筑波山系 加波山 

 信仰と歴史の山 

2011年10月1日

 
 長岡集落上部より望む筑波山 
           
長岡集落ルートの一合目・加波山神社中宮の里宮駐車場(750)→二合目・寝不動尊(800)→三合目・桜観音(815)→四合目(825)→五合目(840)→六合目(855)→七合目・山椒魚谷(905)→八合目(920)→営林署道路(925)→稜線(935〜940)→加波山無線中継所(950)→燕山(1000〜1010)→加波山神社中宮の拝殿(1030)→加波山神社中宮の本殿(1035〜1045)→林道丸山線(1125)→一本杉峠(1140〜1150)→長岡集落加波山神社中宮の里宮駐車場(1310)

 
 天下の名峰・筑波山から一筋の低い山稜が長々と北へ伸びている。この山稜の中ほどにひときわ高く聳える大きな山体の双耳峰が加波山である。標高はわずか709メートルと、さして高くはないが、筑波山、足尾山とともに常陸三山と崇められ、また関東百名山にも選ばれている名峰である。古来、この山は神の座す山として崇められてきた。「カバ」の語源はおそらく「神庭(カンバ)」だろう。現在も山頂付近や麓には多くの社、祠が建ち並んでいる。そしてまた、この山は明治17年に起った「加波山事件」の舞台として歴史にその名を残している。前々からこの名山に一度は登ってみたいと思っていたが、埼玉からは交通が不便なこともあり、登る機会は訪れなかった。しかし、この歳になって突然行く気になった。骨折した足のリハビリとして、どこか手軽なハイキングコースはないかと考えていて、ふと加波山に思い当たったのである。北関東自動車道が開通した現在、車で行けばそれほど遠くはない。

 5時50分、車で出発する。東北自動車道から北関東自動車道に乗り換え東に進む。真岡I.Cを過ぎると行く手に筑波山から加波山に続く山稜が見えてきた。山稜からひときわ高く盛り上がる二つの山、筑波山と加波山は一目で同定できる。桜川筑西I.Cで降り、県道41号線を南下する。カーナビがあるので迷うこともない。樺穂小学校手前を左折し、加波山麓に広がる長岡集落に入る。急な上り坂となる集落内の細道を進むと、右側に加波山神社本宮の里宮を見る。見学は下山後とし、さらに集落上部に進むと、加波山神社中宮の里宮が鎮座していた。立派な、かつ少々派手な社殿と道を挟んだ反対側に大きな駐車場があった。社務所に了承を得て車を停める。家から109キロ、約2時間のドライブであった。

 7時50分、山に向って歩き始める。晴れの予報とは裏腹に、空は厚い雲に覆われ、今にも降りだしそうな天気である。そのくせ、気持ち悪いほど視界が澄んでおり、はるか彼方に富士山の姿さえ見ることができる。何とも不思議な天気である。民家と畑が点在する急な舗装道路を上って行く。集落内では一人の人影も、一台の車も見かけなかった。右側にはひときわ高く聳える筑波山が望まれる。

 10分ほどで二合目に到着、人家や畑も終わってここからは山中となった。何本もの赤い幟がはためき、林の中に寝不動尊の小さな社がある。その不動尊の前を通り奥へ続く小道を道標が「三合目に到る」と標示している。右にカーブする車道と別れ、踏み込んだ小道は思いのほか草深く、また木々に覆われ薄暗い。蛇でも現れるのではないかとびくびくしながら進むと、三合目で元の車道に合わさった。やれやれである。この地点には桜観音が鎮座している。傾斜の増した細い舗装道路をたどる。通る車はまったくない。雑木林の中の一筋の道である。天気はますます悪化し、四合目を過ぎると、ついにしとしとと雨が降り始めた。まったく、あてにならない天気予報である。仕方なく雨具を付ける。道脇には点々と大規模な採石場が現れる。ただし人影はまったくない。加波山は御影石の名産地で、山肌の到るところに虫食い跡のように採石場がある。

 辿ってきた舗装道路は五合目で終わった。ここからは山道となった。薄暗い樹林の中をゆっくりと、しかし着実に登って行く。六合目を過ぎると雑木林から杉の植林に変わった。「山椒魚谷」と標示のある小さな谷を渡るところが七合目。辺りは静寂そのもので、せせらぎの音のみが響く。八合目を過ぎると、背後に人の気配がして、単独行の若者が足早に追いつき追い越していった。登山開始以来初めて見かける人影である。九合目手前で細い林道を横切る。路面には草が繁茂し、余り使われている気配はない。そこから一足長で、ついに稜線に達した。山稜の反対側、岩瀬町から車道がここまで登って来ており、駐車場が設けられている。右側一段上には加波山神社中宮の拝殿が鎮座している。出発以来初めて小休止する。

 加波山山頂は右(南)に稜線を辿るのだが、その前に左(北)へ稜線を辿り、隣りの燕山に寄ってくることにする。燕山は、地図では加波山とは別の山となっているが、麓から眺めると加波山と一体の山で、双耳峰である加波山の北峰の位置づけとなる。稜線上には、思わぬことに、「関東ふれあいの道」と称するハイキングコースが整備されていた。道標に従い、山稜を左から巻きながら続く狭い車道を進む。しばらく進むと、山稜上に、加波山無線中継所の、続いて NHKの大きな鉄塔が現れる。車道はこの鉄塔までで終わり、稜線上の山道となった。緩く下って、短い登りを経るとそこが燕山701メートルの頂であった。木々に囲まれ展望はないが、静かな気持ちのよい頂である。小雨が落ちているが、腰を下ろして朝食兼昼食の握り飯をほお張る。人の気配はまったくない。

 辿ってきた稜線上の道を戻る。長岡集落からの登山道入り口まで戻ると、ちょうど一人の男性が登ってきたところで、一段上の社で一緒になった。この社は加波山神社中宮の拝殿である。隣りには大きな社務所が建っているが、建物内に人影はない。加波山には737柱の神々が座すといわれるが、神々を祀る神社は少々複雑である。明治の神仏分離以前から三つの寺社が鼎立していたが、神仏分離により次の三つの神社が成立した。
  「加波山神社本宮」
  「加波山神社中宮」
  「加波山神社親宮」

 現在、加波山神社親宮は加波山神社本宮の管理下にあるので、加波山神社中宮と加波山神社本宮が「加波山神社」の名前を巡って醜い争いを続けている。三神社とも麓や山頂付近に本殿、拝殿、里宮を持つので、どの社がどの神社とも見分けがつかず混乱する。しかも、三神社とも祀る神は同じで営まれる各種儀礼もほぼ同じである。

 一緒になった登山者は50年配の地元の人で、何度も加波山には登っている様子である。社殿の裏手から続く恐ろしく急な岩場の道を一緒に登る。ここまでの道と打って変わって険しい登りである。「加波山は高々700メートルの山だが、この険しさがあるので2,000メートル級の山と同等だといわれる」。登りながら彼がのたまう。いくら何でも、ちとオーバーな表現である。小ピークに「たばこ神社」と記した祠が祀られている。麓のたばこの葉生産農家が除災祈願に祀った神社で、毎年9月5日には「きせる祭り」が執り行われるとのことである。祠を囲む垣の石柱に「日本たばこ産業株式会社」の名も記されている。近年この神様もさぞ居心地が悪かろう。

 次のピークには「加波山神社」の表札と「加波山天中宮」の額の掛かった祠が祀られている。加波山神社中宮の本殿である。「ここが加波山の最高地点です。すなわち山頂です」。同行の彼が宣言する。ただし、山頂を示す標示は何もない。山頂にあるはずの709.0メートルの三角点も見当たらない。それでも周りを見渡すかぎり、この地点が一番高いようだ。山頂と認めよう。狭いながら、西から北にかけて視界が開けている。朝方の異状に澄んだ視界はすでにないが、小雨に煙る下界が眼下に広がっている。先ほど登った燕山も見える。「あの辺りが宇都宮です」と彼が指さすが、街並みは確とは確認できない。彼はここから下山するとのことで、もと来た道を戻っていった。再び山中我一人となった。

 南に向って縦走を続ける。すぐ隣りの小ピークに「加波山大神社 本宮」の額を掲げた社殿を見る。加波山神社本宮の本殿である。帰宅後調べてみるとこのピークが加波山山頂とされている。しかし、私の歩いた感じでは、先ほどのピークの方が明らかに高いと思えるのだがーーー。社殿の前には巨大な岩が何個か鎮座しており、神々しい雰囲気を醸し出している。磐座なのだろう。休むこともなく、さらに平坦な尾根道を進むと、人家を思わす建物がある。加波山神社本宮の拝殿と禅定(先達の案内の下、白衣をまとい金剛杖をついて山中の聖地を巡る修業)のための宿泊施設らしい。ただし人影はない。

 そのまま尾根道を下っていくと「旗立石」と刻まれた石柱の立つ大岩に達した。明治17年の加波山事件の際、決起した志士たちが「一死奉国 自由の魁」と大書きした旗を立てた場所である。さらに緩やかに下り、自衛隊員の殉職碑を過ぎると小平坦地に達する。東側に展望が開け、展望図を記したパネルが設置されていた。ここから稜線は尾根筋を消失して急な下りになるのだが、明確な踏跡が二つ下っている。しかし、不思議なことに道標もなく、どちらの道を辿るべきか迷う。同じような踏跡だが、右の踏跡には手摺りが付いているのでこちらを選ぶ。踏跡は木の階段となってどこまでも下り続ける。途中で不安になる。ひょっとしたら、稜線を外れて麓に下ってしまうのではないかと。しかし、顔を上げて下って行く先を眺めると、木々の間から大きな二基の風車が見える。案内書にある発電用風車のようである。どうやらルートは正しそうだ。

 なおも急坂を下り続けると、開けた鞍部に降り立った。案内書に「加波山嶺公園」と記されている場所である。舗装された林道が通っており、傍らに「自由の揩」と名付けられたシャモジのような変わった形の石のオブジェが建っている。ただし、相変わらず人の気配はない。目の前の一段高い場所には二基の風車・「ウィンドパワーつくば」が高々とそそり立っている。説明によると、タワーの高さ約60メートル、ローターの直径約60メートル、地上から最頂部までの高さ約90メートル。一基当たりの発電能力は千キロワットで、平成17年2月より本格稼働を開始したとのことである。

 道標に従い、舗装された林道を足早に進む。林道は丸山を右(西)から巻きながら下り坂となって続いている。15分ほどで下り着いた鞍部が一本杉峠であった。林道の変則四叉路となっており、一段上に名前の由来となった一本の大杉がそそり立っている。加波山山頂以来初めて腰を下ろし、握り飯をほお張りながら考えた。車の置いてある長岡集落へはここから下ることになる。ただし、予定では、さらにこの先の足尾山を往復してから下るつもりであったがーーー。その場合ここから往復約2時間、現在まだ12時前なので時間は十分あるが、今日はもう疲れ果てた。このまま下ることにする。

 下山ルートは廃道となった林道である。ただし、下山先を示す道標はない。ハイキングコースとしては認知されていないのだろう。荒れた林道に飛び込む。もはや車は完全に通行不能だが、歩く分にはそれほど困難ではない。よく見ると。何と! タイヤの跡があるではないか。どうやらオフロード用のオートバイが走ったようである。到るところで、水流により道が削り取られている。天気は大分回復して薄日すら差してきた。

 この林道をこのまま真っすぐ下ってしまうと、車の置いてある長岡集落の遥か南に下ってしまう。途中で、右に分かれる林道に乗り換える必要がある。その地点がうまく見つけられるかがこの下山路のポイントである。いい加減下るが、林道分岐地点はおろか、道標も赤布一枚も現れない。ひょっとしたら分岐を通り越してしまったのかも知れない。少々不安になる。道路が完全に削り取られ、沢と化している地点に出た。オフロードオートバイはさぞ苦労したことだろう。

 峠から40〜50分も下ったろうか、ようやく目指す林道分岐地点と思われる場所に出た。確りした林道が上り坂となって右に分かれている。ただし、標示の類いはまったくなく、果たしてここが目指す林道分岐なのか確信は持てない。まぁ、しばらく進んでみて判断しようと、分岐林道に踏み込む。幸運なことに、すぐに、道路に座り込んで休んでいる数人の山仕事の人に出会った。聞けば、道は正しいようだ。ただし、「下界までまだ1時間以上掛かるよ」と脅かされたがーーー。

 すぐに舗装された立派な林道に突き当たった。地図通りである。あとはひたすらこの林道を下ればよい。のんびりと下っていくと、右手に大きな採石場が現れた。巨大な鋸が石を切断している。しかし人影は見られない。さらにドンドン下ると、今朝方登った林道に合わさった。三合目の手前である。見覚えのある風景に出会ってやれやれである。もう、愛車までは一足長であった。 

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