不落の山城を抱く山 太田金山南麓には子育てにご利益ある呑龍様(大光院)が甍を並べる |
2021年2月6日 |
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大光院山門前の駐車場(1100)→大光院→西山コース→金山山頂(新田神社)(1223)→金龍寺→大光院→駐車場(1340) |
予定通り、金山に登るべく太田市に向かう。道は全てカーナビまかせである。無事に太田市中までやってきたのだが、ここから先がわからない。地図もないし、細かい地理はカーナビも役に立たない。呑龍様こと大光寺付近に車を止めたいのだが、駐車場はどこにあるのやら。あっちこっち車を走らせて一方通行の小道に迷い込んだりーーー。偶然「駐車場 1日300円」の看板を見つけて空き地に入り込む。管理人もおらず門柱に「料金箱 300円」と記された缶が置かれているだけ。他に駐車している車もない。しかし、後で知るのだが、付近には無料の駐車場が沢山あるではないか。
「大光院 →」の標示に従いほんの100メートルも進むと、何と、大光院の山門に出た。車を止めた場所は、偶然大正解であったようである。広大な境内は予想に反して閑散として、1〜2組の参拝者が見られるだけである。大光院は別名「太田の呑龍様」と呼ばれ、子育て祈願の寺院としてかなり有名である。全く記憶も証拠もないのだが、私も小学校に入学するか否かの幼年の頃、親に連れられお参りに訪れた痕跡がある。そのせいか、「太田の呑龍様」と聞くと、何となく耳触りがよい。 さて、今日の計画は、金山山塊の南麓に位置するここ大光寺を出発して山塊上を北上し、山塊の北端近くに位置する239メートルの山頂を極めるつもりである。大光院へのお参りは帰路にするとして、すぐに渡り廊下の下をくぐり、本堂裏の金山山塊に取りつく。いきなり標高差60〜70メートルのややきつい直登が待っていた。どうも息が切れて思うスピードで登れない。前方で年配の女性3人連れがひーひー云いながら登っている。この女性パーティは追い越したが、別のパーティには抜かれるばかりである。縦走路は思いのほか人影が濃い。常にだれかと擦れ違う。登山道はよく整備されているが、意外に上り下りが激しい。進むに従い我が足取りはますます重くなる。4〜5歳位の幼児がすたすたと登ってくる。 道標は頻繁にあるし、トイレを伴う休憩場所もある。展望台からは眼下に広がる市街地が望まれる。展望図には視界がよければ見えると思われる彼方の山並みも描かれている。しかし今日は、晴れてはいるものの、空気の透明度はそれほど良くはない。進むに従い城跡の遺跡が頻繁に現れる。尾根を断ち切った後、石積みの遺跡、建物跡、等々。 尾根上に設けられた大きな駐車場を過ぎ、さらに重い足を引きずって進むと、目の前に本丸跡、すなわちそそり立つ金山の山頂ピークが現れた。付近はいたるところ巨大ない石積みが見られ、この城がいかに難攻不落であったかが偲ばれる。事実、戦国時代北条方に属したこの城は、越後の上杉、甲斐の武田の攻撃にも耐え抜いた。豊臣秀吉の北条攻めにより北条氏の本丸・小田原城が落城した際に金山城は自ら城門を開いた。
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