安房の名山 伊予ヶ岳と富山 

安房のマッターホルンと里見八犬伝ゆかりの山 

2011年10月27日

  
       麓より仰ぐ伊予ヶ岳                  伊予ヶ岳より望む富山
            
国保病院(1000)→平群天神社(1010)→富山分岐(1035)→伊予ヶ岳南峰(1100〜1115)→伊予ヶ岳北峰(1120〜1125)→伊予ヶ岳南峰(1130)→富山分岐(1155)→最初の人家(1205)→KDDI鉄塔(1220)→富山稜線(1325)→富山北峰(1335〜1340)→富山南峰(1350)→下山口(1400)→伏姫籠窟(1440〜1445)→岩井駅(1525) 

 
 「日本山名総覧」によると、全国で山数が最も少ない都道府県は千葉県である。二十万図に山名が記載されている山数を数えると、千葉県は62座で全国47都道府県中最低である。この数は46番目である大阪府の102座と比較しても圧倒的に少ない。また、各都道府県の最高峰の標高を比較しても、千葉県の最高峰・愛宕山の408メートルが最も低い。ちなみに46番目は沖縄県の於茂登岳の526メートルである。このように、統計で見るかぎり、千葉県は全国で最も山岳と縁の薄い県と言える。そのためか、私は未だ千葉県の山には一つも登っていない。

 しかし、千葉県と言えどもそれなりに山はある。日本百名山、二百名山、三百名山に列する山こそないが、関東百名山に列する山は5座を数える。すなわち、鋸山、高后山、富山、伊予ヶ岳、御殿山である。また日本百低山にも鋸山、伊予ヶ岳、富山の3座が名を連ねている。やはり一度は登ってみなければならないだろう。調べてみると、富山がこの山域の主峰のようである。里見八犬伝縁の山でもあり、興味が湧く。また、伊予ヶ岳は千葉県で唯一名前に「岳」がつく山であり、安房のマッターホルンとも言われる特異な岩山とのことで、この山も魅力を感じる。しかも、この二つの山は尾根は繋がっていないものの、場所的に近く、一日で二つの山とも登れそうである。

 朝、5時30分、家を出る。今日の目的地は何しろ遠い。内房線の岩井駅まで行くのだが、その経路が幾つもあり複雑である。しかも、どの経路を選んでも3時間半〜4時間かかる。隣りの県だというのに何たる遠さか。大宮、南浦和、船橋法典、海浜幕張、君津と乗り換えてようやく内房線鈍行列車に落ち着いた。車内はガラガラ、ローカル線の趣である。窓外の景色が素晴らしい。トンネルを抜けると海が現れ、小さな町が現れる。目の前に広がる海は東京湾、穏やかな水面に大小の船が浮かんでいる。その向こうには三浦半島が手の届きそうな距離に見えている。空は真っ青に晴れ渡り快晴である。やがて安房勝浦駅を過ぎると、左手奥に、ひときわ目立つ双耳峰が見えてきた。一目、富山である。惚れ惚れするような美しい山姿である。

 9時38分、岩井駅に到着した。家を出てから何と、4時間掛かっている。待つほどもなく、9時45分発の南房総市のコミュニティバス・トミー号がやって来た。黄色い車体に八犬士に因んで仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つの玉をあしらったかわいいバスである。乗客は数人のお年寄りのみ、皆バス終点の国保病院へ行くようである。バスは富山の南麓をかすめて内陸へと入って行く。やがて前方に伊予ヶ岳が現れた。岩峰を伴ったその山容は一目で同定できる。10時、バスは終点・国保病院に到着した。

 田圃の向こうに伊予ヶ岳がすっくと聳え立っている。南峰頂の岩塔がひときわ目を引く。その奥には北峰も見える。伊予ヶ岳も富山と同じく双耳峰である。ただし、富山が大きく端正な山容であるのに対し、伊予ヶ岳は小さく鋭い山容である。このため、安房のマッターホルンとか安房の妙義山とか呼ばれているらしい。10分ほど車道を歩くと登山口となる平群天神社に達した。大きな鳥居の背後に御神木となる二本の樟の大木が聳え、その奥に銅板葺きの屋根を持つ社殿が建っている。いかにも集落の鎮守という雰囲気を持った好ましい神社である。

 社殿に今日の無事を祈って、神社と平群小学校の間の登山道に踏み込む。まるで遊歩道のようによく整備されている。ただし、傾斜は急である。辺りは静まりかえり人の気配はまったくしない。樹林の中の急登に耐える。時折蜘蛛の巣が登山道を横切る。私が今日最初の登山者なのだろう。約25分で富山分岐に達した。帰路は左に分かれる道を辿ることになる。登るに従い登山道の傾斜はますます増し、時々立ち止まり、呼吸を調えざるを得なくなる。突然樹林が切れ、東に展望が開けた。視界の先には富山が優雅な姿を大きく晒している。

 小平地に建つ休憩舎が現れた。立て札があり「ハイキングコースはここまで。この先は厳しい岩場となり危険。充分注意のこと」と記されている。いよいよ山頂を形成する岩塔への登りに入るようだ。途端に登山道の様子はがらりと変わり、ザイルと鎖の張りめぐされた岩場の大急斜面の連続となった。少々まごつく。これほどの厳しさは想定外である。案内書にもこれほど厳しいとは記載されていなかった。痛い足では岩場で踏ん張りが利かない。とは言っても、今更ここで登山を中止するわけにもいかない。ザイルを頼りに慎重に身体を引き上げる。悪戦苦闘の末最後の岩場を抜けると、上空が大きく開けた。山頂である。まさにマッターホルンに登頂した気分である。

 山頂は無人であった。最頂部はやっと一人が立てるほどの狭い岩場で、そこに立つと、まさに360度の大展望が開けた。あっと息をのむような、凄まじいまでの展望である。とてもわずか300メートル強の山からの眺めとは思えない迫力である。正面にひときわ高く盛り上がる端正な双耳峰はこれから向う富山。その背後には穏やかな東京湾が広がっている。眼を右に振ると、テーブルマウンテンの鋸山が確認できる。背後に広がる東京湾の向こうには、三浦半島が霞んでいる。冬晴れの日ならば富士の姿も望むことができるとのことだが、残念ながら、今日はそこまでの視界は得られない。

 背後を振り返ると、うねる山並みが視界の限り続いている。その中にゆったりと盛り上がった大きな山が見える。山頂に建つ白いドームが特徴的である。愛宕山のはずである。標高408.2メートル、千葉県の最高峰である。さらに眼を右に振ると、山頂がポコンと膨らんだ山が見える。御殿山である。この山も房総を代表する山である。山並みはどこまでも続いているが、初めての山域ゆえ、これ以上の同定は出来ない。ただただ、眼下に広がる山と海を見続ける。山頂の岩場から一段下にベンチとテーブルがある。座り込んで昼食とする。真っ青に晴れ渡った空から降り注ぐ光を受けてぽかぽかと暖かい。

 小休止後、北峰に行ってみることにする。現在いる南峰に336.6メートルと記された山頂標示が建っているが、正確に言うと、336.6メートルの三角点は北峰にあり、そちらが伊予ヶ岳の最高地点、すなわち山頂のはずである。この南峰は二万五千図を読むと320メートルである。踏み跡に従い、急な上り下りを経て5分ほどで北峰に達した。山頂標示もなく三角点のみポツンと立っている。西側に大きく展望が開けていて、南峰からの景色と同じで、富山が眼前に大きく広がっている。またすぐ目の前には、南峰の鋭く切り立った岩塔がそそり立っている。その前面は大絶壁となって切れ落ち、凄まじい迫力である。

 南峰へ戻ると、意外にも老夫婦が到着していた。男性はまだしも60歳ほどの女性があの鎖場を登ってきたとは少々驚きである。もっとも本人は「怖かったぁーーー。下りはどうしようーーー」と悲痛な声を上げていたが。すぐに下山に掛かる。と、下から声がして中年の女性二人連れが登ってきた。これも驚きである。ただし、女性の一人は恐怖に顔をゆがめながら、聞いてくれとばかりに訴える。相棒は何度もこの山に登っているベテランで、簡単な山だからと誘われてやって来たらこのありさまとのこと。「いくら何でも素人が登る山ではないですよねぇ」と同意を求める。そりゃぁそうだろう。私だって怖いのだから。

 何とか無事に休憩舎まで下ってひと安心、後は安全なハイキングコースである。道脇でガサと音がして目を移すと、大きなヤマカガシがのったりと這っている。覗き込んでも怖がる様子もない。冬眠前の食料探しに忙しいのだろう。富山分岐まで下り、道標に従い右の道に入る。こちらの登山道も確り整備されているのだが、数日間誰も通らなかったようで、蜘蛛の巣が到るところ道を塞いでいる。木の枝を拾って、払い払い進む。もちろん周りに人の気配はまったくない。

 ようやく山を下り終えたようで、登山道の傾斜は緩むが、しばらくは林の中の道が続く。林を抜けて人家が現れた。振り返ると、全山緑に包まれた伊予ヶ岳の双耳峰が、青空をバックにすっくと起立していた。ここから約1時間ほど、富山に向って山里を歩くことになる。すぐに舗装道路に突き当たった。さて、左右どちらに進むのか。一瞬迷ったが、ガードレールに「左 富山」の小さな標示を見つけた。自転車を押しながら坂を登ってくる中年の男性に出会う。互いに挨拶し、自然と立ち話となった。さすが山里、都会では遠に失われた濃厚な人間関係が息づいている。道標に従い、右に上って行く細い舗装道路に入る。正面に目指す富山を眺めながら、うねる里道を進む。畑を突っ切り、林を抜け、人家の前を通り。振り返ると、伊予ヶ岳が山肌をうっすらと紅葉に染めて起立している。犬を連れた女性に出会う。再び濃厚な、そして心地よい挨拶が交わされる。

 立派な舗装道路に行き当たった。変則五叉路の複雑な道路の絡まりで、どっちへ進んでいいのやらさっぱり分からない。道標も見当たらないし、尋ねるべき人影もない。少々うろうろした揚げ句、ようやく一本の道の奥に小さな標示を見つけてピンチ脱出である。もう少し確りした道標をお願いしたいものだ。細い舗装道路を緩やかに上って行く。正面にそそり立つ富山がずいぶん近づいた。振り向くと、伊予ヶ岳はその分遠ざかっている。道標にしたがい、さらに細い舗装道路に入って行く。傾斜がかなり増し、いよいよ富山への登りに入ったようである。道の両側はミカン畑となり、黄色く色づいたミカンが鈴なりとなっている。傾斜がますますきつくなり、舗装道路といえども歩くのが苦しい。やがて両側の畑も尽き、道はさらに傾斜を増して樹林の中に入って行く。いよいよ本格的な富山への登りが始まるようである。その前に腹ごしらえだ。腹が減って足に力が入らない。道端に座り込んで、パンを1個頬張る。

 覚悟を決めて、樹林の中に延びる急傾斜の舗装道路を進む。この道は富山の南峰と北峰の鞍部に登り上げているはずである。すなわち、富山の山頂部には車で登ることができる。ただし、登山中に1台の車とも出会わなかったが。道脇に数10本の竹杖が用意され、「ご自由にお使い下さい。返却は下山口である福満寺または伏姫籠窟前の返却場所へ」との標示。これは嬉しい。今日は伊予ヶ岳の岩場を考え、あえてストックを持参しなかった。杖をつきつき、鬱蒼たる樹林の中の静まり返った舗装道路を登る。

 伊予ヶ岳山頂を出発してからちょうど2時間、彼方に見えた富山の稜線についに登り上げた。北峰と南峰の鞍部である。ただし、北峰の頂で通信用アンテナの鉄塔建立工事が行われている様子で、登り上げた稜線は工事資材や工事用車両が置かれ雑然としている。すぐに北峰山頂に向う。富山は北峰と南峰の二つの頂を持つ双耳峰であるが、349.5メートルの三角点は北峰にあり、この地点が富山の最高地点、すなわち山頂である。山頂に至る登山道は工事資材運搬用のモノレールに占領されて著しく規制されていた。それでも数分で山頂に達した。大きな広場となっており、展望台となる櫓が設けられていた。展望台に上ると、海に向って大展望が開けていた。海の先には三浦半島が霞んでいる。展望台には若い男女のパーティが先着していた。女性が「先ほどまでは富士山も微かに見えたのだがーーー」と語尾を濁す。目を凝らしてみたが、高く登った午後の陽に霞みが掛かり、その姿を捕らえることは出来なかった。

 鞍部まで戻り、そのまま南峰に向う。伏姫籠窟への下山口を過ぎ、西側を巻いて、ピークの南側に回り込むとそこが仁王門跡であった。半ば崩れた石段を登ると、今にも崩れ落ちそうな観音堂が建っていた。その一段上が南峰の頂で、巨大な鉄塔が立っている。ただし、そこへは行く踏み跡は見当たらない。

 下山口まで戻り、伏姫籠窟へ向けて下山に掛かる。確りした登山道だが、ほぼ全行程が階段状に整備されていて、歩くのに少々煩わしい。しかもかなりの急勾配である。5分ほど下ると、中年の夫婦連れが登ってきた。女性が大分疲れた様子で「あとどのくらいですか」と、すがるように聞いてきた。ガサという音に登山道脇に目をやると、かわいらしい幼蛇である。ヤマカガシと思うがよく分からない。いい加減下り、足が痛くなるころ、傾斜が緩んで舗装道路となった

 下山口から40分歩き続けると、白璧の山門が現れた。伏姫と愛犬八房が隠れ住んだという伏姫籠窟である。傍らには立派なトイレもある。先ずは借りてきた竹の杖を返納場所に返し、山門を潜る。立派な施設だが人の気配はない。籠窟は山門から大分奥にあるようだ。階段状の道を登る。疲れた足には登りは苦しい。のろのろ登って、何とか籠窟にたどり着いた。岩壁の中腹に開いた横穴である。籠窟の入り口には白い珠が置かれいる。穴は深そうであるが確とは分からない。里見八犬伝は滝沢馬琴によって書かれた江戸時代の伝奇長編小説である。この富山が舞台になっているが、全て架空の物語である。従って、この伏姫籠窟も小説に因んで観光用に? 用意された代物に違いないのだが、こうして目の当りにすると、何となく史実に思えるから不思議である。

 伏姫籠窟を後にし、岩井駅までの道を急ぐ。道は平坦となりやがて集落の中の里道となった。富山中学の前を通り県道富山丸山線を歩き続ける。学校帰りの小学生が、すれ違うときちんと挨拶する。何とも気持ちがよい。いい加減足が痛くなるころ、ついに岩井駅に到着した。さて、列車は何時だろうと掲げられた時刻表を見ようとしたら、駅員が「走れ」と怒鳴る。何と、1時間に1本の上り列車がちょうどホームに入ってきたではないか。跨線橋を駆けの上り駆け降りる。何とか間にあった。やれやれである。列車は15時26分発の千葉行き鈍行列車であった。千葉、西船橋、南浦和、大宮で乗り換え、家に着いたときには19時を過ぎていた。 

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