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芋木ノドッケ(いもきのどっけ) 1946m

 
所在地 埼玉県大滝村 東京都奥多摩町      
名山リスト なし
二万五千図 雲取山
登頂年月日 1980年2月10日     

 
堂平山より 芋木ノドッケ(左)と白岩山(右)  長沢山手前より 芋木ノドッケ(中央)、左は雲取山、右奥は白岩山  長沢山山頂より 

 
 芋木ノドッケは不思議な山である。その頂上直下は年間数万の登山者が通過するというのに、その山頂に人影を見ることはまれである。まともな登山道のある奥武蔵、奥秩父の山々の中で、おそらく、登頂されることの最も少ない山の一つであろう。この山は三峰山稜と長沢背稜とのジャンクションピークである。すなわち奥武蔵山稜と奥秩父山稜の接点という重要な場所に位置する。しかも、三峰山稜は日本百名山・雲取山へのメインルートであり、四季を通じて雲取山へ向かう登山者の列が絶えない。

 しかるに、この山の頂は見向きもされない。三峰山稜縦走路もこのピークを西側から巻いてしまっている。縦走路から山頂までその気になればほんの15分程の登りなのだが、さして有名でないこのピークにわざわざ寄り道をしていくものはいない。私もこの縦走路を四度通ったが、ただの一度も芋木ドッケの頂は踏まなかった。また、長沢背稜の縦走路は山頂を通るが、この背稜はただでさえ人影の薄い。

 芋木ノドッケは客観的に見れば、そんな見向きもされないような山容の山でもない。奥武蔵方面から眺めると、隣の三峰三山の一つ・白岩山と形よい双耳峰をなしている。しかも、標高は白岩山よりも芋木ノドッケの方が25メートルも高い。むしろこちらの方が主峰である。さして広くない山頂は樹林の中で展望はない。

 芋木ドッケの山名は少々ふらふらしている。国土地理院の地図では「芋木ノドッケ」と表記されているが、多くの案内書や登山地図では「芋ノ木ドッケ」と記されている。古文書をひも解いてみても、武蔵通誌は「イモノキ」、郡村志は「イモギ」となっておりはっきりしない。おそらく、昔よりどちらも言い慣らされてきたのだろう。「芋木」とは「コシアブラ」のことであり、山名の由来はコシアブラの大木が生えていたことによると思われる。

 ドッケ(トッケ)という山名はこの付近に多い。黒ドッケ、三つドッケ、高ドッケ等。鋭峰につけられた呼称で、古代朝鮮系の言葉と言われている。おそらく、トゲ(刺)、トガル(尖る)、トツ(凸)などと語源を同じくしている言葉なのだろう。

 私がこの芋木ドッケの頂を踏んだのは1980年2月10日の早朝であった。そしてこの登頂がいまのところ最初にして最後である。このとき私は物好きにも真冬の長沢背稜縦走を目指した。第一日目の夜を白岩山山頂で寒さに震えながら過ごした後、翌日早朝この山に挑んだ。山頂へのメートは南側からであることは承知していたが、南側に回り込むのは面倒と、北側から山頂目指して強引に直登した。腰まで潜る雪を掻き分け、達した山頂は当然のことながら無人であった。しばし呼吸整え、長い長い長沢背稜の縦走へ出発していった。

 2002年2月、奥武蔵の堂平山山頂よりこの山を眺めた。武甲山の右奥に実に形のよい双耳峰が見えた。地図を合わせると紛れもなく芋木ノドッケと白岩山の双耳峰であった。それまで、この山がこれほどきれいな山容をしているとは思わなかった。20数年前のあの寒々とした山頂を思い出し、何となく愛しさを感じた。

(2004年1月記)