黒法師岳と丸盆岳鹿の鳴き声響く原生林に分け入り |
1993年9月25日〜26日 |
黒法師岳山頂直下からの展望
中小屋(1200)→等高尾根取付点(1400) | |
等高尾根取付点(540)→等高尾根(555)→等高尾根下降点(730〜740)→黒法師岳(810〜830)→丸盆岳(940〜950)→等高尾根下降点(1030〜1045)→等高尾根取付点(1155〜1230)→中小屋(1400) |
先月、山日記をまとめた際、その序文に「私のコンパスは今、南アルプス深南部に向いている」と書いた。人跡希な、とてつもない山深さと千古斧を知らない大原生林は私を魅了してやまない。ここには日本の山、本来の香りがある。この山域は鹿や熊などの野生動物の世界だ。おまけに、山蛭、ダニ、蛇等の好まざる小動物の世界でもある。ここでは人間なんてちっぽけな一動物にすぎない。もちろん山小屋や道標などの人工物はない。登山道さえ、一部の前衛の山を除きない。地図とコンパス、そして動物的山勘を頼りに切れ切れの微かな踏み跡をたどる。原生林の中を獣道が縦横に走り、スズタケの藪は深い。一度ルートを失えば、脱出は困難となる。この八月にも、黒法師岳と麻布山で二人が行方不明となっている。さすがの私もこの山域に一人で入るのは恐い。そもそも単独行など無茶な山域なのである。
朝日岳や前黒法師岳等の前衛の山々をおっかなびっくり登っていたが、やはり、この山域をやるからにはその主峰・黒法師岳はどうしても登ってみたい。思いが募った。いろいろ調べてみると、天竜川水系戸中川流域からのルートがあることを知る。このルートなら、林道を二時間ほど歩き、等高尾根取り付き点にベースキャンプを張れば空身で山頂を往復できる。ついでに丸盆岳も登れそうである。登るならこのコースきりない。 |
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25日 | 4日連休が取れた。憧れの黒法師岳に行く絶好のチャンスである。山蛭だろうとダニだろうとどんと来いと覚悟を決め、8時36分、車で出発する。浜松から国道152号線を北上する。天竜川と分かれ水窪川ぞいの道となると、国道とは名ばかり、山間の狭い道となる。突然、行くての谷が開け、町が現われた。遠州のどん詰まり水窪町である。水窪ダムを経て戸中川沿いの林道を進む。ちょうど12時、ようやく中小屋のゲートに到着した。同じ静岡県と云ってもなんと遠いことか。
ザックを背負い、覚悟を決めて歩き出す。これから二時間の林道歩きだ。行く手に山々が見える。初めての山域のため山の名はわからない。きっと帰りには山名を云えるようになっているだろう。林道はうねうねと続き、次第に戸中川の河床から離れていく。知らずにピッチが上がる。二度ほど小休止をし、さらに進むと日陰沢支線との分岐に出た。支線を少し進んだところに作業小屋があり、そこが登山口のはずである。もうすぐと思って進むが、なかなか着かず焦る。ちょうど2時、ようやく作業小屋に到着した。左側の急斜面に登山口が確認できひと安心である。元々の作業小屋は土砂崩れで崩壊しており、少し上流に小さなおんぼろ作業小屋が建てられていた。林道わきを整地してテントを張る。水は左の崖から細いながらも得られる。落石が心配であるが他に適当な場所もなく仕方がない。夕飯にはまだ早く石に腰掛けぼんやりしていたら、女性を含む5人パーティが下山してきた。明日登るルートに人が入ったことがわかると何となく安心する。夜中にテントの外に出てみると満天の星であった。 |
26日 |
3時過ぎには目が覚めてしまい、心が逸る。いまだ満天の星で、オリオン座が輝いている。5時40分、我慢できず、まだ薄暗い中を出発する。檜の植林地帯の中の急登をジグザグを切って進む。嫌な山蛭に最大の注意を払う。何度も靴を確認するが、気配はない。二日も晴天が続いたので、大丈夫なようである。15分ほど登ると等高尾根上に出た。後はひたすら稜線までこの尾根を詰めるだけである。緩やかな登りを進むと、すぐに原生林の中の急登にかかる。かなりの急登である。踏み跡は思ったよりもはっきりしている。30分ほど登り、いくらか傾斜が緩やかになったと思ったら、深い笹藪に突入した。背よりも高いスズタケの密生地だ。しかし踏み跡は確りしており、ついこの間、竜爪山と真富士山の間で経験したスズタケの藪に比べれば極楽である。ようやく小さなガレの縁に出て一休みする。行く手上空に目指す黒法師岳が初めて姿を現す。
小さなピークを越え、原生林の中を行く。ヒュー、ヒューと笛の鳴るような鹿の鳴き声が盛んにする。もうここは、南アルプス深南部のただなかなのだ。私も人間であることをやめよう。ヒトという一動物になって自然の中に身をおくことだ。憧れの黒法師岳を目指していると思うと、自然とピッチも早まる。今日は実に調子がよい。私だってここでは鹿のように早く歩けるのだ。ヒュー、ヒュー、相変わらず鹿の鳴き声が早朝の原生林に響わたる。 7時30分、急な斜面を遮二無二登ると、ついに稜線に出た。朝日が全身を包み、目の前に大きく視界が開ける。右手には、まさに黒墨の衣を着た黒法師岳が、早く来いと呼んでいる。その右手奥、逆光の中に黒くそびえるは前黒法師岳か。正面の三角錐の山は朝日岳、その奥に屏風のように連なるのは大無間山、いずれもこの一年の間に私が足跡を残した山々である。登山口からここまで、3時間と聞いていたが、何と1時間50分で登り切ってしまった。今日の私は鹿である。 7時40分、いよいよ憧れの山に向かう。ただし、この等高尾根下降地点はよく覚えておかなければならない。膝ほどの低い笹藪の中の踏み跡をたどる。瘤をいくつか越えるといよいよ黒法師岳の登りに掛かる。左側遙か彼方に、何と、富士山が姿を現したではないか。右側が大きくガレて、その縁を進む。気を付けないと危ない。登るに従い、北側の視界が大きく開ける。稜線の行く手に盛り上がるのは丸盆岳のはず、その先は鎌崩ノ頭、さらにずっと先には、一目でそれとわかる池口岳の双耳峰がそびえている。初めて仰ぐ深南部の大パノラマである。西側遙か彼方に連なるのは中央アルプス南部の山々であろうか。それならばあれが恵那山か、あとはもうわからない。 原生林の中を足早に登ると、8時10分、ついに、憧れの黒法師岳山頂に達した。ここが、藪山信徒の聖地とうたわれる黒法師岳の山頂なのだ。広々とした山頂には大木が鬱蒼と茂り、想像した通りのすばらしい頂だ。もちろん、視界はない。山頂の大木には登山記念の各山岳会のプレートがいくつか打ち付けられ、彼の有名な×印の一等三角点が置かれている。50歳にしてついにここまで来たかとの感慨が胸を過る。原生林は静まり返り、風の音さえしない。 8時30分、出発しようとして、もう二度とこの山頂を踏むことはないだろうとの思いが沸き上がる。改めて、三角点を撫で、未練を断ち切る。さぁ、次にめざすは丸盆岳である。方向を確認して、慎重に下山に掛かる。つい1ヶ月前、この山頂で仲間と別れ先に等高尾根下降点に向かった登山者が行方不明となっている。ガレの縁に出ると再び視界が開けた。足元から続く稜線の向こうに目指す丸盆岳がゆったりとそびえている。眺める限り、ルートは広く緩やかな尾根で、原生林と大きな草原が交互に続いている。草原に見えるところは低い笹原に違いない。等高尾根下降点に無事戻る。 ガスが沸き始め、前黒法師岳、朝日岳を覆い隠す。振り返ると黒法師岳の頂もガスの中だ。すぐに急な下りに掛かる。ここに至って急に嫌な予感がしだした。もはや踏み跡がないのである。いや正確に云うと、踏み跡らしきものが縦横に走っているのであるが、人の踏み跡も獣の踏み跡もまったく区別ができない。黒法師岳までは細いと云えども人のそれとわかる踏み跡はあった。ここから先、ガスで視界が隠された場合、果たしてもとの地点に戻れるのか。引き返すべきではないか。自問自答をしてみる。そうだ、今日の私は鹿だ。鹿のつもりになれば、人の踏み跡などいらない。大自然の中を動物の勘をもってたどればいいのだ。 下り切ると尾根が狭まるり、そしてまた大きく広がった。一面の笹原である。この辺りを「カモシカ平」と云うらしい。広い笹原の中を縦横に獣道が走り、至るところに鹿のヌタ場がある。真新しい鹿の糞も随所にあり、もうここは完全に鹿の世界である。その辺の藪の中から鹿が私を眺めているだろう。ここの鹿は、奥秩父の鹿のように物欲しそうに人間の側には寄って来ない。獣道を拾い、膝ぐらいまでの笹を強引に踏み分け、尾根を外さないようにだけ気をつけながら大笹原の中を進む。行くての丸盆岳の頂にガスが掛かり始めた。踏み跡をたどると小さな池に突き当たった。この踏み跡は鹿が水を飲みに行く道、ルートではない。もう山頂は近い。傾斜の増した笹原をさらに進む。直下のガレの縁をたどる。9時40分、ついに山頂に達した。 山頂は小さく二つに分かれている。西側の頂は南西側に発達したガレの頭という感じで地肌が剥き出し、東側の頂は笹に覆われた静かな頂、こちらのほうが少し高く、山頂を示す山岳会のプレートが灌木に取り付けられている。山頂に腰を下ろし、遙けきも来たかなと感慨にふける。展望のすばらしい山頂と聞いていたが、周囲の山々はガスに隠れてしまっている。たどってきた笹原と森林が交互に続く稜線が見える。迷い込んだ小さな池が白く光っている。 9時50分、いよいよ下山に掛かる。等高尾根下山口までかなりのルートファインデイングを要するが、なんとかたどり着かなければならない。記憶を頼りにしながら笹原を下る。行く手、黒法師岳の右側にバラ谷山、前黒法師山が見える。バラ谷山は日本最南端の二千メートル峰である。いつか行ってみたいが、とても私一人では手に負えるような山ではなさそうである。前黒法師山はいわゆる黒法師三山の一つ、麻布山から縦走可能と聞く。この秋にでも行ってみよう。樹林に覆われた高みを越える地点に達した。右側から巻くように踏み跡がある。しめたとばかり、ただし細心の注意を払いこの踏み跡をたどるが、案の定、踏み跡はやがて谷に下りだした。やはり獣道であった。稜線に登り返すのも獣道を利用してだ。どうやら再びルートに出たようだ。見覚えのある枯れた大木のある急登に掛かる。ここを登り切れば等高尾根下降点のはずだ。相変わらず、人の踏み跡とも、獣道ともつかない踏み跡が縦横に走っている。 10時30分、ついに下降点に達した。無事に到達してやれやれである。もう危険地帯は脱した。後はこの等高尾根を一路林道に向け下るだけである。下のほうから人声がして、女性4人に男性1人の5人パーティが登ってきた。今日初めて会う登山者である。おそらく早朝に中小屋を出発したのだろう。10時45分、いよいよ下降に掛かる。「じゃぁお先に」「気を付けて」「ここまで来ればもう安全地帯でしょう」。ところが、下り始めた途端に、ルートを間違える。どうも右の支尾根に引き込まれたようだ。安全地帯と思って気を緩めたのが間違いのもと。登るときにはルートにまったく心配はなかった尾根だが、下り始めてみると踏み跡も微かで、ルートファインデングにもかなり気を使う。笹のトンネルに入る。もうルートは明確だ。どんどん下って、11時55分に林道に降り立った。無事下山できたことを神に感謝する。 テントを撤収し、12時30分、最後の行程に出発する。緩やかな下り坂の林道歩きはピッチが上がる。山陰を曲がると何と鹿がいる。大きな鹿が一匹、林道上を悠然と歩いている。鹿はすぐに私に気が付いて、ゆっくり大きくジャンプして林の中に姿を消した。鳴き声や、糞だけでなく、最後の瞬間についに姿を見せてくれた。やっと私を仲間と認めてくれたのだろうか。今日の私は鹿だ。7.5キロメートルを一回休みで歩き切り、ちょうど2時、愛車に戻った。 何とすばらしい山旅であったことだろう。 |