城峯山東尾根縦走 

城峯山→奈良尾峠→風早峠→更木集落

2002年4月14日


鐘掛城より城峯山を望む
 
東門平バス停(915)→中腹林道(935)→尾根(945〜950)→送電線鉄塔(955)→鐘掛城(1015〜1025)→石間峠(1035)→城峯山(1045〜1100)→鐘掛城(1115〜1120)→奈良尾峠(1150〜1155)→風早峠(1235〜1250)→海老の平別荘地(1315)→浦山集落→更木バス停(1355〜1415)

 
 ここ1ヶ月間山から遠ざかっている。慰安旅行やらゴルフやらが重なったためである。おまけに風邪まで引いてしまった。その間に季節は足早に移ろい、すでに里ではハナミヅキが咲き出している。もう春も後半である。今日は城峯山から荒川・神流川分水稜線を東に辿る計画である。この稜線上には奈良尾峠、風早峠の二つの峠がある。前々から気になっていたのだが、交通の便が至って悪いため踏ん切りがつかずにいる。稜線上に踏み跡があるかどうかもわからず、実行するなら薮が出る前、今日が今シーズン最後のチャンスである。
 
 皆野駅前発8時45分の日野沢行きバスに乗ったのは私と2人連れのハイカーだけであった。彼等は水潜寺前で降り、私一人を乗せたバスはヘアピンカーブを繰り返しながら門平の山上集落へと登っていく。前方の山腹高所に突然大きな集落が見えだす。あんな高いところに集落が!  思わず目を見張る。門平集落はまさに絶界の集落である。9時15分、東門平バス停で降りる。高く昇った陽が燦々と射し、上々の天気である。ただし、春特有の霞が濃く、周囲の山々は寝ぼけた輪郭を描いている。道標に従い城峯山への道に入る。行程の長さから考え、もっと早く出発したいのだが、一番のバスでもこの時刻である。
 
 恐ろしく急な舗装された狭い林道を10分ほど登り、登山道に入る。道端には、スミレ、白スミレ、キケンマ、ムラサキケンマ、タンポポなどの野の花が今を盛りと咲き誇っている。この登山道を今から22年前の1980年、両親と当時7歳の長女、4歳の次女を連れて登ったことがある。記憶は曖昧だが、楽なコースとの印象が残っている。細い林道を横切ると本格的な登りが始まった。杉檜林の中、ジグザグを切りながらグイグイ高度を上げていく。苦しいがこういう登りも気持ちがよい。辺りは静寂そのもので人の気配は全くない。やがて地道の林道を横切るが、傾斜が緩む気配はない。ひたすら高度を稼ぐ。こんな急登を22年前に4歳の幼児がよくぞ登ったものである。やがて上方に尾根筋が見えてくる。ようやくバス停から30分で杉檜林の中の尾根に達した。ひと休みして握り飯を頬張る。朝から何も食べずにここまで登ってきた。
 
 尾根筋を登る。すぐに送電線鉄塔が現れる。尾根に出れば少しは傾斜が緩むのではとの期待は裏切られ、相変わらずハードな登りが続く。しかも鬱蒼とした杉檜林の中で、展望は一切得られない。道標完備のよく踏まれたハイキングコースゆえ、朝から地図を一切見ずに登っている。今どの辺なのかもさっぱりわからないが、2時間も歩けば山頂に着くはずである。道標はいずれも「鐘掛城・城峯山」と標示されているが、「鐘掛城」とは聞いたことのない地名であり何処を指すのだろう。ひたすら急登に耐える。
 
 道が二つに分かれ、道標が左を「巻き道、城峯山」、右を「鐘掛城、城峯山」と示している。右を選択し、ひと登りすると「鐘掛城」との標示のあるピークに達した。説明板があり、戦国時代、ここに鐘掛城と言う山城があったとのことである。ひと休みし、初めて地図を開いて位置を確認する。何とこのピークは、今日縦走する予定の城峯山東尾根上の1003メートル峰ではないか。ということは、ここから城峯山を往復して、この尾根を東に縦走することになる。縦走する方向を探ってみると、しっかりした踏み跡が続いている。ひと安心である。今日初めて視界が開け、右手には西上州の名峰・御荷鉾山が春の濁った空気の中に霞んでいる。行く手には、山頂に大きな鉄塔の立つ城峯山がこんもりと盛り上がっている。
 
 城峯山に向かう。丸太で階段整備された急坂を次のピークとの鞍部に下る。帰りの登り返しが大変そうである。再び、尾根道と巻き道が分かれる。尾根道を選択する。小ピークを越え緩やかに下ると車道の乗越す石間峠に達した。休憩舎とトイレがある。新芽の美しいカラマツ林を右側に見ながら急登を10分も耐えると、ついに城峯山頂に達した。昨年2月、深雪を踏んで南尾根から登って以来1年振り、3回目の頂である。先着していた1パーティも入れ替わり下っていき、山頂は私一人である。一年前には深い雪の中を寒風が吹き抜けていた頂も今日は春の暖かい日差しが溢れ、ぽかぽかと暖かい。山頂に一人座し、握り飯を頬張る。至福のひとときである。山頂に立つ大きな電波塔中腹の展望台に登ってみると、両神山が空に消え入るように微かに浮かんでいた。
 
 いよいよ今日の目的、東尾根縦走に移る。来た道を鐘掛城ピークまで戻り、体制を整える。ここから先、登山道はない。踏み跡があろうとなかろうと、自らルートを判断して進まなければならない。二万五千図を読み直し、地形を頭にたたき込む。ピークを北へ下る。二万五千図には破線の記載はなかったが、幸い尾根上にはしっかりした切り開きがある。左側が気持ちのよい自然林で、木の間から城峯山がちらちら見える。すぐに尾根が二つに分岐し、切り開きも分岐する。地図を確認し右の尾根にルートを取る。尾根は次第に東に向きを変える。尾根上のしっかりした切り開きは防火帯のようである。登山道ではないため、登り下りは恐ろしく急である。二つの格好いい山が見える。一つは左側、神流川右岸の端正な独立峰である。地図で確認すると「神山」である。地図には山頂に至る破線の記載もなく、またハイキング雑誌でも案内は見たことがない。埼玉県の山であり、いつか登ってみよう。もう一つは左手はるか前方、山並みから抜け出した一峰が目を引く。地図を合わせると、横隈山である。この山は昨年の1月に登ったが、これほどの山容を持つ山とは知らなかった。改めて惚れ直す。
 
 ピークを三つほど越え、緩やかとなった尾根を進むと送電線鉄塔が現れ、そのすぐ先が、奈良尾峠であった。鞍部とも云えない平坦な尾根の一角で、小さな石の祠が安置されているのでそれと知ることができる。右側の植林がまだ幼く、高まった昼の陽が燦々と降り注ぎ明るい。足下には可憐なスミレが咲き誇っている。腰を下ろしひと休みする。鐘掛城以来初めて道標があり、左へ下る踏み跡を「高牛橋」、右の踏み跡を「奈良尾集落」と標示している。どうやら峠道はまだ健在のようである。この奈良尾峠の位置を二万五千図は間違えている。この少し先で林道が尾根を乗越しているが、地図はその地点を奈良尾峠としている。
 
 そのまま稜線を進むと、すぐに乗越林道の切り通しの上にでてしまった。崖を危なっかしく林道に下る。いわばこの地点が現在の奈良尾峠である。林道を横切り、反対側の尾根に取り付く。長靴姿の二人連れが何やら野草を採掘している。鐘掛城以来初めて見る人影である。挨拶はしたものの、「何を採っているのですか」と聞くといやな顔をする。どうやら山野草を盗掘しているようである。防火帯の切り開きは相変わらず続いている。目の前にものすごい急登が現れた。草付きの大急斜面でステップも切れないし、掴まる立木もない。この切り開きは登山道とはほど遠い。立ち止まっては息を整え、何とか登り切る。稜線は左にカーブし、地図上の832メートル峰を越える。右斜面は伐採跡となっている。緩やかとなった尾根を進むとヒトリシズカを見つけた。昨年の4月、秩父槍ヶ岳で初めて出会ったが珍しい花である。小ピークを2つほど越えると、雰囲気ががらりと変わり、松の大木がまばらに生える尾根となる。さらに一峰を越えると尾根を乗越す立派な車道に飛び出した。風早峠である。峠には「広域基幹林道上武秩父線開設記念碑」と書かれた立派な石碑が建つものの「風早峠」と示すものは何もない。情緒を感じる名前を持つのこの峠も完全に車道の餌食となってしまったようである。車道は通る車とてない。ひと休みする。
 
 ほんの10〜20メートル尾根を進むと風早峠を示す標示があり、左に「浜の谷集落」への細い踏み跡が下っている。ここが本来の風早峠なのだろうか。峠を示す祠も石碑も何もない。続いてきた防火帯と思われるしっかりした切り開きもこの辺りで終わる。ただし尾根上には明確な踏み跡がなお続いている。次のピークで尾根が二つに分かれる。主稜線は左の尾根だが、この先で採石場にぶち当たる。おそらく通行不能だろうし、またその地点で下っても交通の便がない。二万五千図を読むと、右の支尾根上に破線が記され、麓の浦山集落まで続いている。浦山集落から車道を1.5キロも歩けばバスの通う更木集落にでられる。右の支尾根ルートを採る。
 
 微かな踏み跡を追って支尾根を進む。しかし、次の700メートルピークで踏み跡は完全に絶えた。まったく二万五千図の破線ほど当てにならないものはない。ただし、別に慌てることもない。計画通り尾根筋を浦山集落に下ることにする。入り口の潅木の薮を突破すると、深い杉檜林の中の急斜面となった。立木に掴まりながらひたすら斜面をずり落ちる。尾根筋ははっきりしないが、少々方向が狂っても山腹を走る車道に下り着くはずで問題はない。やがて見込み通り目指す車道に降り立った。尾根筋を少し右にずれたようである。車道を歩いて尾根の先端に回り込む。意外なことにこんなところに「海老の平別荘」と標示された小さな別荘地がある。ただし人影はない。尾根の先端から、車道を離れて再び薮っぽい植林の中に突入する。浦山集落はもう近い。
 
 林の中にカタクリの群生を見つけた。残念ながらすでに花は終わっている。付近に踏み跡のないことから、隠れた群生なのだろう。しばらく緩やかに下ると踏み跡が現れ、過たず、浦山集落上部の車道に飛び出した。この地点には「浦山カタクリの里」との碑が立ち、公園風に整備されている。付近はカタクリの群生地となっているようである。集落の中を下る。この車道をひたすら歩けば更木のバス停にでるはずである。浦山集落は山の斜面に発達した典型的な北秩父の山村で、ツツジ、八重桜など各種の花が咲き乱れ、新緑とマッチしてまるで桃源郷のように美しい。集落を過ぎ、傾斜の緩んだ車道をひたすら歩く。前方には地図にもある大規模な採石場が見える。削り取られた山肌が痛々しい。やがてまばらな人家が現れ、更木の小さな集落に入る。左から合わさる車道の奥をふと見ると、何とバス停である。危うく通り過ぎるところであった。バスの時間を確認すると、幸運なことに、一日何本もない皆野行きのバスが20分待ちである。
 
 春のうららな一日、人影もない城峯山東尾根縦走を無事果たした。こんなコースを歩くものは他にいるのだろうか。

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