蒲原丘陵 大丸山、金丸山 

咲き誇る野の花の中、岩渕単成火山群を歩く

1996年9月8日

              
 
蒲原駅(655〜700)→霊光禅院(710)→大丸山登山口(820〜825)→見晴観音(850〜855)→大丸山(910〜940)→大久保山(955)→大平山広場(1020〜1025)→万葉広場入り口(1050〜1055)→車道(1120)→金丸山(1135〜1145)→大師広場(1155〜1200)→富士川駅(1300)

 
 新幹線下り列車が新富士駅付近にさしかかると、行く手富士川の対岸にいくつもの丸いなだらかな小ピ−クを連ねた低い山並が現われる。ただし、冬ならば視線はこの山並みの背後に見える真っ白な南アルプス連山に注がれてしまうだろうが。この富士川と由比川の間に低く盛り上がった山並を蒲原丘陵という。この丘陵は、何と今から70万年前に噴火した古い火山の集まりであるという。箱根山や愛鷹山が噴火したのが40万年前、現在の富士山は10万年前と言われているので相当古い。しかも単成火山の集まりであるという。火山は普通、何千年何万年にわたり噴火を繰り返して大きな山になるが、単成火山とはただ一度の噴火で終了してしまう火山のことである。この種の火山は伊豆半島東部に集中しており、大室山、小室山などが典型的である。なるほど、大丸山や金丸山などこの富士川西岸の山々もかわいらしい丸い形をしている。以上のことを静岡県地学会編の「駿遠豆 大地見て歩き」という良書で知った。

 この山域は山容もなだらかなで、さらに位置的にも富士山、駿河湾、伊豆半島、南アルプスの好展望台であるため、大丸山周辺は蒲原町がピクニックコースを、また金丸山周辺は富士川町が「野田山健康緑地公園」としてリクレーション施設を整備している。大丸山から金丸山と歩いてみよう。ちょうど軽い一日コースである。この季節、秋の山野草が咲いているだろうし、ピクニックコースゆえ藪の心配もなかろう。ただし、この両地域を結ぶハイキング案内がないのが気になる。7時、蒲原駅を出発する。天気予報とは裏腹に空は厚い雲に覆われ、今にも降りだしそうである。大丸山コースの入り口がうまくわかるか心配であったが、駅前に立派な道標が立っていた。蒲原の街並を抜け、急坂を登って街並背後の台地に到る。霊光禅院の前を通り、大丸山に続く農道を緩やかに登って行く。やがて人家は絶え、道の両側はみかんやキウイの畑となる。みかんはまだ青い。道端には紫のツユクサ、薄紫のタマアジサイ、真っ白なセンニンソウ、赤紫のクズ、朱色が目立つキツネノカミソリなどの花が咲き誇っている。行く手には大丸山のまんまるい姿がよく見える。振り返ると、細長く伸びた蒲原の街並の後ろに波打ち際が白く浮き上がり、灰色の駿河湾の向こうには伊豆半島がうっすらと霞んでいる。今日は視界が悪いが、冬ならばすばらしい景色であろう。たどっている台地状の尾根の両側は絶壁となって大きな深い谷となっている。言われてみれば火山特有の地形である。登るに従い、道端の野の花はますます種類を増す。ミズヒキ、ヤブミョウガ、マルバハギ。珍しい花を見つけた。キカラスウリの花である。図鑑によると、この花は日の出とともに閉じてしまい滅多に見ることはできないとある。クズがいたるところにその旺盛な蔓を伸ばし、紫の穂を掛けている。

 開けた感じの荒れ地を過ぎると、道標があり、左に大丸山への登山道が分かれる。雑木の中を緩く登る。道は確り整備されているのだが、歩く人が少ないとみえ夏草が生い茂っている。蜘蛛の巣が道を塞ぎ、草藪からは蛇が這い出してきそうである。道の状況は期待外れである。しかし、その反面、野の花が相変わらず多い。特にスルボの赤紫のかわいらしい穂状の花が到るところに咲いている。善福寺林道分岐、「見晴観音」との標示のある小平地を過ぎると、檜林の中の道となった。林の中は草むらもなく、すいすい登れる。やがて中腹を大きく巻くトラバース道となる。所々現われる嫌な草藪をかきわけて進むと蒲原分岐。さらに少し急な草藪の道を登ると山頂に達した。大きな送電線鉄塔の立つ山頂は広々とした芝地で、その中に点々と山百合が咲いている。コバギボウシやソバナのかわいらしい紫の花も見られる。すばらしい場所であるが、人影はまったくない。天気は回復基調で薄日が差してくる。芝生に座り込み、稲荷逗子を頬張る。すばらしい展望なのだが、今日は駿河湾が灰色に霞んでいる。

 さて、ここから大平山を経由して金丸山までうまくたどり着けるか自信がない。二万五千図にはル−トの記載はないし、持参の蒲原町及び富士川町発行のパンフは、見事なほど自分の山域きり記載していない。両山域がどう結ばれているのかまったくわからない。「大久保山広場」への道標に従い山頂を後にする。すぐにすごい藪道となった。遊歩道として整備された跡はあるのだが、生い茂る夏草が完全に道を覆い、どこが道かわからない。林に入ると本来の遊歩道が姿を現す。少し登ると「大久保山広場」に達した。公園風に整備された芝生の小平地でベンチなどが設置されている。しかし、芝生は伸び放題で、人の訪れた跡はない。ヤマカガシが慌てて芝生の中を逃げていく。さらに藪道をたどる。最近目が悪くなったと見えて、時々蜘蛛の巣を見落とし、顔に掛かる。なんとも鬱陶しい。たどっている遊歩道は「静清庵自然遊歩道」との標示がある。この自然遊歩道の標示は安倍奥や興津川奥を歩いていると時々見かけるが、全体像が不明である。道端にヤマホトトギスを見つけた。なんとも変わった花である。

 樹林の中を緩く登ると鞍部状の三叉路に出た。蒲原町の立てた立派な道標は左の道を「静清庵自然遊歩道」、右の道を「大平山広場」と示しているが、当然あって然るべき「金丸山」あるいは「野田山」の標示がない。ここまで縄張り意識が徹底すると見事である。さてどっちの道をとるべきか。この山域は尾根筋もなく、特徴のない小ピークが連続しているので現在位置はよくわからないが、地図上の598メートル標高点ピ−クとその南の約580メートルピ−クの鞍部と思える。「大平山」という山名は二万五千図には記載がない。この約580メートルピークを呼ぶのだろうか。道標をよく見ると小さな落書きがあり、左の道を「野田山」と書かれている。大助かりである。なんで道標にこれが記載できないのだ。怒りを覚える。まず大平山に行ってみようと右の道をとる。緩く登ると送電線鉄塔の立つ雑木の茂る高みに達するが何の標示もない。少し下るとそこが「大平山広場」であった。芝生の小平地でベンチやテーブルが設置され公園風に整備されているが、芝生は伸びほうだいで踏み込めないほど藪化している。

 先ほどの三叉路に戻り、左の道を進む。杉檜の中の確りした道を下ると、右に「大師広場」への道が下る。しかし夏草が生い茂りとてもたどる気にはならない。たどっている道には「静清庵自然遊歩道」の標示が頻繁にあるが、行く先は何も示さない。右にカーブ気味に緩く登り、ベンチのある小平地を過ぎて杉檜林の中の平坦な道を進むと、「万葉広場へ」の標示が左を示している。ここは地図上の569.0 メートル三角点の近くのはずである。いったいこの自然遊歩道はどこへ通じているのだろう。いくらなんでもどこかに金丸山への標示はありそうなものだが。緩い下りに入ると、なんと進んでいる方向を「松野」と標示する道標が現われた。このままだと松野集落に下ってしまうようだ。となると、金丸山方面へは先ほどの「万葉広場」または「大師広場」のルートをたどるしかない。戻って「万葉広場」の標示に従う。ただし、不思議なことに樹林の中に踏み跡はない。構わず緩く下っていくと、ベンチとテーブルのあるところへ出た。ここが「万葉広場」なのだろう。確りした踏み跡をどんどん下ると車道に飛び出した。大きな案内地図があり、ようやく現在地が明確となった。この舗装道路は金丸山と先ほど迷った569.0 メートル三角点峰との鞍部に富士川町から登ってきた車道である。自信はなかったが、これまで私が把握していた位置確認は正しかったことになる。

 車道をたどって、金丸山の南面に大きく廻り込むと、そこが「金丸広場」と呼ばれる、広大な芝生の広場であった。キャンプやバーベキューができるようになっていて、何組もの家族連れが昼食を楽しんでいた。実に展望がよいが今日は生憎である。広場を横切りひと登りするとそこが金丸山山頂である。ただし雑木の中で、何の標示もなく無粋な貯水槽のような設備が置かれていた。一休み後、西に下って大師広場へ出る。芝生の広場やアスレチック施設がある。いよいよ富士川町への下りに入る。唯一の歩道コースである四十九コ−スをたどる。オートバイでも走れそうな小道であるが時々蜘蛛の巣が顔に掛かる。ということは、今日この道を歩くのは私が初めてということである。歩いて野田山公園に登る人などいないのだろう。実相院から里道となった。中之郷の集落を抜け、東名高速を潜ると、富士川駅はすぐであった。