(人見)仙元山

我が幼き日の思い出の山

2002年12月23日


仙元山山頂の浅間神社
 
浅間神社参道登り口→浅間神社(仙元山山頂)→仙元山北端→浅間神社→参道登り口

 
 神山登山の帰り、ふと仙元山に寄ってみようと思った。深谷市(旧藤沢村)人見にある標高わずか97.0メートルの残丘である。この仙元山は私の幼少時代の思いでの原風景である。今から50数年前、私の通っていた深谷小学校の遠足の定番は、低学年は藤沢村の仙元山、中学年は岡部村の山崎山、高学年は高崎市の観音山と決まっていた。学校から1時間以上の道程をてくてくと歩いて、何度か仙元山に行ったことを微かに覚えている。仙元山はまさに我が人生で最初に登った「山」である。しかし、あの頃からすでに半世紀が過ぎている。
 
 仙元山はその山頂に浅間神社が祀られているため現在の山名となった。その昔は人見山と呼ばれていたようである。南麓の昌福寺の山号は人見山である。麓からの高さは35メートルほどの丘であるが、南北に500メートルほどの尾根筋も持っているため、平坦な畑の中では遠くからでもよく目立つ。同じ残丘でも、三ヶ尻の観音山よりははるかに大きい。標高97.0メートルの最高地点は南の端で、ここに浅間神社が鎮座している。

 南西の山裾に車を停める。浅間神社の参道となる階段が一直線に山頂に向かっている。急ではないが、長い長い階段登りは息が切れる。登り詰めると、浅間神社の境内である。昔のままの景色が広がっていた。社殿に詣で50年ぶりの再訪を報告する。この神社は15世紀に深谷城主の上杉房憲が富士浅間神社を勧進したものである。社殿の裏手から北の端まで、尾根道をのんびりと歩いてみた。周りは赤松と広葉落葉樹の気持ちよい雑木林である。歩くうちに昔の記憶がよみがえってくる。この林の中を走り回り、転げ回った日々があった。神社の裏手には昔はなかった浄水場の大きな施設が設置されていた。いささか目障りである。北の端は広場となって多くのベンチとテーブルが設置されている。広々とした尾根道にはぽつりぽつりと散歩する人が見られる。もと来た道を戻る。

 長い参道の階段を下りながら、感傷に浸った。50年の時を経て、今この山に戻ってきた。山は昔のままであった。願わくば、50年後もこのままの姿であって欲しい。しかし、私には今後の50年はあり得ない。 

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