北秩父 間瀬山、児玉男体山から不動山へ 

河内ハイキングコースを利用し、荒川左岸稜の山へ

2017年3月11日


 
 310m峰より関東平野の背後に赤城山を望む
 児玉男体山山頂
                            
八高線児玉駅(729)→長泉寺分岐(820)→河内ハイキングコース登山口(903〜905)→尾根上(914)→248メートル峰(923)→310メートル峰(939〜948)→峠(959)→間瀬山(1010)→児玉男体山分岐ピーク(1055)→児玉男体山(1105〜1113)→分岐ピーク(1125)→送電線鉄塔(1135)→陣見山林道(1141)→不動山山頂(1205〜1212)→石尊大権現(1216〜1218)→不動峠(1222)→林道引き返し点(1236)→不動峠(1241)→苔不動入り口(1244)→苔不動(1247)→不動山山頂(1307)→間瀬峠(1331)→樋口駅(1449)

 
 昨年4月以来、既に1年も山に御無沙汰している。別に確たる理由があるわけではないが、最近外出するのが少々億劫になったことは事実である。歳の精かとも思うが、体力は衰えていない。出場した市民マラソン大会でも、昨年並のタイムでは走りきっている。

 日に日に増す春の香りに誘われて、久しぶりに山に行ってみる気になった。日頃、近郊で未踏の登山コースはないものかと気にかけているのだが、格好のコースが見つかった。荒川左岸稜の主峰・不動山から北へ張りだした顕著な支稜(不動山北稜とでも呼ぼうか)の末端に、本庄市によって「河内ハイキングコース」なるコースが開かれたとのことである。コース上には、名のあるピークはないが、このコースを利用して不動山北稜に取り付けば北稜上の二つのピークを踏破できるとのこと。即ち2万5千図上の333メートル標高点峰である「間瀬山」と403メートル標高点峰である「児玉男体山」である。ネットで調べると幾つかの縦走記録がヒットする。行ってみたくなった。

 ただし、河内ハイキングコースからこの二つのピークを結ぶ行程でもその所要時間はわずか3時間少々であり、1日がかりで出かけるにはいかにも物足りない。ならば、支稜をさらに最後まで登り詰めて不動山山頂に達するルートはどうだろう。いかにも魅力的である。ただし、支稜上に登山道はない。歩けるや否やは行ってみなければ分からない。まぁ低山だけに何とかなるだろうが。

 移動性高気圧に覆われ、1日穏やかな晴天が続くとの予報を信じ、北鴻巣駅6時5分発の下り1番列車に乗る。土曜日であるにも関わらず車内は朝練に赴く高校生で結構混雑している。熊谷駅で秩父鉄道に、更に寄居駅でJR八高線に乗り換え、7時29分、予定通り児玉駅に到着した。今日はここから不動山北稜の末端、即ち「河内ハイキングコース」登山口までの約5キロの里道を歩かなければならない。調べた登頂記録ではいずれもアプローチに車を使用しているが、不動山山頂まで行くとなると、登山口までは戻れないので車で行くわけにはいかない。

 土曜日の早朝のためか、人通りのまばらな旧児玉町(2006年に本庄市と合併)中心部の街並みを抜け、県道44号線を朝日に輝く山並へと向う。予報通り、空は真青に晴れ渡り、今日1日の好天を約束してくれている。歩くに従い、周囲の低い山並が次第に近づいてくる。ただし、無事に目指す登山口に辿り着けるか少々不安がある。児玉町河内という小集落が目指す地点なのだがーーー。地図を見るとかなり小道が入り組んでいる。

 県道を約50分歩くと長泉寺への道が右に分かれる。その先のどこかで県道から左に分かれる道に入らなければならないのだが。すぐに確りした道が左に分かれた。目指す分岐はここなのか、地図を眺めるがよく分からない。えいやぁ! と分岐した道に入る。進むに従いどうも違ったようだと気づくが、今更戻る気もしない。そもそも現在位置がさっぱり分からない。小川沿いの小道を進む。庭先にいたおばさんに道を尋ねたのだが、けんもほろほろに「知らない」の一言で追い返されてしまった。そのまま更に小道をたどると、突然、目の前に大きなダムが立ちはだかった。ひと目「間瀬ダム」である。現在地判明、やれやれである。

 山腹を回り込んでいったん県道44号線に出る。更に、すぐに左に分かれる細道に入る。荒れ地の中をしばらく進むと「河内ハイキングコース」と記された道標が現れた。目指した登山口である。迷い迷って駅から何と1時間半掛かった。休むまもなく、道標で示された登山道を進む。荒れ地を横切り、小流をわたり、墓地の横から尾根に取りつく。竹林の中を急登し、更に、雑木林の中を左から巻くようにして不動山北稜最末端のピークに登り上げる。地図上の248メートル標高点ピークである。雑木の間から北に視界が開け、眼下に本庄サーキット場や太陽パネルを敷き詰めた丘が見える。あとは、この支尾根を忠実に辿って行けばよい。

 尾根を辿る。登山道はよく整備されており、道標も頻繁に現れる。ルートにはまったく不安はない。ただし、周囲に人の気配は皆無である。落ち葉を踏む自分の足音のみが聞こえる。260メートル峰を越えて更に進むと、展望のよい顕著なピークに登りついた。地図上の310メートル峰だろう。設置されたベンチに腰を下ろし握り飯を頬張る。今日最初の食事である。北方に大きく視界が開け、本庄の街並みの背後に赤城山が大きく聳え、その右手には男体山をはじめてする日光連山が連なっている。

 更に稜線を辿る。どこまでも雑木林の中の尾根道が続く。急な下りを経て峠地形の鞍部に降り立った。確りした小道が尾根を乗越している。道標が右(西)に下る小道をハイキングコースと指示している。ハイキングコースはここで終わりである。ただし、私は更に支稜上を南、即ち不動山に向って辿ることになる。幸いなことに、尾根上には幾分細まったといえども確りした踏跡が続いている。以降、道標の類いはいっさい見られないが、赤布は頻繁にあり、ルートに不安はない。

 足場の悪い急坂を立ち木を頼りに登り詰めると、傾斜が緩み南北に伸びた頂を持つピークに達した。「児玉町地籍調査」と書かれた白杭が立っている。何の標示もないが、どうやらここが今日の第一目標・333メートル標高点峰の「間瀬山」と思われる。残念ながら、落葉樹の林に囲まれ展望はいっさいない。立ち止まってはみたものの、所在がない。先を急ぐことにする。次ぎに目指すは「児玉男体山」である。

 尾根道は小ピークを幾つも越えながら次第に高度を上げていく。周りはどこまでも落葉広葉樹の林に囲まれ展望は開けない。相変わらず人の気配もまったくない。ナイフリッジの岩場に少々緊張する箇所もあったが、概して穏やかな尾根道が続く。間瀬山から45分、変化のない尾根道に飽き始めたころ、緩やかな大きな頂きに登り上げた。なんの標示もないが何となく人臭い頂きである。森林作業の基地にでもなったのだろう。ひと目、ここが「児玉男体山」分岐となる450メートル標高点ピークと思われる。実は目指す「児玉男体山」は現在辿っている不動山北稜の主稜線上にはない。この北稜上の450メートル標高点峰から北西に伸びる支稜上のピークである。従って、この450メートル標高点峰から往復する必要がある。

 到達したピークが児玉男体山への分岐ピークであることを確認するため、雑木林に囲まれた山頂の北西側を探る。期待通り微かな踏跡のある支稜が先に延びている。ここが目指す分岐ピークに間違いない。すぐに児玉男体山に向う。支稜への下り口が岩場となっていて少々悪い。慎重に通過し、次のピークで尾根は若干右寄り曲がる。更に次のピークに達すると低い笹が地表を覆いはじめ、踏み跡は判別しにくくなる。ただし尾根筋は明確である。幾分左に向きを変えた尾根を笹をかき分け下り、わずかに登り返すと、小さな石の祠の建つ小ピークに達した。目指す「児玉男体山」である。ほっとして祠の前に座り込む。

 山頂標示は何もない。小さな石の祠があるだけである。その10メートルほど先にも同じような小さな石の祠が鎮座している。雑木林に覆われ、展望もない。この児玉男体山は麓の河内集落で雨乞山として長きにわたり祀られてきた山とのことである。麓からの参道は今は荒れ果て、痕跡程度らしい。座り込んで握り飯を頬張る。

 10分にも満たない休憩の後、腰を上げて450メートル分岐ピークに戻る。いよいよここから不動山に向けての最後の行程である。時刻はいまだ11時25分、時間はたっぷりある。緩く下ると尾根筋が消えて平坦な地形となった。薄い踏跡を慎重に辿ると、目の前に巨大な送電線鉄塔が現れた。男が1人叢にしゃがみ込んで何かしている。山菜取りのようだ。山中で今日はじめて見かけた人影である。

 すぐに立派な鋪装道路に飛び出した。間瀬峠から不動山の北面を巻いて出牛峠へと続く陣見山林道である。この地点をもって不動山北稜縦走は終了である。ただし、今日の山旅最後の仕上げとして、不動山山頂を踏まなければならない。現在到達した不動山北面からは山頂に到る登山道はないので、適当に斜面に取り付き、強引に山頂に登り上げるつもりでいる。

 通る車とてない立派な鋪装林道をしばし西に歩いて適当な取り付き点を探す。林道が大きく西から南へ向きを変える地点で、思い切って山頂に続く斜面に取り付く。鬱蒼とした杉檜の植林に覆われた緩やかな斜面が山頂に向って続いている。樹林の中は薮もなく自由に歩ける。ひたすら山頂に向って斜面を登り詰める。もはや使われていない林道(跡)が幾つか現る。15分ほど登り続けると、ついに不動山山頂に達した。万歳である。

 山頂は深い樹林の中の緩やかな高みで、山頂標示と549.2メートルの三等三角点「不動」が設置されている。誰もいない。ここが今日の終着点である。三角点の横に座り込む。実はこの山頂は2度目である。2000年の11月26日、1人で陣見山からこの山頂に到り、出牛峠へ抜けた。ただし既にこの不動山山頂の思い出は記憶から消えている。と、突然1人の若者が現れた。今日はじめて出会う登山者である。ただし、私と2〜3言葉を交わすと、留まることもなく通り過ぎていった。すぐに私も立ち上がって後を追う。

 不動山山頂をもって本日の登山は事実上終了である。あとは下界へ下るだけであり、しかもここは既にポピュラーなハイキングコースの一画である。もはやなんの心配もないはずである。所が、ここからしばらくの間、辿るべきルートが不明となり、右往左往することになる。最大の原因は自慢の方向感覚が完全に狂っていたことと、地図もろくにチェックしなかった安易な行動である。

 下山ルートとしては、間瀬峠まで稜線を辿り、そこから峠道を国道140号線に下るつもりである。不動山の山頂を登山道が右から左にと横切っている。なんの標示もないが、一方は南西の出牛峠方面、もう一方は東方の間瀬峠方面に通じていると無意識に思っていた。なんの注意を払うこともなく、間瀬峠方面と思えた登山道を下った。途中、登山道からちょっと脇に入ったところの山腹に「石尊大権現」の祠があり、そこからは奥武蔵の山々の大展望が得られた。正面に武甲山が高々と聳え、その前に蓑山がゆったりと横たわっている。

 更に登山道を下ると、鋪装された立派な林道に下りついた。現在位置を「不動峠」と標示した道標があり、下ってきた登山道を「不動山、陣見山方面」、登りとなる林道の一方の先を「苔不動方面」、下りとなる林道のもう一方向は何も標示していない。ハタと困り、頭は混乱を始める。目指す間瀬峠は不動山と陣見山の鞍部、道標に従うなら今下ってきた登山道を不動山山頂に戻ることになる。私の感覚では「苔不動方面」と示された林道の方向が間瀬峠方面に思える。「苔不動」は不動山の南面中腹にあるはずであり、私の頭の中の感覚とは大きく異なる。また、何も示されていない林道の下り方向は私の感覚では「出牛峠方面」に思える。持参の地図を眺めても標示されている現在位置「不動峠」は記載されていない。ようするに現在位置も不明である。

 しばし、鋪装林道を下り方向に辿ってみたが、なんの目標も現れない。不動峠に戻る。今度は鋪装林道を「苔不動」と示された方向に進む。苔不動からも下山道があるはずである。すぐに「苔不動」を示す道標があり、急斜面を下る細い踏跡が左に分かれる。ロープの張り巡らされた危なっかしい急坂を慎重に下ると、岩壁を背に岩の上に立つ小さな不動明王が祀られていた。周りには大きな卒塔婆が乱立している。ここが霊場・苔不動である。ひと休みする。

 期待通り、この地点から国道140号線に下る下山道があった。ただし、かなり荒れていそうである。10メートルほど下ったところで足はぱたりと止まった。目の前に想像を絶する悪場が広がっている。足の置き場もない大急斜面である。ひと目、とてもではないが下れない。周囲を観察するも他に採れそうなルートはない。もはや戻るしかない。幸い時刻はまだ1時前、時間はたっぷりある。鋪装林道まで再び登り上げる。当初の計画通り間瀬峠を目指すことにする。頭の中の方向感覚はもはや大混乱して当てにならなくなっている。道標を信じて行動することにする。先ほど下ってきた登山道を登り返し、不動山山頂に登り上げる。そのまま山頂を通り越し、反対側に続く登山道を緩やかに下る。どうやらこの道が間瀬峠に続く登山道に間違いなさそうである。

 樹林の中の穏やかな登山道を25分も進むと、車道の乗っ越す間瀬峠に到達した。見覚えのある峠である。あとはひたすらこの車道をたどればよい。めったに車も通らない立派な車道をひたすら歩いて下る。国道140号線に下りつき、更に国道を歩く。峠から1時間20分ほど歩き続け、ようやく秩父鉄道樋口駅に到着した。登山の入口と出口で混乱した山行であったが、何とか無事に完遂するこができた。
 

登りついた頂き
   間瀬山   333   メートル
   児玉男体山 406   メートル
   不動山   549.2  メートル
 

トップ頁に戻る

山域別リストに戻る