奥秩父 三峰神社より雲取山日帰り往復

 長駆尾根を辿り、日本百名山へ

2005年8月20日


 三峰神社駐車場より白岩山(左)、芋の木ドッケ(その奥)、雲取山(右)を望む              
 
三峰神社駐車場 (720) → 二股檜(800〜810)→ 地蔵峠(850)→ 霧藻ヶ峰(900〜905)→ お清平(915)→ 前白岩の肩(1000〜1005)→ 前白岩(1025〜1030)→ 白岩小屋(1050)→ 白岩山(1120〜1135)→ 大ダワ(1215)→ 雲取山荘(1240〜1245)→ 雲取山山頂(1320〜1335)→ 雲取山荘(1355〜1400)→ 大ダワ(1420)→ 白岩山(1515〜1530)→ 前白岩(1605)→ お清平(1645〜1650)→ 霧藻ヶ峰(1705〜1715)→ 三峰神社駐車場(1825)

 
 しばらく山から遠ざかっている。月末に北海道へ遠征する計画があるので、一度足慣らしをしておかなければならない。真夏のこの季節どこへ行ったものかと考えていたら、雲取山が頭に浮かんだ。もう、10年以上この山にご無沙汰している。泊まりがけはいやなので、日帰り可能かどうか調べてみると、三峰神社から片道10.7キロ、往復で21.4キロである。10時間もあれば行ってこられるだろう。

 朝5時20分車で家を出る。既に夜は明けている。空は晴れ渡り、下界は今日も暑そうである。ちょうど2時間のドライブで、三峰神社の大きな有料駐車場に着いた。午後6時で閉鎖だという。間に合わないかも知れないというと、奥の別駐車場を指定された。

 三峰神社を目指して、石段を上部の道に上り上げると、通りかかった男が、「この道を行けば、神社に寄らずに直接雲取山方面に行ける」と、苔むした石畳の細い道を示してくれた。何の標示もないが、示された小道に踏み込む。道は緩やかに斜登し、10分ほどで、神社から来た縦走路に合わさった。後はひたすらこの道を進めばよい。縦走路は尾根の西側を巻き道となって緩やかに続く。杉並木の確りした小道である。奥宮分岐を過ぎ、30分も歩くと「二股檜」との標示を見る。テーブルとベンチがあったので、朝食とする。その間に、重荷を背負った単独行者が足早に通り過ぎていった。

 さてと、立ち上がりかけたとき、大音響のラジオの音とともに単独行の中年の男がやってきた。これは困った。樹林の中の朝の静かな雰囲気が台なしである。こんな騒音とともに歩くのはまっぴらである。やり過ごして出発したのだが、私の方がペースが速い。仕方がないので、追い越して、足早に騒音から逃げる。妙法ヶ岳分岐を過ぎ、炭焼き窯の残る「炭焼き平」を過ぎると、巻き道は終わり、尾根上の本格的な登りとなった。一汗流すと、赤いべべを着たお地蔵さんの立つ「地蔵峠」に達した。鞍部ではなく、登り坂の途中である。ここで、太陽寺への道が分かれるが、「途中崩壊のため通行止め」との標示がなされている。ここからひと登りで、1523.1メートル三角点ピークに達した。今日初めての視界が北側に開け、三峰神社から妙法ヶ岳にかけての展望が得られる。ひと休みしていたら、凄まじい音響とともに例の男がやってきて、隣に腰を下ろそうとする。本人は何も感じていないらしい。慌てて逃げ出す。すぐに、秩父宮のリリーフが現れる。この宮は戦争末期、軍部に担がれてクーデターを企てた。その数十メートル先が、霧藻ヶ峰である。この名前は秩父宮が命名した。西側に大きく展望が開け、目の前に、大きな大きな和名倉山が横たわっている。下から、大音響が聞こえてきたので、腰も下ろさずに、すぐに出発する。

 急坂を鞍部に下ると、そこがお清平。太陽寺へ下る道が左に分かれる。さて、ここからがこのルート最大の難所、前白岩山への大急登である。覚悟を決めて急登に挑む。背後の人声に振り返ると、二つの人影がお清平に現れ、ものすごい速度で、追いかけてくる。あっという間に抜き去られた。重荷を背負った若者である。ほれぼれするほどのピッチ、もう若者にはかなわない。私はストックにすがって、ゆっくり、しかし確実に高度を稼ぐ。鎖場を過ぎ、木製の梯子を過ぎ、急登はなおも続く。ふと辺りを見渡すと、いつの間にか周りは鬱蒼とした原生林に変わっている。モミやシラビソの老木が生い茂り、「これぞ奥秩父」という雰囲気である。ただし、昔は無数にあった霧藻(サルオガセ)の姿は見られない。

 初めて下山者とすれ違った、小学生の女の子と中学生の男の子を連れた家族連れだ。早朝に雲取小屋を出発したのだろう。実にほほ笑ましい。標高2000メートルを越え、泊まりがけ登山が基本となる雲取山は、ハイキングというより登山の領域になる。「道を譲りなさい」と、父親が確り登山ルールを教えている。ようやく「前白岩の肩」と標示のある平坦地に登り上げた。一息入れて、さらに急登に挑む。お清平から1時間10分掛かって、ようやく前白岩山に到着した。誰もいない。標高は既に1776メートル、空気はひんやりして涼しい。

 白岩山との鞍部に建つ白岩小屋めがけて下りに入る。前方木々の合間に雲取山が見えた。全山黒木に覆われた穏やかな山容であるが、まだまだ遠い。20分で小屋に下り着いた。小屋は営業中であるが人影はなかった。そのまま白岩山の登りに入る。雲取山に登るこの三峰ルートは、白岩山1921メートルを越えていかなければならない。登山道というより縦走路である。久しぶりの山行のせいか、それとも歳のせいか、気持ちとは裏腹に歩みはのろい。このままだと、雲取山到着はだいぶ遅くなりそうである。帰路は懐電を覚悟しなければなるまい。夕立が来なければよいが。この白岩山への登りとて、前白岩山の登りほどではないが、相当きつい。

 小屋から30分の登りで、ようやく白岩山の頂に達した。ベンチとテーブルが幾つかある山頂には、追い越していった2人と三峰神社に向う1人が休んでいた。私もベンチに座り昼食とする。この山頂は原生林の中で展望は一切ない。いまから25年も前の真冬、この山頂で1人テントを張った。あの夜の寒さと、星の美しさが思い起こされる。いつも餌をねだってやってくる鹿の姿が見えない。

 芋の木ドッケとの鞍部に下る。道標があり、荒れた登山道がピークへ登り上げている。縦走路は、ここから芋の木ドッケを巻きに掛かる。桟道、梯子を下り、危なっかしい巻き道に入る。冬期には最も危険な場所だ。至る所に「アイゼン着用」との標示がなされている。時折、ちらりちらりと雲取山のピークが見える。だいぶ近づいた。もう一息である。白岩山から40分掛かって大ダワの鞍部に着いた。日原からの登山道が合流する。ここで縦走路は二つに分かれる。真っすぐ斜面を登っていく男坂と左より巻きに掛かる女坂である。いい加減くたびれた。女坂を選択する。

 緩やかに登っていくと、旧雲取ヒュッテの下を通り、平成11年10月に新築された雲取山荘に到着した。前回この地を訪れたのは昭和63年であるので、この新設の山荘を見るのは初めてである。丸太造りのなかなか立派な山小屋である。テントが一張張られているだけで、小屋周辺には人影もない。ベンチに腰を下ろしひと休みする。水道から冷たく美味しい水が流れている。

 いよいよここから最後のアタックである。ザックをデポしていきたい誘惑にかられたが、思い直して腰を上げる。原生林の中をひたすら登る。上から2人連れが下ってきた。左側に、樹林の間から、芋の木ドッケと白岩山の双耳峰がちらりちらりと見える。登りは3段の急登に分かれていた。13時20分、ついに日本100名山・雲取山の頂に達した。誰もいない。この名山を今日は独り占めである。展望が大きく開ける。目の前には、その名の通り、飛び立つ龍のごとき飛龍山が、大きな山体を横たえ、そこへ向って足下よりのたうつ稜線が続いている。その奥には、累々たる奥秩父の山並み、左手遠くには、大菩薩山塊が連なっている。足下にはマルバダケブギの黄色い花がお花畑となって群生している。無人の山頂で、山々を見続ける。この山頂を初めて訪れたのは1964年、今から実に41年も昔である。その後1979年、1993年と訪れた。今回で4度目である。次にやって来る機会があるだろうか。

 既に時刻は1時30分を過ぎている。去りがたい頂だが、帰路を急がなければならない。原生林の中を下る。山頂直下に鎌仙人こと富田治三郎翁のリリーフがあった。翁は初代雲取小屋の主としてこの山の発展に尽くした。下った雲取山荘は相変わらず人の気配がなかった。帰路は男坂を選択する。廃屋となった旧雲取りヒュッテの前を通る。懐かしい小屋だ。この小屋に2度ほどお世話になった。今は朽ち果てるのを待つばかりとなっている。目の前にはこれから越えなければならない白岩山が芋の木ドッケと並んで高々と聳え立っている。

 登ってくる単独行者2人とすれ違って、大ダワに下り着く。いよいよ、約250メートルの帰路最大の登りである。芋の木ドッケの西斜面をトラバースしながら次第に高度を上げる。遠くで雷鳴が轟いている。雨が来なければよいが。点々と雲取山へ向う登山者とすれ違う。バス、ケーブルを乗り継いで三峰神社出発となると、この時間になるのだろう。大ダワから55分も掛かってようやく白岩山山頂に登り着いた。人間は誰もいないが、6匹ほどの鹿の群れが向かえてくれた。ベンチに腰を下ろし、握り飯をほお張る。鹿が手元まで寄ってきて、盛んに握り飯を欲しがる。これほど人間を恐れなくなってしまって果たしてよいものだろうか。天敵・日本狼が姿を消してから100年、奥秩父の鹿は増え続けているようである。

 既に3時半、帰着は日暮れと競争になりそうである。早々に出発する。白岩小屋まで下り、今度は前白岩山の登りに入る。いい加減くたびれた。この時間でもまだ雲取山荘に向うパーティと出会う。登り上げた前白岩山山頂にはアベックが休んでいた。もう雲取山荘まで行くのは諦め、白岩小屋に泊まるという。このパーティーが行きあった最後のパーティーとなった。木々の間を通して見る太陽はだいぶ傾いてきた。相変わらず遠くで雷鳴が轟く。前白岩の急降下は、下りといえどもいやなところだ。爪先が痛くなった。16時45分、薄暗くなったお清平に下り着いた。さぁ、最後の踏ん張りで、もうひと山越えなくてはならない。

 登り上げた山頂の霧藻ヶ峰小屋で小屋主の新井さんが迎えてくれた。「ここまで来ればもう大丈夫。あと1時間の距離だから。ひと休みしていきなさい」の勧めに従う。「これから1人寂しく夕飯をつくるんだい」と笑っている。小屋は宿泊可能だが、今日も宿泊者はいないとの話し。目の前には夕闇迫る濃紺の空に、両神山がくっきりと浮かんでいる。

 最後の行程に出発する。地蔵峠を過ぎると、登山道は遊歩道といえるほど確りしてくる。ここまで来れば懐電でも歩ける。樹林地帯の水平な道に入る。ここからが長い。6時5分、ついに太陽は山並みの背後に沈んでいった。薄明かりの残る道を疲れた足を引きずり急ぐ。もはや出会う人影はない。6時25分、ついに愛車の待つ駐車場に到着した。雲取山日帰り登山の終焉である。振り返ると、薄明かりの残る濃紺の空に、雲取山がくっきりと浮かんでいた。   

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