山吹林道から南天山

目差すタラの芽は採れなかったが

2000年5月27日


 
山吹林道上の車(935)→稜線(1255)→南天山(1340)→山吹林道(1555)→車(1635)

 
  昭和57年4月、秩父の南天山に単独登頂した。当時、南天山は道のない山と言われていた。問い合わせた大滝村役場からは「道もなく危険なので登らないで欲しい」という期待外れの回答であった。意地になって北面の山吹林道から道なき道をたどって山頂に達した。私にとって思い出の強い山行きの一つである。このとき、途中、タラノ木の群生する斜面を遮二無二登った記憶がある。

 Tさんから「タラノ芽を採りに行きたい。ついては南天山の秘密の場所に案内せよ」とのご下命があった。Tさんとは20年来の付合だが、未だ山行きを共にしたことはない。東京雲稜会のベテラン会員・Hさんが同行するという。18年前の山行きの記憶は脳裏に鮮明に残ってはいるが、何せ余りにも時間が経ちすぎている。自信はないが案内役をかってでた。

 9時過ぎ、約束の山吹林道で両氏と落ち合う。広河原沢に沿 った山吹林道に車を乗り入れ2キロほど先で止める。昔はこの林道は入り口に鎖が張られていたのだが。支度を整え出発する。Tさんはタラノ芽採りに徹している。長柄の鎌や鉈を用意し、山頂までは行く気はないという。私は登るからには山頂まで行きたいのだが。二人ともさすが東京雲稜会のベテラン会員、登山姿はいたについている。ザイルは私が使い方を知らないので置いていくことにする。まずは取り付き点を求めて林道を上流に進む。天気は曇り、夕方から大雨の予報だが当分持ちそうである。見上げる南天山は山頂付近を物凄い絶壁で武装し、急斜面となって一気に広河原沢に雪崩落ちている。見た感じではこの北面からはとてもルートは取れそうもない。18年前、よくぞ登ったものである。

 昔の記憶を頼りに取り付き点を探すがさっぱりわからない。そうこうするうちに山吹沢出会まで来てしまった。明らかに来過ぎである。18年前の登頂記録によると取り付き点は林道入口から徒歩20分とある。1.7〜1.8キロ地点だろう。どうやら車より下流と思われる。戻って探すがまったくわからない。完全にギブアップである。TさんとHさんは事前に私の18年前の記録を詳細に検討し、想定ルートを書き込んだ二万五千図のコピーまで用意していた。こうなったらすべてお任せ、完全に案内役失格である。「この辺でしょう。その沢を詰めましょう」と、Hさんが急峻な涸沢に無造作に取り付く。さすが東京雲稜会、私一人では未知の沢にこうも簡単には取り付けない。Hさんを先頭に沢をグイグイ詰める。歩くのにそれほど困難はないが浮き石は多い。見る見るうちに広河原沢が眼下となる。二人とも還暦だということだが、歩く足取りは軽やかである。バランスの取り方は私よりはるかに安定している。惚れ惚れする歩みである。

 突然私のジョギングシューズの左足の底がはがれてしまった。今日山に初めて履いてきたジョギング専用の靴なのだが、強度が足りないようだ。ヒモで補強して登山を続行する。沢の傾斜が一段と増したところで、ルートを右の支尾根上に変える。潅木が少々うるさいが、微かに獣道の気配がある。二人は頻繁に地図でルートを確認する。その度に18年前のルートを尋ねられるのだが、一向に私の記憶にある場所は現れない。ジョギングシューズの右足の底も剥がれてしまった。なんて弱い靴なのだろう。

 昔の場所が現れないばかりか、タラノ木も一本も現れない。18年前にあんなにあったタラはどこへ行ってしまったのだろう。突然、境界見出標が現れびっくりする。周囲を観察すると微かな踏み跡が左より登ってきている。初めて出会った人間の痕跡である。踏み跡はすぐに右の沢に下って行き、支稜上は元の藪に戻る。尾根の傾斜が増してきたところで、「このまま支稜を詰めると、南天山南東の1468メートル峰に出てしまう」とのHさんの判断で右の沢に下り、ここで昼食とする。ほんの10分ほどですぐ出発である。いつもの私の流儀と一緒だ。さらに右に移動して支稜を二本トラバースする。浮き石が多く足場はかなり悪いが、Hさんのルートファインディングは確実である。浮き石を落としながらルートを切り開いていく。1468メートル峰の北の鞍部に突き上げる本谷を詰める。雑木の合間より稜線が見える。盛りは過ぎているが鮮やかな紫色のミツバツツジが所々に現れる。傾斜が緩み稜線が近づく。焼け焦げた木々の根が幾つか現れた。18年前に確認した山火事の跡である。当時は山火事からいくらも時間が立っていなかったと見え、どこも潅木のわずかに繁る岩場であったが、今や一面に樹木が生い茂っている。12時55分待望の稜線に達した。ついに、タラには一本も出会えなかった。Tさんががっかりしている。

 稜線を南天山に向かう。微かに踏み跡はある。ミツバツツジとともにレンガ色の山ツツジも現れる。2、3岩峰を越える。山火事の跡が未だに顕著である。しかし、既に樹木はびっしり茂っており、自然の回復力に驚く。13時40分、ついに山頂に達した。18年ぶりの山頂である。まさか、この頂きに再び戻ってくるとは思わなかった。狭い山頂は360度の展望台である。18年前には山頂標石があるのみであったが(もう一つ、一升瓶が転がっていたが)、今回は大きな山頂標示が加わっていた。この山ももはや道のない山ではない。南面の鎌倉沢から登山道が開かれている。ただし、我々が登ってきた北面は急峻なだけに登山道はない。周囲には慣れ親しんだ山々が湧き上るガスの合間に広がっている。まず目が行くのは赤岩尾根である。いくつもの鋭い岩峰が連なり人の歩ける稜線とも思えない。あの稜線を必死の思いで一人縦走したのはもう6年も昔である。TさんとHさんが今度はそこへ案内せよという。あんなおっかないところはもう行きたくないが。わずかに大ナシゲの岩峰も見える。Hさんがこの山も登りたいと言っている。岩峰群をさらに左に目で追うと、帳付がどっしりと聳えている。この山も昭和58年に苦労して登った。反対側には奥秩父の主稜線が雲に霞んでいる。同定を試みたが半ば雲に隠れて無理である。破風山、甲武信ケ岳などの山々のはずである。

 小休止の後、下山に移る。とは言っても北面に下るには登山道があるわけでもない。私が18年前に下った尾根に下山ルートを求めることにする。稜線を西に下る。確りした登山道がある。すぐに立派な道標があり、左、鎌倉沢に下る登山道が分かれる。稜線上にも登山道が続き、道標は「林道終点まで1.3キロ」と標示している。タラノ芽が採れないためTさんは何とかという潅木の新芽を摘みだした。Hさんが「そんなもの食べられない」と言うが「てんぷらにするとうまい」とせっせと摘んでいる。ピークを一つ越えると登山道は稜線の南側直下を巻き気味に進む。道標は頻繁にあり「林道終点まで○○キロ」との標示である。どこを指すのか具体的には不明であるが、南面、鎌倉沢側に下るものと思える。

 二つ目のピークで北側に派生する尾根を探す。18年前は山が丸裸であったのでこの尾根に取り付くのは容易であったが、今は樹木が茂り尾根分岐点もいたってわかりにくい。Hさんのルートファインディングは確実である。尾根は潅木の生い茂った薮である。はびこる枝を押しのけつつ下る。昔は薮もなくルンルン気分で下った尾根なのだが。尾根には踏み跡とも獣道ともつかない微かな気配がある。「18年前の私の踏み跡だ」などと冗談を言いながら忠実に尾根を下る。時刻は既に3時を過ぎており、一人ではこんな薮尾根を下るのは不安であるが、今日は大船に乗った気分である。
 
 幸運なことに蜘蛛の巣がまったくない。この山には蜘蛛がいないのだろうか。まさか。そういえば、蛇の姿も見ない。出会った動物は蟻だけである。途中岩場が現れるが特に問題はない。下部に下るに従い、山道が現れたり消えたりする。最後は広々とした広河沢の河原に下りついた。昔はここに貯木場があったのだが。川筋も変わったのか昔の面影はまったくなかった。林道をのんびり車に向かう。林道沿いにタラノ木が点々とあるが、採取可能なものはみな新芽が採られてしまっている。かわいそうに、総てむしられて枯れてしまった木もある。まさに乱獲である。小雨が降り出すころ、何事もなく車に戻った。

 何年ぶりかのパーティ登山であった。しかも相手は山岳会のメンバー。総てお任せの登山である。何の不安もない気楽な一方、地図を必死に読み、不安にさいなまれながらの緊張感を強いられる登山のだいご味はない。どちらの登山が楽しいか。永遠のテーマかもしれない。
     
 帰路、横瀬の温泉で汗を流した。

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