武蔵野の残丘 (三ヶ尻)観音山 

低山なれど、一等三角点を二つ持つ山

2002年9月23日


西面より望む三ヶ尻観音山
 
竜泉寺→観音山→竜泉寺

 
 9月に入り、休日のたびに雨である。昨日の日曜日も午後から雨。今日秋分の日も午前中は雨であったが、昼前から急速に天気が回復してきた。いつまで家でゴロゴロしていても仕方がない。気になる山・三ヶ尻観音山へ行ってみることにした。上越新幹線下り列車が熊谷駅を過ぎると、すぐに左手に見える山である。山頂には鉄塔が建っている。  

 この山の山名は観音山であるが、他の多くの観音山と区別するため、その所在地名を冠して、一般的には三ヶ尻観音山と呼ばれている。「日本山名総覧」によると、観音山という山は全国に31座ある。ただし、この三ヶ尻観音山は山と云うにはちとおこがましい。標高わずか81.6メートル、麓からの高さは30メートルにも満たない丘である。「日本山名総覧」には埼玉県の山が116座リストアップされているが、この三ヶ尻観音山の標高は下から三番目である。ちなみに最下位が浅間山(大宮市)の標高10メートル、次がお杓母子山(鳩山町)の63メートルである。しかしながら、この三ヶ尻観音山は、何と、一等三角点の山である。小粒であるが、ぴりりと辛いのである。そしてまた、田圃の中の独立峰であり、周囲からは実によく目立つ。この山は深谷市の仙元山、岡部町の山崎山などと同じ残丘である。すなわち、河川が削り残した丘である。

 午後一時、カメラ一つをもって車で出発する。熊谷市内から国道140号バイバスを進むと、稲刈りの進む田圃の向こうに全山緑のこんもりした丘が見えてきた。目指す三ヶ尻観音山である。その背後彼方には、奥比企の笠山を初めとした奥武蔵の山々が霞んでいる。家から30分で、麓の竜泉寺に着いた。今日は彼岸のお中日、墓参りの人で賑わっている。事前の知識は何もなかったのだが、歴史を感じる何とも風情のある寺である。「関東88ヶ所霊場83番」の赤い幟のはためく立派な仁王門をくぐり、急な石段を登ると、芽葺の重厚なすばらしい観音堂に達する。帰宅後調べたら、仁王門は天保二年(1831)建立、観音堂は天正十八年(1590)の建立で延享四年(1747)再建とある。 

 観音堂の脇から山頂に向かう踏み跡を辿る。松、クヌギ、楢などの雑然とした林の中をほんの2〜3分登るともう山頂であった。山頂部は金網で囲まれた鉄塔が占拠していて何とも風情がない。しかも、この施設には何の標示もない。帰宅後調べたら太平洋セメントの通信用電波塔とのことである。その傍らには神名を刻んだ板碑がいくつも建てられていて、この山が信仰の山であった痕跡が感じられる。山頂は展望もなく、至るところ蜘蛛の巣だらけなので、すぐに竜泉寺に下る。

 帰宅後、登山記録を整理しようと二万五千図をチェックして驚いた。観音山の山頂に三角点が二つ並んでいるのである。一つは77.4メートル、もう一つは97.5メートルである。しかも二つとも一等三角点である。これは尋常なことではない。慌てて調べてみると、77.4メートルは山頂部の大地に設置された三角点、97.5メートルは山頂の電波塔の上に設置された三角点と判明した。人口建造物の上に三角点を設置する例は、静岡市役所本館の塔上に設置された例を知るが珍しい。しかも、三角点が二つ並ぶなどとは例がないことだろう。

 観音山を離れ、稲刈りの進む田圃から振り返ると、こんもりした緑の小山が、何とも平和な姿でゆったりと盛り上がっていた。 

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