木曾御嶽山

19年ぶりの念願を果たす

1995年8月26日

              
 
銀河村キャンプ場(530)→田ノ原(600)→王滝頂上(800)→剣ヶ峰(820〜840)→田ノ原(1035)

 
 私の心の中に木曾御嶽山に対する二つの鮮やかな思いでがある。一つは神々しいまでに美しい御嶽山の姿であり、もう一つは荒々しく牙を剥いて襲い掛かってくる御嶽山である。
 
 神々しいほど美しい御嶽山とは、今から26年前の初冬、夜明けの空木岳山頂から眺めた御嶽山である。昭和44年11月初旬、私は一人木曾駒から空木岳まで縦走した。私にとって初めての単独行であった。2日目の早朝、空木岳山頂で寒さに震えながら夜明けを待った。夜明けが近づくと暗闇の中から徐々に真っ黒な御嶽の独立峰が浮かび上がってきた。色彩は次第に紫に変わり、そして日の出とともに鮮やかなオレンジ色に輝きだした。その姿は思わず手を合わせたくなるような神々しさに満ちていた。今でも鮮やかな色彩を持って私の脳裏に焼き付いている。
 
 荒々しい御嶽山の思いでは昭和51年の6月初めのことであった。私は相棒のY君とこの山へ向かった。田ノ原からお昼過ぎに山頂を目指した。「もう6月だから夏山だ。おまけに木曽の御嶽山だ」という気持ちで、二人とも完全な夏山装備であった。6月というのに残雪が多く、登山道は雪道であった。晴天の中順調に登り、「目の前の山頂は明日の楽しみにとっておこう」ということで、その夜は二ノ池の辺にテントを張った。ところが天気は夜半から荒れだした。翌朝目を覚ますと周囲は真っ白、何と吹雪である。ラジオは気象庁が梅雨入り宣言をしたことを告げている。天気はますます荒れだして「逃げよう」ということになった。ところが登ってきた王滝口コースは発見できず、黒沢口コースを下った。登山道は到る所で残雪に寸断されており、激しい風雨の中でルートを捜し捜しの悪戦苦闘の下山であった。なんとか中ノ湯に逃げ込んだのだが、今から考えると、遭難寸前であったのかも知れない。19年前の強烈な思い出である。そんなわけで、正確に言うと、私はいまだに御嶽の山頂を踏んでいない。 
 25日  朝10時過ぎ車で静岡を出発する。韮崎、塩尻を経て国道19号線を木曽福島に向かう。なんとも遠い。今晩どこかで過ごさねばならないが、山小屋に泊まる気はない。地図を見ると4合目に銀河村キャンプ場というのがある。ここにテントを張ろう。午後4時過ぎ、258キロ走って目指すキャンプ場に着いた。テント持ち込みもOKであった。森に囲まれた静かなキャンプ場で、シーズンオフのため閑散としている。夜8時から「星を見る会」が行なわれるというので、行ってみる。満天の星のもと、望遠鏡で星を見せてくれる。参加者も10数人と少なく、星空を充分楽しめた。天の川が頭上を流れ、時々流れ星が微かな光の線を引く。輪が消えて、串刺し団子のような土星の姿が印象的であった。

 26日  5時半、まだ寝静まっているキャンプ場を発つ。空は真っ青に晴れ上がっている。6時、7合目の田ノ原に着いた。この地は19年ぶりであるが、周囲はすっかり変わって昔の面影はない。数千台の駐車が可能と思われる大無料駐車場があり、車内ビバークをしている登山者も何人かいる。早速、目の前にそびえる剣ヶ峰を目指す。
 
 早朝にもかかわらず、登山者が多い。樹林の中の平坦な道をしばらく進み、いよいよ本格的な登りに掛かる。山頂まで800メートル強の高度差、3時間コースである。登山道は実によく整備されている。所々に板碑や仏像が安置されており、山岳宗教のメッカとしての独特の雰囲気を醸しだしている。御嶽登山のメインコースであるこの王滝口は埼玉県大滝村落合出身の普寛が18世紀に開いた。「王滝」という名前も普寛の故郷・大滝村に因んで名付けられたと聞いている。木曾の御嶽とは比ぶべくもないが、出身地の大滝村にも普寛の開いた秩父御嶽山があり、落合には普寛を祀った普寛神社がある。王滝口開設によって御嶽信仰は爆発的に江戸に広がった。我が故郷埼玉にもこのような偉大なる人がいたということを学校では教えてくれなかった。このことを知って以来、私にとって木曾の御嶽山は非常に身近に感じられるようになった。また登るならばどうしてもこの王滝口でなければならなかった。
 
 下山者が多い。山頂で日の出を拝んでの下山とのことである。さすが木曾の御嶽、老若男女いろいろな人が登っている。白装束の御嶽教の人々も混じる。御嶽山は、加賀の白山と並んで、今でも宗教登山の最も盛んなところである。素足で登っている行者にはびっくりした。森林限界を越えるとハイ松帯となった。傾斜はますます増し、急な岩の道となる。振り返ると中央アルプスの山々が霞んでいる。木曾駒、宝剣岳、檜尾岳、空木岳、南駒ヶ岳と続く山並。ゆっくりではあるが、私が一番早い。こういう一本調子の急登は同じリズムで休まずに登るのがこつである。次第に頭上の王滝山頂小屋が近づいてくる。一口水の水場は枯れていた。木曾駒に雲が湧き出し、次第に中央アルプスの山並を隠す。
 
 8時、王滝山頂着。ここはもう2,936メートルである。ガスが湧き出し一瞬、視界を乳白色の膜の中に閉じこめる。小屋の裏手に出ると寒風が吹き寄せ、Tシャツ一枚では寒い。地獄谷から噴煙が吹き上がり、硫黄の匂いが鼻を衝く。この御嶽は昭和54年に突然有史以来始めての噴火をして人々を驚かせた。木曾の御嶽はまだ生きた火山である。ガスが吹き飛び目の前に剣ヶ峰が見えた。もう一息である。
 
 8時20分、急な石段を登り切ると、ついに3,067メートルの剣ヶ峰山頂に達した。19年ぶりでようやく念願を果たすことができた。さすが3千メートル峰、下界は猛暑だというのに手が冷たい。「木曾の御嶽山は夏でも寒い」と歌の文句にある。展望は実によいのだが、周囲の山々には雲が湧き、楽しみにしていた北アルプスや中央アルプスの山並は見られない。湧いたり消えたりしているガスの隙間を通して眼下に緑色をした二ノ池が見える。山頂の神社では御嶽教の信者が声高らかに祝詞(お経?)を上げている。
 
 思い出の地・二ノ池を経由して下山することにした。池畔にはまだ残雪があり、風雪の中一晩過ごした辺りが懐かしかった。下りは早い。どんどん追い抜きながら下り、10時半過ぎには田ノ原の車に帰り着いた。永年の念願を果たし、ほっとした心境であった。