湖北連峰縦走

 富幕山から尉ヶ峰へ

1998年4月11日


姫街道の引佐峠
 
奥山バス停(745)→方広寺(750〜815)→登山道入口(855〜900)→356.8メートル三角点(905〜910)→富幕山(940〜1005)→風越峠(1055〜1105)→尉ヶ峰(1210〜1225)→西気賀分岐(1245)→259.9メートル三角点(1300)→引佐峠(1320〜1335)→天狗岩(1345)→登山口(1400)→佐久米駅(1420)

 
 桜の花も散り始め、春もいよいよ後半である。この冬は痛む足を引きずりながらも何回かの冒険的薮山縦走を行った。春は春らしく花を愛でながらのんびりと歩いてみたい。湖北連峰に行ってみることにした。静岡県に残された私の唯一の未踏の山域である。浜名湖を西から北にかけて取り囲むように一筋の低い山並みが続いている。三遠の国境稜線となる弓張山脈である。浜名湖の好展望台として夙に名高い。この山並みは、便宜上、中間の宇利峠から西に続く山並みを湖西連峰、東に続く山並みを湖北連峰と呼んでいる。昨年の12月に湖西連峰を縦走した。照葉樹の森の美しい、よく整備されたハイキングコースであった。

 湖北連峰の主峰は一等三角点の山・富幕山である。富幕山から浜名湖畔に向けて南下する一本の顕著な支稜がある。この支稜は途中、尉ヶ峰を盛り上げ、末端には姫街道の難所であった引佐峠がある。富幕山から浜名湖に向ってこの支稜を歩いてみることにした。支稜上にはハイキングコースが開かれている。冨幕山にはいくつかの登頂ルートがあるが、交通の便を考えれば奥山集落からのコースが最適である。浜松駅から直通のバスが出ている。しかも奥山集落の方広寺はこの地方最大の名刹であり、ぜひ一度は訪れてみたい寺でもある。

 静岡発6時の新幹線に乗る。在来線では浜松発6時45分の一番バスに間に合わない。バスは湖北の集落を結びながら北へ北へと向かう。散り始めた桜が美しい。南北朝の歴史を秘めた井伊谷を経て約1時間で終点奥山集落に着いた。奥山集落は小さいながらも町並みのある思いの外大きな集落であった。バス停に富幕山への案内図と冨幕山まで4..8キロの道標が設置されている。「奥浜名自然歩道」としてよく整備されたハイキングコースとなっているようである。予報通り天気は上々、今日は相当気温が上がりそうである。

 集落を貫く車道を2〜3分奥ヘ進むと方広寺の山門に達した。建徳2年(1371年)、後醍醐天皇の皇子・無文元選禅師開山と伝えられる臨済宗方広寺派の総本山であるが、この寺はむしろ「奥山の半僧坊」として名高い。半僧坊とはこの寺の守護神である。いわば天狗の部類である。南朝縁の寺はどこも修験の匂いがする。門前町を持つ大きな寺であるが、山門をくぐると深山幽谷の趣となる。五百羅漢の並ぶ杉並木の急な参道を登る。早朝とて人影はなく、禅宗特有の凛とした空気があたりを支配する。上り詰めると半僧坊を祀る社に達する。今日の無事を祈る。このさらに奥に三重塔があるとのことだが、余りゆっくりもしていられない。本堂は二階建ての大きな建物であった。山岡鉄舟が揮毫した「深奥山」の大きな山号額が掲げられている。

 いよいよ富幕山に向け出発する。道標に従い方広寺の脇から奥山高原に続く細い急な車道を登る。桜並木で、絶え間なく降り注ぐピンクの花びらが美しい。気温がぐんぐん上がり、ポロシャツを腕まくりするがそれでも暑い。1週間前、降雪の身延山を歩いたのが嘘のようである。いくつも道は分岐するが道標がしっかり立てられているので迷う心配はない。2.4キロ歩き、富幕山までのちょうど中間点で、瓶割峠に向う車道と、風越峠に向う車道が分岐する。分岐から一段上が奥山高原レジャーランドであった。観覧車などの遊覧施設とバンガローなどがある。さらに地道となった桜並木を500メートルも進むと、車道が尽きて登山道入り口に達した。

 ほんのひと登りすると、356.8メートル三角点に達した。新芽の野芝に覆われた平坦地で、すみれの花が咲き乱れている。あまりにも気持ちのよいところなのでひと休みする。霞の掛かった視界の先には三遠国境の低い山並が重なり、散在する集落はどこも桜色に彩られている。鴬が盛んに鳴いている。まさに美しき日本の春である。観覧車の背後をひとしきり急登すると、再びすみれの花咲く草原の道となった。行く手に穏やかな山容の富幕山が見える。林道を横切り小さな高みに登り上げるとテーブルとベンチが設置され、辺りはすみれが所狭しと咲き乱れている。こんなすばらしい道をあくせく急ぐことはない。再び座り込んで鴬の声に耳を傾ける。クサボケの朱色の花が咲いている。それにしても暑い。晩春というより初夏の気候である。ぬかるみに残る足跡からして先行パーティがいる模様である。少し急となった道を上ると富幕山山頂に達した。

 まずは一等三角点を撫で、眼下に広がる大展望に見とれる。いくつもの入り江と岬を織りなしながら浜名湖が春霞の中に広がっている。山頂の一角には大きな大きなNTTの無線鉄塔が立ち、補修用の車道が山頂まで通じていて、いささか雰囲気を損ねてはいるが、草原の広がる山頂は気持ちがよい。男女三人の先着パーティがいたが、すぐに下っていって山頂は私一人となった。四阿と日時計がある。握り飯を頬張りながら四阿に備え付けの登山ノートを読んでいたら、車が上ってきて引佐町の腕章をした三人が降りてきた。観光パンフレットの写真を撮りに来たとのことで、私にモデルになってくれという。若い娘でなくて残念でしたと冗談を言いながらも要望に応じる。

 尉ヶ峰に向けての縦走に移る。この道もよく整備されたハイキングコースである。すぐに只木集落への下山路を右に分け、すみれとクサボケの咲く草原を過ぎると樹林の中の道となる。時折蜘蛛の巣が顔に掛かるところを見ると、この道を今日辿るのは私が最初のようである。車道を横切ると、道は山稜を右から巻くようになる。355.9メートル三角点峰も右から巻いてひと下りすると車道の三差路にでた。ここが風越峠であった。奥山集落と只木集落を結ぶ古くからの峠であったのだろうが、車道の開通した現在は何の風情もない。樹林の中の急登に移る。今日初めての登りらしい登りである。しかし、道は確りと階段整備されている。息せききってピークに登り上げるとベンチが設置されていた。左に直角に曲がり、小さな上下を繰り返す。右手に潅木の間から富幕山が見え隠れする。408メートル標高点を過ぎると倒木が何本か道を塞ぐ。単調な道が続き少々飽き飽きする。富幕山を出て以来人影は見ない。417.3メートル三角点峰を過ぎると前方で人声がする。小ピークに達すると、そこはハンググライダーの飛び台になっていて数人が飛行準備をしていた。大谷キャンプ場への下山路を右に分け、椿の落花を踏んで照葉樹の森の中を登ると尉ヶ峰山頂に飛びだした。

 山頂は意外にも、10パーティほどで賑わっていた。縦走路で誰にも会わなかったことを考えても、皆この山だけを目標に登って来たのだろう。山頂には四阿とベンチとテーブルが設置されていて、眼下にはぐっと近づいた浜名湖がくっきりと見える。東名高速の浜名湖橋が浜名湖と引佐細江を分け隔て、その浜名湖に向ってこれから辿る一筋の低い丘陵が続いている。しばし天下の絶景を満喫した後、今日最後の行程に出発する。細江町の細江公園へ下る道と分かれ「獅子落とし」の岩場の急坂を下る。急坂を避けた迂回路も設けられている。下りきったところに林道が延びてきている。西気賀への下山路を左に分け、小さな上下を繰り返しながら樹林の中を進むと259.9メートル三角点があった。イノシシの仕業だろう。道端の土が一面に掘り返されている。送電鉄塔を経てひと下りすると立派な車道に飛び出した。引佐峠である。そして一瞬がっかりする。姫街道の難所として知られたこの引佐峠もついに車道の餌食となって昔の面影はいっさい残されていないのか。ところがこの車道を横切り、反対側の山腹をほんの数メートル登ると、そこに昔のままの引佐峠が残されていた。見よ、幅2〜3メートルの石畳の古道がひっそりと山稜を乗越しているではないか。薄暗い峠は昔のままの姿で私を迎えてくれた。誰もいない峠に座り込み、一人昔の旅人の声を聞く。

 後は浜名湖畔の佐久米集落まで下るだけである。道は山稜を右から巻くトラバース道となる。天狗岩との標示のある露石を過ぎると、尾根の右側に下りだす。すぐに細い車道に達し、そのまま進むとミカン畑が現れ、人家が現れ、佐久米の集落に達した。湖畔を走る国道362号線を5〜6分も西に進むと、天竜浜名湖鉄道の浜名湖佐久米駅に到着した。列車は1時間待ちであったが、幸運にも三ケ日町からの浜松行きバスが20分待ちでやって来た。

 今年の最高気温を記録するすばらしい晴天の中、春の低山歩きを満喫した一日であった。

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