大無間山深い原生林の中を微かな踏み跡を追って |
1993年7月31日〜8月1日 |
田代集落(730)→小無間小屋(1200〜1220)→鋸歯→小無間山(1530) | |
小無間山(510)→大無間山(730〜830)→小無間山(1000〜1030)→鋸歯→小無間小屋(1130〜1200)→田代集落(1330) |
40歳代最後の思い出に大無間山に行こうと思った。南ア深南部の奥深い山である。昭和50年、Y君と信濃俣から光岳に登ったが、この時、稜線のはるか彼方に大無間山を感じた。その後も常にこの山の存在が心の中にあったが、余りにも奥深い山ゆえこの頂を踏むことは一生ないだろうと思っていた。昨年静岡に転勤し、南ア深南部の山々が身近となった。昨年の12月に登った朝日岳山頂から、木々の合間ではあったが、初めて大無間山を仰いだ。この山への思いが募った。
本来なら、田代集落から大無間山塊を縦走して寸又峡温泉へ下るコースを歩いてみたいのだが、寸又峡温泉までの十数キロの林道歩きを考えるとちょっと気が乗らない。田代集落から小無間山を経由して往復するのが妥当のようである。ピストンであることの不満は残るが、山中一泊の二日で行ってこられる。ただし、厳しいと聞く鋸歯を重荷で二回も通過しなければならないのが気がかりである。また、水場が無いので水も担ぎ上げなければならない。 30日の夜は、大雨警報の出る荒天。31日、1日も天気予報はすっきりしない。激しい雨音を聞きながら、まんじりともしない夜を過ごす。 |
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7月31日 | 4時過ぎに目を覚ますと晴天である。しめたとばかり、5時、車で出発する。初めて通る富士見峠越えの道はヘアピンカーブの連続である。峠の頂に達すると、目の前に、大無間山塊が高々と壁のようなその姿をに現わした。圧するばかりの迫力である。井川湖ぞいの道を進み、ようやく田代集落に着くが、登山口がわからない。おまけに適当な駐車場所もない。立ち話をしていたおばさんに聞いてみると、「集落の外れの神社の参道を登っていくと、登山口の標示がある。車はとなりの公民館の庭に置きなさい。私が番をしていてあげる」と親切である。おまけにキュウリを持っていかないかとの申し出。丁重にお断りして教えられた神社の参道に向かう。参道入り口には豊富な湧水が出ている。参道を登って行くと、左手に「大無間山登山口」との小さな標示があった。
7時30分、いよいよ登山にかかる。薄暗い檜の植林地帯を緩やかに登っていく。2ピッチで尾根に出た。田代集落からの別の登山道が合流する。尾根に添っ登っていく。道は思いのほか確りしており、まったく不安はない。ただし、季節がら、藪が両側から道を塞ぎうっとうしい。柱だけの壊れた作業小屋がある。更に進むと、完全に崩壊した小屋跡を過ぎる。昨日までの雨のためか、いろいろな茸が多い。真赤なもの、真っ黒なもの、真っ白なもの、知識があればおもしろいのだが。山蛭を警戒していたが、いそうもないので安心する。きれいなライトブルーの蛭を見つけた。気持ちが良いものではないが珍しい。再び檜の植林地帯に入る。上から四人パーティが下りてきた。この山行きで会った最初で最後の人影であった。 ひと息入れながら、ふと後ろを見ると、なんと犬がいる。威嚇するでもなく、媚びるでもなく、おびえるでもなく、ただじっと私を見ている。黒と茶のぶちの小型犬である。これが愛称「ムケン」との出会いであった。私が歩き出すと、静かに10メートルほど後からついてくる。道は緩急を繰り返しながら次第に高度を上げる。いつしか周りは原生林となり、鳥の声だけがこだます。ムケンは相変わらず静についてくる。私が休めば彼も休む、歩き始めるとやはり一定の間隔でついてくる。決して声は出さない。その間隔は次第に縮まるが、決して手元までは近づかない。私がパンを食べていても、離れて黙ってみている。腹も空いただろうと一個差し出しても、近寄らない。投げてやると、うれしそうにくわえ、後退りして一定間隔を保ってから静に食べる。 ちょうど12時、ついに第一目標のP4に着いた。大きな電波反射板が二基設置されている。山頂直下には中部電力の小無間小屋がある。中電の巡視用のものであるが、登山者も利用しているようで、内部はきれいに片づけられていた。溜置きの水があり、中にはボウフラがいっぱい湧いていたが、ムケンはおいしそうに飲んでいる。今まで気になっていたが、与えてやる水はないので知らん顔をしていた。ここで大休止である。周りは欝蒼とした原生林で、もちろん展望はない。ムケンが初めて私の手元までやってきた。頭を撫でてやるとうれしそうに足元にうずくまる。ここでついに決心した。この山行きはこの犬とずっと一緒に行かざるを得まい。犬もそのつもりのようだ。しかし、食料に余裕はない。乏しい食料を分けあって何とかしなければならない。犬に名前をつけないと呼びかけるのにどうも不便だ。大無間山に一緒に登るのだから「ムケン」という名前がよい。それにしてもムケンはなぜ私についてきたのだろう。出会ったのは1300メートル付近だが、なぜあそこにいたのかも不思議である。おそらく田代集落の犬だろうが、家まで送り届けなければならない。ムケンは安心したように棒切れにじゃれて遊んでいる。まだ子供のようだ。 12時20分、いよいよ小無間山に向け出発する。ここから鋸歯といわれる痩せ尾根がP3、P2、P1と続く。この山行き最大の難所である。道の状況がガラリと変わる。痩せ尾根であるため、ルートを間違える心配はないが、踏み跡は細く、岩と木の根の絡んだ急坂の連続である。木を掴み、岩を抱いて一歩一歩進む。展望はいっさいないが、地形的に現在位置がわかるので助かる。ムケンはP4からは先頭に立って歩き出している。ルートは巧みに自分で考え、倒木を乗り越え、岩場を周り込み、藪を漕いで進んでいく。私がもたもたしていると先回りして待っている。P2の下りに掛かる。先行していたムケンがクンクンと悲しそうな声を出して戻ってきた。行ってみるとルートは、岩場の絶壁である。人間は何とか、通過できるが、犬はとても通れそうもない。周囲も完全な絶壁で、別ルートもなさそうである。抱いて通過しようとするが嫌がって近寄らない。私が通過し終わって下から見上げると岩場の上でクンクン泣いている。「もう帰れ」と言って知らん顔をして先に進んでしまう。15分も進むと、なんとムケンちょこんと座って待っているではないか。どこをどうやって突破してきたのか。 下りでスリップした。態勢を立て直そうとしたが、荷物に振られて倒木にしたたか頭を打ち付けた。何とか頭蓋骨も無事のようだが単独行ゆえ気をつけないと危ない。P1を下り終え、小無間山との鞍部に立った。右側はガレが稜線まで食い込んでいる。いよいよ小無間山への250メートルほどの急登である。かなり疲労は覚えるが、ゆっくり行っても4時までには山頂に着けるであろう。それにしても厳しい急登である。木の根、岩角を掴んで体を引き揚げる。十歩も歩くと息が切れる。高度計を見ながら、あと200メートル、あと100メートルとがんばる。ムケンは後になり先になりしながら器用に登っていく。傾斜がいくぶん緩やかになったと思ったら、ついに小無間山山頂に達した。3時半である。 山頂は欝蒼とした原生林のさなかの小広い所で、大木にいくつかの登山記念のプレートが打ち付けられている。すぐに三角点の横にテントを張る。ムケンはテントを張る様子を珍しそうに見ていたが、夕食の支度を始めるとどこかに遊びに行ってしまった。私が食事をしていてもムケンはほしそうな顔もせず、知らん顔をしている。腹は減っているだろうに。ムケンは明日の昼食用のパンを少々で我慢をしてもらう。分けてやる水もないのが可哀想だ。テントの中にはいり、寝袋に横たわる。ムケンはテントの中に入りたいとのそぶりも見せず、当然のごとく、テントの横に体を横たえ寝る態勢である。まったく賢い犬だ。ムケンがいれば、誰もいない原生林の最中でも、安心して寝られる。日が暮れるとともに風が強まる。ゴウゴウと木々がうなり、すさまじい音だ。ただ、山頂部は風が上空を通り過ぎるので、テントは安心である。夜中に目が覚め、テントから顔を出してみるとムケンが立ち上がって寄ってくる。 |
8月1日 |
朝4時過ぎに目が覚めた。原生林の夜明けは遅く、外はまだ薄暗い。あれほど強かった風もいつのまにかおさまり、物音一つしない。ムケンはおとなしく一晩中テントの横で寝ていたようだ。ムケンの朝食はまたパンを少々。これで残りの食料は昼食分一食きりである。二人で分けあうしかない。出発の準備をしているうちにムケンはどこかに遊びに行ってしまった。いくら呼んでも姿を現さない。仕方がないので一人で出発することにした。テントでおとなしく待っているだろう。
5時10分、いよいよ大無間山へ向け出発する。どうせ誰も来ないので、テントは張りっぱなしである。大原生林の中を進む。天気は良さそうである。踏み跡は非常に細い。緩やかに下り、緩やかに登ると尾根が痩せ、左側が大きくガレた場所に出た。ガレの縁に出てみると、大無間山が目の前に大きく現われた。初めてカメラが活躍する。朝日に輝く大無間山頂に向かって足元から緩やかな稜線が続いている。まだ距離はだいぶありそうである。 大原生林の中の広々とした緩やかな尾根を進む。いたるところに苔むした倒木が横たわり、千古斧を知らない原生林がどこまでも広がる。その規模の雄大さは圧倒されるばかりである。朝日岳、前黒法師岳と南ア深南部の原生林は見てきたが、これほど深い原生林は初めてである。これが古より続く南ア深南部の原生林なのか。薄暗い原生林の中はしんと静まり、物音一つしない。その中を動くのは私一人、この山行きでのクライマックスだ。微かな踏み跡が切れ切れに続く。尾根はどこまでも広く緩やかである。やがて二重山稜となる。後方でガサと音がする。振り返ると原生林の中を何か獣が走ったのがチラリと見えた。何だったのだろうか。再び原生林はしんと静まり返った。 小無間山から大無間山まで2時間半ほどの道程だ。もう半分は来たろうか。相変わらず深い原生林が続く。突然ムケンが現われた。何事もなかったように私の後ろに現われたのだ。それにしてもどうして私の居場所がわかったのだろう。私がどこへ向かったかも知らないはず、しかも、踏み跡さえ定かでないこのルートをよくも探してきたものである。ムケンとひと声掛けると、尻尾をひと振りしただけで当然のごとく先頭を歩き出した。遭難碑があった。碑には「ゴールデンウィークに吹雪に巻かれ、ルートを失い、ここで疲労凍死をした。22歳」と書かれている。なぜテントを張って天候の回復を待たなかったのか。この山域に入るにはそれなりの装備と経験はあったろうに。 更に緩やかに登っていくと、ついに大無間山山頂に達した。7時30分、今、久恋の頂に立ったのだ。思いも掛けずムケンといっしょに。山頂は写真で見た通り、大きな芝生の広場となっており、三角点の上に測量用の櫓が立っている。太陽の光が降り注ぎ暖かい。周りは樹木に囲まれ展望はない。シートを敷いて雨水を溜めてあり、ムケンがむさぼるように飲んでいる。櫓の上に登ると展望が開けた。まずは山座同定だ。一目で聖岳、赤石岳、荒川岳がわかる。その先は夏霞みの彼方ではっきりしない。大きく左に目を転じれば、池口岳の美しい双耳峰がそびえ立っている。いつか登ってみたい山だ。その前後左右はまだ知らぬ深南部の山々だ。このために持参した二十万図を広げて、山々を同定する。池口岳と聖岳の間に格好いい山が見える。南ア主稜線の後ろからにょきっと頂を突き出している。地図の方向をあわせる。なんと、光岳ではないか。あの思い出の山である。光岳を光岳として初めて仰いだ。これほど格好いい山とは知らなかった。あらためて光岳に惚れ直す。そうするとあれが、信濃俣、目の前の山頂部の平らな山が大根沢山だ。池口岳の遙か左にピラミダルな形のよい山が見える。黒法師岳だ。写真で見た通りの形である。この山も必ずいつか登ってみよう。重さも厭わずここまで担いできた望遠レンズが活躍する。時間も忘れ、山々を見続ける。櫓を下り、あらためて三角点をいとおしく撫でる。明日は私の50歳の誕生日である。半世紀生きた最後の思いでを作ることができた。再びこの頂を訪れることはなかろう。 出発しようとするがムケンがいない。北の斜面の遙か下で盛んに吠える声が聞こえる。何か小動物でも見つけたのであろうか。いくら呼んでも吠え続けている。しばらく待ったが帰ってこないので、8時半、出発する。後から追い掛けてくるだろう。再び大原生林の中を小無間山に向かう。登りよりも下りはルートに細心の注意が必要である。うっかりすると支尾根に迷い込む危険がある。登りの記憶を確かめながら、原生林の中を進む。30分ばかり進むと、案の定ムケンが姿を現した。何事もなかったように先頭を切る。10時、無事に小無間山山頂の我がテントに帰り着く。三角点に腰掛け一休みすると、ムケンが寄ってきて、突然私の顔を舐め出した。ムケンが見せた初めての近親の情である。あたかも「ついに大無間山に登ったね」と喜びを現わしているようであった。何としても、この犬を飼い主の元に届けてやらなければならない。それにしても、過去に大無間山に登った犬がいるのだろうか。ひょっとしたら、犬族の初登頂かも知れない。 10時半、テントを撤収して出発である。小無間山のものすごい急坂を下る。細心の注意を払う。足を滑らしたら大事に至る。先行していたムケンがクンクン泣いて戻ってきた。行ってみると岩場の下りでムケンには下れないらしい。抱いて下ろそうとしたが、嫌がって、後ろに戻って行ってしまった。どこか別ルートを捜しに行ったのだろう。しばらくするとどこからともなくムケンは戻ってきた。P1との鞍部に到着する。再び鋸歯の難所である。立ち木を掴み、岩角に足場を確保し、急な上下を繰り返す痩せ尾根を慎重に進む。再ムケンがクンクン泣く。来るときにも難儀した10メートルほどの絶壁だ。ムケンはまたどこかにルートを捜しに行ってしまった。 11時30分、待望の小無間小屋に着いた。やれやれである。小屋の先の電波反射板ピークで大休止をとる。ここは太陽の光が当たり暖かい。最後に残ったパンをムケンと分けあう。もう食料は何もない。これから先危険なところもないし、あとは田代集落までただひたすら下りに下るだけだ。12時、最後の行程に出発する。ムケンは登山道を無視して自由にルートを選択して下っていく。姿を消したと思うと、大きくルートをショートカットして、先でちょこんと座って私の到着待っている。廃屋を過ぎ、藪を過ぎ、檜の植林を過ぎるとついに神社の参道に出た。1時30分である。登りには4時間も掛かったコースをわずか1時間半で下ったことになる。参道入り口の湧水をムケンと一緒にたっぷり飲んで集落の中にはいる。さぁ、最後の仕事が待っている。ムケンの家捜しである。 男の人と出会った。ムケンを見ると「どこに行っていた」と呼びかける。ムケンが飛びついていった。飼い主であった。よかった、よかった。無事私も大役を果たした。ムケンは自分の家に飛んでいって母親と思える犬と舐めあっている。ムケンよ、思いでをありがとう。君は最高のパートナーであった。 |