっきりしない。今日はその再確認も目的の一つである。

 5時40分車で家を出る。あいにく空はどんよりとしていて山々もまったく見えない。一路関越自動車道を北上するが、前橋を過ぎても目の前に聳えているはずの赤城山も、榛名山も見えない。まったく期待外れの天気である。渋川インターで下り、ホテルの乱立する伊香保温泉を過ぎ、榛名山への登りにかかる。何と、ものすごいガスである。視界10メートル、ライトをつけてのろのろとヘアピンカーブを登る。これではいくらハイキングコースでもとても山登りなど出来ない。榛名湖畔に出るといくらかガスは薄れたが、それでも視界100メートルもない。よほど登山を中止しようかとも思ったが、せっかく早起きしてやって来たのだからせめて掃部ヶ岳山頂だけでも踏んでこようと考え直す。

 がらんとした無料駐車場に車を止め、国民宿舎吾妻荘の脇から道標に従い登山を開始する。雑然とした雑木の中を少し進むと平斜面の急登となった。息せききって支尾根に登り上げると小さな道標が右を硯岩、左を掃部ヶ岳と示している。硯岩まで5分とあるので寄ってみることにする。雑木と露石の急坂を登り上げるとあっさり硯岩に達した。案内書には榛名湖が一望とあるが、周りはすべてミルク色のガスに閉ざされ何にもみえない。意外にもカメラを据え付けた50搦みの人がおり、「もう1時間も粘っているのだが何にもみえない」と嘆いている。すぐに、掃部ヶ岳を目指す。隈笹の中の踏み跡を緩やかに登っていくと別荘が1軒ある。所々に露に濡れた蜘蛛の巣が道を遮る。当然のことながら、私が今日最初の通過者である。まもなく、カラマツや広葉落葉樹の中の急登が始まった。ホワイトアウトの中、急ピッチで登る。やがて左から尾根が合流する。この尾根上にも確りした踏み跡があるが、合流点には道標もない。はっきりしてきた尾根をさらにたどると、8時25分、あっさりと掃部ヶ岳山頂に達した。

 山頂は少々露石がある裸地の小平地で、三角点があるだけの何の情緒もないつまらないところであった。周りは開けているので天気さえよければ展望が得られると思われるが、今日は濃いガスが渦巻き、何にもみえない。誰もいないのがせめてもの救いである。山頂にはまともな山頂標示もない。登ってくる間気になっていたのだが、コース上にも、登り口と硯岩分岐に私製の小さな道標があっただけで、公的機関が建てた確りした道標は皆無である。榛名山の代表的ハイキングコースにしてはお粗末である。しかし、ここが榛名山の最高地点、とにもかくにも日本二百名山・榛名山の山頂を踏むことは果たした。

 あまり気は進まないが、予定通り杏ヶ岳を目指して縦走することにする。しかし、山頂には道標もない。来し方の反対方向には二つの踏み跡が続いている。右はおそらく居鞍岳へのものと判断して左の踏み跡をたどる。今日は道標完備の軽いハイキングコースと思い、実は、地図を持っていない。ガイドブックだけである。道標未整備、濃いガスの状況を考えると少々山を舐めすぎたようである。しかし、長年鍛えた山勘はある。方向感覚も自信はある。踏み込んだ道は登ってきた道と比べずいぶん細い。しかも隈笹の道である。薮漕ぎというほどではないが、露とガスに濡れた隈笹が踏み跡を覆い隠しており、あっという間に膝から下はびしょびしょとなる。それでも隈笹は背も低く柔らかいので静岡で経験したスズタケに比べれば雲泥の差である。10分ほど尾根をたどると左側に5メートルほどの岩塔を見る。何の標示もないが、案内書にある地蔵岩だろう。所々腰ほどの笹で踏み跡がすっかり隠された場所もあるが、逆にはっとするような広葉樹林の素晴らしい場所もある。もうズボンはびしょびしょ、ジョギングシューズの中は水がびしゃびしゃ音を立てている。尾根は概して左側が絶壁、右側が緩やかな雑木林である。相変わらずガスが渦巻き何も見えない。小ピークで一休みする。標示はないが、ここが西峰だろう。

 さらに隈笹の道を進むと、稜線上に大岩の折り重なった場所に出る。案内書にある耳岩だろう。道は大岩を避けて左から尾根を巻くようになる。再び尾根に登ると、ロープが張られていて通行止め。掃部ヶ岳以来はじめてみる小さな道標が尾根上を戻る踏み跡を「杖ノ神峠」と示している。道はすぐに右の斜面を急降下するようになる。潅木の中の嫌な下りである。斜面が緩み、背ほどの笹の密生した窪地に下り降りた。あれと思って、周りを見渡すと立ち木に打ち付けられた小さな道標が「杖ノ神峠」と示していた。笹藪で腰を下ろす場所もない。ここはまさに滅びゆく峠であった。笹藪の中に微かに峠道の痕跡が確認できる。一段高い場所には石に彫られた地蔵仏がたたずんでいる。笹を掻分け行ってみる。「○永14年葵9月」との銘が刻まれている。荒涼とした峠にガスが渦巻く。

 しばし感慨にふけった後、ほんの5メートルほど先に進むと、何と、林道に飛びだした。ガスが濃く、しかも切通になっていたので峠からは気がつかなかった。アスファルトの路面に腰を下ろししばし考えた。予定ではここから杏ヶ岳を往復して、この林道を湖畔まで下る予定である。しかし、既に下半身はびしょ濡れ、ガスは一向に晴れる気配もない。周りも雑然とした雑木と笹原で、これ以上縦走を続ける闘志が萎えてしまった。杏ヶ岳往復を省略してこのまま林道を下ってしまおう。しかし、100メートルほど下ったところで気が変わった。この歳になると、いったん登頂のチャンスを逃すと二度と戻ってこない。わずかここから往復2時間の行程、気が進まないが行くだけ行ってみよう。思い返して峠に戻る。杏ヶ岳を示す道標もテープもないが切り通しの崖を登る踏み跡が確認できる。広葉樹林の中に入ると割合確りした踏み跡が続いている。案内では「踏み跡は細く分かりにくい」とあり若干心配したが。進むに従い廻りは素晴らしい雰囲気となった。杖ノ神峠までの道と異なり、林床には笹はなく、周りは気持ちのよい広葉落葉樹林である。赤く色づいたモミジが濃いガスの中に幻想的に浮かび上がり、落ち葉は深紅の絨毯となって小道を隠す。森は静まり返り、物音一つしない。急登もあるが短い。露石の目立つ小ピークをいくつか越えると小さな石の祠のあるピークに達した。杏ヶ岳は近い。顕著なピークに飛びだした。小さく開けた山頂に三角点と石の祠が三つ確認できる。杏ヶ岳山頂と思うのだがなんの標示もない。立ち止まって辺りを見回す。ようやく石の祠に隠れるように置かれた小さな小さな杏ヶ岳の標示を見つけ安心して腰を下ろす。周囲の樹木が疎であるため、晴れてさえいれば展望は得られそうであるが、相変わらず厚いミルク色の幕が周囲を覆い隠している。しかし、この頂にはこの情景の方が似合うかもしれない。何にもない静かな静かな頂である。ガスに濡れた紫色の竜胆を一輪だけ見つけた。一人握り飯を頬張りながらやって来てよかったと思った。

 帰路は速い、山頂からわずか30分で峠に下り着いた。休むことなく、そのまま林道を下る。もう湖畔まで一本道である。林道は荒れていた。通る車とてない。時折ガスが流れ、赤く色づいた山肌をあらわにする。30分も下ると湖畔の喧騒がきこえてくる。あいにくの天気にもかかわらず、湖畔はにぎわっていた。ガスが大部薄れ、榛名湖の向こうに頂をガスに隠した榛名富士を見ることができた。12時過ぎには車に戻り着く。相変わらず早い下山である。

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