外秩父 金勝山と官ノ倉山 

 小川町近郊の低山二つ 

2011年12月17日

金勝山山頂
小川げんきプラザより官ノ倉山を望む
                                                         
東武竹沢駅(830)→東登山口(840)→避難小屋(855)→金勝山(905〜915)→西金勝山(930)→南登山口(950)→東武竹沢駅分岐(1005)→三光神社(1035)→天王池(1045)→官ノ倉峠(1105)→官ノ倉山(1110〜1125)→石尊山(1135〜1140)→北向不動(1200)→長福寺(1230)→八幡神社(1250)→青雲酒造→小川駅(1335)

 
 こんな所にこんな山があるなんて、まったく気づかなかった。もう50年以上も埼玉県の山をほっつき歩いているのにーーー。その山は、二万五千図「安戸」の北東の隅、東武東上線とJR八高線の間に挟まれるように聳えていた。

 「金勝山」、263.9メートルの三角点峰。小川町に属する山である。この山はハイキング案内ではみたことがない。それゆえ、その存在を今まで気がつかなかった。しかも、調べてみると、登る人とて希な薮山ではない。それどころか、四季を通じ、何百人もの小学生、中学生が登っているにぎやかな山である。この山の山頂付近に「小川げんきプラザ」という埼玉県の小中学生向け野外教育施設がある。以前は「県立少年自然の家」と呼ばれた施設である。テントやバンガローなどの宿泊設備、野外炊飯設備やキャンプファイヤー設備、おまけにプラネタリウムまであるという充実ぶりである。このため山中は縦横に安全なハイキングコースが設けられているようだ。

 登山意欲がそれほど湧くわけではないが、埼玉県の山であるかぎり一度は登っておかなければならない。ただし、この山だけだと往復一時間程度、いくら何でも物足りない。八高線を挟んだ隣りの山・官ノ倉山と合わせれば何とか一日行程になりそうである。

 鴻巣発7時22分の東松山行きバスに乗り、東武東上線の東武竹沢駅に着いたのは8時30分であった。下車したのは私一人、今日も静かな山が期待できそうである。空は真っ青に晴れ渡っているが、今朝は今年一番の寒さのはずである。地下道で駅の西側に抜け、山の斜面と線路に挟まれた小道を北へ向って歩き始める。約10分で「東登山口」着。立派な道標が左の山中に入る小道を「金勝山」と指し示している。最後の人家を過ぎると鬱蒼とした杉林の中の山道となった。この地点に登山届け用のポストがある。金勝山も「登山」なのだと嬉しくなった。薄暗い山中は静まり返り物音一つしない。急登して一つのピークに登り上げる。もう一つ小さなビークを越えて緩く下ると、立派な避難小屋が建っていた。わずか264メートルの山にしては大げさな設備だが、小中学生の集団登山の際に、突然の夕立にでも遭った場合の対応なのだろう。

 ここで道が二つに分岐した。道標もあるが、どちらの道が本道かよく分からない。右から尾根を巻くように水平に続く道を見送り、尾根を直登する道を選ぶ。しかし、どうやらこの選択は間違っていたようで、道はすぐに左から山稜を巻きながら水平に続くようになってしまった。小さな山だし、道も確りしており、どこかに出るだろうと、おおらかな気持ちで進むと、道標があった。巻き道から分かれて、山稜に真っすぐ登り上げる急な道を「近道 金勝山」と標示している。気合いを入れて一気に登り上げると、そこは金勝山と前金勝山の鞍部であった。追々気がつくのだが、この金勝山は地形が少々複雑で、しかも幾つかのピークが存在するようだ。しかも、登山道がそれこそ縦横に張り巡らされている。

 登り上げた稜線を右に急登して金勝山山頂に達した。当然誰もいない。雑木林に囲まれた狭い山頂には山頂標示と三角点、それにベンチが一つ置かれていた。木々の枝に遮られ展望はそれほどよくない。それでも小川町の向こうに仙元山、物見山と続く低い山並みが見える。反対側の眼下には建設中の大きな工場、ホンダのエンジン工場のはずである。ベンチに座り、朝食を兼ねた握り飯をほお張る。

 急な下りを経て、次のピークに登ると裏金勝山との標示がある。下ったところが小川げんきプラザであった。大きな施設である。プラネタリウムの大きなドームがひときわ目立つ。ただし人影はない。正面にこれから登る官ノ倉山と石尊山の双耳峰が大きく立ちふさがっている。その右後方には笠山、堂平山、大霧山の比企三山がすっくと聳えている。

 ここから南登山口に下る予定なのだが、道標に記載されたルートがいろいろあって、採るべきルートがよくわからない。次のピークに登ると西金勝山との標示があった。いったい幾つの金勝山があることやら。合わさったり分岐する登山道を適当に判断しながらドンドン下る。30分ほどの下りで人家が現れ、舗装道路に下り立った。ここに「南登山口」との標示がある。結局、山中ただ一人の人影も見なかった。

 八高線に沿った小道をのんびりと進む。辺りは気持ちのよい山里である。JR竹沢駅を過ぎ、さらに進むと、東武東上線のガードに突き当たる。その手前の四つ角を「官ノ倉山」を示す小さな道標に従い右折する。左折すれば、今朝出発した東武竹沢駅である。国道254号線を横切り、畑の中に家々が散開する里道をのんびりと歩いて行く。行く手にはこれから登る官ノ倉山と石尊山の双耳峰が早く来いと呼んでいる。太陽も高く昇り、温かな光を降り注ぐ。

 安照寺を過ぎる。門前に珍しい板碑や石幢が据えられている。進むに従い、山里はますます好ましい雰囲気となる。立派な公衆トイレが設置されていた。登山者用だろう。小川町も洒落たことをする。道標に従い左に曲がり、すぐに三光神社を過ぎる。さらに進むと、道標が左に分岐する細い地道を官ノ倉山と指示する。その先が「天王池」と標示された溜め池で、ここからいよいよ山道となった。

 鬱蒼とした杉檜林の中を登って行く。最初は緩やかであった傾斜も次第にジグザグを切った急登に変わる。なぜか今日はえらく調子がよい。傾斜をものともせずグイグイ登って行く。上方から人声が聞こえてきた。木々の間を透かしてみると、先行パーティがいるようである。その間隔がグイグイ詰まってくる。あっという間に追いついた。おばさん三人連れであった。と同時に、官ノ倉峠に登り上げた。官ノ倉山の西の肩である。横浜からやって来たというおばさん達を置き去りにして、一気に山頂に向う。露石をまじえた急登である。

 11時10分、ついに官ノ倉山山頂に登り上げた。その瞬間、目の前に大展望が現れた。関東平野に向ってさざ波のごとく低い山並みが続き、その遥か彼方に筑波山がはっきりと見える。眼を右に振れば、そそり立つ東京の高層ビル群の中に、ひときわ高く抜き出たスカイツリーがはっきりと見える。荷物を下ろすのも忘れ、眼前の展望に見とれる。山頂には私と同年配の夫婦連れが先着していた。聞けば二人で近郊の山々を歩き続け、今回が300回目の記念登山だという。うらやましい限りである。しばらくして、三人連れのおばさんパーティも登ってきて山頂はにぎやかになった。

 この頂は私にとって三度目である。最初の登頂は1982年3月、当時5歳の次女と西方尾根続きの421.1メートル三角点峰(臼入山)から縦走してこの頂を踏んだ。今にも雨の降り出しそうな寒々とした天気の中であったことを覚えている。二度目の頂は1987年4月、「外秩父七峰縦走ハイキング大会」においてであった。改めて記録を調べてみると、6時40分に小川駅をスタートし、5.3キロ先のこの頂に7時37分に到着している。恐るべき快速である。それから24年、今日が三度目の頂である。

 握り飯を一つほお張って、先に進む。いったん下って、顕著なピークに急登する。ここが石尊山かと思ったら、もう一つ先のピークであった。到着した石尊山山頂では今日最大の大展望が待っていた。関東平野と幾重にも続く奥武蔵や外秩父の山々。雲一つない晴天のもと、全てが我が眼下にあった。ただただ天下の大展望に見とれる。山頂には中年の単独行者が先着していたが、すぐに官ノ倉山方面に出発していった。代わって二人連れの若者が小川方面から登ってきて、大展望に歓声を上げた。

 ここ石尊山は、双耳峰である官ノ倉山のもう一つの頂である。露石のある狭い山頂には、小さな石の祠が鎮座している。そもそも、「官ノ倉山」の名称は「神の座山」が変化した名前と思われる。この石尊山山頂の露石が磐座(いわくら)とみなされ、山名となったのだろう。さらにその後(おそらく江戸期)、巨石に対する信仰である石尊信仰の全国への爆発的広がりの中で、この山頂の露石が信仰の対象と見なされ、石尊山なる山名が生じたのであろう。石尊信仰とは丹沢山系大山に鎮座する石尊権現(明治初年の神仏分離令により現在の阿夫利神社と大山寺に分離された)のご神体たる巨石に対する信仰である。現在においては双耳峰の最高峰である344メートルピークが官ノ倉山山頂と見なされているが、本来は現在の石尊山が官ノ倉山山頂と見なされていたのであろう。

 小川町に向って山を下る。約2時間の行程である。先ずは鎖場の下りである。案内書の類いは「鎖場の連続する危険な急な下り」と大げさに記載しているが、昔、5歳の幼児が下ったコースである。鎖の設置など本来必要ないと思うのだが。母親と小学生の女の子のパーティが登ってきた。何となくほほ笑ましい。約20分で、狭い林道に下り立つ。ここに北向き不動尊がある。絶壁の中腹に祠があり、そこまで危険きわまりない超急な石段が登り上げている。慎重に登り、参拝する。

 さらに15分ほど歩くと人家が現れ、舗装された里道となった。ここにも登山者用の立派な公衆トイレが設置されている。山里の道をのんびりと歩いて行くと、道標が右に分岐し、山中に入って行く細道を「小川駅」と標示している。「何ぁんだ、せっかく里に下ったのにまた山道か」とブツブツ言いながら雑木林の小さな尾根を越える。また里道に出て長福寺に到る。県道11号を横切り、新興住宅街を抜けると八幡神社に出た。鎮守の森に包まれた大きな神社である。その先に穴八幡古墳があった。石室の入り口が開いていて内部の様子がよくわかる。この地は古代より開かれていたのだろう。ようやく小川の街並みに入った。道標に従い複雑な経路を進むと造り酒屋・青雲酒造に行き当たった。清酒を一本購入し、疲れた足を引きずって進むと、13時35分、目指す小川駅にゴールインした。
   
登りついた頂  
   金勝山  263.9 メートル
   官ノ倉山 344  メートル 
     

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