智者山から無双連山へ

人影まれな大井川・笹間川分水稜を長駆縦走 

1994年10月1日

              
 
智者神社(810)→智者山(910〜920)→林道智者山線(950)→富士城集落(1045)→高山登山口(1120〜1135)→高山(1200〜1205)→青部分岐→無双連山反射板ピーク(1325〜1340)→林道笹間下泉線(1440〜1445)→下泉駅(1700)

 
 大井川東岸に無双連山という山がある。山伏から南下した安倍西山稜は智者山の南、富士城集落辺りに至って四分五裂するが、無双連山はその一支稜上に位置する。その北隣りの高山とともに踏み跡の薄い篤志家向けの藪山である。無双連山と書いてムソレヤマと読む。いわくありげな山名であるが、ソレとかソリという名称は焼き畑に因む。我が故郷、両神山りょうがみさんの麓にも○○双里(ソーリ)という集落名がいくつか残っている。この春、山伏から南下した我が足跡は智者山まで達した。足跡は自ずからその南の無双連山山稜に続かねばならないのだが、この山には山蛭がいるとの話を聞いていた。山蛭群生地に乗り込むにはそれなりの覚悟がいる。 この9月は猛暑の反動か秋雨前線の活動が活発で、休日の度に雨であった。台風一過で久しぶりに晴れの予報のもと、この山稜に行ってみることにした。この山稜に登るには、大井川鉄道の崎平駅から坂京集落を経て高山に登り、無双連山から青部駅に下るのが一般的なようである。しかし、我が足跡を地図上に連続させるためには智者山から長駆縦走する必要がある。また、無双連山山稜もその南の鞍部まで完全に縦走したい。ルートは過去経験のない程の長距離となる。しかも、智者山と高山の間、および無双連山電波反射板ピークから南の鞍部までの間はルートがはっきりしない。現地で臨機応変な判断をするしかなさそうである。

 金谷発6時20分の大井川鉄道一番列車に乗り込む。二両連結の列車に乗客はなんと私一人である。窓から眺める大井川は昨日の26号台風の影響で茶色の濁流が川幅いっぱいに渦巻き、本来の大河の姿を取り戻している。7時29分、終点の千頭着。今日はここから智者山神社までタクシーで向かう。歩くと2時間は掛かるはずだ。しばらく待ってやってきたタクシーは台風で荒れた林道に文句もいわず乗り入れてくれた。

 8時10分、智者山神社着。神社境内の参拝者用の黒板には、合格祈願と並んで、雨乞い祈願が一面に書かれ、今年の小雨の深刻さが読み取れる。この神社は現在ではその名前ゆえに受験の神様にされているが、元々は雨乞いの神様である。私も今日の無事を祈願して、裏手より山頂への微かな踏み跡を辿る。まだ夏草が深く、しかも至るところ蜘蛛の巣が張り巡らされていてうっとうしい。ストックを振り回しながらコースサインを頼りに急な斜面を登る。強風で千切れた木の葉や小枝がコースを埋め尽くしている。山はだいぶ荒れていそうである。傾斜が緩むと至るところ地面が掘り返されている。猪の仕業と思える。ものすごい急登となった。ここはすでに山頂直下のはず、知らぬ間に稜線コースとの分岐点を過ぎてしまったようである。すぐに山頂に達した。神社からちょうど1時間である。小広い雑木林の中の山頂は、人影もなく静まり返えっていた。

 小休止の後、いよいよ縦走を開始する。先ほどの山頂直下の急斜面を下る。スリップして尻餅をつき、そのまま滑り落ちる。木に掴まってなんとか止めるが、腕に擦傷を負う。気をつけないと危ない。すぐに、登りに見落とした神社コースと尾根コースとの分岐に出た。ここからは未知のルートである。樹林の中のはっきりしない尾根をコースサインに導かれてどんどん下る。突然道標が現われ、東側の山腹を巻いてきた道が合流する。下ってきた方向を「智者山 尾根コース」、進む先を「洗沢峠」、山腹の巻道を「智者山 一般コース」と標示している。この一般コ−スは、智者山と天狗石山の鞍部に登り詰めているのであろう。

 登ってくる中年の単独行者に会った。この時期こんな山に私以外に登る人がいるとは意外であった。「神社から登ったのですか、急登と聞いていたのでこっちのコースをとったのだが。この先はどうですか」と相手。「この先でコースは分かれるが、私の下った尾根コースを行けば、少なくても蜘蛛の巣はないですよ」と私。すぐに千頭への踏み跡が右に分かれる。さらに下ると右手に智者山神社から続く智者山林道が登ってきて尾根の数メートル直下を平行に走り出す。林道を歩いてもよいのだが、尾根上にも踏み跡があるのでそのまま進む。

 突然昔の峠であったと思われる地点に達した。古びた四角い石柱が立ち、四面に行く先が彫られている。銘は○○19年、おそらく明治19年であろう。道標の文字は、東方を「やくさ くつれの」、北方を「うめち なかしま」、南方を「あらさわ」と読める。西方を示す文字は摩耗して読めない。現在の八草集落、崩野集落、梅地集落、長島集落、洗沢集落を指すものと思える。かつてこの地点は藁科川流域と大井川流域を結ぶ重要な峠であったのだろう。地図にも、文献にもまったく出てこない忘れられた峠道を見つけたのだ。藪山を歩いていると、時々このような忘れられた峠道に出会える楽しみがある。

 さらに稜線上の踏み跡を進み、990メートル峰との鞍部で林道に降り立つ。林道はここで尾根の西側から東側に移り洗沢集落へと続いている。見ると新たな林道が尾根の西側を巻くように作られておりこの林道を辿れば目指す富士城集落へ直接行けそうである。洗沢集落を経由して富士城集落まで行かざるをえないと考えていたので助かった。前方を腰に鉈を差した山仕事らしい人がのんびり歩いている。追いついて言葉を交わすが、訛が激しく会話に苦労する。水平な林道をさらに進むと、期待通り富士城集落に達した。この集落は洗沢集落とともに藁科川と大井川を分ける尾根上に発達した山上集落である。静岡市から千頭に抜ける国道362号線がこの地点を走っている。

 国道を100メートルほど辿って、小猿郷集落と幡住集落に通じる尾根にそった立派な林道に入る。もちろん車の通る気配とてない。やがて林道は二股に分かれる。私は右の小猿郷集落に通じる林道をさらに辿る。林道が左に大きくカーブし、尾根筋から離れる地点で高山へ取り付くつもりである。このルートは二万五千図には破線の記載があるが、どのガイドブックにも案内はなく、果たして踏み跡があるかどうか心配である。目指す地点に達し、あたりを探ると、期待通り朽ちた道標があり、高山山頂に通じる確りした踏み跡が見つかった。安心して昨日作った稲荷寿司を頬張る。ここからいよいよ無双連山山稜の縦走開始である。

 樹林の中を登る。意外に道が確りしている。頭上を通る送電線の巡視路となっているためだろう。このコースから登るものがいるとは思えない。蜘蛛の巣がやたらと多い。ストックを振り回しながら30分も登ると高山山頂に達した。ちょうど12時である。展望もない狭い樹林の中の山頂をNTTの無線中継施設が占領しつまらない頂である。証拠写真だけ撮って、早々に無双連山に向かう。踏み跡は急に細くなった。薮っぽい急坂を下るとすぐに鞍部に達した。尾根の西側を巻くように登ってきた踏み跡が合流する。崎平駅から坂京集落を経る登山道と思えるが道標はない。高山と無双連山を結ぶ稜線にはもう少し確りしたルートがあると思ったが、踏み跡も薄く、心して掛からなければならない。足元に注意するが、どうやら山蛭はいないようである。踏み跡は次の1,050メートル峰を右から巻に掛かる。果たしてこの踏み跡が縦走路かどうかわかったものでないので、忠実に稜線を辿る。踏み跡はないが下草がないので容易に歩ける。ピークの下りで難渋した。ものすごい急斜面で、しかもスズタケが密生している。灌木を頼りになんとか下ると鞍部で先ほど分かれた踏み跡に出た。

 1,020メートル峰に達すると踏み跡が二つに分かれた。赤テープが巻かれ分岐点であることを示しているが、道標もなくどちらが縦走路かわからない。右の踏み跡を2〜3分進んでみるが、今まで以上に踏み跡が薄く、どうも気になる。戻って左の踏み跡を辿る。こちらの踏み跡は確りしている。しばらく辿ると私の第6感が警告を発した。コンパスを取り出し、地図をにらんで検討する。どうもこの踏み跡は小猿郷集落方面へ下っているようだ。戻って再び右の踏み跡を辿る。踏み跡は次第にはっきりしてくる。小さな上下を繰り返しながらさらに進むと明確な分岐点に達した。1,085メートル峰の北の肩である。道標があり、青部集落への立派な下山道が分かれる。道が急に立派となった。何と木の階段まで作られている。どうやら無双連山の登山道は青部集落からが本道のようである。

 すぐに樹林の中の1,085メートル峰に達する。この標高点ピークが無双連山山頂ではないかと思ったが、山頂を示すものは何もない。ルートは左にカーブする。緩く下ると痩せ尾根となり「犬返し」との標示がある。この地点は通行困難な程の痩せ尾根で、犬でさえ引き返したのでこのように呼ばれていると聞くが、どうということはない。緩く登ると細長いピークに達する。地図を読むと、このあたりは1,100メートルを越えており、無双連山山稜の最高地点である。しかし壊れた作業小屋があるだけで標示は何もない。緩やかなピークを一つ越え、5分ほど進むと突然目の前が開けて、大きな電波反射板が現われた。1,090メートルの電波反射板ピークである。樹木が刈ら、今日初めての視界が西方に大きく開ける。大井川を挟んで南アルプス深南部の山々が目の前である。あいにく今日はモヤも深く山々ははっきりしないが、目の前の三角形の山は大札山であろうか。草原に腰を下ろし、ひと休みする。この付近に無双連山稜唯一の1,083.3 メートルの三角点があるが、ここにも山頂標示はなかった。無双連山山稜はいくつもの小ピークの連続する山稜であり、特定の山頂はないようである。

 通常はここから青部分岐まで戻って下山するようだが、私はさらに山稜を南に辿るつもりである。幸運なことに、稜線上には微かな踏み跡が確認でき、小さな道標に下泉まで4時間と記されている。すでに時刻は13時30分を過ぎている。最も困難が予想されるこの先のルートを計画通り進んで果たして大丈夫だろうか。一瞬、青部に下ろうかとも思ったが、笹間ー下泉林道まで達すれば日が暮れてもなんとかなると思い返し、稜線上の微かな踏み跡をたどる。しばらく進むと踏み跡が分岐した。一つは稜線を左から巻に掛かる。もう一つは稜線上に続いている。稜線上の踏み跡を進み、緩やかなピークを越える。突然、私の第6感がまたもや警笛を鳴らした。山に入ると、どういうわけか私には超能力が働く。戻って左の巻道に入る。もはや踏み跡は切れ切れで、所々藪を漕ぐ。再び稜線に戻って、広々とした薄暗い樹林の中のピークに達した。地図上の938メートル峰と思える。下草もなくどこでも自由に歩けるのだが、踏み跡もまったく絶え、しかも尾根筋も不明でルートがさっぱりわからない。「まいったなぁ」と思いながら、勘だけを頼りに左右を探りながら下ると、うまい具合に再び尾根筋に乗った。ピンチ脱出である。地形が実に複雑となる。点々と白テープのコースサインがあるのでなんとか辿れる。突然眼下に林道が現われた。遮二無二藪の急坂を転げるように下る。14時40分、ついに笹間ー下泉林道に達した。
 
 縦走は計画通り完了した。しかし、ここから下泉駅まで10数キロの林道歩きが待っている。ヘアピンカーブを繰り返す地道の林道をひたすら下る。道は所々台風の豪雨による水流でえぐられ、誘い出されたのか道路に沢蟹がたくさん這い出している。道路脇には赤紫色のツリフネ草がたくさん咲いている。この花は、筒状の花の尻がまるでカメレオンの尻尾のように渦巻いていて、実におもしろい形をしている。1時間以上歩いて、最初の集落・下河内に達する。道路工事をしていたおばさんが、「歩いてきたのかね」と、驚きと同情の眼差しを向けてくれた。立派になった下泉河内川そいの舗装道路をさらに下る。小竹、中河内の集落を過ぎ、夕闇の迫る17時、ついに下泉の駅に達した。17時15分発の金谷行き列車に乗ったのは私一人であった。

 無事に無双連山稜の縦走を果たしたが、結果としてはつまらない山であった。季節が悪かったのかも知れないが、楽しみにしていた南アルプス深南部の展望も、電波反射板ピーク以外は皆無であった。高山も無双連山も山頂は人工施設が占領し、山稜はどこも植林と藪の連続で何の情緒もなかった。