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麓から眺める三峰山
後閑駅(800〜805)→ 竜谷寺(840〜845)→ 登山口(850)→ 水場(920〜925)→ 車道(935)→ 車道終点(945)→ 河内神社(950〜1015)→ 小沼分岐(1030)→ 小沼→ 小沼分岐(1035)→ 三峰沼分岐(1045〜1050)→ 後閑林道分岐(1115)→ 吹返峰(1120〜1125)→ 三峰山(1150〜1230)→ 吹返峰(1255)→ 三峰沼分岐(1315〜1320)→ 三峰沼(1330)→ 林道跡(1355)→ 車道(1410)→後閑駅(1440〜1455) |
この8月、水上町奥の尼ヶ禿山に登った。山頂から南を眺めると、雨に煙る視界の先に、絵に描いたようなテーブルマウンテンがどっしりと聳えていた。一目、上州三峰山である。その独特の山容は強く印象に残った。帰ってから調べてみると、この山は関東百名山にも選ばれている。また、上越線後閑駅から直接登ることができ、交通の便もいたってよい。最適の季節とも思えないが、行って見ることにした。
しばらく悪天の週末が続いたが、今日は「絶好の行楽日和になるでしょう」との予報である。いつもの通り、北鴻巣駅発6時5分の下り一番列車に乗り、高崎で水上行き鈍行列車に乗り継ぐ。予報に反し、空はどんよりと曇り、澱んだ空気が一切の視界を遮断している。車窓の左右に展開するはずの赤城山も榛名山も見えない。7時58分、後閑駅着。下車した登山者は私一人であった。天気はますます悪化の気配。目の前に聳え立っているはずの三峰山もまったく見えない。雨にならなければよいが。登山口を目指す。駅周辺の薄い町並みを抜け、色づき始めた稲田を見ながら河岸段丘上部の集落に登っていく。まず目指すのは竜谷寺なのだが、道がさっぱりわからない。道を聞き聞き、関越道を越え、集落最上部の竜谷寺に何とかたどり着いた。立派な寺だが境内に人の気配はない。一休みする。 寺から上部に続く緩やかな斜面は、ただ一面に稲田である。その中を農道が縦横に走っているのだが、ルートがさっぱりわからない。勘を頼りに上部に登って行くと、河内神社を示す小さな道標が初めて現れ、小さな支尾根の末端に導かれた。ここが登山口である。それにしても、街中からここまでもう少ししっかりした道標がほしいものだ。 踏み込んだ支尾根上の小道は藪っぽく、あまり歩かれている様子はない。三峰山は山頂直下まで、車道が開通しているため、歩く人は少ないのかもしれない。道端には、タムラソウ、アキノキリンソウ、キケマン、萩などの秋の山野草が咲き誇っている。山は既に秋である。石の鳥居が藪の中にうずもれている。この道は元々河内神社の参道なのだろう。 緩やかに登って行くと、次第に藪は消え、赤松の樹林の中の小道となった。道型もしっかりしており不安はない。傾斜は次第に増すが、今日は調子がよい。軽快なリズムでぐいぐい登っていく。登山口から約30分も進むと、水場に出た。山腹に差し込まれた樋から水が湧き出している。備え付けのベンチで一休みする。天気は回復の兆しもなく、相変わらず雲が低く立ち込めている。 ここから、辿ってきた尾根は姿を消し、ジグザグをきった急登となった。三峰山は南北に長い山頂部はほぼ平坦であるが、東西は急峻な斜面を形成している。周りは鬱蒼とした松林で、物音ひとつしない。それにしても見事な松林である。下ってきた男性とすれ違う。登山者ではないようである。やがて上方から微かにガソリンエンジンの音が聞こえてくるようになる。何なのだろう。水場から10分急登に耐えると、ぽんと、細い車道に飛び出した。ただし、車の通る気配はない。急な車道は10分も登ると終点となった。この地点から上部に向かうものすごい急斜面にモノレールが引かれていた。聞こえたエンジン音はこれだったとわかったが、いったいどこへ通じ、何を運ぶためなのだろう。 岩場となった急斜面を登る。すぐに少し崩れかけた石段の下に達し、その上が河内神社であった。社務所の付随する立派な神社であるが、人の気配はない。備え付けのベンチに座り、朝食とする。案内書には、この境内からは展望がよいとあるが、相変わらず雲が渦巻き何も見えない。この三峰山山頂部南端に位置する河内神社は沼田城主真田氏の信仰が厚かったとのことである。男3人と女1人が登ってきたが、登山者ではない。どうやらこの上にあるパラグライダー飛び場に行くようである。 大休止の後、いよいよ山頂部縦走に移る。パラグライダー飛び場の横を抜け、パラボナアンテナを過ぎると、深い樹林の中の道となった。松の中に小楢などの落葉樹の混ざる鬱蒼とした樹林である。大地はゆるやかにうねり、その中をしっかりした小道が続いている。時々蜘蛛の巣が顔に掛かるところを見ると、先行者はいないようだ。天気が幾分回復してきたようで、時々木漏れ日が下草を照らす。うっとりしながら歩を進めると、道標があり、左に分かれる踏み跡を「小沼0.3キロ」と示している。行ってみることにする。2〜3分林の中をゆるく下ると、小さな溜池が現れた。小沢を堰き止めた人工池で、わざわざ来る価値もない代物であった。分岐まで戻る。 緩くうねる台地がどこまでも続く。進むに従い樹相が徐々に変化し、落葉広葉樹の割合が増す。天気が完全に回復したと見え、木漏れ日がきらきらと輝く。何とも気持ちがよい。小沼分岐から10分も進むと、三峰沼分岐に達した。左にしっかりした踏み跡が下っている。帰路たどる予定のルートである。一休みする。 さらに林の中の道をたどる。河内神社を出発して以来展望は一切ない。時々倒木が現れだす。緩やかに登ると、後閑林道分岐に達した。立派な道標はあるが、踏み跡はかなり薄そうである。そのわずか先の緩やかな高みが地図上の1088メートル標高点であった。立ち木に「吹返峰」との小さな標示が打ち付けられている。一休みする。三峰山の三峰とは後閑峰・吹返峰・追母峰とのことだが、各々の峰がどのピークなのか不知である。 ルートは左にカーブして緩やかに下る。地形が変化し、山頂部は狭まり、稜線の形となる。右側からはすさまじい絶壁が近づく。いつのまにか樹相もすっかり変化し、小楢を中心とした落葉広葉樹となっている。下りきると立派な道標があり左に後閑林道へのルートが分かれる。見た限りでは道型もはっきりしており、テープもあるので難路でもなさそうである。ここから道は細まり、上り下りも顕著となる。そろそろ山頂と思うころ、顕著なピークに登りあげると「山頂まであと5分」との標示があった。下って、短い急登を経るとそこが山頂であった。 ベンチの設置された山頂は無人であった。樹林に囲まれているが、北方のみ視界が開けていて、目の前に大きな山が青空をバックに悠然と聳え立っている。一目谷川岳である。オキの耳、トマの耳の双耳峰もはっきり確認できる。天気はいつの間にか完全に回復していたのだ。ベンチに腰掛け、握り飯を頬張りながら谷川岳を見続ける。あの稜線を積雪期に重いザックを背負い縦走したのはもう26年も昔のことである。北東方面にも半ば雲に隠れた大きな山が見える。上州武尊山である。この山も25年前、猛吹雪の中を登頂した思いで深い山である。上州武尊山の前に低い山並みが続いている。先月縦走した尼ヶ禿山から迦葉山へ続く稜線のはずだが、一目で同定というわけにはいかない。ここまで見ることもなかった二万五千図を取り出し、同定を試みる。解けた。尼ヶ禿山、迦葉山が同定できた。先月登ったときは悪天のため、見ることができなかった山の姿をはじめて仰ぐことができた。山頂には誰も登って来る気配はない。今日一日、この三峰山は私の借りきりのようである。 40分もの長居の後、下りに掛かる。帰路は予定通り三峰沼経由のルートを辿るつもりである。来た道を足早に引き返す。帰りは早い。行きに1時間掛かった道をわずか45分で三峰沼分岐まで戻った。一休み後、道標に従い小沢沿いの道を緩やかに下る。道型ははっきりしているが蜘蛛の巣が多い。樹林の中をほんの10分下ると三峰沼に達した。ただし、がっかりである。案内書には樹林の中の幽玄な雰囲気を持つ池とあるが、目の前にする三峰沼は、流木が雑然と重なり、水量も少なく、「なぁんだ」 と言う感じの大き目の水溜りに過ぎなかった。この沼も人工池である。堰堤の上では何人かが釣り糸をたれていた。 三峰沼をそのまま通過して、樹林の中をしばらく緩やかに下っていく。やがてルートは一変し、山頂部に突き上げる急斜面の下りに入る。大岩のごろごろする急斜面のジグザク道である。ただし、登山道はよく整備されていて危険はない。木の間から見える下界がどんどん近づく。登りにこのルートを採ると大変なアルバイトとなるだろう。やがて急斜面は終わり、杉檜の植林も現れる。沼から25分、足に任せて足早に下り続けると、荒れた林道跡に出た。既に使われてはいないようだ。樹林が尽き、荒れた原野の中の道となる。両側から藪が張り出し、嫌なところだ。案内書にはこのあたりに石切り場跡があることになっているが、どこともわからなかった。下界はさすがに暑い。 まだかまだかと思うころ、漸く細い舗装道路に出た。すぐに人家が現れ、その先には色づいた稲田の緩斜面が大きく広がっている。やれやれである。稲田の中を下り、関越自動車道にぶつかったところが、偶然今朝と通った地点であった。集落を抜け駅に向かう。稲田の向こうに、今朝はまったく見えなかった三峰山が、その独特の山容を視界いっぱいにそそり立たせている。その上空には、色鮮やかなパラグライダーがふわりふわりと浮かんでいる。なにやら心休まる風景である。 |