安倍奥 十枚山から大光山、奥大光山へ

峠道は不通、スズタケノ密叢を漕いで必死の下山

1992年11月3日

              
 
関ノ沢集落→中ノ段集落→十枚峠→天津山→十枚峠→十枚山→刈安峠→大光山→奥大光山→三河内集落→関ノ沢集落

 
 9月の大谷崩ノ頭から山伏行きにより、安倍奥の土地勘は大体掴めた。今度はどの山に登ろうか考えた。八紘嶺、大光山、真富士山、竜爪山等が安倍奥の山としては登ってみたい山々であるが、真富士山、竜爪山はハイキングコースの山であり、どうせなら雪のある冬場に登りたい。車で行くとなるとコースの取り方が難しい。意外にピッタリと来るコースがない。おまけにこの地域は登山コースを記したよい地図もないし、まともな登山案内書もない。日地出版の南アルプス南部の地図に、辛うじて安倍奥も載ってはいるが、余り当てになりそうもない。いろいろ考えた末、十枚山に行ってみることにした。今年の夏、取り引き先のAさんが、この山に登って、途中で動けなくなったとの話も頭に浮かんだ。
  
 立てた計画は次のようなものである。梅ヶ島街道を車で行き、関ノ沢集落で車を捨てる。中ノ段集落を経て十枚峠に至り、行き掛けの駄賃に天津山を往復してから十枚山に登る。稜線を北にたどり、刈安峠から東峰に下り、更に関ノ沢集落に至る。一日の行程としてはちょうどよさそうである。このコースの問題点は、刈安峠から東峰への下山途中の関ノ沢源頭の崩壊地の通過である。静岡山岳会発行の「静岡県登山ハイキングコース143選」という案内書によると、この地点は一時通行禁止となっていたが、平成元年に復旧したとある。なんとかなりそうである。 
  
 前日の2日、冬型気圧配置となり北風が吹き荒れた。私の勘で言えば、今日3日は移動性高気圧が張りだし、絶好の登山日寄りになるであろう。天気予報も降水確率ゼロ%を告げている。十枚山の頂からの展望は、遠く伊豆半島まで見通せ、すばらしいと聞く。紅葉もきっとすばらしいであろう。
  
 5時起床、5時30分車で出発。真暗な中を勝手知った梅ヶ島街道を走る。1時間で関ノ沢集落に到着。安倍川の辺に車を停め、6時50分歩き始める。今日のために昨日軽登山靴を買った。履き始めであり、足に合うか心配である。空は晴れてはいるが、期待に反して雲が多い。見上げる稜線は雲の中である。梅ヶ島街道と別れ、関ノ沢集落を抜けて中ノ段集落に向かう。関ノ沢本谷と別れるところで道が分かれる。期待に反し、十枚山を示す道標はここ迄一つもない。地図を出して辿るべき道を確認する。沢沿いの静かな舗装道路が続く。時折車が追い越していく。やがて沢と別れ、中ノ段集落へのジグザグを切った急登が始まる。登山者と思える何台かの車が追い越していく。どうやら舗装道路は地図と違い、中ノ段集落まで続いているようである。こんな山の上に本当に集落があるのかと思いながら進むと、斜面にへばりつくようにして数軒の人家が現われた。周りの斜面はこんな山の中でも茶畑となっている。それにしても、こんな山の上の、しかも平坦地でもない斜面に、なぜ集落ができたのか不思議に思えた。視界が開け、西、安倍川方面が見通せる。見ると、山の斜面の到る所に集落がある。故郷、秩父の村落を思い起こした。帰ってからわかったことだが、安倍川筋は昔から洪水が激しく、集落は川筋ではなく、山の斜面に発達したとのことである。
  
 関ノ沢集落からここまでちょうど一時間の行程である。集落の中程に、初めて十枚山を示す道標があり、登山届けを入れる箱が備え付けられている。私が今日ここに来ることを誰も知らないとの不安もあり、登山届けを提出する。ジグザグを切って集落内を抜けると舗装道路は終わり、ようやく山道に入った。ここに看板が立っていて、ショッキングなことに、刈安峠から東峰のコースは関ノ沢源頭の崩壊が激しく、平成4年1月から通行禁止の処置が取られた旨を告げている。今日の下山コースは追って考えることとし、植林地帯の緩やかな登り道を進む。すぐに十枚山への直登コースと十枚峠への道の分岐に出る。確りした道標が立っている。予定通り十枚峠への道に入る。道は、十枚山に突き上げる尾根の左側を緩く巻きながら進む。確りした道である。見上げる稜線は相変わらずガスが渦巻いている。登り着くまでに晴れることを期待して更に進むと沢に出た。案内書にある第一水場である。ここでひと息入れていると、犬を2匹連れた中年の男の人が登ってきた。地下足袋履で腰に鉈を差しているので山仕事の人かと思ったが、そうでもなく十枚山に登るとのこと。この犬どもとは十枚峠まで抜きつ抜かれつすることになる。
  
 道は一転して檜の植林の中の急登に掛かる。初めて履く軽登山靴は足に馴染んで調子がよい。着実にぐいぐい登っていくと、急登は終わり左側が開けたところに出た。谷を挟んだ向かい側斜面の紅葉がすばらしい。久し振りに見るすばらしい紅葉である。腹が減ったので持参のパンを一つ頬張る。稜線のガスは一向に晴れる気配がない。すぐ、また沢に出る。第二水場である。高度計が1,500メートルを指す辺りから周囲はガスに包まれた。どうやら山頂での展望は期待薄である。更に登ると又沢に出る。第三水場である。もう稜線は近いはずである。中年の男4人パーティを追い抜く。中ノ段集落まで車で登ってきたパーティである。
  
 少しの間の急登を経ると、なだらかな道となり、やがて待望の十枚峠に達した。低い笹が一面に覆った気持ちのよい峠である。しかしガスが掛かり、周囲の山々の紅葉がうっすらと見えるだけで展望は得られない。反対側、富士川流域に確りした道が下っている。時刻は9時半過ぎである。再び腹が減ったので又パンを食べる。先ほど抜いた4人連れが登ってきて、休むことなく十枚山に向かっていった。続いて2匹の犬が登ってきて私の食べているパンをしきりに欲しがる。すぐに飼い主も登ってきて犬とともに持参のサンドイッチを食べ出した。2匹と一人はすぐに十枚山に向かっていった。
  
 私は皆とは逆、稜線を南に辿って天津山に向かう。笹の中の登りである。切り開きは確りしており、ルートに心配はないが、今迄の道とは明らかに違い、道は人の足に馴染んではいない。この山に登る人は少なそうである。1,600メートル圏を過ぎるとガスが濃く渦巻き、風も強い。相当な悪天である。真だ冬型気圧配置が残っているのであろう。約20分で山頂に達した。山頂は笹と山毛欅の大木の中の小さな切り開きで、展望は一切ない。梅ヶ島中学生徒会の立てた山頂を示す確りした標示盤がある。当然誰もいない。十枚山よりこちらのほうが6メートル高いのにもかかわらずほとんど登られていないのは、私のようなピークハンターにとっては不思議なことである。
  
 再び十枚峠に戻る。小学生もまじえた数人の登山者が休んでいた。そのまま十枚山に向かう。低い笹の中のよく踏まれた道が続く。二人連れの中年の女性が下ってきた。一瞬ガスが晴れた。十枚山が見える。慌ててカメラを出すが、シャッターを切る間もなく再びガスが覆い隠してしまった。短い急登を経ると十枚山山頂に飛び出した。11時少し過ぎである。低い笹の生い茂った広々とした山頂である。天気さえ良ければ、さぞすばらしい展望が得られるであろう。しかし今日は濃いガスが渦巻き、強風が吹き荒れている。休む場所とてない。単独行者が、やけっぱちのごとく、寒風に身をさらして弁当を食べている。3人パーティが北斜面に風を避けてラジュースを炊いている。山頂はとても留まっていられるような所ではない。
  
 すぐに出発しようと思うが、さてどこに向かうべきか。ここで下るなら、ここから直接中ノ段集落へ下る道を取ることになるが、時間も間だ早い、欲求不満が残りそうである。刈安峠に向かえば、東峰への下山道が通行禁止となっている。しかし、なんとかなろうなとの気持ちで、そのまま稜線を北へ、刈安峠に向けて出発する。稜線上の道ははっきりしているが、余り歩かれていなそうである。小さなピークを幾つも越えて次第に高度を下げる。下るに従いガスは晴れ、展望が開ける。右側眼下に富士川流域が見える。大きく開けた河川平野の中を富士川が流れている。1,600メートル以上の山々は相変わらずガスの中である。最低鞍部に着く。刈安峠はここにはなく、更に先のようである。稜線は大光山から南西に大きく張り出した尾根に続いている。この尾根の登りに掛かると急にガスが晴れ、行く手、大光山が一瞬その全貌を現わした。振り返ると、なんと十枚山も全貌を現わしているではないか。慌ててカメラを取りだしシャッターを切る。すぐに、再び山々は濃いガスの中に姿を消してしまった。一瞬見た十枚山は、稜線から高々とそびえ立ち、実に立派な山容であった。大光山の斜面の紅葉が、がれの白さと調和して実に奇麗である。
  
 緩やかに登ると刈安峠に出た。12時少し過ぎである。峠は小さな鞍部で笹の中に山毛欅の大木が繁り、暗い感じの余り雰囲気のよいところではない。つもりとしては、少々無理してもここから東峰に下ろうと、道々考えていた。所が、やはりといおうか、左側東峰に下る切り開きの入り口には「立入禁止」と書かれた大きな立て札が立てられ、おまけにロープまで張られている。右側富士川流域へは踏み跡もない。考え込んでしまった。これだけ明確に通行禁止の処置が取られているコースに踏み込んで、もし事故でも起こしたら大問題である。そうかといって今更十枚山に戻るわけにも行かない。日地出版の地図を見ると、このまま更に稜線を北上し、大光山の先から梅ヶ島に下る道が記されている。所要時間は大光山まで50分、そこから梅ヶ島まで2時間となっている。現在の時刻が12時10分、かなり怪しいが、コースタイムを信じるなら15時には下山できることになる。ただ本当にこの下山道があるかどうかはかなり怪しい。不安が頭を掠める。しかしながら、このコースを取ると、登ってみたいと思っていた大光山に図らずも登れることになる。このコースが、急に魅力的に思えてきた。行ってみることにした。
  
 先に不安があるため、足は自然と早まる。大光山の急斜面を息せき切って登る。森林の中の登りである。一峰を登り切るが、本峰は更に奥にあるようである。背の高い笹の切り開きの中を緩やかに登っていくと、立て札があり、「この先崩壊につき通行禁止」と記載されている。困ったと思い、反射的に周囲を見回すと、左側に切り開きがあり、稜線を巻くように続いている。なんの標示もないが、付け替えの道と判断してこの切り開きを進む。背よりも高くびっしりと生えた笹藪を大きく切り開いた道である。道は水平に十分ほど続き、急登して再び稜線に這い上がった。稜線には予想通り縦走路が走っており、ちょうど三叉路のようになっているが、なんの標示もない。後と前に高みがあり、前の高みのほうが高そうである。高いほうがおそらく大光山山頂と思われ、そちらに進もうとするが、なんとなく後ろの高みが気になってまず後ろの高みに向かう。2〜3分で高みに到着するが、高みには山頂を示すなんの標示もないが、三角点と登ってきた方向を示す道標があり「草木、東峰」と記されている。そして何と、その道標に小さく「大光山」と落書きされている。ここが本当に大光山山頂なのだろうか。稜線上の小さな高みにすぎず、しかも何の標示もないここが大光山山頂とはとても信じがたい。ガスの合間にうっすらと見える前方のより高い高みが山頂に違いないと考え、そちらに向かう。4〜5分で目的の高みに到着するが、ここには山頂を示すものは一切ない。やはり先ほどの高みが大光山山頂であったのか。イメージからは程遠い山頂である。
  
 そのまま稜線上の道を先に進む。ふと、胸騒ぎがして立ち止まる。今日初めてコンパスを取り出して方向を見定めてみる。何と進んでいる方向が西と出ている。私としては稜線上を北に向かっているつもりである。頭の中が混乱する。進んでいる道は明らかに稜線上の縦走路と思える。ガスが深く展望が利かないが、私の方向感覚が正しいのか、それともコンパスが正しいのか。ふと大光山山頂の標示が気になった。「草木、東峰」と記されていた。見たときはてっきり刈安峠を経由して草木、東峰に下ることを意味すると思ったが、良く考えてみれば、それならば刈安峠と標示するのが自然である。今進もうとしている道が草木、東峰に至る道なら標示も自然であり、又コンパスの方向もあう。しかし、大光山山頂から草木、東峰に下るこんな立派な道があるとは、地図はおろかどの案内書にも載っていない。
  
 訳の解からぬまま、いったん大光山山頂に引き返す。山頂からは、ごく自然な形で、稜線上の道が更に先に続いている。先ほどは、この道は大光山に登る途中「崩壊につき通行禁止」と書かれた稜線上の道に続くものと考えていた。改めてコンパスで方向を確認すると、この道は明らかに北に向かっている。と言うことは、安倍峠に向かう稜線上の道、私が辿るべき道である。私の方向感覚としては明らかに逆戻りするが、コンパスを信じることとした。もし私の方向感覚が正しければ15分も進めば元の道に出てしまう筈である。コンパスを何回も確かめつつ、半信半疑で、15分も進むが、道は明らかに北に進んでいる。どうやら私の方向感覚のほうがおかしかったと、結論が出たようである。絶対の自信を持っていた私の方向感覚が狂うとは、山はやはり恐ろしいものである。それにしても、あのときなぜ胸騒ぎがしてコンパスを取り出したのであろうか。神に感謝する。
  
 緩やかな上下を繰り返しながら、20分も稜線上を進むと、小さな高みを5メートル程緩く下ったところに、突然標示があり、「奥大光山」と書かれている。全く山頂とも思えない小さな高み、しかもその高みから少し下った道端に山頂の標示があるとは驚きであった。奥大光山も又、イメージからは程遠い山であった。そのまま通過して10メートルも進んだところで、又もや突然胸騒ぎがして立ち止まる。そういえば奥大光山の山頂標示の下に、小さな板切れが立てられマジックインキでどこどこ方面と書かれてあった。その先には、背よりも高い笹藪の中に微かな踏み跡らしきものがあったのを覚えている。ひょっとしたら、私が下るつもりの梅ヶ島へのルートではないかと、まさかとは思うが、そんな気がふとしたのである。通過したときは、イメージとして確りした道を考えていたので、気にもとめなかったが。慌てて引き返して標示を確認する。「三河内」と書かれている。地図で確認すると、まさに私が下るつもりのルートである。
  
 しかしこの道は果たして下れるのであろうか。微かな踏み跡には笹が覆い被さり、獣道よりもひどそうである。しかし、この道を下るより方法がないことも確かである。縦走路をこのまま進み、安倍峠経由でも下山できるが、それは時間的にとても無理である。道標もないこの藪山を懐電を照らして歩くことは自殺行為である。
  
 踏み跡らしきところに踏み込む。一瞬にして背より高い笹の密林の中に孤立する。笹を手で、身体でかきわけて数メートル進んでみる。なんとか進めないこともなさそうだが、この先どうなっているのか不安が大きい。頼りは、赤布が所々に付けられていることである。この赤布をたどれば、なんとか下れるかも知れない。踏み跡を探り探り進む。時々ルートを見失うが、赤布を頼りになんとかルートに戻る。進むに従い、わかりにくいところには必ず赤布があることがわかり少々安心する。ふと、この笹の密林の中で、もしものことがあったら、死体も永遠に見付からないとの不安が頭を掠める。どうやらこのルートは、奥大光山から西に大きく張り出した支稜上に付けられているようである。何せ視界がゼロであり、ただ赤布を追う以外にない。急な下りは笹の上を滑るようにし、急な登りは笹を掴んで身体を押し上げる。
  
 1時間も下ると、さしもの笹も薄れだし、どうやら危険地帯を脱したかと、少々安心する。広々とした尾根に出た。突然古びてはいるが、立派な道標か現われびっくりする。どうやらこのルートは、かつては確りした登山道であったが、その後廃道化したものと思える。ルートはヘアピンカーブを切って、尾根から離れ、右側斜面を下りだす。斜面は植林地帯となり、踏み跡は細いながらも確りしてくる。もう安心である。ジグザグを切って、斜面をどんどん下る。突然崩壊地にぶち当たった。道が10メートル程、すぱっと切れている。通過しようと試みるがとても無理である。やはり一筋縄では行かないルートである。どうしよう、そう言えば100メートル程手前に、小屋跡のようなところがあり、そこから赤布が途切れていることは承知していた。そこまで戻ってみよう。小屋跡に戻り、周囲を探る。案の定、行き詰まった道より遙かに細い踏み跡があり、そちらに赤布が続いている。今日は勘が冴えている。三度目のピンチも脱した。
  
 下るに従い、踏み跡は細いながらもはっきりしてくる。どうやら行き詰まった道が、昔の正規の登山道であったが、崩壊のため廃道化したものと思える。どんどん下る。木々の間はるかに、梅ヶ島から安倍峠を越える立派な道路が見える。又いつの間にか赤布が途絶えた。かまわず下ると立派な道に出た。標示があり、三河内から大滝への見学道路であることがわかる。紅葉狩りの観光客が沢山歩いている。やっと無事下山できたのだ。やれやれである。
  
 15分も進むと、三河内のバス停に出た。3時25分である。残念ながらバスは1時間後までない。梅ヶ島街道を歩くことにした。関ノ沢集落までの道程は遠かった。5時15分、真暗になった中をようやく車の置いてある関ノ沢集落に到着した。
  
 よくも無事下山したものである。改めて安倍奥の山々の難しさを実感した。心して掛からないと危ない。