神の坐す山 神山神流川右岸の神奈備山に登る |
2002年12月23日 |
冬桜咲く城峯公園より神山を望む
城峰公園駐車場(1200)→城峯神社→神山山頂(1230〜1235)→城峯神社(1250)→城峰公園駐車場 |
神山は神流川右岸に聳える標高732.0メートルの小峰である。二万五千図に山名の記載もあり、前々から気になっていた。ただし、地図に登山道の記載もなく、また登山案内、登山記録の類も見つからないため、どこから取り付いてよいやら思い悩む。今年の4月、城峯山から奈良尾峠、風早峠と縦走した際に、思いがけずこの山を眺めた。なかなかの山容の山で、捨ててはおけないとの思いに駆られた。地図を眺めると、北東の麓、矢納集落上部に城峯公園、城峯神社との記載がある。ここまで行けば神社の裏手辺りから山頂にいたる踏み跡があるかも知れない。悪くても登山道の情報ぐらい得られるであろう。
11時15分、金鑽神社を出発する。目指す城峯公園へのルートは、地図を眺めても道が複雑に絡まっていてさっぱりわからない。神流川右岸の道をいい加減に進むと、道は次第に細まり山中に入って行く。道路端の雪が次第に増し、少々ヤバイかなと思う頃、小さな集落に達した。住居野集落であった。かなり急な斜面に家々がへばりついている。今度は細い車道を谷底に下る。雪が多く危険さえ感じる。何とか矢納集落にたどり着いた。ようやく城峯公園を示す標示を見つけ、ヘアピンカーブを切って上部に向かう。茶店のある峠状の鞍部に登り上げると、そこが目指す場所であった。右側が城峯公園、左側に城峯神社に通じる参道がある。やれやれである。城峯公園の駐車場に車を停め、ちょうど12時、カメラだけを持って城峯神社へ向かう。 鬱蒼とした杉並木の参道を数分進むと城峯神社に達した。この神社は城峯山中に立派な社殿を誇る城峯神社の本宮と聞いていたので、それ相当の社を想像していたが、目の前の社殿は思いのほか小さく、少々戸惑う。雪の薄く積もった狭い境内に人影はなく寒々としている。ただし、道標があり、社殿の横から山頂に向かって踏み跡が続いている。山頂に奥宮があり、30分との標示である。これで神山へのルートが確保された。予想通りの展開にほっとする。 しっかりした踏み跡をジグザグを切って登り、「神社から200メートル」との標示を見ると、すぐに尾根筋に達した。あとはこの尾根をひたすら登ればよさそうである。ここからは完全の雪道になった。尾根の左右を絡みながら緩急をまじえての登りが続く。雪の上には無数の動物の足跡はあるが、人の歩いた跡はない。概ね尾根の左側は杉檜林、右側は雑木林である。眼下に神流湖がちらちら見える。次第に傾斜も増し、積雪も増す。積雪は覚悟していたが、今日も足周りはいつもの通りジョギングシューズである。足首の上まで潜るし、キックステップは利かないしで閉口するが、カメラ一つの空身である。「神社から500メートル」の標示を見、さらにひたすら雪の斜面を登る。小さなテレビアンテナがあり、「神社から800メートル」の標示を過ぎると、傾斜が緩み山頂に達した。 山頂は杉檜林の緩斜地で、最高地点に板囲いされた祠が祀られている。城峯神社奥の院との標示がなされている。城峯山中にある城峯神社奥社とはどういう関係になるのだろう。疑問が湧く。少し離れた高みに私製の山頂標示が二つばかり立木に括られている。「登山」としてこの山に登った者が私以外にもいた証拠である。眼下に木々の間から神流湖が切れ切れに見える。登ってきたのと反対側の100メートル程下にコンクリートの建物が見える。地図に記載されている電波塔記号であろう。雪の中、座る場所もないので早々に下山に移る。積雪の斜面の下りは早い。キックステップを切って、あっという間に神社に下り着いた。 下山してから、この矢納の城峯神社と城峯山中の城峯神社との関係について大いに疑問が生じた。物の本によると(例えば、角川日本地名大辞典 埼玉県)、矢納の城峯神社が本宮で、城峯山中の社はその奥社とある。本当なのだろうか。疑問点は次の通りである。一度よく調べてみる必要がある。
下山後、城峯公園を散歩してみた。一面積雪の公園には人影はない。キャンプ場などもある大きな公園で、冬桜で有名である。すでに盛りは過ぎていたが、小さな桜花が雪の中に咲いていた。 (2004年2月追記)
城峯山中の城峯神社はもともとは東京神田の神田明神の奥社であった。同じ城峯神社を名乗ることから誤解が生じたと思われる。 |