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○ 榛名湖温泉「ホテル・セゾンドはるな」付近の路肩駐車(710〜721)→榛名湖温泉側榛名富士登山口(727)→榛名富士山頂(833 〜846)→榛名湖温泉側榛名富士登山口(922)
○ 烏帽子ヶ岳登山口(931)→烏帽子ヶ岳と鬢櫛山との鞍部(955〜1000)→烏帽子ヶ岳山頂(1031〜1041)→烏帽子ヶ岳と鬢櫛山の鞍 部(1100) ○ 烏帽子ヶ岳と鬢櫛山の鞍部(1100)→鬢櫛山山頂(1134〜1143)→烏帽 子ヶ岳と鬢櫛山との鞍部(1203)→烏帽子ヶ岳登山口(1216) →車 (1217) ○ 蛇ヶ岳登山口(1223)→蛇ヶ岳山頂(1240〜1250)→蛇ヶ岳登山口(1301) ○ ヤセオネ峠(1309)→臥牛山山頂(1326)→ヤセオネ峠(1345) |
関東平野から北方を眺めると、山頂部にいくつもの峰が聳え立つ巨大な山体が目にとまる。日本二百名山の一つ榛名山である。今や山頂部まで観光道路が登り、中央火口丘である「榛名富士」にはロープウェイが架かり、典型的な観光の山と化しているが、この山は、6世紀までは大規模な火山活動を続けていた。度重なった火山活動により、山体は複雑化し、中央火口丘、外輪山、寄生火山等約15ほどの峰峰が山頂部に立ち並んでいる。そしてこれらの峰峰はよきハイキングのゲレンデでもある。
私はこれまでに榛名山の山々を3度訪れた。1999年10月に掃部ヶ岳(かもんがたけ)と杏ヶ岳(すもうがたけ)を、2002年7月には氷室山、天目山、相馬山と縦走した。そして、2014年11月には二ツ岳と水沢山を踏破した。ただし、まだ榛名山を代表する峰・榛名富士をはじめとして、幾つかの峰が未踏のまま残されている。紅葉にはちと早いが、秋の一日を榛名山に捧げてみよう。 立てた計画は、榛名湖北側の榛名湖温泉まで車で行き、そこから榛名富士を往復し、さらに烏帽子ヶ岳、鬢櫛山(びんくしやま)を往復する。さらに車で移動して蛇ヶ岳(じゃがたけ)、臥牛山(ねうしやま)に登る。さらにさらに体力と時間に余裕があれば五万石と伯耆山(ほうきやま)をアタックするもよしーーー。台風25号も去り、天気予報は一日晴天を告げている。 朝5時18分車で鴻巣の自宅を出発する。夜は薄らと明けかけている。東松山ICで関越自動車道に乗り、渋川伊香保ICで降りる。すっかり夜の明けた渋川市内を抜け、温泉旅館の立ち並ぶ伊香保温泉街を抜け、ヘアピンカーブをくり返してグイグイ榛名山を登って行く。早朝のためか通る車は少ない。7時10分、榛名湖北端の榛名湖温泉に到着した。「ホテル&レストラン・セゾンドはるな」近くの道路端に車をとめる。 1、榛名富士
辺りに人影はない。車道を少し戻ると「榛名富士登山口」と表示した道標を見つけた。思いのほか質素な踏跡が山中へと続いている。踏み跡を辿る。辺り一面どこまでも雑木林が続き、地表は一面の笹原である。登山道はその中を剥きだしの裸地となって何本かに分かれ、合わさりながら上部に続いている。どのルートが本道なのか時々判断に迷う。すぐにルートは一本調子の急登となった。地図を見れば分かる通り、このルートは山頂に至るまで尾根筋も沢筋もない急な平斜面をひたすら登り上げていく。 傾斜が増すにつれて、ルートの荒れ様は増してくる。登山道として整備した痕跡はあまり感じられず、水流と踏み跡によってえぐられ、固められただけとしか思えない。時には露石や木の根による大きな段差が現れ、また時には足の置き場さえない急斜面があらわれる。ルートを示す標示はおろかテープさえも見かけなかった。ただし、尾根筋も沢筋もない至って単純な富士山型の地形のためルートに迷う心配はない。 どこまでも変化のない樹林の中の単調な登りが続く。展望は一切ない。物音一つしない樹林の中に私の息遣いのみがわずかに静けさを破る。突然上部から人が現れた。単独行の青年が一言挨拶をしてすれ違っていった。やがて登り行く上方に木々の間を透して青空が見えてきた。山頂は近い。 傾斜が緩み、ついに山頂部の一角に飛び出した。広がる笹原の向こうに山頂に建つ社が見えた。8時33分、何はともあれ榛名富士神社の建つ榛名富士山頂に到達した。山頂は無人であった。神社の脇には1390.54メートルの一等三角点「榛名富士」も確認できる。まずは神社に今日の安全を祈願した後、前方に開けた大展望に目をこらす。 展望は東から南にかけて開けている。そして、有り難いことに、傍らには山名を記載した展望盤も設置されている。ただし、残念なことに、幽かに色付いた木々が視界を少々邪魔している。視界の一番左、木々の上にようやく丸い頭を現しているのは二ツ岳である。この山は2014年11月に登った。そのすぐ右に、烏帽子のような独特の山頂を大きく突き出しているのは、見紛うことなく相馬山と同定できる。この山は2002年7月に登った。 相馬山の右は大きく視界が開け、広々とした関東平野がどこまでも続いている。幽かに見える家並みは前橋市、高崎市方面であろう。展望盤では筑波山の名が記されているが、今日は霞の彼方である。視界をさらに大きく右に振ると、地平線の彼方に連なる山並が薄らと見えてくる。目を懸命にこらすと、何と、何と、その山並の背後に、富士山が見えるではないか。あの姿、見紛うことはない。視線をさらに右に振る。地平線に薄らと山並が続く。あれ ! あの山並の形はどこかで見たことがある。そうだ、奥秩父の主稜線だ、あれが甲武信ヶ岳、その隣が三宝山ーーーー。幽かな山並がスラスラと同定できる。嬉しくなった。 展望を楽しんでいる間に4人連れの若者が南側から登ってきた。荷物を一切持っていないところを見ると、ロープウェイで登ってきた観光客だろう。続いて若者が一人、彼はザックを背負った登山者である。握り飯を一つ食べ、山頂を後ににする。今日はまだまだ先が長い。 登ってきた道を下る。少々荒れた登山道だが、やはり下りは楽だ。下から人声がして、幼稚園児と思える幼児二人を含む7人パーティーが登ってきた。私以外にもこのルートを登る登山者がいたのだ。登山道はあちこちに大きな段差が生じているため、幼児が難儀している。父親が付きっきりの前進である。何ごともなく下り、9時22分、無事に榛名湖温泉の榛名富士登山口に下り着いた。
雑木林の中を緩やかに登っていく。踏み跡は確りしており、不安はない。辺りは静まりかえり人の気配はない。20分少々足早に登ると烏帽子ヶ岳と鬢櫛山との鞍部に登り上げた。腰を降ろしひと休みする。 道標に従い、稜線を右に辿る。登山道の状況はがらりと変わり、露石の多い急登となる。ただし、先ほどの榛名富士の登山道と異なり、整備をされた気配がある。周囲は鬱蒼とした自然林で展望は一切得られない。突然、登山道を跨ぐ赤い鳥居が現れた。「加護丸稲荷」の扁額が掲げられている。登山口で見かけたものと同じである。山頂に確りした社でもあるのだろうか。 登山道の傾斜は一段と増す。思わぬことに、登山道が丸太で階段状に整備されている。歩きやすくて助かる。丸太の階段が終わると、今度は、登山道の端に沿ってロープで連結された丸太の杭が連続して立ち並ぶようになる。もはや足だけでは登れないほどの急斜面の連続であり、この処置はおお助かりである。ザイルや丸太を掴んでは身体を引き上げる。この丸太の杭の処置は山頂直下まで続いた。整備された痕跡のなかった榛名富士登山道とは大違いである。 登山道から少し外れた岩壁の割れ目に何やら小さな祠が祀られている気配である。おそらく、加護丸稲荷なのだろう。一瞬行ってみようかと思ったが、少々危険が伴いそうなので、そのまま通過する。山頂直下に至ると登山道の状況はいっそう悪化する。露石と木の根の大急斜面を手足を総動員してよじ登るようになる。持参しているストックが大いに邪魔である。 ついに山頂部の一角に到達した。今までの険悪な急登が嘘のように、一面隈笹に覆われた緩斜面が広がっている。笹をかき分けて進む。10時31分、ついに烏帽子ヶ岳山頂に達した。そこだけが少々笹が切り払われており、立ち木に山頂を示す標示が打ち付けられている。いたって質素な頂きである。立ち木に阻まれて展望はない。 山頂には意外にも無線通信を行っている青年が先着していた。マイクに向かってひっきりなしに大声で喋り続けていてうるさくて仕方がない。山頂の雰囲気も台なしである。しかし、文句を言うわけにも行かないしーーー。単独行の若者が、つづいて中年の夫婦連れが登ってきた。いずれも、迷惑そうに無線の男を一瞥して、少し離れたところら陣取った。私も、おにぎりを一つ急いでかきこんですぐに下山にかかる。展望もなくうるさいだけの山頂は長居無用である。 悪路の急斜面と言えども下りは早い。20分ほどで鬢櫛山との鞍部に下り着いた。
3、鬢櫛山
ここからいよいよ鬢櫛山への本格的な登りが始まる。どこまでも樹林の中で展望は一切ないが、踏み跡ははっきりしておりルートに不安はない。進むに従い傾斜も増すが、露石も少なく、烏帽子ヶ岳へのルートにくらべればずっと楽である。前方から一人下ってきた。烏帽子ヶ岳山頂で見かけた青年である。やがて山頂部の一角に達したとみえ、傾斜は緩み、隈笹が地表を覆うようになる。ルートは西方向から南方向へと彎曲する。 11時34分、ついに鬢櫛山山頂に達した。今日三つ目の頂きである。山頂は鬱蒼とした林の中で、山頂を示す表示板が一つ立木に掲げられているだけである。もちろん人の気配は皆無である。展望も利かない。わずかに相馬山の頂きが木々の隙間から見えるだけである。座り込んで一息つく。 山頂から先に続く踏み跡が二つある。一つは尾根に沿って南に続いている。おそらく榛名湖湖畔に下っているものと思えるが行き先を示す道標はない。もう一つの踏み跡は西に向かっている。この踏み跡にも道標はない。よほど南に向かう踏み跡を辿って榛名湖湖畔に下ろうかと思ったが、地図にも記載されておらず、道標もない踏み跡ゆえ、今一つ心配である。おとなしく、来たルートを引き返すことにする。 足早に登り来しルートを引き返す。中年の夫婦連れとすれ違った。男性が持参のスマホを示して「このルートを辿りたいのだがーーー。ルートの状況はどうですか」と尋ねてきた。見ると、スマホには鬢櫛山付近のルートが表示されており、山頂から南、すなわち榛名湖湖畔に下るルートが赤く色付けられている。先ほど私も検討し、結局諦めたルートである。「それと思われるしっかりした踏み跡はありますが、道標はなく、何となく不安なので私はあきらめました」とのみ答える。さぁ、彼等はどうするだろう。鞍部をそのまま通り過ぎ、12時17分、無事に榛名湖湖畔の愛車に戻った。
4、蛇ヶ岳
蛇ヶ岳は榛名富士と共に榛名山の中央火口丘である。ただし、標高はわずか1229メートル、物好きな登山者のみが登るような薮山である。ただし、一応登山口から山頂までの踏み跡はある。 この山になぜ「蛇ヶ岳」なる山名がついたのかは不知であるが、単に蛇が多いからと言うことではなさそうである。「蛇」と聞くと、榛名山には強烈な思い出がある。2002年7月、氷室山から相馬山まで縦走した際、途中の麿墨岩(スルスイワ)で出会った巨大な蛇である。2メートルはあると思われるその姿は今でも眼に焼き付いている。 地図を読むと、登山口から山頂までの標高差は約100メートルなのだが、最初からいきなり凄まじい急登である。踏み跡は明確で、露石、木の根などの障害物もないのだが、余りの急斜面のため靴底をフラットに斜面に置けないのだ。半ば横歩きのような歩みでステップを切る。ただし距離は短い、わずか15分程で山頂部に登り上げた。 山頂部は平坦でどこが山頂とも特定できない。一応、山頂表示板が立ち木に掲げられている場所を山頂とみなし腰を降ろす。もちろん人影は皆無である。また立ち木が茂り展望も得られない。なんともつまらない頂きである。登ったと言う事実だけに満足して下山する。
5、臥牛山
今は広場となっている峠の旧料金所跡に車を止め、付近を探ると、県道33号線から分かれて樹林の中を北へ向かう道幅の広い顕著な林道を確認した。そしてその入り口に消えかかった文字で「臥牛山」と書かれた板切れが立っている。板切れには林道の奥を差す矢印も記されている。どうやらこの林道が臥牛山登山口のようである。 ただし、その近くの立ち木には「熊出没注意」の真新しいポスターが張られている。ザックに結び付けてある熊除けの鈴を確認して林道を奥に進む。地道の林道は車がすれ違える程の道幅がある。傾斜はほぼゼロ、深い森林の中を奥へ奥へと続いている。辺りは静まり返り、何やら恐いぐらいである。ルートはこの林道でよいのか、少々不安もあるが、このまま北へ進めば、臥牛山から東に延びる尾根にぶつかるはず。そして、その尾根を辿れば山頂に到達できる。頭の中にルートは描かれている。 辿っている林道が向きを北から西に大きく変えた。おかしい。このまま林道を辿ると目指すルートを外れる。周囲に注意を払うと、立ち木に何やら消え架かった文字の書かれた板切れが架かっているのを見つけた。文字は消えて読めないが、北の方向を指し示す矢印だけはかろうじて確認できる。しかも、その矢印の方向に幽かに踏み跡の痕跡がある。これがルートに違いない。 踏み跡を辿ると、過たず、すぐに目指す尾根に登り上げた。尾根上には弱いながら踏み跡があった。この踏み跡を辿れば臥牛山山頂に達するはずだ。雑木林に包まれた尾根を辿ると、すぐに、巨大な岩石の積み重ねが行く手に立ち塞がった。この巨岩の山は乗り越えられない。立ち止まって観察すると、巨岩を左から巻にかかる踏み跡がある。 巨岩の積み重ねを巻き終わったところで、再び尾根に這い上がることになる。ただしルートは絶壁をよじ登るような凄まじい急斜面である。ただし、幸運なことに、ザイルが垂れ下がっている。一瞬躊躇するが、ザイルを頼りになんとかよじ登る。かなり恐い。よじ登った尾根は雑木に包まれたナイフリッジの痩せ尾根である。尾根上の踏み跡を追って、さらに西へ進む。 再び巨岩の積み重なりが行く手を塞いだ。どうやらこの巨岩の上が山頂のようだ。しかし、どうやってこの巨岩を登るのだ! ナイフリッジ状の狭い尾根上ゆえ左右は絶壁で、回り込むことはできない。正面から登った跡が幽かに感じられる。やるべきか、諦めるべきか、しばし、葛藤する。結局、私には無理だと諦める。どうやら山頂には2〜3メートル届かなかったが、ここが私の到達した最終地点のようである。尾根を包む雑木林越しに二ツ岳と相馬山の頂きが見える。元のルートを引き返す。時刻は13時半、今日のアタックはこれにて終了である。
登りついた頂き
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