万葉の山 三毳山

 小楢のす、ま麗し山へ

2001年12月2日

   
小楢林の向こうに三毳山(竜ケ岳)を望む
 
南入口( 930)→三毳神社奥社→富士見台→中岳→三毳の関跡→三毳山(竜ケ岳)→カタクリの里管理センター→東入口→南入口(1225)

 
 三毳山(みかもやま)は関東平野の北端・栃木県佐野市郊外にこんもり盛り上がった丘陵である。標高わずか229メートル、山と呼ぶにはあまりにも低い。しかし、万葉の昔から人々に親しまれてきた山である。万葉集に詠まれた次の一首はロマンの響きを持って現代人を魅惑する。
    下毛野              しもつけの
    三毳の山の            みかものやまの
    小楢のす             こならのす
    ま麗し児ろは           まぐわしころは
     誰が笥か持たむ          だがけかもたむ
                                                                            (よみひとしらず)
 
 歌意は「下野の国の三毳山に茂る小楢の木のように可愛らしい娘は、いったい誰の食器を持つ(お嫁さんになる意)のだろう。私のお嫁さんになるに決まっている」である。技巧や装飾のない実に素朴で素直な歌である。のす児ろの東言葉が土のにおいを醸し出している。
 
 歌に誘われ三毳山を訪れてみたくなった。冬枯れの小楢林が美しいだろう。調べてみると、三毳山一帯は県立自然公園として大規模な公園整備が進んでいるらしいが、稜線上は雑木林の尾根道が残されているようである。また、三毳山北面は関東随一のカタクリの群生地ともある。
 
 8時30分、車で家を出る。東北自動車道を北上し最初に出会う山が三毳山である。利根川を渡るとすぐに目指す山が見えてきた。佐野インターで降りるともうそこは三毳山の麓である。南入口に車を止める。立派に整備されていて、トイレ、売店、遊覧列車の乗り場などがある。大きな駐車場には数台の車が止まっているだけで、散歩をしている人が散見される。今日は移動性高気圧がすっぽり覆っており、天気は快晴である。しかも、異常なほど暖かい。こういう気圧配置は視界があまりよくない。出発しようとしたら、何と、時計を忘れている。今日はわずか2時間ほどの低山散歩。万葉の昔のつもりで時間を気にせずにのんびり歩こう。
 
 9時30分出発する。何となくザックを背負うのが気恥ずかしい。カメラひとつでもよいのだろうが。遊覧列車の通る立派な舗装道路(一般車通行禁止)が山腹をうねうねと登っているが、三毳神社奥宮へ直登する道を見つけて踏み込む。しかし、この道はほとんど歩かれていないと見えてかなり荒れている。石段と岩盤に荒々しく段を刻んだ恐ろしく急な道で、ピクニック気分の人にはとても勧められない。いきなりの大急登に息が切れる。約15分で迂回してきた車道に達する。右側には大きな電波塔が建っている。目の前に鳥居があり、急な長い石段が一直線に奥宮に登り上げている。一気に階段を上る。達した奥宮はまるで古びた倉庫のような何とも無粋な建物であった。4人連れの若者が休んでいた。私も備え付けのベンチでひと休みする。目の先にはぼやけた関東平野が広がっている。
 
 ここから北へ縦走するのだが、その前にまず西隣の富士見台に行ってみることにする。このピークは展望台となっている。遊覧列車の乗換駅となっている鞍部に下り、岩場まじりの道をわずかに登るとコンクリート製のトーチカのような展望台に達した。避雷場所を兼ねているようである。建物の上に登ると、西を除く三方に大きく展望が開けた。南、東の関東平野は霞の中であるが、北に日光連山が見える。男体山、大真名子山、女峰山と続く表日光連山がスカイラインをぼんやりと描いている。この秋はずいぶんこの山並みを眺めた。すぐ目の前にはこれから向かう三毳山の最高峰・竜ヶ岳の三角形が中岳の背後に顔を出している。
 
 奥宮ピークまで戻り、北へ縦走を開始する。小楢、クヌギなどの雑木林の尾根道を進む。ようやくイメージ通りの三毳山が現れた。葉を落とした木々の隙間から先ほど見えなかった赤城山、袈裟丸山、皇海山が切れ切れに見える。すぐに、右側が開けた場所にでる。ハンググライダーの飛び台となっていて、一機が飛び立つ準備をしていた。再び雑木林の中を進む。所々岩盤が露出していて○△岩などの標示がある。すぐに地図上の209.8メートル三角点峰に達した。中岳との標示があり、数人が休んでいた。そのまま通過する。
 
 雑木林の道を下る。前方木々の合間に、三毳山の主峰・龍ヶ岳が実に美しい三角形の姿をみせている。はたと気がついた。三毳山はもともと神奈備山であったのではないか。となると、例の万葉歌の歌意も通説とは違ってくる。ま麗し児ろは山村の素朴な娘ではなく、神に仕える神子であり、を持つ相手は三毳山の神であったはずである。したがって、歌意は「下野の国の三毳山の小楢のように美しい娘たちは神にお仕えするのですよ」となる。所々にある○△岩は磐座であったのだろう。車道の乗っ越す鞍部に下ると、三毳の関跡との標示がある。古代東山道の関所があったとのことだが、かなり怪しい。小さな山であり、ちょっと迂回すればすむのに街道がわざわざ山越えするとも思えない。
 
 行き交う人々は、半分はハイキングスタイル、半分は散歩スタイルである。小峰を越え再び車道を横切る。稜線直下の両側を通る車道が鞍部のたびに稜線を横切る。神の座す三毳の山も開発という名の下にずいぶん痛めつけられてしまった。自然の中に神の存在を感じる感性を現代人はすっかり失ってしまったのだろうか。龍ヶ岳への登りに掛かる。縦走路に入って初めての(そして最後の)本格的登りである。階段整備され歩きにくい急坂を一気に登り上げる。到達した龍ヶ岳山頂は神の座す山にまったくふさわしからぬ景観を呈している。小さな山頂を電波塔が占拠してしまっている。これでは三毳の神も居場所がなかろう。山頂の一角に腰を下ろす。
 
 西に展望が開け、寝ぼけた視界の先に、日光連山、足尾山塊、赤城山が浮かんでいる。先着していた中年の男性が、「絵を描きに来たのだが、これではだめだ」と嘆いている。さらに縦走を続ける。人影がぱったり絶えた。皆、龍ヶ岳から戻ったのだろう。やや急な坂を下っていくと、尾根が二つに分かれ、道も二つに分かれる。「カタクリの里管理センター」への標示にしたがい右の道を下る。山道は遊歩道に変わり、緩やかな谷間を下り出す。この辺りがカタクリ群生地のようだ。林床はきれいに整備され下草一つない。人工的なにおいが濃い。このカタクリ群生地は自然のままではなく人の手がかなり加わっているとの話を聞いたことがある。人の気配もない遊歩道をどんどん下っていくと、斜面は尽き、人家が現れ、その先にカタクリの里管理センターの大きな建物と駐車場があった。ただし、ここにも人影はない。これで三毳山縦走は終わりである。しかし、車まで帰らなければならない。交通の便もなく、歩くしか仕方がなさそうである。
 
 東側の里道をのんびりと歩く。日がぽかぽかと照りまさに小春日和である。田圃の先に三毳山がゆったりと聳えている。その姿はまさに神の座す山にふさわしい平和な姿であった。

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