5日間の夏休みはあるが、民族大移動のこの時期遠征する気も起きない。とは言っても近郊の薮山はシーズンオフである。日帰り可能な2000メートル級の未踏峰はないものかと思い悩んでいたら、袈裟丸山が頭に浮かんだ。日本三百名山に列する足尾の名峰である。近郊のこれほどの山が未踏のまま残っていたのも不思議だ。勿論、何十年も前からこの山は頭の片隅にあったのだが、登るなら南北に連なるこの山稜の完全縦走をとの思いがあった。しかし、この山稜の縦走はかなりのバリエィションルートであり、また入山下山とも恐ろしく交通の便が悪い。なかなか踏ん切りがつかずに今に至っている。ただし、車で行って往復するだけならば日帰りも可能である。
袈裟丸山は栃木・群馬の県境に位置し、南北に連なる長大な山体を有する山である。東側は垂直に近い絶壁を掛けている。おそらく、大昔の火山の火口壁であったと思われる。山頂部にはいくつものピークが連なり、南から順に前袈裟丸山、後袈裟丸山、奥袈裟丸山などと呼ばれている。このため、「袈裟丸山」の山頂はどことも特定しがたい。二万五千図では一等三角点の設置されている前袈裟丸山(1878.2メートル)を袈裟丸山としているが、昭文社の登山地図ではその北の後袈裟丸山(1908メートル)を袈裟丸山本峰としている。ただし、最高地点は奥袈裟丸山のさらに北の1961メートル無名峰である。登山道は前袈裟丸山、後袈裟丸山までで、その北の奥袈裟丸山へ掛けての山稜は踏み跡も定かでない。
5時20分、車で出発する。大間々町から渡良瀬川に沿って国道122号線を北上する。沢入(ソウリ)集落から西山林道に入る。「ソウリ」とは焼き畑に因む地名である。奥秩父の中津川流域には中双里、小双里などの地名があり、また山梨県天子山塊の麓には椿草里、小草里などの地名がある。鬱蒼とした杉檜林の中の狭い林道を進むと、何と、鹿の親子が驚いて逃げていく。さすが足尾の山である。右に分かれる支線に入り、7時5分、家から83キロ走って塔ノ沢登山口に着いた。
袈裟丸山にはこの登山口のほか弓ノ手登山口、郡界尾根登山口があるが、この塔ノ沢登山口がいわば一番老舗の登山口である。数台駐車可能な広場となっていて、トイレ、案内図、登山届ポストが設置されている。駐車場に車はなく、どうやら私が一番乗りのようである。見上げる空に雲は多いが、天気予報は「晴れ時々曇り」。そのうち晴れてくるだろう。恐ろしく荒れた林道を5分もたどり、橋を渡って登山道に入る。この地点にも登山届けポストがある。滝を掛ける塔ノ沢の流れが見事である。
塔ノ沢左岸沿いの道をしばらく進み、やがて右岸に移る。「塞ノ河原」まで関東ふれあいの道となっているので、遊歩道に近い道を予想したのだが、沢沿いのためか、石のゴロゴロした踏み跡に近い道である。谷間は薄暗く、沢の音のみが静寂を破る。所々に炭焼き窯の跡を見る。明け方まで降り続いた雨のためか岩は濡れて滑りやすい。喉元の赤い大きなガマガエルが岩陰でじっとしている。やがて沢は二股となり、岩壁が行く手に立ちふさがる。階段整備された急登を経ると第一目標である「寝釈迦」に到着した。
一段上の岩場に登ると、そこに巨大な寝釈迦仏の刻像が横たわっていた。環境庁・群馬県の説明板には次のように記されている。
「ここ袈裟丸山中腹の巨大なみかげ石の岩場に浮き彫りされた寝釈迦像は、
北を枕に西方を向き、右脇を下にして横たわっています。この寝釈迦像が
いつ、だれによって作られたかは不明で、弘法大師説・勝道上人説などが
あり、また徳川時代に足尾銅山に送り込まれ病死した多くの囚人の菩提を
弔うために刻まれたとも言われ、この地で静かに時の流れを見つめています。」
これほどの山奥に、これほどの巨大像が人知れず彫られたとは不思議なことである。ひと休みして朝食とする。見上げる山頂部はガスが濃く渦巻き、期待に反し天気は悪化の気配である。持参のデジタルカメラの調子が悪く、あれこれいじり回していて思わぬ長居となってしまった。先を急ぐ。
沢沿いの踏み跡をさらに奥にたどる。踏み跡はかなり弱々しく、見失わないよう気を使う。赤布の類いはまったくない。何度も何度も沢を渡り返す。もはや橋はないが、水量も少なく足を濡らすほどではない。やがて沢から離れ右岸の高台に登ると、唐松林に囲まれた草地の緩斜地に目標とする避難小屋が建っていた。古い小屋の脇には真新しい小屋があり、近くにトイレもある。ただし人影はない。草原には黄色の花を付けたマルバダケブキが群生している。二度目の休憩とする。
樹林の中の階段整備された道をわずかに急登すると尾根筋に達し、そこが「塞ノ河原」であった。大小の岩が散乱する荒涼とした場所で、多くの石が積み重ねられている。説明板には次のように記されている。
「袈裟丸山中腹のこの場所は、木が生えておらず、大小の石ばかりが転がって
いるので塞ノ河原と呼ばれています。その昔、弘法大師が夜この地を通ると
赤鬼青鬼に責められながら、子供たちが石を積み上げているのを見て三夜看
経して済度したといわれています。いまでも子供の新仏を出した人が、ここ
で石を積むと、その子供に会えると伝えられています。」
樹林から開放された尾根筋は薄日が漏れて明るい。無数のアキアカネが乱舞している。この地点で弓ノ手コースが合流する。
緩やかな尾根道を行く。周りはツツジを中心とした潅木である。この辺りは5月に各種のツツジが咲き乱れ、まさに花の道となるとのことだが、花の一切ないこの季節にはむしろ単調な道である。天気は小康状態だが展望はまったく利かない。弓ノ手登山道を合わせたことにより、道は非常に明確となった。但し、先行者の気配は全くない。泥濘には鹿の足跡のみが印されている。無線観測局のアンテナを左に見て露石のある小ピークを越す。さらに、大小の石が散在する賽ノ河原類似の緩やかなピークを過ぎ、小丸山の登りに入る。辺りは次第にコメツガの密林となる。
緩やかに登っていくと、左へしっかりした 切り開きが分岐する。道標はないが、分岐する踏み跡の方に赤テープがつけられている。どちらの道を進むべきか考え込む。地図、案内書を確認する限り、真っ直ぐ小丸山に登り上げる踏み跡がルートと思える。分岐する踏み跡に関する記載はない。おそらく、小丸山をショートカットする巻き道と判断し、分岐する踏み跡を選択する。判断に過ちはなく、やがて小丸山を巻き終わった地点で、元の登山道と合流した。この合流地点にも何の標示もない。小峰を越えて緩やかに下ると、目指す小丸山避難小屋があった。白樺の林に囲まれた草原の中に黄色いシェルター型の鉄製の小屋が建っている。中を覗いてみるときれいに整理されていた。小休止とする。
道の状況が一変した。密生した笹原の中を緩やかに登っていく。踏み跡はしっかりしているが、胸元までの笹が、時には完全に道を隠している。しかも、鹿道が縦横に走り、うっかりすると迷い込みそうである。ガスが薄く漂いだし、遠くで雷鳴もとどろいている。どうやら天気は悪化の兆しである。笹は今朝方までの雨で濡れており、見る見る私の下半身もびしょ濡れになる。一峰を左から巻き気味に越え、細まった稜線を進む。目の前に、壁となって立ちふさがる袈裟丸山主稜線が迫ってきた。右側に、後袈裟丸山が渦巻くガスの切れ間に微かに確認できる。
コメツガ、シラビソの密林の中の大急登となった。今日初めての登りらしい登りである。至るところザイルが張られているが、お世話になることもない。一気に登り切り、主稜線の一角に達する。右に折れて、シラビソの枯れ木の目立つ笹尾根を緩やかに登ると、11時40分、ついに前袈裟丸山山頂に達した。誰もいない。山頂は一等三角点を中心に小広く開けた平坦地で、天気さえ良ければ展望が良さそうである。しかし、今日はガスが渦巻き何も見えない。アキアカネが群をなしで飛び交っている。腰を下ろし、一人握り飯を頬張る。
先ほどからゴロゴロ鳴っていた雷鳴が次第に近づき、真上で鳴りだしている。予定では、さらにこの先の後袈裟丸山まで行くつもりである。急がなければならない。山頂に標示があり、「この先の八丁張のコルは崩壊が激しく、通過が非常に危険なため、後袈裟丸山への縦走は禁止する」旨記されている。ただし、事前に調べた限りでは通過可能なはずである。出発しようとした瞬間、ものすごい雷鳴が轟き、近くに落雷した様子。かなり危険な状況である。進むべきか、逃げ帰るべきか迷う。樹林地帯なので大丈夫だろう。予定通り後袈裟丸山へ向かう。シャクナゲとコメツガの密生した痩せ尾根を緩やかに下る。この辺りは6月初め、シャクナゲの花がすばらしいと聞く。足下でガサと音がして、見れば小さなシマヘビである。2000メートル近い高所でシマヘビとは珍しい。
最大の難所、八丁張のコルに達した。前袈裟丸山と後袈裟丸山の鞍部である。見ると、最低鞍部は両側から浸食されて幅50センチほどの陸橋となっている。下りの部分がかなり悪いが、手摺りも取り付けられていて通過は可能と判断する。それでも手摺りは支柱がぐらぐらであてにはできない。慎重に通過して、後袈裟丸山への急登に入る。相変わらず近くで雷鳴がとどろき、追い立てられるように急斜面を一気に登り切る。たどり着いた後袈裟丸山山頂は無惨であった。視界を確保するためか、山頂部の樹木が無造作に薙払われている。何とも雑然とした光景である。この山に登る誰もが、こうまでして展望を得たいとは思わないだろう。よけいなお節介をしたものである。
いつしか雷鳴が遠のき、薄日さえ射してきた。安心して狭い山頂に座り込んで、握り飯を頬張る。ここもアキアカネが群生していて、腕と云わず頭にも握り飯にも羽を休める。山頂からさらに先に、奥袈裟丸山、庚申山に向かって細い踏み跡が続いている。この踏み跡をたどることももうないであろう。未練裁ち切り、下山に移る。この頂にも八丁張のコルの通過を禁止する旨の標示がなされている。再度、八丁張のコルを慎重に通過して、前袈裟丸山に戻る。再び雷鳴がとどろきだし、濃いガスが渦巻きだした。下山を急がなければならない。
小丸山避難小屋まで下り、ひと休みする。相変わらず人影はない。天気はますます悪化の気配で、雨の降り出すのも時間の問題である。登りに巻いてしまった小丸山経由で下ることにする。避難小屋から10分も登りに耐えると、あっさりと山頂に達した。北方に視界が開けていて、天気さえ良ければ袈裟丸連峰の大展望台となる場所である。今日は何も見えない。下山を急ぐ。コメツガの林の中を下る。昼間だというのに林の中は薄暗く不気味である。突然雨が激しく降り出した。慌てて雨具をつける。賽ノ河原への尾根道をひたすら急ぐ。道を雨が川となって流れ出している。歩きながら迷った。このまま雨が激しく降り続くようなら、何度も徒渉を繰り返す塔ノ沢登山道は危険となる。最悪、賽ノ河原から弓ノ手登山道を下らざるを得ないか。しかし、車に戻るにはかなり遠回りとなる。
14時45分、賽ノ河原まで戻り着いた。雨もいくらか小降りとなったので、塔ノ沢登山道を下ることを決意する。避難小屋を経て塔ノ沢河床に降り立つ。幸い、沢は危険なほどには増水していない。徒渉を繰り返しながら沢沿いの道を下る。しかし、谷底は懐電が必要なほど暗く、ルートを見つけるのが大変である。時々右往左往して、必死にルートを探る。泣きたい気分である。寝釈迦まで下り着きほっと一息つく。ここから先はルートもわかりやすい。足下も見えにくくなった道を足早に下る。ガマガエルがたくさん這い出している。雨は小降りながら降り続いている。
16時5分、無事に愛車の待つ登山口に帰り着いた。今日一日、山中で出会ったのはシマヘビとガマガエルだけであった。雨に濡れ、わびしい山行きであったが、それでも予定通りのコースを踏破した。次はツツジやシャクナゲが美しいという5月下旬に登ってみたいものである。 |