井川峠道と残雪の山伏

古い峠道を辿り、大井川との分水稜を縦走

1994年4月17日

              
 
孫佐島集落(607)→大代集落(700〜710)→一服峠(815〜835)→北立場(920〜930)→井川峠(1015〜1030)→笹山(1115〜1125)→牛首峠(1150)→山伏(1400〜1415)→蓬峠(1500)→ 西日影沢(1555)→新田集落→孫佐島集落(1715)

 
 白峰三山から始まる白峰南嶺は、安倍奥の山・山伏において二つの山稜に引き継がれる。一つは八紘嶺、十枚山、真富士山、龍爪山と続くいわゆる安倍東山稜である。もう一つは、大井川と安倍川の分水稜線となって山伏から南下する山稜である。この山稜は笹山、勘行峰、三ツ峰、七ツ峰、天狗石山、智者山などの山々を隆起させ、最後は四分五裂して大崩れにて太平洋に没する。
 
 安倍東山稜の山々を登り尽くした現在、この大井川と安倍川の分水稜がターゲットとなっているのだが、この山稜はいたって交通不便である。安倍川流域からだと稜線に達するだけで4〜5時間は掛かる。大井川流域からだと2時間程度で達することができるが、静岡市から大井川流域に入るバスは1日1往復きりなく登山起点にはできない。もちろん、車で行って個々の山をピストンするなら簡単であるが、それは私の趣味にあわない。さらにいうなら、いずれの山も林道が山頂付近まで上がっており、特に山伏、笹山、勘行峰などは15分もあれば山頂を踏むことが可能である。しかしこれは山登りではない。
 
 この山域への最初のアタックとして立てた計画は、次の通りである。まず安倍川流域の孫佐島集落まで車で行き、そこから峠道をたどって井川峠に達する。さらに稜線を北上して笹山を越え山伏に達する。山伏から新田集落に下り、梅ヶ島街道を延々と歩いて車に帰り着く。所要時間を計算すると12時間にも及ぶカモシカ山行きとなるが、途中で力尽きたら山伏を省略して牛首峠から新田集落に下るエスケープコースもある。井川峠道はだいぶ荒れているようであるが、ぜひ一度はたどってみたい。また山伏はこの季節まだ残雪が多いであろう。すばらしい山旅が期待できる。
 
 4時起床、5時出発。何しろ今日の行程は長い。車から眺める安倍奥の山々はすっかり春の装いである。山肌は煙るような薄緑色に染まり、その中をピンクの山桜が彩る。安倍川域から井川峠に達するには三つのルートがある。一つは六郎木集落から山上集落である大代集落を経て一服峠に登り、そこから井川峠に達するルート。二つ目は孫佐島集落から大代集落へ達し、一つ目のルートに合流するルート。三つ目は孫佐島集落から直接一服峠に達する最も登りのきついといわれるルートである。今日の計画はこの三つ目のルートをとるつもりである。一番きついが時間的には最も早い。
 
 安倍川の辺に愛車を止め、6時7分、いよいよ歩き出す。ところが一服峠への登り口が見つからない。安倍川を渡ってすぐに道が左右に分岐し、その分岐付近に登り口があるはずなのだが。登り口を求めて右の道、左の道を進んでみるが、道標はおろか、それらしき踏み跡もない。うろうろしたあげく庭先にいた人に尋ねると、「左側の道をそのまま進むとやがて山道となって井川峠に行ける」との答え。教えてくれた道はどうやら目指すルートではなく前述の二つ目のルートのようである。やむを得ず、予定を変更して大代集落経由のルートをとることにする。車道を進み梅ヶ島キャンプ場を過ぎると山道となった。植林の中を斜行しながら次第に高度を上げていく。道は予想に反して、気持ちが悪い程よく整備されている。しかし人に踏まれた気配はほとんどない。大代集落まで車道が通じた現在、まず通る人はいないと思われるこの道がなぜこれほど整備されてあるのか不思議である。
 
 支尾根を越えると目の前がぱっと開けた。緩やかな斜面一杯に茶畑が広がっている。大代集落である。集落はかなり大きく、山上集落特有の開放的雰囲気を漂わせている。このすばらしい山上集落に会えただけでも予定変更の価値があった。集落の上部には井川峠登り口を示す確りした道標と登山届けを入れるポストがあった。今日私がここに来ることを誰も知らないことが気になり、登山届けを出しておく。樹林の中を緩やかに斜行して行く。左側にはこの間登った二王山が春霞の中に浮き上がっている。道は確りしており、道標も到る所にあってルートに不安はない。やがて一服峠への急登が始まった。植林の中をジグザグを切ってひたすら登る。やがて上空に尾根筋が見えてきて一服峠に到着した。一服峠は正確には峠ではない。井川峠付近から緩やかに張り出した支尾根の末端で、ここから尾根は安倍川に向かって急激に切れ落ちている。辿るつもりであった孫佐島集落からの小道が合流している。この道の登り口はどこにあったのであろう。
 
 ここまで来れば後は井川峠まで緩やかな登りのはずである。ひと息入れて出発する。ところがここからが、最大の難関であった。道は支尾根の北側をトラバースしながらほぼ水平に続くのであるが、到る所で山肌が崩壊し道が寸断されている。落石におびえながら、崩壊した斜面にステップを刻んでのトラバースの連続である。あるところでは、見ている前で落石が音を立てて飛んでいった。またあるところでは崩壊地から這い上がるのにサーカスもどきの登攀を余儀なくされた。雪解けが終わったばかりで、登山道の整備がいまだなされていないのであろうが、これだけ多くの崩壊地を抱えていてはこの道が廃道となる日も近いと思われる。二度とたどりたくない道である。それにしても、安倍奥の山々は崩壊地が実に多い。フォッサマグナがこの付近を通っており、その影響で地形が脆いのであろうか。それとも自然破壊のためであろうか。
 
 北立場で道が尾根の南斜面に移ると、この崩壊地地獄からようやく抜け出せた。はるか下で水音を轟かせていた沢が次第に近づき、いつしか沢ぞいの道となった。ここはすばらしいところである。広く開けた谷間を岩を縫って沢が緩やかに流れる。残雪が現われ彩りを添える。ちょうど安倍峠付近の雰囲気に似ている。やがて残雪が谷を埋めつくし、雪上の道となる。雪上には昨日たどったと思われる足跡がある。行く手の稜線が次第に近づき、谷の源頭を急登するとついに井川峠に達した。
 
 自然林に包まれた峠に人影はなく、強い風が吹き抜けていた。多くの道標が立ち並ぶ峠はよく整備され、現在も多くの人が訪れることを示している。この山稜の笹山から富士見峠に掛けては、静岡県が県民の森として自然公園化を進めている地域である。稜線上は軽いハイキングコースとなっており、稜線の西側直下には自動車道も通っている。車を利用すれば峠までわずか15分である。しかし、私のように安倍川流域から登ってくる者は極めて小数のはずである。
 
 小休止の後、いよいよ山伏を目指して縦走を開始する。ここからは立派なハイキングコースであり、急坂には丸太の階段が設けられている。小ピークを越えると尾根は広々と開け、高原状となる。地図を見ればわかるが、山伏から富士見峠に掛けてこの山稜は非常に緩やかな起伏を繰り返しており、まさに稜線というより高原の趣である。今後自然公園としていっそうの開発が進められるであろう。地形は複雑で二重、三重の山稜となっている。自然林に囲まれているため展望はないが、さかんに小鳥のさえずりが聞こえる。藪の中から足音に驚いた雉が飛び出す。所々残雪を踏んで緩やかな起伏の中を進む。登山としては物足りないが、家族連れのピクニックコースとしてはすばらしいところである。やがて行く手に笹山のピークが見えてきた。山頂に人影が見える。少し急となった階段の道を登り切ると笹山山頂に達した。

 山頂には2パーティが休んでいた。今日初めて会う登山者である。どこから来たかと尋ねるので孫佐島からと答えるとびっくりした顔であった。低い笹に覆われた山頂にはテーブルとベンチが設置されており、すばらしい展望が得られる。眼下には井川湖が広がり、目の前には大無間山が大きく立ちはだかっている。その背後には南アルプスの山々が連なっているが、今日はあいにく春霞が濃く、いずれも黒いシルエットである。冬晴れの日に訪れたらさぞかしすばらしいことだろう。それにしても南アルプスの山々が何と大きなことか。それもそのはず、大井川を隔てた隣の山なのである。
 
 今日はまだ先が長い。早々に山頂を辞す。ここから道は急に藪っぽくなった。ピクニックコースは笹山までで終わり、ここからは登山コースである。牛首峠に向けての急な下りとなる。山伏から富士見峠までのなだらかな稜線の中でこの牛首峠だけが大きく落ち込んでいる。下り切ると狭い鞍部に達した。牛首峠である。ところが真新しい林道がこの峠を通過している。大日峠から稜線の西側直下を進んできた林道がいつのまにかここまで伸びていたのだ。林道はさらに山伏の方向に伸びている。峠の雰囲気はすっかり破壊されてしまい、もはや見る影もない。いささか腹が立った。
 
 峠から西日影沢への踏み跡が下っている。今日のエスケープコースとして考えていたルートだ。「崩壊地の通過に注意」とのコメントが記されているところを見ると、今日たどってきた一服峠道と同様かなりの崩壊地があると思われる。まだ時間があるので予定通り山伏に向かうこととする。いきなりものすごい急登である。残雪がかなりあることを予想して持参したストックを杖がわりに急登に耐える。ここまで来るとだいぶ疲労も溜まり登りはかなり苦しい。登り切ると再び高原状の地形となった。猪ノ段と呼ばれるところだ。道は大きく開けた自然林の中を緩やかに上下する。実に気持ちのよいところである。残雪が量を増し、雪上を歩くことが多くなる。今日歩いたと思われる先行者の足跡がある。おかげでルートがわかりやすく助かる。ただし疲労の色が濃く、緩やかな登りでも息苦しい。二人連れのパーティと擦れ違う。時間からして牛首峠から下山するのであろう。明るい尾根には陽春を思わせる日差しが溢れ、ぽかぽかと暖かい。道はもうすっかり残雪に隠されていて眼がまぶしい。今日はいつもと違って昼食がパンであったためか食欲が出ず腹に力が入らない。やはり山登りは米の飯を食べないと駄目だ。やがて雪原の向こうに山伏のピークが見えてきた。高度計を見るとまだ高度差200メートルある。元気なときならひと登りなのだが。
 
 山伏小屋分岐に出た。山伏から白峰南嶺への縦走を頭の中で温めており、その際この小屋を使うことになるので、小屋の状況を偵察に行く。確りした小屋であった。ここからいよいよ山伏への最後の登りにかかる。たいした登りではないのだが、もはや疲労困憊である。滑りやすい雪面をゆっくりゆっくり登る。ちょうど14時、低い笹に覆われ、枯れた大木のそそり立つ山頂に達した。1年7ヶ月ぶりの山頂である。山頂には女性もまじえた中年の5人パーティが休んでいた。やはり日本300名山に選ばれるだけにすばらしい山頂である。疎らにそそり立つ大木の向こうに南アルプスのジャイアンツが白くかすんでいる。山頂の温度計は10度、今日は何と暖かなことか。
 
 5人パーティが出発の気配を見せたので、慌てて先に出発する。前がつかえて苛々するのは嫌だ。疲れた身体でも足はまだ大丈夫のようで下りは快調である。滑りやすい雪の坂道を注意深く、しかもリズミカルにどんどん下る。軽アイゼンは持参したが、結局使わないですんだ。1,900メートル付近まで下ると、道が支尾根の南側であることもあり雪は消えた。やがて見覚えのある蓬峠に達するが、登山者が一人休んでいたのでそのまま通過する。ノンストップで一時間歩き続け、1,300メートル付近の水場でひと休み。1時間でなんと700メートル下ったことになる。やがて大岩が現われ、続いて山葵畑に出る。さすがに膝ががくがくしだしてスピードも落ちる。15時55分、ついに西日影沢林道に降り立った。
 
 林道には登山者のものと思える数台の車が駐車している。私はさらにここから新田集落を経由して孫佐島集落の愛車の所まで歩かなければならない。現実は厳しい。ひたすら疲れた足を励まして林道を歩く。扇ノ要分岐を過ぎ、大谷川を渡り、新田集落を抜けて梅ヶ島街道に出る。うまくバスがあればと思ったが1時間半待ちであった。やはり歩く以外にない。梅ヶ島街道をただひたすら歩いて、17時15分、ついに愛車に達した。実に11時間を越える長い行動がついに終わった。