観音山

降雪の中、札所31番観音院の裏山に登る

2001年1月14日


 
観音院(750〜800)→牛首峠(820〜825)→日尾城跡(830〜840)→日尾分岐(850)→観音院分岐(855)→稜線(910)→観音山(915〜930)→落葉松峠(1000〜1005)→光源院(1035)→国道299号(1045)→栗尾(1050)→地蔵寺(1115)→観音院(1130)

 
城峰山を望む
 
 観音山と呼ばれる山はおそらく全国に無数あるだろう。私の知るだけで埼玉県にも3座ある。今日登るのは秩父の小鹿野町郊外、秩父札所31番観音院の背後に聳える観音山である。この山はときどき案内の類を目にするが、一般的な登山ハイキングの山とは言い難い。しかし、二万五千図「長又」にも山名が記載されている三角点峰であり、登り残して置くわけにもいかない。一般的な登山コースは観音院の裏手から山頂に直登するもので、一時間もあれば登れる。ただしこのコースではわざわざ登りに行く価値もない。どのような登山コースを設定するか、地図を眺めて考えた。交通不便なため車で行かざるをえず、ルートは自ずから制約される。白石山に続く西の鞍部に牛首峠があり破線が乗越している。また、千鹿谷集落を隔てる東の鞍部には落葉松峠があり、細い車道が乗越している。この二つの峠を結んで歩いてみることにする。コースの状況は分からないが、これとて下山後の車道歩きを含めても半日コースである。

 6時半、日の出前に家を出る。去る8日の成人の日に関東一円に大雪が降った。昨日鴻巣から眺めた奥武蔵の山々はまだ真っ白であった。念のため、この冬初めてザックの中にロングスパッツと軽アイゼンを用意する。秩父盆地に入ると予想通り畑もまだ一面の雪である。山には残雪が多そうである。国道299号線から観音院への道に入る。地蔵寺を過ぎ、観音院山門前の駐車場に車を停める。

 8時、登山を開始する。牛首峠に続く沢沿いに期待通り山道がある。どうやら牛首峠まで確りした道が続いているようである。ただし道は完全に雪に覆われトレースはない。この一週間誰も歩いていないということだ。今日はこの冬最大の寒波が押し寄せており、天気予報は関東地方でも山沿いは雪である。見上げる空は雪雲に覆われ、日も差さず寒い。積雪は足首程度であり、幸いスパッツは必要ない。途中、昇竜ノ滝、岩神ノ滝の標示があり枝沢沿いに微かな踏み跡が分かれるが、わざわざ寄り道する気も起きない。寒々した谷間を進む。やがてルートは大岩の間を縫うように詰めに入る。わずかに急登すると、牛首峠に達した。峠というより二つの大岩の間の人がやっと通れるような狭い隙間である。帰ってから調べてわかったことだが、この岩を真っ二つに断ち割った隙間は日尾城の防御用掘切で、人工的なものとのことだった。一休みしていると、なんと! 雪が激しく降ってきた。寒風が吹きぬけ寒い。早々に出発する。

 岩に掛けられた木製のはしごを登り稜線に出る。雑木林の尾根には倉中(倉尾中学)生徒会の名による確りした道標が要所要所にある。観音山までのルートも心配はなさそうである。炭焼釜跡を過ぎ、谷状の杉林の中を緩く登ると尾根に突き当たる。観音山は右であるが、道標が左の踏み跡を「日尾城跡まで50メートル」と示している。立ち寄ってみる。雑木林の中の小ピークで、城跡を示す碑とベンチが置かれていた。この城は戦国時代の山城で鉢形城の支城として上州から侵略してくる甲斐武田勢力に備えたものとのことである。木の間隠れに観音山が見える。絶壁に近い急斜面をもって鋭くそそり立っている。

 小峰を巻くとクサリ場が現れた。凍り付いた岩場を慎重に登る。ベンチのある小峰を過ぎるとすぐに道標があり、日尾集落への道が左に分かれる。尾根筋を離れ、観音山を右から巻くように5分も進むと観音院からの登山道と合した。すぐに樹林の中の急登となる。丸太で階段整備されたジグザグ道である。息せき切って稜線に達すると雑木林の間から北側に合角ダムが見える。合角集落を水没させて最近造られたダムで私の二万五千図にはまだ記載されていない。左にわずかに登ると待望の観音山山頂に達した。雑木林に囲まれ、三角点とベンチが一つあるが山頂標示はない。相変わらず雪が舞っており休むと猛烈に寒い。木の間から南に展望は得られるが、全ての視界を雪雲が覆い隠している。最近人の登った気配はない。わびしく一人握り飯を頬張る。

 予定通り落葉松峠に向け縦走を開始する。期待していなかったが、このルートも確りした道があり、道標も要所要所にある。いったん大きく下る。登りかえして気持ちのよい雑木林の尾根道を緩やかに下る。このルートにもトレースはなく、鹿と思われる足跡が続いている。いつしか雪も止み、葉をすっかり落した木々の間に展望が広がる。左前方に城峰山が大きく聳えている。北秩父の名峰である。標高わずか1038メートルに過ぎないのだが、実に大きく見える。左側に続く山並みは上武国境稜線の山々であろうが、同定できない。中に一際目立つ山がある。しばらく考えてようやくわかった。御荷鉾山である。 さらに進むと今度は右側に視界が開けた。眼下に秩父盆地が広がり、その先に武甲山が三角錐の白い山容を一際目立たせている。その右に続くのは熊倉山や矢岳などなのだろうが雪雲が半ば覆い隠している。雪を踏んでどんどん下ると、ちょうど10時、落葉松峠に下りついた。山中わずか2時間、小さな縦走の終了である。簡易舗装された小道が稜線を乗越している。しかし、道を雪が覆い、車の通った形跡はない。峠を寒風が通りぬけ休むと寒い。

 ここからはひたすら車道を歩いて車まで戻ることになる。すぐに千鹿谷集落へ続くと思われる山道が左に分かれるが道標はない。車道は雪が薄く覆い所々氷結していて実に危険である。慎重に進むがついにスッテンコロリン、手のひらをしたたか打つ。やがて新道に合した。地図には載っていなかったが立派の車道が出来ており、トンネルで合角ダムに抜けている。ダムと一緒に作られたのだろう。時折車の通る車道を進む。やがて飯田集落に達し、立派な寺の門前に出た。萬松山光源院とある。説明版によると、この寺は戦国時代甲斐武田の保護下にあったようで寺への乱暴狼藉を禁じた武田の文書が残っているとのことである。北条勢力下の日尾城、武田勢力下の光源院、この辺りは鉢形城を拠点とする北条の勢力と国境を越えてきた武田の勢力との接点にあったようである。

 299号線をしばらく辿り栗尾集落より地蔵寺、観音院への道に入る。岩殿沢集落の中を進む。前方に登ってきた観音山がひときわ高く聳え立っている。ここから眺めるとなかなかの山である。凍り付いた道を恐る恐る進み、11時半、観音院山門前の愛車に帰り着いた。 

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