筑波山の支峰 宝篋山

  素晴らしき里山

2017年11月27日


 
棚田の向こうに宝篋山を望む 
宝篋山山頂より筑波山を望む 
                            
宝篋山小田休憩所(815〜825)→地蔵菩薩立像(830)→極楽寺跡(835)→五輪塔(840)→慈悲の滝→五条の滝(853)→こころの滝(859)→白滝(903)→太郎こぶし(912)→純平歩道(915)→ワニ岩(917)→純平歩道離れる(928)→富士岩(940)→常願寺コースと合流(947)→小田城コース合流点(954)→宝篋山山頂(958〜1025)→常願寺コース・極楽寺コース分岐点(1033)→尖浅間山頂(1051)→人家(1126)→田圃(1129)→小田休憩所(1138)

 
 今月初めに筑波山系の千代田アルプスを縦走した。これで筑波山に連なる山々は全て登りつくしたと思ったのだがーーー。改めて調べてみると、まだ「宝篋山(ほうきょうさん)」なる一峰が残っていることが分かった。「宝篋山」などという山は登山案内や登山記録でも見たことがない。いわば、まったくその名を聞いたことのない山である。

 ところが試しに、インターネットで検索してみると、少なからぬ案内や登山記録の類いがヒットした。特に地元のつくば市のホームページは詳細に登山案内を載せている。おまけに登山口には「宝篋山小田休憩所」なる施設まで設置されており、登山者の便宜を図っている。どうやら、地元ではかなり親しまれた山のようである。行ってみることにする。

 早朝6時に家を出る。未だ夜明け前である。ひたすら東に向って車を走らすうちに日の出を迎えた。フロントガラスの真っ正面から太陽光を平行照射され、眩しくて閉口した。空は真青に晴れ渡っている。行く手に聳える筑波山が、進むほどに大きくなる。

 8時15分、家から74キロ、2時間15分走り、登山口となる宝篋山小田休憩所に到着した。ここに約70台駐車可能な無料駐車場がある。既に10台ほどの車が駐車しており、何組かの登山者が出発の準備をしている。駐車場の背後には宝篋山が早く来いとばかりにその全貌を朝日に輝かせている。準備を整えいざ出発である。この小田休憩所からは山頂に至る3本の登山コースが開かれているが、今日の計画は、登りは「極楽寺コース」、下山は「常願寺コース」を歩くつもりである。

 宝篋山に向って段差を重ねながら続く棚田の中を進む。行く手には、全山真黄色に染まった宝篋山がゆったりとたたずんでいる。その様子から想像するに、この山は全山自然林に覆われていると思われる。気持ちのよい登山ができそうである。山頂には目印となる巨大な鉄塔が聳えている。

 すっかり刈り終わった稲田の中の畦道を進む。私の前を3人の単独行者が10メートルほどの等間隔で歩いて行く。振り返ると、2人の単独行者がこちらも等間隔で歩いて来る。空は晴れ渡り、一点の雲も見られない。11月下旬とも思えない暖かな光が降り注いでいる。何とも絵になる光景である。すぐに常願寺コースが右に分かれる。

 うっとりとしながら山に向って進むと道脇に立派なお地蔵様が現れた。説明書きによると鎌倉時代の作とのことである。さらに棚田の中を進む。道が宝篋山の裾に行き当った所に「忍性記念 極楽寺公園」と標示された小さな平坦地があり、四阿とトイレが設置されている。説明板によると、昔ここに「極楽寺」という大寺があった由。その建立は平安時代に遡ると考えられる。そして、この寺がもっとも栄えたのは、奈良西大寺の僧・忍性がこの地に来訪し布教に励んだ鎌倉時代と言われる。しかし、寺は戦国時代に戦火に焼かれて滅んだ。歩いている登山コースが「極楽寺コース」と言われる由縁はこの極楽寺跡にある。その少し先の林の中には大きな「石造五輪塔」があった。極楽寺奥の院の遺物である。

 山中に入り、登山道は小さな沢に沿って奧へ奧へと続く。確り踏まれ道標も多く、ルートに不安はない。沿うている沢に「慈悲の滝」との標示があるが、それらしき「滝」は見当たらない。岩からほとばしる数十センチの落差の流れがあるが、まさかその流れを指しているのではあるまいーーー。疑問に思いながら数分登ると、今度は「五条の滝」との標示。沢に目をやるとわずか30センチほどの落差の水流がある。先ほどの「慈悲の滝」と合わせ考えると、どうやらこの小落差の水流を「滝」と呼んでいるようだ。思わず吹きだしてしまう。

 沢沿いの道が続く。沢の右岸に行ったり左岸に移ったり、時折跳び石で沢を渡り返す。ただし危険度は皆無である。今度は「こころの滝」との標示が現れた。小さな滝状の急流が3〜4段となって流れ落ちている。ここも「滝」と呼ぶにはチョットと思うがーーー。これらの名称は一体誰が付けたのだろう。さらに4分ほど登ると「白滝」の標示。何段もの小さな落差を流れ落ちる小流である。

 登山道は、ここまで沿ってきた沢を離れ、右側の山肌を急登し始める。ロープの張り巡らされたかなりの急登である。ただし、一般的登山道の基準に照らせばたいしたことはない。ヨッコラショと登り詰めると「純平歩道」と呼ばれる山腹を巻く水平道路にでた。「小田城コース」「極楽寺コース」「常願寺コース」の三コースの連絡路となる道である。

 この水平な道を右に少し進むと「ワニ岩」と標示された岩に出会う。かろうじてワニが口を開けた様子が想像できないでもない。岩はたいしたことはないのだが、この地点で右に展望が得られる。そして側に「富士山が見えます」との標示がある。山中で得られた初めての展望である。立ち止まって目を凝らす。眼下に広大な関東平野が広がっている。ただし、地平線の彼方はぼんやりと霞んでいる。その霞みを透視せんと懸命に目を凝らす。ついに見えた、微かに、微かに、白い塊が。間違いなく富士山だ。嬉しくなった。

 水平道を10分ほど進んだ後、純平歩道と別れ、いよいよ山頂に向けての本格的な登りにかかる。やや急な登りが続く。歳の精か、昔のように早く歩けない。男の2人連れに、続いて女性の単独行者に抜かれる。また、ぽつりぽつりと下山者とすれ違う。ずいぶん早い下山である。おそらく、視界のよい早朝に山頂を目指したのだろう。それにしても、今日は平日だと言うのにこの山には人影が濃い。しかも多くが単独行者だ。今月始めの平日に登った千代田アルプスでは、山中で出会った登山者はわずか一人であったのだがーーー。宝篋山は思いのほか人気のある山のようである。

 左の雑木林の中に大岩が見え、道標が「富士岩」と指し示している。一息入れるのにちょうどよい。ちょっと立寄る。三角形の大岩で、富士山の形と見えなくもないがーーー。さらに登りに励む。傾斜が緩むと常願寺コースと合流した。さらに緩やかに登って行くと、「土塁跡」「空堀跡」などという砦跡の痕跡が現れる。鎌倉時代から戦国時代にかけて宝篋山の麓にあった小田城の関連城郭跡の由。すぐに2棟のバイオトイレが設置されている小平地に着いた。何から何まで整ったハイキングコースである。この地点には林道が登り上げている。おそらく、山頂に立つ巨大な電波塔の補修道路なのだろう。また、小田城コース、山口コースが左から合流している。

 山頂はもうすぐ上である。林の中の急登をひと踏ん張りすると、ポンと待望の山頂に飛びだした。山頂は大きく開けた裸地で、周囲に大展望が広がっている。先ずは、山頂のど真ん中に立つ巨大な宝篋印塔及びその前に立つハンセン病の子供を背負う忍性の像に御挨拶である。この宝篋印塔は鎌倉時代中期の作と言われ、宝篋山山名の由来となった塔である。僧・忍性縁の大寺・極楽寺に関係すると推定されている。一方、その塔の前に建つ忍性の像は生誕800年を記念して今年立てられたものである。

 山頂部には幾つもの椅子とテープルが視界の開けた方向に向けて設置されている。先着した何人かの登山者が椅子に腰掛け静かに眼前に広がる展望を見つめている。さて、私もゆっくりと眼前の大展望を楽しもう。途中のコンビニで購入した握り飯を頬張りながら。

 先ず視線が向うのは北方である。大きく、そして高々と聳える双児峰が視界一杯に広がっている。天下の名峰にして日本百名山に選ばれている筑波山である。その堂々とした姿は標高わずか877メートルの山とは思えない。約80キロ離れた鴻巣市の我が家付近からもよく見える山である。その筑波山の右奧に見えるゆったりした山容の山は加波山、6年前に我が足跡を残してある。

 筑波山の左奧の地平線にうっすらと、うっすらと、山並が見える。山名を解き明かそうと凝視する。解けた。日光連山である。女峰山、男体山、日光白根山、皇海山を特定することができた。さらにその左にも山並は続くはずであるがその姿は霞の中に完全に隠されてしまっている。

 気を取り直して、今度は南西の方向を凝視する。目指すは富士山である。何しろ、ここ宝篋山から眺める富士山は「関東の富士見百景」に選ばれている。目をこすり、霞みの彼方を凝視する。登る際に「ワニ岩」で富士山を見つけたので方向はわかっている。ただし、太陽が高く登ったためだろう、視界は先程よりは悪化している。ついに見つけた。地平線のぼやけた霞の中に、微かに、微かに、微かに、白い塊が見えるような見えないような。ただし富士山であることは間違いない。ついに富士山を捕らえた。うれしくなった。

 場所を山頂の反対側に移し、東を眺める。今月初めに辿った千代田アルプスの山々の連なりが見える。懐かしい山並だ。そしてその右奧には霞ヶ浦がまるで海のごとく、大きく広がっている。この山頂は何と素晴らしい展望台なのだろう。

 山頂からの展望に十分満足し、下山することとする。下りは常願寺コースを歩く計画である。極楽寺コースと常願寺コースの分岐点まで戻る。その間にも登ってくる登山者何人かとすれ違う。不思議なことに、この山で出会う登山者はほとんどが単独行者である。常願寺コースへ踏み込む。このコースは4本ある宝篋山登山コースのうち最長である。このため。登りに使った極楽寺コースに比べ利用者はずっと少ないはずだが、登山道はよく踏まれており、心配はなさそうである。

 雑木林の中を緩やかに下っていく。このコースを登って来る登山者もおり、何人かとすれ違う。最初の目標は「尖浅間(とがりせんげん)」と呼ばれる小ピークである。小さな一峰を越え、階段整備された短い急登を経るとそこが尖浅間山頂であった。木々の間からわずかに宝篋山山頂を仰ぐことができる。気になることが一つある。山頂の標示に「尖浅間 315メートル」と記されていることである。二万五千図を読むかぎり、この頂きには三角点も標高点もない。等高線を読むかぎり、標高は「330メートル以上、340メートル未満」である。315メートルとはどこから出てきた数字なのか。また、「尖浅間」なる変わった名称はどこから来たのだろう。山頂には浅間神社が祀られている気配もないが。

 尖浅間からの下りは長くそして急であった。「長長坂」と標示されている。この坂をふうふう言いながら何人かの登山者が登ってくる。単調な下りにいい加減へきへきしたころ、登山道は小さな沢に下り着いた。以降沢に沿っての下りとなった。この時間でもまだ登ってくる登山者がいる。

 宝篋山山頂を発ってからちょうど一時間、人家が現れ、たどる小道が鋪装にかわった。すぐに林を抜け、山裾に広がる棚田にでた。畦道を道標に従い車の待つ小田休憩所に向う。右側には宝篋山が全山真黄色にもみじし、ゆったりと聳えている。

 下り着いた小田休憩所駐車場は既に満車であった。平日にもかかわらず何と多くの登山者が訪れたことだろう。そして、この山は、それだけの価値があると思う。何とも素晴らしい里山である。おそらく、何度訪れても飽きないだろう。きっと地元にこよなく愛され、自慢の山なのだろう。私にとっても大満足の登山であった。

登りついた頂き
   宝篋山  460.7    メートル
   尖浅間  330  メートル
         

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