浅間山から黒斑山へ 

登山規制強化も知らず、ノー天気な危険な登山

2002年7月21日


浅間山より前掛山を望む
 
 
天狗温泉(700〜710)→一の鳥居(735〜740)→二の鳥居(805〜810)→火山館(800〜820)→湯ノ平高原(825)→Jバンド分岐(840)→前掛山分岐(1035〜1040)→前掛山(1100〜1115)→前掛山分岐(1125)→浅間山山頂(1150)→前掛山分岐(1205〜1220)→Jバンド基部(1250)→Jバンド(1310〜1315)→仙人岳(1340〜1350)→蛇骨岳(1400)→黒斑山(1425〜1435)→トーミの頭(1450〜1455)→湯ノ平高原(1525)→火山館(1530〜1535)→二の鳥居(1605〜1610)→一の鳥居(1620〜1625)→天狗温泉(1645)

 
 本州中部にあって、今なお活発な火山活動を続ける浅間山は関東以北における日本第2の高峰である。その標高2568メートルは日光白根山2578メートルよりわずか10メートル低いに過ぎない。しかも、浅間山はその火山活動のため、今なお年々成長を続けており、白根山を抜くのも時間の問題とさえいわれている。浅間山は三重式火山である。もっとも古い山体は黒斑山火山である。4万年ほど前から活動を開始し、2万2千年前に山体大崩壊を起こして活動を停止した。現在の黒斑山からJバンドへ続く山稜はこの火山の火口壁の一部であり、浅間山の第1外輪山を形成している。その後、1万5千年前まで仏岩火山が活動し、前掛山火山へと引き継がれた。有史以来活動を続けて来たのはこの前掛山火山である。現在、前掛山と呼ばれる2524メートル峰は、この前掛山火山の火口壁の一部であり、浅間山の第2外輪山でもある。1783年の天明の大噴火により、この前掛山火山の火口内に中央火口丘・釜山が形成された。現在噴煙を上げているのはこの釜山の火口である。

 浅間山は活火山のため登山が規制されている。長い間、火口から小諸側2キロ、軽井沢側4キロが立入禁止とされていた。このため、第1外輪山の最高峰・黒斑山が浅間山の代理を務めていた。黒斑山に登ることにより浅間山に登ったことにするのである。日本百名山の登山案内もみなこの慣習に従っていた。しかし、昨年7月に規制が緩和され、小諸側は火口から500メートルまで登れることになった。この結果、第2外輪山の最高峰・前掛山が登山可能となり、代理の地位を取って代わった。
 
 黒斑山に登ってみようと思った。この付近の山でこの山だけが未踏峰となっている。しかし、この山だけでは車坂峠からわずか1時間半の登りである。高価な高速道路代を払ってわざわざ登に行くにはもったいない。どうせなら前掛山も登ってみようか。こんな事を考えながら地図を眺めていたら、黒斑山からJバンドへ続く山稜がひどく魅力的に見えてきた。案内書にはこの山稜は崩壊が激しいために登山禁止とあるが、ホームページには縦走記録もある。

 5時、車で出発する。昨日、関東地方の梅雨明けが宣言され、今日も下界は35度を超える猛暑が予想される。空はどんよりと晴れ、夏霞が深そうである。小諸インターで降り、天狗温泉へ向かう。家から155キロ、2時間走って、7時、山中の一軒宿・天狗温泉浅間山荘に着く。今日の予定は、ここから湯ノ平高原を経て前掛山に登り、帰路はJバンドから第一外輪山を黒斑山まで縦走して湯ノ平高原に下るつもりである。ただし、第1外輪山の縦走が可能かどうかの不安要素がある。

 7時10分、鳥居をくぐってコースに入る。この登山道は浅間神社の参道でもある。最初は車も通れる平坦な広い道だが、すぐに登山道に変わる。ここはすでに標高1500メートルを超えている。空気はひんやりとして気持ちがよい。周りは広葉樹の森で道端にはピンクのシモツケソウと紫のウツボグサが途切れることなく群生している。緩やかに登っていくと、5〜6組の下山パーティとすれ違う。いったいどこから下ってきたのだろう。約30分も歩くと、沢のほとりの第1鳥居に着いた。古びた木製の鳥居が道をまたいでいる。ひと休みする。

 ここで沢沿いに進む不動ノ滝経由の道と、直接第2鳥居へ向かう道と分かれるのだが、両コースともロープが二重三重に張られて、「この先立入禁止」の標示がなされている。いったいどういうことなんだ(この疑問は下山後解けるのだが)。気にも掛けずロープをくぐって、左、山腹を登る直接コースをとる。ここからは本格的な登山道となった。鬱蒼とした広葉樹の森の中に一筋の踏み跡が続く。前後に人影はない。時折、鶯の鳴き声が静寂を破る。森の中にはたくさんの山野草が咲いている。クルマユリ、ニッコウキスゲ、ホタルブクロ、ヤマオダマキ。道は緩くもなく、急でもなく、実に登りやすい。花の写真を撮りながらのんびりと登っていく。「二里十三丁」と刻まれた石碑がある。続いて「二里半」の石碑。昔の浅間神社参道の痕跡なのだろう。小沢を渡ると、第2鳥居に着いた。第一鳥居同様の木製の鳥居が道をまたいでいる。ここで不動ノ滝経由の道が合流する。倒木に腰を下ろしひと休みする。

 変化のない樹林の中の登りが続く。ただし、相変わらず野の花が多く、苦痛はない。アザミが登山道に張り出しズボンの上から皮膚を刺激する。前方に岩峰が見えてくるようになると傾斜が緩み、小さな草原が連続するようになる。「カモシカ平」との標示がある。運がよければカモシカに出会えるとのことである。草原は色とりどりのお花畑である。ピンクのカワラナデシコ、白い穂のカラマツソウ、ハクサンフウロも咲いている。知らない花は写真を撮って帰ってから調べよう。「中開霊神」と刻まれた石碑を見る。道は山腹をトラバースするようになり、右から沢が近づいてきた。火山地帯特有の真茶な毒々しい流れである。辺りに硫黄の匂いが立ちこめる。「有毒ガスが発生しているのでコースを外れないように」との注意書きがある。沢をわたってひと登りすると、火山館であった。

 ログハウス風の2階建ての建物で、一階は避難壕である。二階は火山に関する展示場になっているはずだが、どういう訳か、扉は釘付けされ閉鎖されている。テラスで、外人の単独行者がテントの撤収をしていた。備え付けのベンチに座り朝食とする。ここまで何も食べずに登ってきた。この地点はすでに2000メートルを超えているが、陽が燦々と射し暖かい。目の前には牙山の奇怪な岩峰がそそり立っている。ここに浅間神社の社殿がある。今日の無事を祈る。同年輩の単独行者が登ってきたのを潮に出発する。

 火山館から一段上がると、すばらしいお花畑が現れた。平坦な疎林の中に草原が広がり、アヤメを中心とした山野草が咲き乱れている。湯ノ平高原と呼ばれる場所である。うっとりしながら5分も辿ると、またもや二重三重にロープが張られ、立入禁止の立て札。昨年の7月、2キロ規制が500メートル規制に緩和されるまで、この地点から先が規制区域であった。おそらくそれ以前の処置の名残なのだろう。ここで、黒斑山へのルートが左に分かれる。帰路下ってくる予定のルートである。踏み跡は明確だがかなり草深そうである。

 Jバンドへの分岐を過ぎると次第に傾斜が現れ、岩盤の道となる。樹木はますます疎となり、オンタデとコメススキが目立つようになる。女性の二人連れとすれ違う。ついに樹木は尽き、目の前には火山特有の荒涼とした景色が現れる。ただ一面、茶色の砂礫の広がりである。もはや生えている植物はオンタデとコメススキのみである。ルートは砂礫の急斜面となって雪崩落ちる前掛山の西斜面を斜行するようになる。まさに胸突き八丁、相当な急登である。ただし、今日は調子がよい。砂礫を踏んでグイグイ登っていく。「三里十五丁」の石碑を見る。左眼下には草原となった雄大な火口原が広がり、その先には、Jバンドから黒斑山に続く第1外輪山がものすごい絶壁を掛けて連なっている。帰路辿る予定の山稜である。火口壁跡であるあの垂直の絶壁をどうやってJバンドに登るんだ。また、いくつもの岩峰の連なる稜線は果たして歩けるのだろうか。休むこともなく急な砂礫の道を登っていく。上方に先行パーティが見えてきて、その距離はグイグイ縮まる。快調な登りである。

 10時35分、ついに前掛山分岐に達した。足下から急な礫岩の斜面が浅間山本峰に向け一気に突き上げている。見上げる山頂は、吹き上げる白煙と去来するガスに見え隠れする。山頂に続く踏み跡は「立入禁止」の看板とともにロープで通せんぼである。右手にはこれから辿る第2外輪山が盛り上がり、その先に鈍角三角形の前掛山が沸き上がるガスに見え隠れしている。前掛山前面の火口壁跡である垂直の絶壁がひときわ目を引く。分岐地点には二組の先行パーティが休んでいたが、私の到着と同時に、三人連れはザックをデポし、通せんぼのロープをくぐって浅間山本峰に登りだした。

 私は予定通り前掛山に向かう。ここから先は一切の植物のない荒涼とした岩と礫だけの世界である。蒲鉾型のシェルターが二棟設置されている。第2外輪山の盛り上がりを緩やかに登っていく。風が非常に強い。振り返ると、もう一組の二人連れも浅間山本峰へ登りだした。見上げる本峰の火口壁には数人の人影も見える。ここまで来たら、本峰火口壁までわずか15分の登り、たとえ禁を犯しても登ってみたいのが人情である。帽子を押さえながら緩やかな稜線を辿る。単独行者とすれ違い、程なく前掛山山頂に達した。誰もいない。「浅間山」と記した丸太の山頂標示が一本建っているだけで、前掛山との標示はない。吹き付ける風が強く、Tシャツ一枚では寒い。眼下には荒れ果てた第二火口原が広がり、すぐその先には浅間山本峰がそそり立ち、その山頂部は沸き上がる噴煙とガスが一体となって渦巻いている。火山館で出会った単独行者が登ってきたが、何もない山頂にがっかりしたのか、山頂標示にタッチしただけで下っていった。強風の吹き付ける山頂に一人座り込む。

 下山に移る。予定ではこのままJバンドへ向かうのだが、歩きながら迷いだした。「ここまで来て浅間山本峰へ登らないてはないぞ」。悪魔のささやきが始まった。足は自ずと浅間山本峰への急斜面を登りだした。意外にも、礫岩の急斜面にはしっかりした「登山道?」が刻まれている。約15分で火口壁に登り上げた。のぞき込む噴火口の中は沸き上がる白煙で充満し何も見えない。何という変わり様だ!  昨年の7月、峰の茶屋から禁を犯して浅間山に登った。そのときは噴火口の底から数本のわずかな煙が上がっていただけであった。今、目の前にする噴火口は、火口一杯に噴煙を噴き上げている。

 ここで逃げ帰ればよいものを、自分の馬鹿さ加減に今はあきれているのだが、足は無意識のうちに火口壁を北へ辿り出す。2568メートルの浅間山最高地点は火口壁の東側にある。幸い、南西からの強風にあおられ噴煙は北東になびいている。目の前に最高地点の目印である岩が現れた。その瞬間である。風向きが変わり、噴煙が襲ってきた。鼻を突く猛烈な匂い。一瞬呼吸が止まり咳き込む。「ヤバイ」。今まさに命の危険にさらされていることを自覚する。踵を返して逃げる。再び噴煙がおそってきた。タオルで口を覆い、呼吸を止めて過ぎ去るのを待つ。

 どうにか前掛山分岐まで逃げ帰り、ほっとして腰を下ろす。「ここまで来れば安全圏だ。立ち入り許可区域なのだから」。後から考えるととんちんかんなことを思いながら、一人握り飯を頬張る。すでにすべての登山者が姿を消し、浅間山山中我一人である。目の前には第1火口原が大きく広がり、その先に、これから向かう第1外輪山がすさまじい絶壁を掛けて連なっている。目は自とJバンドへの登頂ルートを求める。あのすさまじい絶壁に果たして登頂ルートはあるのだろうか。

 下山に移る。砂礫の急斜面を下りながら、目は常にJバンドを追う。ついに登頂可能と思われるルートを見つけた。目を凝らすと、ルートを示すと思われるペンキの丸印が微かに確認できる。適当なところから、道なき砂礫の斜面を下ってJバンドの基部に行くことにする。登りに確認した湯ノ平高原上部のJバンド分岐まで戻るのは何とも遠回りである。オンタデとコメススキのまばらに生える第1火口原を横切り、最後はシャクナゲの藪を漕いでJバンド基部に達する。遠目に確認したとおり、岩壁に登山ルートが開かれていた。取り付いてみると、意外にしっかりした登山道で、垂直に近い絶壁を巧みに登っていく。約15分の急登で、岩稜の小さな鞍部に達した。岩にペンキで「Jバンド」と大書きされている。ほっとして腰を下ろす。目の前には茶褐色一色の前掛山、その奥には浅間山本峰が高々とそびえ立っている。

 山稜の縦走に移る。行く手にはいくつもの小岩峰が連なり、左側はすさまじい絶壁が続いている。この先いかなる困難が待ち受けているのやら。縦走路も意外にしっかりしている。次々と現れる小岩峰を巧みに右から巻いていく。樹木の全くない岩稜だけに景色はすばらしい。左手には登ってきた浅間山が茶褐色の山肌を盛り上げており、右手には四阿山の大きなゆったりした姿が夏霞に霞んでいる。三つ四つ小岩峰を越え、顕著な岩峰に達すると三角点と「仙人岳」の標示があった。小休止とする。岩に腰掛け、ぼんやりと、いくらか霞みだした浅間山を眺める。

 さらに縦走を続ける。行く手には緑の木々に覆われた黒斑山が見える。相変わらず岩稜上の道はしっかりしており危険な個所もない。浅間山の頂が時折沸き上がる雲で隠されるようになる。幾つめかの岩峰に達すると「蛇骨岳」との標示がある。何と恐ろしげな名前なのだろう。ここで車坂峠に下る裏コースが分かれる。私は黒斑山に向けさらに縦走を続けるが、ここからは一般ハイキングコース。もう安心である。岩稜の道は終わり、尾根はコメツガの樹林に包まれている。背の低いコメツガの密林の中を進む。時折、左手の絶壁の縁にでると視界が開ける。目指す黒斑山がすぐ手の届くところまで近づいている。ただし、西側はものすごい絶壁となって切れ落ちている。その絶壁に湯ノ平高原に下るルートがあるはずなのだが。大丈夫だろうか。心配になる。

 14時25分、通行禁止のロープをくぐって黒斑山山頂に達した。もちろん、このロープは反対方向から登ってきたもののためである。山頂は東側に開けた絶壁の上で、足下から垂直の壁が切れ落ちている。ただし、ガスが渦巻き何も見えない。岩の上に腰掛け一息つく。傍らに、手動のサイレンが置かれている。「浅間山に異常があった場合は、このサイレンを鳴らしてほしい」との説明書きが添えられている。今はその浅間山も見えない。早々に下山に移る。数十メートル進むと、監視カメラを設置した鉄塔が建っていた。ここからカメラで24時間浅間山を監視しているとのことである。樹林の尾根をトーミの頭と呼ばれる岩峰との鞍部まで下る。小さな道標があり、左の絶壁を下る踏み跡を「湯ノ平高原」と示している。下山予定路である。せっかくなのでトーミの頭に寄ってみることにした。すぐに山頂に達したが、ガスが渦巻き、わずかに黒斑山山頂が見え隠れするだけであった。これで今日予定したすべてのピークを登り終わった。あとは下るだけである。

 湯ノ平高原に向け絶壁を下り出す。草付きの大急斜面である。道は実に巧みに絶壁を縫い、心配したような悪場はない。ウスユキソウがたくさん咲いている。エーデルワイスの仲間である。ガスの中に咲くこの白い花はなかなか風情がある。見上げると、トーミの頭がものすごい岩峰となってガスの中に黒々と浮かんでいる。次第に傾斜はゆるみ、湯ノ平高原の一角に降り立つ。このルートを歩くものは少ないと見え、夏草が踏み跡を覆い隠す。二つほど小さな沢を渡ると、今朝ほどの浅間山登山道に合わさった。さらに、お花畑の道を5分も下ると火山館に達した。誰もいない。テラスのベンチに腰掛け、最後の握り飯を頬張る。

 帰路は第2鳥居から不動ノ滝ルートをとり、4時45分、無事に天狗温泉の愛車に戻った。実に9時間半を越す行動の終了である。

 翌日、改めて浅間山に関するインターネットを見ていて驚いた。何と何と!  
  「今年の6月22日、気象庁は浅間山の火山活動が活発化しているので
   注意するようにとの臨時火山情報を出した。これに基づき、小諸市
   は火口から4キロ以内の立ち入りを禁止した
とあるではないか。

 従って、第1鳥居から先は立入禁止区域であったのだ。この地点にロープが張られていたことも、火山館が閉鎖されていたこともこれで理解できた。前掛山はもちろん、黒斑山でさえ登山禁止であったのだ。今更知っても後の祭りであるが。そんなことも知らずに、浅間山本峰の火口壁まで登るとはまさに自殺行為であった。大いに反省しよう。

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