日光 社山から黒檜岳へ 

低い笹原の続く快適な縦走路は大公害のツメ跡

2002年5月26日


社山より黒檜岳を望む
 
歌ヶ浜(540〜550)→狸窪(615)→阿世潟(635〜645)→阿世潟峠(655〜710)→アンテナピーク(730)→社山(810〜835)→1816メートル峰(925〜940)→黒檜岳(1025〜1050)→中禅寺湖畔(1155〜1210)→千手ヶ浜(1220)→千手ヶ浜バス停(1225〜1250)

 
 日光中禅寺湖南岸の山稜は東から茶ノ木平、半月山、社山、黒檜岳と続いている。昨年の11月、社山から東に縦走し、半月山を越えて茶ノ木平まで歩いた。社山から西、黒檜岳までの稜線が宿題として残されている。ただし、この稜線縦走はバリエーションコース、やるからには覚悟がいる。
 
 日の出前の4時、車で出発する。はるか北方に男体山をはじめとする日光連山が見える。今日はこの季節には珍しく視界が良さそうである。東北自動車道を走るうちに太陽が昇ってきた。5時50分、勝手知った歌ヶ浜の無料駐車場に車を停める。驚いたことに、早朝にもかかわらず大駐車場はすでに満車に近い。どうやら釣り人のようである。湖を挟んだ目の前には男体山が高々とそびえ立ち、まさに絵葉書のような明美な景色である。目を左に振ると、兜のような日光白根山が残雪をまとって朝日に輝いている。さらに目を左に振ると、これから登る社山が、端正な正三角形を濃紺の空に突き上げている。
 
 勝手知った湖岸の道を阿世潟に向かう。さすが標高1200メートルを越える湖岸は寒い。岸辺には点々と釣り人の姿が見られる。湖上にも数多くのボートが浮かんでいる。ワカサギ釣りだろうか。一本の大きなシロヤシオの木が満開の花を付けている。狸窪を過ぎ、さらに足早に湖岸の道を進む。6時35分、阿世潟着。ひと休みする。前回はここにカメラを忘れ、阿世潟峠との間を2往復した苦い思い出がある。ここからいよいよ登山開始である。約15分弱のアルバイトで、あっさり阿世潟峠に登り上げた。ミツバツツジの咲く峠は無人であった。日溜まりに腰を下ろし、朝食の巻き寿司を頬張る。風は強いが視界は良好である。目の前に足尾鉱山の鉱毒に犯された山々が赤茶けた山肌を晒している。
 
 犬2匹を連れた夫婦連れが登ってきたのを潮に出発する。ここから社山山頂まで約1時間の急登である。しかし、低い笹原の中の大展望の登りであり、それほどの苦痛はない。登るにしたがい、視界は大きく広がる。右側は眼下に中禅寺湖が広がり、その先に男体山、太郎山などの表日光の山々が盛り上がっている。一番奥には斑な残雪をまとった日光白根山、まさに絵のような風景である。左側には足尾の山々が関東平野に向かって幾重にも山並みを重ねている。立ち止まっては、目を左右にはせる。振り返ると、阿世潟峠を挟んだ半月山が鋭角的な山容を空に突上げている。さらに目を凝らすと、そのはるか彼方に筑波山がうっすらと見えるではないか。今日は何と視界がよいことか。富士山が見えないかと目を凝らしてみたが、さすがに無理であった。アンテナの立つピークを越え、笹の道をさらに急登する。立ち止まって男体山に見とれていたら、鹿が一匹駆け抜けていった。
 
 8時10分、ついに社山山頂に達した。この一角だけ薄いコメツガの林となっていて山頂の展望はよくない。ただし、山頂のちょっと先に大展望の広がる笹原がある。証拠写真を一枚撮って、すぐに笹原に向かう。この笹原も無人であった。おそらく、私が今日最初の登頂者なのだろう。目の前に大展望が広がっている。視線はまずこれから辿る黒檜岳へ続く稜線に向かう。足下からゆったりした大きな尾根が、左右上下に大きくうねりながら黒檜岳へと続いている。尾根は低い笹原と思える緑の絨毯で覆われている。何とも気持ちの良さそうな尾根である。ただし、ガスにでも巻かれたらルートファインディングが難しそうである。幸い今日は快晴の空が広がっている。すばらしい縦走ができそうである。安心して笹原に腰を下ろす。
 
 握り飯を頬張りながら目の前に広がる山々に見とれる。視線の先に足尾の名峰・皇海山から袈裟丸山へ続く稜線が横たわっている。皇海山は23年も前に一度登ったが、袈裟丸山はいまだその頂を知らない。いつか登ってみたい山である。その前景には、赤茶けた山肌が痛々しい足尾の山々。足尾鉱山の煙害に痛められ、いまだ笹さえ生えない山々である。これから辿る笹原の続く稜線とて、昔はシラビソやコメツガが鬱蒼と茂る原生林であったといわれる。煙害によりすべての森林が破壊されてしまったのだ。恐ろしいことである。鉱山を経営した古河財閥は今に続く大きな財をなし、またこの鉱山は日本資本主義の勃興に大いに貢献したことも事実である。しかし、その負の遺産も今に引き継がれている。
 
 いよいよ黒檜岳へ向けての縦走を開始する。山頂直下のコメツガとシャクナゲの密林に突入する。踏み跡は薄くルートはきわめてわかりにくいが、樹林が浅いので適当に下ればよい。樹林を抜けると荒涼とした鞍部に達する。白茶けた枯れ木の根が無数に散乱し、笹さえも生えず地肌がむき出しである。左右からはガレが迫っている。次の小ピークからは低い笹に一面覆われた緩やかな尾根となる。露石のある小ピークを越え、左に曲がって広々とした鞍部に下る。笹原の中にダケカンバの小さな疎林がある。自然の回復力の象徴であろう。右、左と大きくカーブを切りながら緩やかな小峰をいくつも越えていく。山肌はすべて低い笹に覆われ、その中に無数の白茶けた木の根っこが散乱する。そしてぽつりぽつりと小さなダケカンバが生えている。こんな光景が何処までも続く。すさまじい破壊と微かな再生の息吹である。
 
 笹原の中に一筋の弱々しい縦走路が続く。そして無数の鹿道が分岐し、合わさる。時々鹿道に迷い込む。骨と皮のミイラ化した鹿の死体を見る。笹の尾根だけに何処も彼処も展望がすばらしい。振り返ると、越えてきた社山が、湖畔から眺めるほどの端正さはないが、それでも三角形の山容をひときわ高く青空に突き上げている。右側には相変わらず中禅寺湖と男体山、太郎山、日光白根山。行く手には黒檜岳の何処が山頂ともつかないゆったりした山容が横たわっている。突然人影が現れびっくりする。見れば重装備をした単独行の若い女性である。この稜線で人に会うとは思わなかった。
 
 地図上の1816メートル峰でひと休みする。空は真っ青に晴れ渡り、尾根はぽかぽかと暖かい。周りは無限の展望が広がり、見渡す限り尾根上には人影はない。笹原に寝ころべば、眠気さえ催してくる。行く手の黒檜岳はもう手の届く近さである。もうワンピッチで行けるだろう。やがてルートは緩やかな、そして長い登りに入った。尾根を覆う笹原の状況が変わり、今までの膝下ぐらいの低い笹から胸元ほどの高い笹の密生となる。細い踏み跡は完全に笹に隠され、足先で探りながらの前進となる。ただし、先週の酉谷山―熊倉山縦走で経験した背を没する笹原に比べればどうと云うこともない。
 
 やがて傾斜はなくなり、尾根筋も消失する。と同時に踏み跡は鬱蒼としたコメツガ、シラビソの森の中へと入っていく。黒檜岳の山頂部を覆う深い樹林に入ったのだ。この樹林の中はルートがきわめてわかりにくい。というより、ルートファインディングは絶望的である。平坦な地形的特徴のない深い樹林の中で、方向感覚さえ麻痺する。しかも踏み跡はないに等しい。幸い、ここまで全くなかった赤布が頻繁に現れ、また黄色と赤に塗り分けた四角のブリキ板が要所要所の木に打ち付けられている。次の標示、次の標示と全神経を緊張させ、標示を一つ一つ確認しながら前進する。いったんルートを失ったら、脱出不可能ではないかとの恐怖感が湧く。幾分傾斜の増した樹林の中を慎重に進むと、上から同年輩の単独行者が下ってきた。山頂までもう5分という。再び傾斜を失った樹林の中を進むと、突然山頂標示が現れた。ついに黒檜岳までやってきた。ほっとして座り込む。
 
 鬱蒼としたシラビソやコメツガの原生林の中で、手製の山頂標示が三つほど樹木に打ち付けられている。社山以来の初めて道標があり、辿ってきた微かな踏み跡を「社山」、「く」の字に曲がる感じで先に続くはっきりした踏み跡を「千手ヶ浜」と示している。無人の山頂に座り込み、握り飯を頬張っているうち、疑問が湧いてきた。「ここは本当に黒檜岳の山頂なのだろうか」。現在地は高みにも見えない平坦地である。地図を見ると、山頂は千手ヶ浜からの登山道と合流したのち少し西へ進んだ地点となっている。ただし、その方向へは踏み跡もなく、しかも木々にくどいほど×印が記され、おまけに立木でバリケードまで張られている。探ってみたい気もするが、尾根筋も目標物とてない原生林の中に踏み込むのは何となく怖い。しかも、これだけ明確に進入禁止の標示がされている。
 
 千手ヶ浜方面から単独行の若者が登ってきた。「この山頂標示はおかしいですね。すべて『黒檜山』となっている。この山は『黒檜岳』のはずですよねぇ。黒檜山は赤城山にある山はずだが」。私も気がついていたが、まさに彼の云うとおりである。すべての標示が「黒檜山」となっている。彼は写真を一枚撮ると、ザックを下ろすこともなくそのまま引き返していった。原生林の中に再び静寂が戻った。私もここを山頂と決めて下ることにする。地図を見ても黒檜岳山頂部はまるで高原のように広々とした平坦な地で、無理矢理何処を山頂と特定することもなかろう。この地点とて山頂部の一角であることは確かである。
 
 見違えるほどしっかりした踏み跡を千手ヶ浜に向け下る。すぐに、ほんの10メートルほどの高みを越える。明らかにこの高みの方が山頂標示の地点より高い。微かな尾根筋に沿って下っていくと、何と、残雪が現れた。まさか5月下旬に2000メートルにも満たない山で残雪を見るとは思わなかった。急坂をどんどん下る。この辺りはかなり昔、山火事があったとみえ、木の根に焼け跡が見られる。ただし、すでに森林は完全に回復しその傷痕は見えない。シャクナゲが現れた。濃いピンクのアズマシャクナゲである。下るに従い、その数をどんどん増す。まさにシャクナゲの大群生である。あちこちの山でシャクナゲはずいぶん見てきたが、これほどの群生に出会うのは初めてである。シロヤシオも頻繁に現れる。真っ白なハクサンシャクナゲをみつけた。盛りは過ぎたが鮮やかな紫のミツバツツジもある。まさにこの登山道は花の道である。三人ほど単独行者とすれ違う。この山域で出会うのはみな単独行者である。それにしても急な道である。登りに採ると大変だろう。やがて道は急斜面のトラバース道となる。少々怖いが踏み跡は明確である。木の間隠れに見える湖面がぐんぐん近づいてくる。沢の源頭を横切る。この場所が非常に悪い。
 
 11時55分、ついに湖岸の遊歩道に下り着いた。黒檜岳登山道の入り口には何の標示もなく、この山が一般登山対象となっていないことが知れる。湖畔の砂浜に腰を下ろしひと休みする。ときおり小魚の跳ねる湖面の向こうに男体山がゆったりと聳えている。今日一日、この山を見続けてきた。湖畔の道を千手ヶ浜に向かうと、多くのハイカーが現れる。12時20分、千手ヶ浜に到着した。さてここから、車のある歌ヶ浜まで戻らなければならない。定期バスの通う竜頭ノ滝まで歩くと1時間15分掛かる。この一帯は自然保護のため自動車の乗り入れが禁止されているが、低公害バスが戦場ヶ原の赤沼茶屋まで運行されているはずである。バス停に行ってみると25分待ちでバスがある。バスに乗ることにする。バスを乗り継ぎ、ちょうど2時、愛車の待つ歌ヶ浜に戻った。 

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