鐘撞堂山と少林寺

 秋の山野草咲く北秩父の小峰へ

2000年10月8日


 
 ママコノシリヌグイ
 
寄居駅(845〜855)→大正池(920〜935)→竹炭釜(1000〜1015)→鐘撞堂山山頂(1025〜1055)→車道→羅漢山(1145〜1200)→少林寺(1215)→波久礼駅(1245)
    
 
 せっかくの3日連休、鳥甲山にでも行こうかと考えていたら、妻が何処へ連れていけと言う。先月の本白根山へのハイキングで味を占めたと見える。とは言っても2〜3時間のコースがいいと我儘である。こんなときのために用意してある山がある。寄居町の北に盛り上がる鐘撞堂山である。標高わずか330メートル、山頂まで寄居駅から約1時間のコースである。よく整備されたハイキングコースが開かれており、案内の類も多い。一人ではわざわざ登りに行く気も起きない低 山のため、私にとって埼玉県に残された数少ない未踏峰となっている。登るのにちょうどよい機会である。

 北鴻巣駅発7時55分の下り列車に乗る。山に行くにしてはのんびりした出発である。空はあいにくどんよりと曇り、残念ながら山頂からの展望は期待できそうもない。熊谷発8時17分の秩父鉄道に乗る。連休中だというのに車内は空いている。出発が遅いためだろう。寄居町に近づくと関東平野が尽き、低い丘陵が盛り上がりだす。鐘撞堂山はまさに奥秩父から続いてきた山並みが関東平野に没する最後の盛り上がりである。

 8時45分、寄居駅着。駅前に鐘撞堂山に至る立派な道標がある。国道140号線を越えて里道は山懐へと入っていく。キンモクセイの甘酸っぱい匂いが至るところ立ち込めている。前に1組、後にも1組のハイカーの姿が見える。沿うている小川の縁にはもう盛りは過ぎたが彼岸花が至るところ群生している。彼岸花は救荒作物である。昔は凶作の際に人々はこの根をかじって飢えを凌いだ。ただし、根は有毒であり食料とするには毒抜き作業が必要である。彼岸花は稲作とセットとなって縄文時代末期に大陸から渡ってきたらしい。この植物の群生する場所は古代から続く集落であると言われる。秩父山地と武蔵野の境に位置する寄居は古代に開けた古い集落の一つである。

 約30分で大正池と呼ばれる溜池に達する。休憩舎があるので朝食とする。緩やかな斜面に点在する家々はどれも近代的な作りで昔の山村の風情はすでにない。集落を抜けると地道の林道に変わる。道端にはイヌタデ、センダングサ、野菊等の見慣れた秋の野の花に混じってミズヒキがたくさん咲いている。ススキの穂も今が盛りである。

 すぐに、道標に導かれて林道を離れて山道に入る。ただし、マウンテンバイクなら十分に走れそうなよく整備された道である。道端にクローバーの花に似たピンクの花が群生している。持参した図鑑で調べてみるとママコノシリヌグイとある。初めて見る花である。樹林の中の登りとなった。やがて辺りは鬱蒼とした竹林となり、その中の小平地に竹炭釜があった。竹炭は最近環境改善材として人気があるらしい。ひと休みする。この辺りが昔の馬騎ノ内集落跡であろう。昭和54年発行のハイキング案内を見ると、当時はまだ一軒人家があり、周囲に桑畑が広がっていると書かれている。今はただ一面の竹林である。

 少し登ると、雑木林の尾根に達した。ドングリがたくさん落ちている。円良田湖方面に下る道を左に分けると、すぐに山頂直下の階段整備されたやや急な斜面が現れた。妻はヒーヒー言っているが私は汗もかかない。10時25分、あっけなく山頂に飛びだした。休憩舎の建つ山頂は南東に展望が開け、眼下に寄居の街並が広がっている。しかし周囲の山々は霞の中である。山頂には既に数組のハイカーが休んでいた。犬を連れた家族連れもいる。我々も山頂の一角に陣取り昼食とする。真っ白な猫が1匹やって来た。どうやら飼い猫らしい。ここは犬も猫も登る低山である。戦国の昔この頂に鐘撞堂があり、荒川を挟んで対峙する鉢形城の物見櫓の役割を果たしていた。敵襲来の際はいち早くこの鐘を乱打して鉢形城に知らせたのである。

 しばしの休憩の後、下山に移る。山頂直下の分岐で円良田湖方面へルートをとる。道端には相変わらずミズヒキの花が多い。道はいつしか簡易舗装された沢沿いの小道となる。何組かのハイカーとすれ違う。突然、小さく開けた沢筋いっぱいにママコノシリヌグイの大群生が現れた。まさに、目を見張るような見事さである。やがて荒れたバンガローが現れ、車道に突き当たった。角の人家の前に何と! 山頂で見かけた白い猫がいる。山頂までちょっと散歩してきたのだろう。車道をほんの少し左に進むと再び車道にぶつかる。右に行くと円良田湖を経由して波久礼駅に至る。ただし、車道を突っ切って、再び目の前の尾根に登る小道を道標が少林寺と示している。案内書によると、この少林寺の五百羅漢は一見の価値があるとある。

 尾根に向かって階段整備された山道を登る。今日初めての登りらしい登りである。妻はヒーヒー言って遅れがちとなる。約10分ほどで地図上の247メートル標高点峰の西の肩に達した。尾根をほんのちょっと左に進むと、そこが羅漢山と呼ばれる小ピークで小広く開けた山頂に釈尊の石像が立っている。休憩舎もあるのでひと休みである。ここから麓の少林寺までの道の端に510余体の五百羅漢の石像がたゆることなく立ち並んでいる。一部頭が欠けたり、叢に埋もれた羅漢もあるが、総て異なるという羅漢の表情は見ていて実に楽しい。説明書によるとこの羅漢像が奉られたのは天保3年(1832年)であるという。これほどの羅漢像をよくも造ったものだし、また盗まれもせずよくぞ保存されたものである。今日最大の収穫であった。

 少林寺からは里道である。道標が整備されているので複雑な里道も迷うことはない。集落の中の小道をのんびりと波久礼駅に向かう。里は相変わらずキンモクセイの香りが満ちあふれている。12時45分、波久礼の駅にたどり着いた。小さな小さな山旅の終着である。

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