子持山

 北関東の気になる小火山

1999年10月10日


登山口より屏風岩を見上げる
 
五号橋(645〜650)→七号橋登山口(700)→屏風岩基部(705)→円珠尼歌碑(710〜715)→稜線(745〜750)→獅子岩分岐(755)→獅子岩(805〜815)→獅子岩分岐(820〜835)→ピーク(850)→柳木ヶ峯(855)→子持山(910〜930)→柳木ヶ峯(945)→大タルミ(955〜1000)→牛十二(1005)→浅間山(1025〜1040)→炭釜・五号橋分岐(1055)→五号橋(1130)

 
 既に4ヵ月も山から遠ざかっている。テントを担いでの高山縦走は足の状態から無理だし、日帰りの藪山も夏はシーズンオフである。観測史上最も暑かったという今年の9月も終わり、ようやく秋の気配が漂ってきた。紅葉にはまだ早いが、前々から気になっている上州の孤峰・子持山に行ってみる気になった。子持山は赤城山と榛名山の真ん中に位置する古い火山である。活動末期に大爆発があって山頂部が吹き飛び、かつ、その後の侵食も著しく進んだため、標高も今では1300メートルしかない。しかも、両翼に赤城山、榛名山という日本を代表する火山がそびえているためその存在はいたって地味である。それでも「日本の山・1000」には選ばれている。

 朝5時20分、車で家を出る。今日は10月10日。晴れの特異日であり、素晴らしい秋晴れを期待したのだが空はどんよりしている。3連休のためか車の多い関越高速を赤城インターで下りる。目の前に目指す子持山が霞んでいる。道が複雑なためうまく行き着けるか心配したが、何とか目標の子持神社にたどり着く。そのまま唐沢川に沿った林道を奥に進む。今日の予定は、屏風岩、獅子岩経由で山頂に至り、帰路は山頂手前のピークから南に延びる尾根をたどり浅間山を越えて元の地点に戻る回遊コースを考えている。登りは一般登山コースで問題ないが、帰路の浅間山へのコースはバリエーションコースである。どの程度のコースか案内の類いがないので行ってみなければわからない。

 登山道入口は七号橋であるが、駐車場もあるので、手前の五号橋で車を止める。左に「浅間山」と示された小道が山腹を登っている。帰路この道を下ってくればちょうどよい。まだ7時前、駐車場も空である。支度を整え林道を奥に進む。すぐに六号橋に達し、ここに案内板があった。子持山はあまりポピュラーな山ではないのでルートに少々不安があったが、よく整備された登山道があるようである。ここで「峠」経由の登山道が右に分かれるが、メインルートの屏風岩コース入り口はもう少し先のようである。さらに林道を進む。車から10分で七号橋の登山道入り口に着いた。駐車場やトイレもあるがまだ人影はない。すぐ上に屏風岩の岩塔が聳え立っている。ちょうど子供をまじえた4人連れが車で到着した。登山道は沢の中の荒れた道であった。水流が少ないので足は濡らさずにすむが、雨の後は大変だろう。5分も登ると屏風岩の基部に達した。稜線上の獅子岩とともに、火道の跡が侵食で残ったと言われる岩塔である。沢の中の道をさらに5分も進むと円珠尼の歌碑に達した。説明板によると
  「円珠尼は元亀・天正(1570〜1592)頃の人。沼田支族・川田光清の娘で和歌をよくし、
   たまたま子持山の詠歌が正親町天皇の御感に達し、短冊を賜っている」
とあり、次の和歌が添えられている。
   子持山 紅葉をわけて入る月は 錦につつむ 鏡とぞ知る
 
 小休止後、さらに沢の中の踏み跡をたどる。やがて沢の右岸沿いの杉林の中を登るようになると、確りした登山道となった。変化のない道をしばらく登ると、谷の源頭となり、自然林の中の急登となる。リズムカルに一気に登りきり稜線に達した。稜線はT字路となっていて山頂は左に向かう。右にたどれば今朝ほど見送った六号橋への登山道に下れるようである。小休止後、5分ほど登ると獅子岩分岐に達した。道標があり、登山道は右から稜線を巻いているが、急な岩稜を直登する細い踏み跡は獅子岩へのルートのようである。荷物をデポして獅子岩に行ってみることにする。木根、岩角を掴まりながら急登すると、岩塔の基部にでた。さらに鉄梯と鎖を伝わって岩頭まで登る。頂上はまさに360度の大展望台であった。しかし、あいにく周囲は濃い霞と雲で視界は得られない。これから登る子持山山頂も雲の中である。岩頭には真ん中に「御嶽山神社」左右に「八海山神社」「三笠山神社」と書かれた石碑が立てられている。下の方で人声がして何組かのパーティが通過していく気配である。

 分岐まで戻る。カメラのバッテリーが切れて使用不能となってしまった。中年の男性、しばらくして中年の女性が登ってきて二人とも「こっちの道ですね」と同じ確認をする。夫婦のようだが男が先に行ってしまっている。獅子岩の基部を巻いて急登し、再び稜線にでる。ここからも獅子岩への踏み跡が分かれている。薮っぽい岩稜を急登する。途中で先ほどの夫婦がへばってへたり込んでいる。振り返ると、獅子岩の尖塔が高々てそそりたっている。緩やかなピークを越えると平坦な尾根道となった。周りは高木の自然林で気持ちがよい。林の中を急登すると前衛峰である柳木ヶ峯に達した。小さな石の祠があり、帰路たどる予定の浅間山へのルートが左に分かれる。しかし、道標は「熟達者コース」と標示している。大丈夫だろうか。緩く下ると、ルートはガリガリに痩せた岩稜の急登に変わった。危険というほどではないが初心者は緊張する所である。岩角、木根を掴み右から巻き気味に登る。

 9時10分、ついに山頂に達した。山頂部は細長く、一番奥に1296.1メートルの一等三角点と「十二山神」と書かれた石碑が立っていた。雑木に囲まれ雑然としたところで情緒もない。せっかくやって来たのにがっかりである。展望はわずかに北東側に得られるが、すべて濃い霞に閉ざされている。今朝ほど見かけた子供二人を含む4人連れがにぎやかに休んでいた。長く留まっている気もしないので握り飯を一つ頬張って下山に移る。悪路でも下山は早い。15分で柳木ヶ峯に下り着く。「熟達者コース」の標示が気にはなるが、予定通り浅間山コースに踏み込む。自然林の中の急な平斜面を下る。踏み跡も確りしており、赤布も点々とあり問題なさそうである。人の気配は一切消え、辺りは静寂につつまれている。次第に尾根筋が現れ、広葉落葉樹の中の尾根道となる。最低鞍部に下ると「大タルミ」との標示があり、左に下る踏み跡を「八号橋」と標示している。ここからは実に気持ちのよい尾根道となった。広葉樹の中の緩やかな尾根道が続く。相変わらず踏み跡も確りしており、何でこのコースが熟達者コースなの?という感じである。短い登りを繰り返す。左手には木々の間から獅子岩の岩塔が見え隠れする。「牛十二」との標示のある石の祠のある場所に達し、小休止とする。

 やや急な登りを経ると、目指す浅間山山頂に達した。「富士浅間皇大神」と書かれた石碑と小さな石の祠が三つある。雑木に囲まれ展望はないが人の気配がまったくしないのがよい。座り込んで握り飯を頬張る。ここからは急に潅木の薮尾根となった。道は確りしているが、蜘蛛の巣が頻繁に道を塞ぐ。ストックでいちいち払うのが煩わしい。11月末まで蜘蛛は活動する。どこかで五号橋への下山路が左に分かれるはずである。このまま尾根をたどると、子持神社に下ってしまう。のろのろと進むと道標があり、思った通り五号橋への下山路を示している。この地点を「炭釜」というらしい。今日はまったく二万五千図を見ることもない。相変わらず蜘蛛の巣の多い雑木の中の支尾根を下る。この下山路も確りしており何の問題もない。30分も下ると、まさに思った通りの地点、我が愛車の前に下り着いた。11時30分である。何とも早い下山であった。

 帰路、子持神社に寄ってみる。長い石段の参道を持つ割合大きな神社である。子授け、安産の神様として古くから信仰されてきたとのことである。1時には家に帰りついてしまった。

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