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秋山平の山毛欅の原生林
長沢橋バス停(840〜845)→ 変電所(905〜910)→ 玉原越え入口(920〜925)→ 玉原越え(1020〜1035)→ トンネル入口(1045)→ 尼ヶ禿山(1115〜1130)→ 迦葉山(1325〜1340)→ 弥勒寺(1415〜1430)→ 迦葉山バス停(1510) |
「迦葉山(かしょうさん)」とは沼田市の奥に鎮座する天狗で有名な弥勒寺の山号である。そしてまた、その背後に聳える1322.4メートル三角点峰の山名でもある。ただし、山号としての迦葉山の方がはるかに有名であり、「迦葉山」と言えば、一般的には弥勒寺を意味する。一方、山名としての迦葉山は、二万五千図に山名記載はあるものの、「日本の山1000」にも選ばれていないし、山と渓谷社の「分県ガイド 群馬県の山」にも載っていない。
前々から、弥勒寺には一度行ってみたいと思っていたが、迦葉山には特段登山意欲は湧かなかった。ところが、迦葉山の北に聳える尼ヶ禿山から縦走が可能なことを知る。しかも、山毛欅の原生林の中の縦走路だという。にわかに登山意欲が湧いてきた。 北鴻巣発6時5分の高崎行き一番列車に乗る。日本中お盆休みで民族大移動が行われているが、この早朝の鈍行列車はガラガラである。高崎で水上行き鈍行列車に乗り継ぐ。この列車もガラガラ。おそらく、上越新幹線は満員なのだろうが。空気の澄んだ季節なら、車窓に溢れる山々も、今日は淀んだ空気の中に赤城山と榛名山が墨絵のように見えるだけである。 この夏は猛暑である。東京では昨日まで新記録となる39日連続の真夏日が続いている。日本一暑いといわれる私の住む熊谷近郊では連日35度を越す熱波に包まれている。今日も暑くなりそうであるが、前線が南下して夕方から雨、気温も急激に下がるとの予報である。下山するまで、何とか天気がもってくれればよいが。 水上着8時11分、すぐに8時17分発の湯ノ小屋行きバスに乗る。乗客はわずか二人。バスは利根川に沿って山懐へと入って行く。北アルプスや南アルプスは大賑わいだろうが、こんな上州の無名の山に登るものなどいないとみえる。今日も静かな山が楽しめそうである。水上奥利根スキー場を右手に見て藤原ダムを渡る。トンネルを抜けた所が長沢橋バス停であった。一人降りる。周りには人っ子一人、人家一軒ない。何の標示もないが、入り口に鎖が張られた1本の舗装道路が山中に向っている。この道が登山ルートと思える。はるか上空の尾根筋には発電設備と思える大きな建造物が見える。そこへ向う道路なのだろう。 案内書を確認し、鎖を潜り、舗装道路を進む。道はすぐにトンネルとなり、大きくヘアピンカーブを繰り返しながら、次第に高度を上げる。空はどんよりと晴れ渡り、今日も下界は暑くなりそうである。しかし、道端には萩の花、葛の花が咲き、もはや秋の風情である。蝉の声を聞きながら、舗装道路を20分も進むと、大きな変電所設備があった。但し人影はない。さらに大きなヘアピンカーブを過ぎると、初めて道標があり、山中に向う細い踏み跡を「玉原方面」と示している。ここが登山口である。 夏草の繁茂を心配しつつ踏み込んだ踏み跡は、意外にしっかりしており、下草もない。谷の上部に沿って広葉樹林の中を進む。やがて、静まり返った樹林の中に、かすかに水音がこだましはじめる。左前方に顕著な滝が見えてきた。風の音すらしない深い樹林の中に、滝音のみが滔々と響き渡る。なんとも幽玄な雰囲気である。滝上で流れを横切り、原生林の中を緩やかに登っていく。木漏れ日も差さない山毛欅の原生林がどこまでも続く。熊公がひょいと目の前に現れそうな雰囲気である。 道標はもちろん赤布もないが、原生林の中の道は相変わらずはっきりしている。この道をたどる登山者が多いとも思えないが。実はこの道は元来登山道ではない。沼田地方と藤原地方を結ぶ昔の峠道なのである。もちろん、現在峠道としてこの道を利用するものはいない。物好きな登山者が時折利用するだけのはずである。 やがて道は谷筋をはずれ、急な九十九折れとなって上部に向かう。急登ではあるが、さすが峠道、何とも登り安い。心地よいリズムに乗ってグイグイ高度を上げる。風もない原生林の中だが、空気はひんやりして涼しく、汗もかかない。この急坂を葡萄坂と呼ぶ。山葡萄の木が多いためという。足元で何かが跳ねる。目を凝らしてみると小さな蛙である。相変わらず道は下草もなく歩きやすい。やがて、上空が開け、稜線が近づく。 10時20分、ついに稜線に飛び出した。稜線には細い砂利道の林道が走っており、いささか情緒はない。ここに登山口以来初めて道標があり、反対側へは玉原湖への踏み跡が下っている。この地点が玉原越えと呼ばれる古い峠である。登山口からノンストップでここまで登ってきた。道端に座り込み、パンを頬張る。見上げる空はいつの間にかどんよりと曇り、雨模様である。何とかもってくれればよいが。 案内書と道標を確認して、稜線林道を右に進む。林道は最近車の通った気配もない。切り通しを抜け、ゆるく下ると、すぐに、舗装された立派な林道に出た。玉原湖から登ってきた林道だが、一般車は通行禁止とみえ、車の影はない。林道を右にゆるく登って行く。10分も歩くと、林道はトンネルとなる。ただし、入り口は封鎖されている。その手前に尼ヶ禿山を示す道標があり、右に登山道が分かれる。ゆるく鞍部に下ると、思い掛けず小さな水流があった。山毛欅の大木の茂る小さな鞍部を流れるせせらぎ。なんとも気持ちのよいところである。 尼ヶ禿山への登りに入った。空は真っ黒な雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうである。足は自然と速まる。下草に隈笹が目立つようになる。送電線鉄塔で玉原湖への道を左に分けると、本格的な登りとなった。道型はしっかりしているが両側から張り出す隈笹がうるさい。いくつかの倒木も道を塞ぐ。迦葉山への縦走路分岐を過ぎ、潅木の中を急登すると絶壁の淵に出た。南側が急斜面となって切れ落ちている。縁に沿ってわずかに登ると、そこが尼ヶ禿山の頂であった。当然誰もいない。今日はバスを降りてから誰一人出会っていない。 山頂に着くと同時に、ついに雨が降ってきた。天気予報は夕方から雨とのことであったが、まだ昼前である。慌てて雨具をつける。山頂は南面に視界が開けていて、雨に煙る視界の先に、赤城山が、その右には子持山が、薄黒く見える。その前に横たわる大きなテーブルマウンテンは上州三峰山だろう。右端奥には榛名山の姿も確認できる。もっとゆっくりしていたいが、雨脚がどんどん強まる。早々に山頂を辞す。それにしても、尼ヶ禿山(あまがはげやま)とは何ともユニークな山名である。何か謂れでもあるのだろうか。 迦葉山分岐まで戻ると、今日初めてのパーティに出会った。男女二人が木陰で大慌てで雨具を着けている。そのすぐ下にも1パーティ。いずれも迦葉山から縦走してきたようだ。踏み込んだ縦走路は隈笹に覆われ、道型ははっきりしているものの思ったより悪い。激しい雨の中、隈笹を掻き分けての前進となった。小さなピークをいくつか越えて進むうちに、雨も小降りになった。隈笹もいつしか薄れ、気持ちのよい山毛欅の原生林の中の尾根道となった。一定間隔で迦葉山までの距離表示もあり、縦走路はよく整備されていて、もはや不安はない。いつしか雨も止んだ。しかし、道脇の藪はびしょびしょであり、雨具はつけたままである。 どこまで行っても人の気配はまったくない。原生林の中は小鳥の声も蝉の鳴き声もなく、静寂そのものである。さらに小ピークをいくつか越えて進むと、私はいつしか夢のような森の中に迷い込んだ。たどってきた稜線は広々と開けた緩斜地に姿を変え、山毛欅の大木が鬱蒼と茂る大原生林が現れた。雨に濡れた森は鮮やかな緑に包まれ、ただひたすら静まり返っている。あまりの美しさに歩みを止め、森の精の囁きに耳を澄ます。これほどの原生林がこんなところに残っていたとは。ただただうれしい限りである。もはや急ぐこともない、深い森の中の小道をゆっくりと歩む。案内書によるとこのあたりを秋山平というらしい。 やがて道は緩やかな登りに転じた。いよいよ迦葉山への登りに入ったようだ。道端には茸が実に多い。知識さえあれば、今晩のおかずになるのだが。緩やかな登りだが、久しぶりの山行のせいか、疲れを覚える。しかも、山頂に着きそうでなかなかつかない。傾斜は次第に増し、いらいらするころ漸く目指す迦葉山山頂に到着した。やれやれと山頂に座り込む。この頂も無人であった。 露石が点在する山頂は狭く、南面は絶壁となって切れ落ちている。再び空は暗さを増し、小雨がぱらついてきた。後は弥勒寺に下るだけ、時間はたっぷりある。残りのパンを頬張りながら、南に開けた狭い視界の先を眺める。雨雲に包まれた赤城山がかすかに確認できる。 15分の休憩の後、重い腰を上げる。道標に従い、隈笹の覆いかぶさる道を下ると「御嶽山大神」と刻まれた石碑があった。ここから道はすさまじい急降下となった。木の根岩角を踏み、岩の割れ目を抜けていく。危険を感じる程の急降下である。逆ルートを辿らなくてよかった。やがて、巨大な岩塔の基部に達した。「奥の院胎内潜岩」との表示があり、鎖が垂れ下がっている。上部の岩の割れ目が霊場となっているようである。雨で濡れた鎖場を登るのもわずらわしい。そのまま通過する。急坂をさらに下ると、ついに弥勒寺の境内に下りついた。 迦葉山弥勒寺は嘉祥元年(848)開設といわれる古寺である。いくつもの堂が境内を埋め、山中にしては大きな寺院であった。何組もの参拝者の姿が見える。雨も止み薄日が差してきた。この寺はもともと天狗が住むといわれ、古くから崇められていた。さらにその後、中峰という修行僧が大天狗となり、迦葉山の天狗の首領として君臨するようになったと言い伝えられている。弥勒寺の中峰堂はこの中峯尊者を祀る堂であり、大小様々の天狗面や羽団扇が奉納されている。とくに高さ5・5メートル、鼻の高さ2・7メートルという巨大な天狗面は見る者を圧倒させる。天狗とは古来より神仏の周辺にいる妖怪である。その起源を猿田彦命に求める説が強いが、私はその起源はガルーダであると考えている。ガルーダとはヒンズー教出身の鳥頭人身の架空動物である。仏教の守護者として東南アジアの仏教寺院に多く祀られている。インドネシアでは国営航空の名称になっているし、タイでは国家機関の紋章になっている。 今ではこの弥勒寺の境内まで車道が通じているが、麓まで昔の参道が残っている。バス停までこの参道を下ることにする。踏み込んだ参道は整備した痕跡はあるものの最近人の通った形跡はない。それでも大杉や小さなお堂、石佛などが点在し、昔の雰囲気を色濃く残している。やがて回り込んできた車道に出る。さらに車道を下る。下界はさすがに暑い。バス停まで意外に遠かった。小集落を抜け、川を渡ると、発車間際の沼田往きのバスがエンジンをかけて待っていた。 それにしても、秋山平付近の山毛欅の原生林はなんとすばらしかったことだろう。
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