毛無山から長者ヶ岳へ富士大展望の頂からキクサキイチゲ咲く頂へ |
1997年4月13日 |
毛無山ー長者ヶ岳の稜線より南アルプスを望む
麓集落(545)→四合目(640〜700)→七合目(740〜755)→富士山展望台(815〜825)→稜線(830〜840)→毛無山(845〜855)→ 下部登山道分岐(930〜935)→地蔵峠(940〜950)→1596m峰(1010〜1015)→雪見岳(1050)→猪之頭峠(1135〜1150)→熊森山(1225〜1235)→勇水峠(1310〜1320)→送電線鉄塔(1325〜1330)→1373m峰(1340)→長者ヶ岳(1450〜1500)→田貫湖(1555)→猪之頭集落→麓集落(1800) |
桜ももうすっかり散り切って、里は春本番である。前々から温めていた毛無山から長者ヶ岳までの縦走にチャレンジする機会がようやく訪れた。この縦走を日帰りで実施できる季節は四月きりない。すなわち、薮が茂らないこと、雪がないこと、そして日が長いことが条件となる。天子山塊の主だった山々は登山道もよく整備されているが、縦走路は未整備で登山対象とはなっていない。一昨年の4月、毛無山から雨ヶ岳へ縦走したが、踏み跡も定かでないスズタケの密生に大変苦労した。毛無山−長者ヶ岳間の稜線もスズタケが密生した難コースであり、しかも距離が長い。ただし、このコース踏破の最大の問題は技術的問題よりもむしろ入下山時の足の確保である。行動時間は約10時間と見られ、車で行って日の出前から行動する必要があるのだが、その車をどうやって回収するかである。バスの便ははないに等しい。
夜明け前の4時30分、車で出発する。走るうちに空が白け、左側に天子山塊、右側に富士山が黒く浮かび上がってくる。麓集落の東京農大農場の桜はまだ五分咲きである。富士山の左裾がオレンジ色に染まり、日の出は間近かである。5時40分、毛無山登山口に着く。空沢を渡り、地蔵峠への道を見送り、登山道となる支稜に取りつく。この登山道は急登につぐ急登で山頂まで3時間かかる。檜の植林を抜けると落葉樹の林となる。ようやく顔を出した太陽の光が木漏れ日となっ冬枯れの雑木林を染める。空は真っ青に晴れ、今日一日の好天を約束している。振り返ると、七合目以上を残雪に白く染めた富士山が、逆光の空に解け込むように弱々しく浮かんでいる。一昨年この道を登ったときは、深いガスの中で何も見えなかった。木々はまだ冬の装いのままだが、よく見ると芽が大きく膨らみ、芽吹きは間近い。不動の滝見晴台はいつのまにか通りすぎてしまった。四合目で小休止。一合目ごとに標示があるのでよい目標となる。さらに急登を続ける。白い蕾をいっぱいつけたアセビが、冬枯れの林の中の唯一の緑である。 七合目で一休みしていたら、50年配の登山者が下ってきた。手には大きなビニール袋とゴミ拾い用のツマミをさげている。清掃活動をしているようだ。地元の山岳会のメンバーだろう。立ち話となった。「山頂にはペットボトルが多くて困ります。どちらまで」「長者ヶ岳までのつもりですが」。「えぇ、笹が相当深いですよ」。「雨ヶ岳へのルート程度ですか」。「雨ヶ岳へ縦走したことがあるんですか。それじゃだいぶ山なれていますね。ところで、いつもそのかっこうですか」。はたと気がついた。私はいつもの通りジョギングシューズ履きである。素人の中年登山者が難路に迷い込むと思って心配してくれたようである。座り込んでの長話となった。近郊の藪山のこと、深南部の山のこと、話は北アルプスや日高の山までおよんだ。相手からは私が本でしか知らない地元の岳人の名前がぽんぽん飛び出すが、静岡の山の話なら私も負けてはいない。「いやぁ楽しかった。静岡の山をこれほど知っている人がいたとは。気をつけて。あまりおもしろくない稜線ですが」。 まだまだ話し足りないが、今日は先が超長い。すぐに「富士山展望台」と標示のある露石の上に出た。真正面に富士山が大きく大きくそそり立っている。今日は春霞が裾を隠しているが、裾まで見えるとあまりにもすっぽんぽんの姿になる。目を右に転ずれば、今日辿る稜線が遙か彼方の天子ヶ岳まで続いている。八合目から傾斜はますます強まる。グイグイ登っていくと、ついに稜線に飛び出した。この地点から今日は南に向かって縦走することになるが、その前に数分北へ登って毛無山山頂をきわめておくつもりである。「北岳、甲斐駒展望台」との標示がある露石の上に登ってみて、思わず歓声を上げた。目の前に真っ白な山並みが、青空を切り裂くように続いているではないか。南アルプスだ。木々の枝が若干じゃまするが、右より、甲斐駒、北岳、間ノ岳、農鳥岳、塩見岳、悪沢岳、荒川岳、赤石岳、聖岳、上河内岳。南アのジャイアンツが全て見えるではないか。白き山々の前には白峰南嶺の山々。笊ヶ岳と布引山が確認できる。これほど南アルプス全山を一望できるところも珍しい。 ブナや樅の大木の茂る気持ちのよい稜線を緩やかに登る。一昨年の4月末に見られた残雪も今年は暖冬のせいかまったくない。数分で毛無山山頂に達した。2年ぶりの頂である。誰もいない。前回は深いガスの中であったが、今日は陽春の光が満ち満ちている。真正面には毛無山のセールスポイントである富士山が高々とそびえ立っている。いよいよ縦走に移る。地蔵峠までは一般登山道である。ほぼ水平な気持ちのよい稜線を南に辿る。左側に富士山、右側には南アルプス連山が木々の間から常に見えている。地蔵峠に向けての急な下りに入ると、続けて3パーティと擦れ違う。やがて下部温泉への登山道を右に分ける。この地点に「地蔵峠」との標示があるが、本来の地蔵峠はもう少し下った地点のはずだ。約5分で本来の地蔵峠に達した。ここで今朝分かれた麓集落からの道と出会う。峠にはすっかり摩耗した二体の像が彫り込まれた石塊がおかれている。小林経雄氏の「甲斐の山山」には「この石像は地蔵尊ではなく双体道祖神であり、地蔵峠の名前はおかしい」とある。ちょうど下から4人パーティが登ってきた。 ここからいよいよバリエーションルートである。続いてきた登山道は終わり、稜線には細い踏み跡が残された。笹も現われるが、背も低く笹漕ぎとまではいかない。小さなコブを越え、次の1596メートル峰に到ると踏み跡が怪しくなる。右下方には、山肌を痛々しく削った林道が見える。猪之頭峠を越えている湯之奥・猪之頭林道だろう。雪見岳への登りに掛かる。顔にかかる笹はうっとうしい程にはなるがまだ踏み跡は明確である。雪見岳山頂部の一角に達した。山頂標示があり、ルートはここで90度右に曲がる。途端にものすごいことになった。スズタケの猛烈な密叢である。一寸の隙間もなく密生した背を没する笹が行く手を阻む。しかも笹は、降雪の影響だろうか、倒れて絡み合いかきわけるのも容易でない。もとより覚悟の上である。かき分け、押し分け、強引に乗り越え、笹との格闘を開始する。踏み跡も赤布もないが、稜線が明確なのでルートファインディングの必要がないだけ助かる。下りに入るが、すさまじい笹の密叢はどこまでも続く。おまけに足元には倒木が隠されている。笹に滑り、倒木につまづき、時々すってんころりんとなる。笹が絡み付いて立ち上がるのも大変である。既に1時間以上歩き続けているが休む場所とてない。いい加減へきへきした頃、ようやく笹の切れた小平地に出た。ほっとして腰を下ろす。 すぐ下が猪之頭峠であった。灌木に囲まれ展望のない小鞍部である。身延側への峠道は痕跡もないが、猪之頭集落側へは笹の中に微かに踏み跡が確認できる。この峠の下を林道がトンネルで通過している。熊森山の登りに掛かると、嘘のように笹は消えた。ただし、雑木の枝のうるさい細い踏み跡である。笹の薮漕ぎでだいぶ体力を消耗したと見えて登りが苦しい。点々と真新しい動物の足跡が続く。かなり大型の動物と思える。熊森山の名前からして熊だろうか。まさか。鹿かカモシカだろう。ようやく到着した熊森山山頂は、展望はないが、高木に囲まれた気持ちのよい平頂であった。時刻はすでに12時半、しかし、まだ半分も来ていない。あわよくば天子ヶ岳まで縦走して白糸の滝へ下ればタクシーがあるかも知れないと考えていたが、長者ヶ岳で時間切れになりそうである。いったい車までとうやって戻るつもりなのだ。この熊森山から大きな支稜が西に分かれる。五宗山に続く稜線である。微かに踏み跡らしき気配が感じられる。いつか辿ってみたいルートである。 熊森山の下りに入るとにわかに踏み跡が明確になった。ピークを2〜3越す。二重山稜となった複雑な地形もあるが、尾根筋は明確である。相変わらず木の間隠れに富士山が見える。1411メートル峰を越すと「勇水峠」との標示がある小さな鞍部に達した。峠道は消滅して確認できない。道標には「長者ヶ岳100分、天子ヶ岳150分、田貫湖170分、毛無山300分」と記載されている。この稜線には県遭難対策本部の名で要所要所に立派な道標が設置されている。おそらくかつては登山道として整備されていたのだろう。 見違えるように明確となった踏み跡をひと登りすると送電線鉄塔の立つピークに達した。丸太作りの立派な小屋がある。久しぶりに展望が大きく開け、真っ青な空をバックに悠然とそびえ立つ富士の姿が美しい。ここより鉄塔巡視路となり、階段整備までされた小道となった。巡視路は次の1373メートル峰との鞍部で上佐野側へ、ピークから猪之頭側へ下っていた。よほどこの巡視路を下ってしまおうかと思ったが、思い直して再び薮道となった稜線を辿る。もうめぼしいピークはなく、長者ヶ岳まで緩やかな尾根道のはずである。 尾根は緩やかだが、所々背丈ほどの笹も現われる。いくつかの小峰を越える。いい加減疲れた。落ち葉の積もった雑木林の中に座り込む。「なんで俺は誰もいないこんな山の中を一人で歩いているんだ」。とりとめもない思いが心に浮かんでは消える。もう立ち上がるのも嫌だ。木漏れ日が暖かく昼寝をしたい。ふと、足元の落ち葉を靴でかきわけてみると、その下に草が芽を出しかかっているのに驚く。 「もうひと踏ん張りするか」。嫌々腰を上げる。「それにしてもどうやって車まで帰るつもりだ」。自分に問いかけてみる。「どうにかなるさ」。もう一人の自分が答える。バイケイソウがたくさん芽を出している平坦地を過ぎ、登りに入る。長者ヶ岳はもう近いはずだ。突然小さな白い花が目に飛び込む。立ち止まって見渡すと、冬枯れの林の中に可憐な花が点々と咲いている。この春初めて見る山野草の花である。一つの茎の頂に十程の花弁の白い花をつけ、葉は菊に似ている。キクサキソウである。図鑑には「県内の山で見られるが希」とあるが、今日であえるとは思わなかった。疲れも忘れ、うれしさが込み上げてきた。 ひと登りするとそこが長者ヶ岳山頂であった。二度目の頂である。だあれもいない。備え付けのベンチに寝転び、午後の日に輝く富士山を見つめる。時刻は3時少し前、毛無山から6時間掛かった。もう天子ヶ岳まで行く時間はない。田貫湖に向け下り出す。 この登山道は東海自然歩道になっている。今までとはうって変わってマウンテンバイクでも走れそうな立派な道だ。左右の林の中に目を凝らすと、ここでもキクサキイチゲの花がたくさん見られる。常に正面に富士山を見つめながらの下りである。しばらく下ると、満開の花をつけた山桜がたくさん現われる。ソメイヨシノのような派手さはないが、下向きに咲く薄紅色の小さな花はなんともかわいらしい。山桜を前景として富士を眺める。林の中にはミツバツツジも咲き出している。約1時間の下りで田貫湖畔の車道に飛び出した。だれもいない。何にもない。車までは歩いて帰る以外にない。3時間も歩けば着くだろう。幸いここから麓集落までは東海自然歩道が通じている。 通る車とて希な林の中の車道をひたすら歩く。林の中は相変わらず山桜が多い。小田貫湿原を抜け、別荘地を抜け、小1時間で猪之頭集落に入る。集落というより小さな町で、富士の勇水を利用して鱒の養殖が盛んなようだ。自転車で擦れ違った女子中学生が丁寧に挨拶する。やはりここも静岡だ。天然記念物という樹齢500年のミツバツツジにであった。大木一杯に紫の花が咲き実に見事である。足は棒のようで、やけっぱちで歩いているが、歩けばそれなりにいいことがある。集落を抜け再び山道に入る。富士山が夕映えに輝いている。今日はモルゲンロートに輝く富士から夕映えの富士まで、富士を一日見続けたことになる。田貫湖から2時間、すっかり薄暗くなったちょうど6時、ついに愛車に辿り着いた。実に12時間以上の行動であった。 |