奥武蔵 天覧山から大高山へ縦走

低山なれど歩きがいのある縦走路

2004年4月11日


多峯主山より天覧山を望む
 
東飯能駅(705)→能仁寺(730〜735)→ 天覧山(750〜800)→ 雨乞池(825)→ 多峯主山(830〜850)→ 大黒山(915〜920)→ 車道(930)→ 貯水池(940)→ 277.5m三角点(1010〜1015)→ 久須美坂(1030〜1040)→ カマド山分岐(1100)→ カマド山(1110〜1115)→ カマド山分岐(1130〜1135)→ 送電線鉄塔(1200〜1215)→ 東峠(1225)→ 天覚山(1300〜1315)→大高山(1430〜1440)→ 前坂(1505〜1515)→ 吾野駅(1540〜1601)
 桜も散り、春本番となった。山は若葉の季節である。落葉広葉樹林が一番美しいのは春である。煙るような薄緑色が山肌を包む。今日は奥武蔵の低山に春の息吹を感じてこよう。
 
 高麗川の右岸に沿って一本の山稜が長々と続いている。最末端は標高わずか197メートルの天覧山、幼稚園の遠足の山である。最奥は伊豆ヶ岳の851メートル、奥武蔵で最も人気の高いハイキングの山である。ただし稜線上すべてにハイキングコースが開かれているわけではない。天覧山からスタートして、どこまで辿れるだろうか。稜線に沿って西武鉄道秩父線が走っているので、時間切れになったらどこからでも下山が出来る。
 
 北鴻巣5時24分の上り一番列車に乗って東飯能着7時6分、駅から天覧山を目指して歩き始める。天気予報では今日は一日晴れ、5月下旬並のぽかぽか陽気になるとのことであったが、空はどんよりと曇っている。市街地を抜け、約25分で天覧山登山口に着いた。登る前に、先ず麓の名刹・能仁寺に寄っていこう。早朝の境内は人影もなく、禅寺特有の凛とした空気に包まれている。なかなか立派な寺である。この寺は明治元年の飯能戦争の舞台となったことで有名である。徳川幕府に忠誠を尽くす振武軍約500が官軍に対し最後の決戦を挑んだ場所である。

 山頂に向かう。よく整備された遊歩道である。朝の散歩をしている人と何人かすれ違う。登山スタイルでこの山に登っているのが何となく気恥ずかしい。あちこちに桜の大木がある。風もないのに花吹雪となって地面をピンクに染めている。中腹の16羅漢に達する。将軍徳川綱吉の生母・桂昌院が綱吉の病気平癒を祈って寄進したものである。それ以前は愛宕山と呼ばれていたこの山は、この16羅漢寄進により羅漢山と呼ばれるようになった。さらに、明治16年、明治天皇がこの山頂から陸軍の演習を総覧したことにより現在の山名に変わった。ここから岩道となる。この小峰も山頂付近は岩場となっている。とは言ってもよく整備されていて危険はまったくない。
 
 すぐに山頂に達した。静かな山頂を期待したのだが、10数人のキリスト教信者の団体が集会を開いていて、身の置き場もない。この頂は実に24年ぶりである。1980年5月、当時6歳の長女と3歳の次女を連れて登って以来である。南面のみ視界が開けていて展望台が設置されている。添えられた展望図によると富士山が正面に見えるはずであるが、どんよりとした空気の中に、眼下の飯能の街並みが見えるだけである。

 山頂を辞し、次の山・多峯主山へ向かう。雑木林の中のよく整備された道を下ると、湿地帯の広がる鞍部に達する。「マムシ注意」の看板が目に付く。檜の植林の中の長い登りに入る。「見返り坂」と言う。昔、常盤御前があまり景色が良いので振り返り振り返り登ったとの伝説が残る。道は山頂に直登する男坂と中腹を捲く女坂に分かれる。女坂を進む。この辺りに牧野富太郎博士が発見した天然記念物のハンノウササの茂る。小さな池が現れる。雨乞池と言い、日照りでも涸れることがないとのことである。その上部に黒田直邦の墓所がある。江戸時代、この地域を所有した大名である。ひと登りすると、多峯主山山頂に到着した。

 山頂は無人であった。この山頂も24年ぶりである。経塚がありその傍らに271.0メートルの三角点が設置されている。この山頂は展望がよい。来し方を望むと、飯能市街をバックに全山薄緑色に覆われた天覧山がすっくとそびえ立っている。とても197メートルの低山とは思えない山容である。目を左に振ると、日和田山から続く高麗川左岸稜の山並みが灰色の空をバックに長々と横たわっている。これから向かう方向を望むと、造成された大きな団地が稜線を完全に遮断し、その背後に天覚山と大高山が濃い靄の中にうっすらと浮かんでいる。設置されたベンチに腰掛け、朝食の稲荷寿司を頬張る。

 この先しばらくはルート不明である。以前は稜線上のハイキングコースがあったのだが、稜線そのものが団地造成で消失してしまっている。方向を確認して、高麗駅へのコースとなっている北西尾根を下る。コースが尾根を外れて右に下って行く地点まで下ると、尾根上はとうせんぼ。古びた看板があり「久須美坂方面へのハイキングコースは団地造成のため通行できない。代替のコースを設置したのでそちらへ回れ」との趣旨が書かれ、概略図が示されている。しかも、概略図によると、山頂から南へ下る御嶽八幡神社へのコースをしばらく辿るとのこと。何でこの看板が下り口になく、下りきったところにあるんだ。いい加減頭に来る。仕方なく登り返す。南尾根を下るとすぐに、同様の看板があり、右へ入る細い踏跡を久須美坂方面と示している。

 踏跡を下る。時々蜘蛛の巣が顔に当たり鬱陶しい。私が今日最初の通過者であることは確かである。踏跡は細いながらも確りしており、薮っぽい雑木林の中をどんどん下る。湿地帯のような谷間に一度下り、今度は造成地の柵沿いに急登する。地図に大黒山と記載されたピークと思われるところでひと休みする。ようやく雲が取れだし薄日が差す。4月上旬と思えないほど暑い。しばらく上り下りを繰り返した後、小沢に沿って下り、立派な舗装道路に飛びだした。舗装道路を上方に向かう。どこかで左に入る踏跡があるはずである。尾根上に広がる新興団地前のバス停まで舗装道路を上ってみたが、目指す踏跡は見つからない。より注意しながら引き返してみる。水のない貯水池があり、その脇に入る踏み跡の奥に赤布を見つけた。入り口に裏返しとなった看板がうち捨てられており、起こしてみると、久須美坂入口と記されている。やれやれである。

 新興団地の縁に沿った尾根道を進む。相変わらず蜘蛛の巣が顔にかかる。小さな上り下りを繰り返した後、ようやく団地の縁を離れて、本格的な山道となった。後は稜線上の一本道のはずである。檜の植林の中を登っていくと277.5メートル三角点峰に到着した。ひと休みする。ここでルートは左に90度折れる。反対側から20〜30人のオバチャン、オジチャンの大パーティがやって来た。今日始めて出会う登山者である。これでいやな蜘蛛の巣に悩まされることもない。小さな鞍部に下るとそこが久須美坂であった。見落としそうな小さな手製の標示があるだけで、何の変哲もない場所である。名栗川側からは確りした踏みとが登ってきているが、高麗川側へ下る踏跡は見当たらない。

 小さなピークを幾つも越えていく。いずれも短いと言えどもかなりの急登急降下であり、かなりのアルバイトを要す。左側は飯能グリーンカントリークラブ。ときおりプレーヤーの声が聞こえる。何人かの登山者とすれ違う。こんなコースを歩く物好きが私以外にもいる。幾つ目かの小ピークに達すると、小さな私製標示が右に分かれる微かな踏跡を「カマド山」と示している。2万5千図に山名の記載はないが、主稜線から北に張り出した支稜上の293.3メートル三角点峰である。行ってみることにする。急降下した後、小さな上下を繰り返し、最後の急登を経ると目指す頂に達した。植林の中の何の変哲もないピークである。三角点と私製の山頂標示のみがある。こんな頂に来るのはよほどの物好きだろう。主稜線に引き返す。

 縦走を続ける。相変わらず急な上り下りが続きいい加減消耗する。低山の割に何ともきついコースである。東峠まで何とか頑張ろうと思ったが、なかなか着かない。我慢出来ず、送電線鉄塔の建つ338メートルピークで草原に座り込み昼食とする。スミレがたくさん咲いている。空は完全に晴れ渡り、降り注ぐ日差しは夏を思わせる。

 重い腰を上げ再び縦走路を進む。小ピークに達すると、小さな私製標示が右に分かれる細い踏跡を「屋船山」と示している。主稜線から北に派生した支稜上の小ピークである。どうしようか一瞬考えたが、寄り道する気力も湧いてこない。さらにいくつかの小ピークを越えるとようやく車道の乗っ越す東峠に達した。ただし、標示ひとつなく、いたってつまらない峠である。切り通しの崖に危なっかしく掛けられた梯子を利用して、道路の反対側の稜線に取りつく。

 右側が伐採地となり、初めて視界が開けた。行く手には天覚山が高々とそびえ立ち、そこに向かって稜線が急角度で登り上げている。相当なアルバイトが予想される。振り返ると、高麗川左岸稜の特色のない山並みが、春霞の中に浮かんでいる。送電線鉄塔でひと休み。ここから本格的な急登となる。覚悟を決め、足下のみ見つめて一歩一歩身体を引き上げる。伐採地は終わり、樹林の中の急登が続く。

 ついに天覚山山頂に達した。山頂は無人であった。展望はないが、樹林に囲まれた静かな頂である。この頂も24年ぶりである。1980年11月、当時4歳の次女を連れて大高山から縦走し、この頂に達した。山頂に座り込んで、最後の握り飯を頬張る。時刻はすでに1時、あわよくば子の権現までと思っていたが、どうやら前坂から下山となりそうである。そうするにしても、まだ大高山を越えなければならない。天覚山の山名は山頂直下に建っていた天覚明神社に由来するのだろうが、元々は修験の山であったのだろう。山頂の一角には岩座と思われる大岩もある。天覚明神の社は今はなく、両峯神社跡と刻まれた石柱のみ立っていた。

 大高山へ向け出発する。天覚山と大高山の間はハイキングコースである。山頂直下の急坂を下る。夫婦連れが登ってきた。いくつかの急な小ピークを越える。突然樹林が薄れ、目の前に大高山が初めて全貌を現した。惚れ惚れするほど格好いい。しかし、あの高みまで登るのかと思うと、心は重い。もういい加減疲れた。さらにいくつかの急登急降下を繰り返す。木の間からちらつく大高山が次第に近づく。最後の急登に入った。足の置き場にも苦労するほどの急斜面である。杖にすがり、一歩一歩足を引き上げる。天覚山から1時間15分も掛かってようやく見覚えのある大高山山頂に達した。今年の1月以来3ヶ月ぶり、3度目の頂である。無人の山頂に座り込む。この頂も展望はない。

 山頂直下のいやな急斜面を下る。この山頂から前坂を経て吾野駅に下るコースはこの1月に歩いたばかり、もう心配することは何もない。2〜3小ピークを越えると稜線を乗越す車道に飛びだす。反対側の急斜面に取りつく。今日最後の急登のはずである。登りきって、さらに疲れた足を引きずり、いくつかの小ピークを越えると前坂に達した。時刻は3時過ぎ、これ以上縦走を続けることは時間的にも無理だ。そして何よりも疲れ果てた。ここから吾野駅に下ることにする。小休止の後、勝手知った峠道を下る。下りは早い。わずか25分で吾野駅に下り着いた。無事の下山である。

 この縦走路は低山といえ、何とタフなコースであったことだろう。それとも、私が歳をとったのだろうか。上り電車は20分待ちであった。 

トップ頁に戻る

山域別リストに戻る