常光寺山と山住神社

 北遠の名峰と山犬信仰の古社

1996年9月15日


定光寺山より竜頭山を望む
 
水窪営林署(730)→向市場(750)→上村集落最上部(830)→林道(840)→林道終点(925〜930)→上村・向島分岐(950)→臼ヶ森分岐(1030〜1035)→常光寺山(1110〜1135)→スーパー林道(1235)→山住神社(1255〜1310)→車道(1405)→河内浦集落(1415)→向市場(1500)→水窪営林署(1520)

 
 水窪町は遠州最奥の町であり、青崩峠を越えるともう信州である。遠州と信州を結ぶ塩の道・秋葉街道の宿場として発展した。常光寺山はこの町の背後にそびえている。南ア深南部・バラ谷山から秋葉山に続く長大な稜線上の一峰であるが、非常に幸いなことに、山頂が稜線より若干西に外れているために、あの悪名高きスーパー林道に傷つけられずにすんでいる。ただし、このスーパ−林道の開通により登山は極めて簡単になった。林道から高度差約300メートル、約1時間半で山頂に達することができる。また、稜線の鞍部・山住峠には山犬信仰の古社・山住神社が鎮座している。山住神社までは水窪町から車道が通じており、神社参拝をかねて常光寺山に登るハイカーも多い。しかし、せっかく名峰常光寺山に登るからには麓から丁寧に登ってみたい。

 5時10分、車で出発する。天気予報は「晴れ時々曇り」、好天気が期待できそうである。2時間以上走ってようやく遠州最北の町に到着するが、なんと町は「水窪祭り」の真っ最中、早朝にもかかわらず街は華やいでいる。困ったことに、街の空き地は全て祭りの駐車場になっていて車を止める場所がない。出発点となる向市場駅から20分も離れた水窪営林署に何とか駐車して7時30分、歩き始める。今日は向市場集落から常光寺山西斜面に広がる上村集落を経て山頂に達するつもりであるが、実は登山道がよく分からない。案内はいずれも山住神社からの往復となっている。知り得た情報は「上村集落の最上部の人家から上部の林道に登り、林道を終点までたどると登山口がある。道標は登山口まで一切なく、ル−トは到ってわかりにくい」である。二万五千図をながめても、破線はないし集落内は道が複雑に絡まっていてどうやって登山口まで行ったらよいのかさっぱりわからない。

 向市場駅前の春日神社から上部に通じる小道をたどる。通る人もいないと見え、草ぼうぼうの藪道である。紫の穂の美しいヤブランと、どぎつい朱色の彼岸花が咲いている。道路を一本横切り、さらに上の舗装道路に出る。この道が上村集落内のメイン道路のようだ。人家の間を縫うようにクネクネと続く急な坂道を登っていく。上村は急な山の斜面に人家が点在するかなり大きな集落で、周りは一面茶畑である。この辺りは北遠茶の産地である。どの家も豊かそうであるが、これだけの斜面だと日常の生活は大変であろう。谷底の水窪町から花火と祭囃しが聞こえてくる。集落を外れた辺りで傾斜が緩み道が二分した。一服しながらどちらの道を行くべきか思案する。メイン道ではないと思われるが、上部に向かう道を選ぶ。しかし、道は人家の庭先に入り込んでしまった。間違えたかなと思い、庭にいたオバさんに尋ねると、「庭先から続く小道を登ると林道に出るのでその林道をたどればよい」とのこと。小道は踏み込むのを躊躇するほど草深い。すぐに同じような小道が登ってきて合流した。ここに朽ち果てた道標があり「常光寺山」を示している。どうやら登山ル−トに乗ったようで一安心する。小道はすぐに二分するが、今度は標示がない。藪をかき分け左の道を進むとすぐに砂利道に飛び出した。これが案内の林道だろう。

 通る車とてない杉檜の中の林道をひたすら歩く。やがて林道は分岐するが、道標が左を示している。もう迷うこともなさそうである。この林道を終点まで行けばよいはずである。林道は緩やかな尾根の左右に移りながらどこまでも続く。やがて林道はつい最近開削された雰囲気となってきた。どうも様子がおかしい。分岐以降、道標はいっさい現われない。おそらく林道の延長によって従来の登山口は変わってしまっていると思われる。不安を抱きながら進むと、ついに林道工事の先端に達した。予想通り、標示はおろか先に続く踏み跡もない。さぁ困った。道端に座り込み二万五千図を広げて思案する。左手すぐ上方に尾根筋が見える。現在位置は常光寺山から上村に延びる尾根の891メ−トル標高点の下部と思える。仕方がない、この尾根筋をたどろう。ひょっとしたら尾根上に踏み跡ぐらいあるかも知れない。杉檜林の中に踏み込む。登り上げた尾根には踏み跡はなかった。しかし、下草もなくたどるにはそれほど支障はない。すぐに小ピ−クに達する。鋼索などが転がっていて人臭い。尾根を巻き気味に続く微かな踏み跡を見つけたどってみる。突然立派な登山道に飛び出した。びっくりするやら安心するやら、やれやれである。登山道は幅1メートルはある確りしたもので、階段整備までされている。いったいどこから登ってきたのだろう。登山道をたどると、すぐに左手より一本の登山道が合流した。ここに確りした道標があり、合流した登山道を「向島」、たどってきた登山道を「上村」と標示している。もう心配はない。

 尾根の右側を巻き気味に緩やかに登っていく。周囲は手入れのよい杉檜の植林である。登山道は最近整備されたばかりと思われ、非常によい。しかし、今日この道をたどるのは私が最初と見えて、時々顔に掛かる蜘蛛の巣が鬱陶しい。ヤマカガシと思える茶色の蛇をあわや踏みそうになる。覗きこんでもじっとしている。やがて、地図に破線のある臼ヶ森集落からの微かな踏み跡が合流する。案内書ではこの道は廃道とある。樹相が変わり、アセビ、楓を中心とした自然林となる。すぐに「常光大神」との額の掛かる鳥居が現われた。ちょっとした登りを経るとすばらしい場所に達した。緩やかな傾斜の中に苔蒸した岩が点在し、その間を山毛欅の大木と楓の灌木が埋めている。まるで日本庭園のような美しさである。若い男女のパーティと擦れ違う。ここから先は蜘蛛の巣を気にしないですむ。林の中に大きな家がある。案内では神社とあるが、どう見てもそのようには見えない。再び傾斜がきつくなる。山頂までもう一息である。確り整備された道を息せき切って登る。楓の茂る一峰を越え、さらに少し登るとそこが常光寺山山頂であった。山頂はわずかに北側に視界が開けた灌木の中で、小さな祠が鎮座している。誰もいない。三角点に座り、稲荷逗子を頬張る。よくぞ無事にたどり着けたものである。

 山頂を充分に満喫した後、下山に移る。ただし、元来た道を引き返す気はない。山住神社を経由して下るつもりである。スパー林道の通る稜線に向け急坂を下る。視界が開け、谷一つ隔てた北側に実にカッコーイー山が見える。観音寺山である。熊伏山から観音寺山までの縦走計画を暖めているが、未だ登る機会を得ていない。反対側の南方には遠州の名峰・竜頭山が見える。スーパー林道で目茶苦茶にされたとはいえ、この山もぜひ一度登ってみたい。たどっている道は、今では常光寺山のメイン登山道、完璧に整備されている。次から次へと登山パーティと擦れ違いだした。一峰を越え緩く下るとスーパー林道に飛び出した。林道を山住神社に向かう。道の両側はもうススキの穂がいっぱいである。

 時々車の通る林道を20分ほど歩き、1時ちょっと前に山住神社に到着した。この神社はちょうど1年前に前黒法師山に登ったおりに立ち寄ったことがある。和銅2年(西暦709年)創設という古社で、江戸時代までは山住権現の名で親しまれた。山犬を眷族としており、邪気払いの霊験あらたかと聞く。境内には樹齢1300年といわれる二本の大杉がそびえている。

 参拝の後、水窪に向け下山に移る。車道を下るのでは如何にも味気ない。昔の参道があると聞いてはいるが、今は使われることもないであろうからどの程度の状況にあるか不明である。駐車場の脇から下る踏み跡を見つける。何の標示もないがこれが昔の参道と思える。夏草が繁茂しており一瞬踏み込むのを躊躇する。蜘蛛の巣もすごい。道型は確りしているが、明かに長い間使われた痕跡はない。巻き気味に緩やかに下り、谷を横切ってから支尾根に添った急な下りとなる。杉檜の植林に入ると藪も消え、歩きやすくなる。ただし相変わらず蜘蛛の巣に悩まされる。15分も下ると「家康の腰掛岩」との標示のある岩が現われた。この神社には「家康が三方原の戦いで信玄に破れた際、この神社に匿われて助かった」との伝説がある。下るに従い再び藪道となった。ススキの密生である。Tシャツ姿なので腕が傷つく。へきへきしながら藪を漕ぎ続けると、ようやく河内浦集落上部で車道に出た。後はひたすら水窪河内川に沿った車道を歩くだけである。約1時間の車道歩きのすえ、今日の出発点、向市場集落にたどり着いた。水窪の街は祭りで華やいでいた。

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