長瀞アルプスから宝登山へ

雑木林の尾根を辿り信仰ノ山へ

2000年12月3日


 
 
野上駅(825〜830)→尾根取付点(840〜845)→御嶽山分岐(910)→御嶽山(920〜935)→氷池分岐(950〜1000)→野上峠(1010)→小鳥峠(1020)→林道(1020)→宝登山登山口(1030〜1040)→宝登山山頂(1055〜1110)→宝登山神社(1140〜1150)→長瀞駅(1200)

 
 長瀞駅の目の前に聳える宝登山は、今では山頂までケーブルカーが掛かり、山頂には動物園もあるといる観光の山と化してしまったが、本来宝登山神社の依る神聖な山である。伝説によれば「日本武尊東征の折り、この山で賊に襲われ、四方より火攻めとされ絶体絶命の事態に陥った。この時、どこからともなく山犬の群れが現れ、身体を火に擦り付けて消し止めた。尊は大山祇神の助けと信じ、この山に祠を建て大山祇命と火防の神である火産霊命を奉った」。以来、宝登山神社は農耕の神、火防の神として東国一円の信仰を集めてきた。山名の由来は、伝説では「火止(ほと)」に由来すると言われている。しかし、一般的には「ホト」は女陰を意味する。この山のどこかに女陰に似た岩か岩屋があるはずである。性器信仰は生殖・豊饒と繋がり、日本の神々の根源の一つでもある。

 登山対象と考えた場合、このような観光の山は何とも御し難い。同じケーブルカーの掛かる山でも高尾山や御岳山は他の山へのルート拡大ができるからまだよいが、宝登山は独立峰に近く何とも困る。このためもあって、私はいまだこの山の頂きを踏んでいない。しかし、今年の秋にいたり、我が足跡は荒川左岸沿いを鐘撞堂山、陣見山、不動山と溯ってきた。いよいよ宝登山を考えなければいけない。しかし、まさかケーブルカーや山頂まで通じる車道を利用して登るわけにもいかない。地図を眺め、ルートの選択に苦しんだ。ようやく、山頂から北に伸びる尾根にルートが採れる事を知り出かける気になった。

 8時25分、秩父鉄道野上駅で降りる。降りたのは私唯一人であった。この駅には1週間前に出牛峠から下ってきた。この野上駅周辺が長瀞町の中心地である。この町は元々は野上町と称していたが、天下の名勝・長瀞の名にちなみ昭和47年に町名を長瀞町と変更したのである。閑散とした駅前の道を西に真っ直ぐ進む。空はどんよりと曇り、周囲の山々は淀んだ空気の中に霞んでいる。国道140号線を横切ると、道は緩く右にカーブする。左側にはこれから取り付く褐色に染まった尾根が低く盛り上がっている。10分も歩くと目指す万福寺に達した。寺前の小道を左に曲り100メートルも進むと、尾根末端に到着した。尾根を背負った人家の裏手である。ここに確りした道標があり、宝登山まで3時間と標示している。

 支度を整え、8時45分、山中に続く小道に踏み込む。すぐに尾根に直登する細い踏み跡が右に分かれる。短い急登で尾根上に達し、踏み跡はそのまま尾根道となる。まだ葉の落ちきらぬ雑木林の間から先週辿った不動山から出牛峠にかけての稜線が見える。所々薮っぽいところもあるが、尾根上の踏み跡は明確である。細い踏み跡が乗越す小鞍部に下ると、再び宝登山を示す確りした道標があり、辿っているルートを「長瀞アルプス」と標示している。尾根を更に辿る。どこまでも雑木林の中である。冬枯れの雑木林の美しさが応えられない。風もないのにカサカサト幽かな音を立てて褐色の葉が散る。やがて踏み跡は右から尾根を巻きはじめる。すぐに、尾根に上っていく細い踏み跡が左に分かれ、道標が「御嶽山・天狗山」と示している。支稜上の小ピークに祠でもあるようだ。おそらく地図上の342メートル標高点峰だろう。念のため行ってみる事にする。踏み跡は意外に確りしている。雑木林の中の342メートル峰と思われるピークに達するが何もない。踏み跡は更に続くので、木の葉隠れにみえる次のピークに行ってみると、「御嶽山」と刻まれた石碑があり周囲に紙垂が張りめぐされていた。反対側からは参道となる小道が登ってきている。ここが御嶽山のようだ。秩父地方には御岳信仰が根強い。あちこちの里山の小ピークに御嶽山が奉られている。そもそも木曽の御嶽山の王滝登山道を開いたのは秩父大滝村落合出身の普寛行者である。落合には秩父御嶽山がある。座り込んで地図を読むが、このピークは地図にない。そもそもこの辺りは地形が実に複雑である。さて、道標にあった「天狗山」とはどこだろう。荷物を置いて参道を少し下ってみると小平地に社殿のような建物があり天狗氏と書かれている。ここが天狗山なのだろう。

 戻って、宝登山を目指す。杉林の鞍部に下ると再び尾根筋は明確になった。すぐに「氷池」を示す道標があり踏み跡が左に下っている。天然氷を切り出す池があるのだろう。雑木林の中に座り込んで朝食兼の握り飯を頬張る。ここまで朝から何も食べずに登ってきた。周りは見渡す限りの雑木林である。この尾根に人影は全くない。辿っている踏み跡が二分した。何の標示もなくさてどちらに進むべきか。左の道を選択する。枯れた松がまばらに生えるピークを左より緩く巻く。今日初めて視界が開け、目指す宝登山が淀んだ空気の中に黒々と浮かんでいる。「氷池」への道が再び左に分かれる。小ピークを幾つか越えると野上峠に達した。小道が乗越している。更に一つピーク越えると、小鳥峠の標示がある。野上側からの踏み跡は確認できるが、反対側への踏み跡は薮の中に消えている。

 すぐに舗装道路に飛び出した。宝登山の北側を巻いている林道である。林道を西に向かう。道には落ち葉が降り積もり最近車が通った痕跡はない。曲がりくねりながら緩やかな登りとなって続く林道を10分も辿ると、宝登山登り口に達した。立派な道標があり、宝登山への道を「関東ふれあい道」と示している。ここからはハイキングコースである。登りに備えて腹ごしらえをし、丸太で階段整備された急登に挑む。ただ一直線の登りである。こういう登りは好きである。樹林の中をリズムカルにグイグイ登っていく。やがて上方で人声が聞こえ、待望の山頂に飛び出した。

 山頂には3組ほどの行楽客が休んでいた。今日初めて見る人影である。西から南側が大きく開け、ぼやけた視界の先に幾重にも重なる秩父の山並みが墨絵のように浮かんでいる。一番奥に両神山が空に溶け込むような淡いスカイラインを描いている。この山はいつ眺めてもうっとりする。まさに埼玉県を象徴する山である。その右手前には、北秩父の名山・城峰山が見える。この山に登ったのはもう20年も昔である。左手奥には、三峰山から雲取山さらに長沢背稜の山々がうっすらと連なっている。しかし、起伏のほとんどない山並みはスカイラインだけでは同定できない。その前方に、三角形の形よい山が見える。武甲山のはずである。視界がよければ痛々しい石灰岩採掘の傷痕が見えるのだが、今日はスカイラインだけで心が救われる。

 山頂直下までケーブルカーで来られるため、行楽客が三々五々と山頂までやってくる。この山頂でザックを背負っているのは奇異だ。下山に移る。宝登山神社の奥の院に詣で、麓から山頂まで続く地道の車道を下る。ケーブルカーで下るわけにも行くまい。ケーブルカーを拒否した元気な行楽客が何組か登ってくる。約30分で麓の宝登山神社に下りついた。秩父神社、三峰神社とあわせ秩父三社と言われるだけに立派な神社である。観光バスが何台もやってきている。お参りを済ませて、広い車道を長瀞駅に向かう。今日は秩父夜祭り。満員の下り列車と対照的に、上り列車はガラガラであった。

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