外秩父 金ヶ嶽、葉原峠、大平山

  外秩父主稜線の末端を歩く

2017年12月9日


 
 野上集落の高砂橋から望む金ヶ嶽
 長瀞CC付近より望む大平山
                            
秩父鉄道野上駅(755)→金ヶ嶽登り口(810)→葉原峠分岐(844)→春日神社(850〜855)→御嶽大神の碑(908)→植平集落分岐(924)→岩根山分岐(930)→植平峠(944〜953)→葉原峠(956)→大平山(1010〜1015)→521メートル峰(1028〜1038)→ゴルフ場(1105)→金尾山登山口(1130〜1135)→金尾山(1145〜1200)→秩父鉄道波久礼駅(1222〜1228)

 
 比企三山の一つ大霧山から皇鈴山、登谷山、釜伏山などを盛り上げながら真っ直ぐ北へ伸びる一本の顕著な尾根、いわば外秩父の主稜線とも呼ぶべき山稜である。この山稜の末は荒川にぶち当たって終わるが、この圧力により荒川は大きく北へ押し上げられ湾曲を余儀なくされている。この山稜自体はゆったりした穏やかな山容であり、ハイキングのよきフィールドを提供している。私も何度も歩いたし、また、「外秩父七峰縦走ハイキングコース」のフィールドでもある。しかし、ハイキングコースの開かれているのも葉原峠まで、それより北部、荒川に没する末端部には、ハイキングコースは開かれていない。私の足跡も大霧山から北に向って塞神峠までは続いているが、そこから北は未踏である。この未踏部分が前々から気になっている。気掛かりを片づけるべく、勇んで早朝家を出た。今日は一日穏やかな晴天が約束されている。

 7時55分、秩父鉄道の野上駅に降り立つ。晴天の土曜日とあって車内には多くのハイカーが乗りあわせていたが、降り立ったのは私一人であった。駅のホームから東を眺めると、連なる山並の中で三角形の形よい山がひときわ目立つ。これから登る金ヶ嶽である。ただし、ちょうど顔を出した朝日が正面から光を浴びせるため眩しくて凝視できない。

 踏切を渡り、野上集落内を東へと向う。正面には金ヶ嶽ヶ見え続けている。昨夜の雨による水溜まりには、厚い氷が張り、持参のスティックで少々叩いたぐらいでは割れない。集落内では行きあうとみな朝の挨拶をする。何とも気持ちがよい。女子高生に丁寧に挨拶され、何となくこちらが照れる。都会では考えられない風景だがーーー。

 荒川を高砂橋で渡ると、国道140号線に行き当たる。そのすぐ右側に鳥居が見え、ここが春日神社参道入り口、即ち、金ヶ嶽の登山口である。金ヶ嶽山頂に春日神社が祀られているのである。オフロード車なら走れそうな幅4〜5メートルの登山道が谷に沿って上部に続いている。ただし入り口には鎖が張られ、「車、オートバイは通行禁止」の立て札。

 辿る登山道は地肌が見えないほど厚く落ち葉に覆われている。辺りに人の気配はまったくしない。10分ほど登ると、幅広い道は終わり、ありふれた登山道となった。小楢や檜の林の中の露石の多い道である。展望は一切ない。途中道標があり、行く先を「春日神社」、来し方を「法善寺、野上駅」と示している。

 登山口から30分少々登ると葉原峠分岐に達した。確りした道標が右に分かれる小道を「植平・岩根山・葉原峠」と示している。実は今回の山行で、金ヶ嶽から葉原峠に向うルートがうまく見いだせるか心配していた。まさかこのように、道標まである明確なルートがあるとは想像していなかった。これでひと安心である。

 この分岐からわずか五分ほどで春日神社、即ち金ヶ嶽山頂に達した。ピークのわずか下の平坦地に思いのほか確りした神殿が建っている。春日神社である。今日の無事を祈る。神殿裏手のピークに登ってみる。金ヶ嶽山頂である。しかし、檜の大木が立ち並んでいるだけで山頂標示すらない。もちろん、展望もない。何ともがっかりする頂きであった。山頂も神殿前も陽があたらず寒い。早々に出発する。

 葉原峠分岐まで戻り、道標の示す道に入る。すぐに、小ピークの上に「御嶽大神」と刻まれた大きな石碑を見る。山岳宗教の痕跡なのだろう。弱い尾根地形を進む。右側、樹林の隙間から切れ切れながら両神山が見えた。ただし、ルートはどこまでも樹林の中、展望に関しては絶望的である。檜の樹林の中に「秩父農工高等学校森林科学科」と書かれた白杭を見る。学校の実習林なのだろう。今度は左側の奧に、木々の隙間からこれから向う外秩父主稜線がちらちら見える。大平山とそこから北へ続く山稜辺りであろうか。

 左側が絶壁に近い急斜面となって落ち込むトラバース道を恐々進むと、三叉路に達した。道標が左に曲がるルートを「岩根山・葉原峠」、右へのルートを「二十二夜堂・植平・塞神峠」と示している。辿るべきルートは左だ。すぐにロープが張られた急登となった。ただし、ちょっと大袈裟、ロープの世話になるほどの傾斜でもない。登りきると再び道標があり、岩根山・岩根神社へのルートが左に分かれる。

 目の前に急な登りが現れた。どうやら外秩父主稜線へ達する最後の登りと思われる。今日はまだまだ体力十分である。足早に登り上げると、予想どうり、そこは外秩父主稜線の一画、目指す植平峠であった。ただし、峠の標示はなく、道標を兼ねたコンクリートの四角い杭が縦走路の真ん中に打ち込まれていた。私の登ってきた西面の登山道を「植平」、南に向う主稜線縦走路を「日本水・釜山神社」、北へ向う縦走路を「葉原峠・みかん山」と標示している。東面に下る道はなく、峠と言っても三叉路である。東面は樹林も疎で、展望も利く。今日初めて腰を下ろし、握り飯を頬張る。朝から何も食べていない。陽の光が暖かい。辺りに人の気配はない。

 主稜線上の縦走路を北へ向う。確りした登山道である。緩やかに進むとわずか数分で葉原峠に達した。残念なことに「ふれあい林道葉原線」と標示された鋪装道路が乗越ている。少々興ざめである。しかし、この峠は、同じく主稜線上に位置する仙元峠、塞神峠と並んで、昔から人々の生活を支えた歴史ある重要な交通路であった。通る車とてない峠にしばしたたずみ、感慨にふける。

 大霧山からこの外秩父主稜線上を続いてきた縦走路、即ちハイキングコースもこの葉原峠でお終いである。ハイキングコースは左(西)の長瀞町へ、右(東)の寄居町へと下っていく。ただし、主稜線そのものはなおも北へと続いている。そして、私もまた、このハイキングコースのない稜線をさらに北へ進むつもりである。

 峠の反対側の山稜に取り付く。もちろん、ここから先は道標の類いは期待できない。幸い、稜線上には割合はっきりした踏跡が続いている。ただし、この踏跡はもはや登山道ではない。どこに通じているかも分からない。細心の注意をもって辿らなければならない。すぐに目の前にピークが現れた。辿ってきた踏跡は稜線を離れ、ピークを右から巻きに掛かる。ただし、稜線上を忠実に辿る弱々しい踏跡もある。巻き道に数歩踏み込むも、胸騒ぎがして、改めて稜線上の弱々しい踏跡に踏み込む。無駄なアルバイトになるかも知れないが、忠実に稜線を辿ったほうが間違いはないとの思いである。頂近くなると踏跡も絶えた。山頂直下の急斜面を遮二無二登る。

 ポンと飛びだした山頂は小広く開けた平坦地で、その真ん中に三角点が確認できる。三角点名称「小林山」、538.6メートルの三等三角点である。何と、この頂きが目指した大平山(小林山)だったのだ。先ほど巻き道を選択せずに大正解であった。ただし、この山頂には山頂標示もない。せっかく登ったのに寂しいかぎりである。また、周囲を立ち木が覆い、展望もない。何とも残念な頂きである。山頂に座り込み一休みする。

 さらに稜線を北へ辿る。ただし、大平山山頂から先に進む踏跡は確認できない。持参の二万五千図を読む。この山頂からいったん西に下って、それから北へ進むのがルートのようである。潅木を蹴散らし、西側に下る。と、北へ向う弱々しい踏跡が現れ、「治山事業(保安林改良)施工地」と記した看板を見る。わずかな登りとなった樹林の中を進むと踏跡は次第にはっきりしてくる。辿る尾根は大きく開け、深い森林の中の平坦な地形となる。辺りは静まり返り物音一つしない。

 さらに進むと緩やかなピークに達し、尾根はその先で急激に落ち込んでいる。どうやらここが地図上の521メートル標高点ピーク、即ち、辿ってきた長大な外秩父主稜線の終点のようである。木漏れ日の当たる枯れ草の上に座り込み握り飯を頬張る。

 さて、いよいよ下山に移る。この521メートルピークから外秩父主稜線は北東方向と北西方向の二つの支稜に分かれて急激に下っている。それにともない、辿ってきた踏跡も各々の支稜上に分かれ続いている。ただし、その踏跡は極めて弱々しい。私は北東に下る支稜を選択する。この支稜を下れば、長瀞カントリークラブというゴルフ場に下り着くはずである。

 弱い踏跡に踏み込む。急な下りである。すると、何と、何と、斜面に沿ってロープが張られている。明らかに急斜面での歩行補助用に張られたロープである。しかし、なぜこんな場所にーーー。ここは登山道ではないし、通る人などめったにいない薮の中である。その証拠に、ロープはあれどそれに沿った踏跡はほとんど確認できない。多いに不思議なロープである。

 ロープの張られた急斜面を下りきると、踏跡は完全に消えてしまった。あのロープは何だったのだろう。ますます分からない。深い樹林の中の斜面を下薮の潅木を蹴散らしながらひたすら下る。と、薮の中に場違いのごとく点々とゴルフボールが現れだした。オヤと思いさらに下ると、すぐにゴルフ場の上部に行き当たった。ただし、樹林との境には電気柵が張り巡らされていて中には入れない。さて、どっちへ行ったものか。しばし、電気柵に沿って樹林の中を右往左往する。結局、電気柵に沿って右側に逃げ、危なっかしい急斜面を何とか突破し、ゴルフ場脇の林道に下り立った。やれやれである。すぐにゴルフ場の駐車場に出た。今日は好天気の土曜日、駐車場はゴルファーの車で満車である。

 荒川河畔からゴルフ場に登ってくる取り付け道路をひたすら下る。通る車とてない。右側後方を振り返ると、辿ってきた大平山とそこから521メートル峰に続くゆったりした尾根が真昼の太陽のもと、光り輝いている。その左手奧には登谷山のゆったりした山容も望める。下り坂を30分も歩き続けると、荒川右岸を走る県道82号線(長瀞玉淀自然公園線)に達した。これでひとまず今日の登山計画は無事終了である。秩父鉄道の波久礼の駅まではここから歩いてわずか15分程の距離である。ところで、今日は野上集落を出て以来ここに到るまで山中ただ一人の人影も見ていない。晴天の土曜日、一体どういうことなんだろう。

 駅に向う前にちょっと立ち止まって考えた。時刻はまだ正午前、このまま帰るのももったいない。もうひと山稼いでいこうか。取り付け道路と県道との合流点のほんの10メートルほど先の県道反対側に「金尾山登山口」との標示があり、立派な遊歩道が上部に続いている。「金尾山」とは荒川右岸に聳える標高229メートルの小峰で、別名「要害山」「愛宕山」「つつじ山」とも呼ばれる。荒川の侵食作用により生じた残丘と思われる。戦国時代には鉢形城の支城が築かれ、現在はつつじの名所として知られている。

 躑躅や各種花木の植えられた山肌に刻まれた遊歩道を登る。さすがに登りは少々疲れを感じる。山頂直下には愛宕神社が祀られており、山頂には展望櫓が設置されていた。中年の男性が先着していたが私と入れ替わりに下っていった。展望台に陣取る。さすがに360度の大展望である。北を眺めればすぐ目の下に荒川の流れが見え、その背後に陣見山が大きく盛り上がっている。そして、西を望めば、蛇行する荒川が奧へ伸び、その背後に陣見山より続く山並が雨乞山を盛り上げている。東をのぞめば荒川の流れと寄居の町並みが望め、行く筋もの低い山並が関東平野へと没していく様子が見える。握り飯を頬張りながら、一人絶景を楽しむ。

 ちょうど12時、山頂を辞し秩父鉄道の波久礼駅に向う。荒川を寄居橋で渡ると、駅は目の前である。わずか5分の待ち時間で上り電車がやって来た。乗り込んだ乗客は私一人であった。、
 

登りついた頂き
   金ヶ嶽      370 メートル
   大平山(小林山)  538.6  メートル
           金尾山      229     メートル
         

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