奥武蔵 伊豆ヶ岳から二子山へ

奥武蔵核心部を長駆縦走

2007年10月6日

                       
焼山より二子山を望む
 
正丸駅 (830 )→ 馬頭尊(850〜855)→ 名栗元気プラザ分岐(905)→ 伊豆が岳(1020〜1040)→ 山伏峠(1105〜1110)→ 前武川岳(1230〜1235)→ 武川岳(1255〜1305)→ 鳶岩山(1325〜1330)→ 焼山(1415〜1420)→ 二子山雄岳(1510〜1515)→ 二子山雌岳(1510〜1515)→ 芦ケ久保駅(1625)

 
 久しぶりに山へ行ってみる気になった。天気予報は今日1日絶好の行楽日和と告げている。しかし、近郊の山々はほとんど登ってしまっているので、特に行きたい山もない。ふと、奥武蔵の二子山が頭に浮かんだ。この山にはもう30年もご無沙汰している。1978年に当時5才の長女を連れて登って以来頂を踏んでいない。久しぶりに登ってみようか。ルートは伊豆ヶ岳ー武川岳ー二子山の縦走とした。少々長いが、途中でへばったらショートカットコースは幾らでもある。

 高崎線、秩父鉄道、西武秩父線と乗り継いで、8時20分、正丸駅に着いた。上り線で来るハイカーはいないと見え、下り立ったのは私一人であった。正丸峠に続く沢沿いの細い車道を進む。気持ちのよい道である。約20分で馬頭観音の立つ伊豆ヶ岳分岐に達した。ベンチでひと休みしていたら、単独行者が足早に追い越していった。

 車道と別れ、小沢沿いの山道を進む。人影もなく、せせらぎの音のみが心地よく耳に響く。名栗元気プラザ分岐を過ぎると傾斜も増し、岩を踏むようになる。何組かのパーティに追い越される。わが歩みはゆっくりである。やがて沢の詰めに達し、大急斜面が目の前に立ち塞がった。まばらに生えた木立には確保用のザイルが連続して張られている。木の根、岩角を踏み、木立に掴まりながら一歩一歩身体を引き上げる。15分も頑張ると支尾根に登り上げた。ひと休み後、やや傾斜のきつい支尾根をしばらく登ると、伊豆ヶ岳から正丸峠に続く主稜線に達した。

 ここで山頂に到るルートは二つに分かれる。鎖場となる男坂と一般コースの女坂である。ベンチに腰を下ろしてみていると、何組もの登山者が分岐で一瞬立ち止まり、どちらのコースを行くべきか思案している。仲間内で意見の割れているパーティもいる。私は男坂に初挑戦するつもりである。伊豆ヶ岳は過去4度も登っているが、幼児連れであったり、別のコースからであったため、この男坂を登るチャンスはなかった。やはり1度は登っておかなければならない。

 男坂入り口はロープで通せんぼされており、「自己責任で登ること」との注意書きが標されている。ロープを潜り、岩壁基部に立つ。高度差約50メートルの垂直に近い岩壁が目の前に立ち塞がっている。思った以上に迫力のある岩場である。岩には数人の若者が取りついていた。ストックとカメラをザックに収め、岩場に取りつく。ハイキングコースの岩場にしてはなかなかグレードが高い。オーバーハングしている場所もあり、鎖に全体重を預けざるを得ない。少々怖い。落ちたら先ず命はないだろう。無事に登りきったが、二度と登るのはいやである。

 痩せ尾根を少々たどると、女坂コースト合流して山頂に達した。時刻は10時20分、ほぼ標準時間で登れたようだ。露石の積み重なった狭い山頂には数人の先行パーティーが休んでいた。30年前は360度の大展望が開けていたが、いまは木々の隙間からわずかに西側の展望が得られるだけである。それでも、これから向かう武川岳の凡庸とした姿が眺められる。握り飯を1つ頬張りすぐに出発する。

 山伏峠への下山道に入ると、人声が一切消えた。ほとんどの登山者は子の権現へ縦走するのであろう。杉檜林の中の急峻な支尾根上の道を下る。山の神を祀った小さな祠に出会うと、すぐに、山伏峠越えの車道に出た。反対側の登山道に踏み込む。ここから武川岳に向けひたすら登ることになる。道は緩急を繰り返しながらどこまでも続く。周りは鬱蒼とした杉檜林である。日ごろの運動不足のせいか、それとも歳のせいか、登りは特に苦しい。ひと昔前ならば、走るがごときスピードで登れたのだが。やがて大きな伐採地に出た。背後に展望が開け、先ほど頂を踏んだ伊豆ヶ岳がよく見える。単独行者が切り株に腰掛け休んでいた。近づいてみると、幼児が背負子の中ですやすや寝ている。私も切り株でひと休み、その間に何人かが追い抜いていった。

 変化のない登りがどこまでも続く。私の歩みは相変わらず遅い。このペースではいったい何時になったら着くことやら。にわかに、空が雲で覆われ、今にも降りだしそうな雲行きになる。天気予報はあれほど晴天を約束していたのに。何回目かの急坂を登りきると、ようやく前武川岳に到着した。ここで名郷からの登山道が合流する。山頂は展望もなくベンチと小さな山頂表示があるだけである。武川岳まではもうわずかなはずである。いったん緩く下って、最後の登りに入る。12時55分、何と、山伏峠から1時間45分も掛かって、ようやく武川岳山頂に到着した。何と歩みの遅いことか。それでも、案内書記載標準タイムの2時間よりは早い。

 山頂には5人ほどの登山者が休んでいた。この頂は5年ぶり、5度目である。南面の草原に腰を下ろし握り飯をほお張る。30年前は大きく開けていた展望も、いまでは南側の狭い範囲が残るのみである。それでも視界の彼方に奥多摩の大岳山の独特の山容が望まれる。天気もいつのまにか。回復している。

 今日はまだまだ先が長い。早々に出発する。下手をすると、下山は日没と競争になりそうである。急がなければならない。二子山への縦走路に入ると人の気配はまったく消えた。雑木林の中の気持ちのよい道を緩やかに下っていく。下りきると、東側に展望が開け、伊豆ヶ岳がよく見える。小学生の子供を連れた父親とすれ違う。緩く登ると、露石のある蔦岩山山頂に達した。振り返ると、全山緑に覆われた、何とも大きな武川岳が視界一杯に広がっている。

 岩場をまじえた急坂を下る。3人パーティとすれ違った。結果として、このパーティが今日山中で見かけた最後の人影となった。尾根は痩せ、小さな岩峰が連続する。左手、木々の間に武甲山の姿が見え隠れする。全身創痍であるが、いまだ奥武蔵の盟主の貫録は失っていない。右手、稜線直下には林道が登ってきている。草付きの大急登をひぃひぃ云いながら登り上げると、そこが焼山山頂であった。頂は西側と北側に大展望が開けている。目の前には、逆光となった武甲山が黒々と聳え立っている。その右手奥には日本百名山の両神山の姿もはっきり望める。行く手、北側を望めば、今日の終着点・二子山の形よい双耳峰が早く来いと呼びかけている。そこに向かって、足下より顕著な稜線が、幾つものピークを連ねながら続いている。まだまだ距離がありそうである。

 ゆっくりしたい山頂だが、そうもしていられない。山頂直下は岩場の大急斜面で非常に悪い。もはや力の入らない足を懸命に踏ん張り何とか下る。下った分は確実に登り返さなければならないと思うと気が重い。小さなピークが幾つも現れ、なかなか二子山の基部に近づかない。そして最後の急登が待ちかまえていた。もはや疲れ果てたが、頑張る以外にない。足下だけを見つめて、一歩、また一歩と身体を引き上げる。雑木林の中の見上げるばかりの急登である。悪戦苦闘の末、15時10分、どうにか二子山雄岳山頂に達した。へなへなと座り込む。山頂は雑木林の中で展望は一切ない。立派な山頂標示の前には882.7メートルの三角点が確認できる。

 わずか5分の休憩の後、今日最後のピークとなる二子山雌岳を目指す。案内板には10分と標示されている。いったん下るのが癪である。短い岩場の急登を経ると山頂に達した。薄暗い雑木林の中で、まったく展望はない。時刻はすでに15時20分、日没は17時ごろなので何とか日のあるうちに下れそうである。ただし、谷間は4時過ぎには暗くなるだろう。余裕はなさそうである。ここからの下山道は二つある。尾根コースと沢コースである。沢コースの方が早そうなのでこちらを選択する。

 ザイルの張り巡らされた雑木林の中の急斜面を下ると支尾根に乗った。しばらく緩やかに下った後、草付きの斜面を大きくジグザグを切って、兵野沢源頭に下り立つ。足はがたがたで、今にも膝が笑いだしそうである。谷間は既に薄暗くなっている。休んでいる暇はなさそうである。右岸左岸と沢を何度も渡り返しながらグイグイ下る。右岸から顕著な沢が合流してくると、傾斜はようやくゆるやかとなった。もう安心である。沢から離れ、支尾根を乗っ越すとすぐ下に線路と芦ケ久保の家並みが見えた。やれやれである。線路をくぐり、16時25分、無事芦ケ久保駅に到着した。明日はさぞかし足が痛いことだろう。