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登山口(825〜830)→ 大滝(835)→ 肩の広場(935)→ 鳴神山山頂(945〜1005)→ 湯山沢ノ頭(1040)→ 花台沢ノ頭(1045〜1100)→ 三峰山(1120〜1125)→ 金沢峠(1140)→ 大形山(1200〜1210)→ 岡平(1230)→ 西方寺沢ノ頭→ 鳳仙寺沢ノ頭(1245)→村松峠(1305)→ 女山(1325)→ 吾妻山(1335〜1350)→ 吾妻公園(1430)→ 光明寺(1435)→ 桐生駅(1455) |
群馬県桐生市奥に聳える鳴神山は関東百名山や関東百山にも選ばれた少しは名の知れた山である。前々から一度は登ってみたいと思っていたが、バスの便が悪いこともあり、なかなか計画は具体化しなかった。車で行けば簡単なのだが、この場合、山頂往復とならざるを得ず、わずか2時間の行程となってしまう。これではちょっとである。地図を眺めていたら、アイデアが浮かんだ。鳴神山から南に続く尾根が、桐生の街並みの背後に聳える吾妻山まで続いている。少々長距離になるが、この尾根を縦走すれば、直接桐生駅に下山できる。入山はタクシーを使わざるを得ないが、やむを得まい。
いつもの通り、北鴻巣駅発6時5分の上り一番列車に乗る。好天の予報のためか、いつもガラガラのこの列車も今日は満席に近い。高崎駅で両毛線に乗り換える。関東平野の北限を走るこの路線は実に景色がよい。大きな大きな赤城山が車窓一杯に広がり、その右手には袈裟丸山と皇海山が見える。その背後には奥日光の男体山がはっきりと確認できる。その右手には安蘇の山々が幾重にも尾根を重ねている。きっとこれから登る鳴神山も見えているのだろうが、同定は無理である。 7時52分、桐生駅着。この町を訪れるのは初めてである。昔学校では、絹織物の町として習ったが、今ではパチンコ機械の生産が有名である。街並みのすぐ背後には安蘇の山並みが押し寄せ、前方には関東平野が広々と開けている。コンビニで今日の昼飯を仕入れ、タクシーに乗る。運転手が「ここが有名な桐生一高だ」と道脇の学校を指さしてにやりと笑う。「ほぉ、かの有名なーーー」と私が応じる。何度も甲子園に出場した野球学校だが、この高校出身の I 投手が、不祥事によって今日の新聞の一面を飾っている。互いにそのことを意識した会話である。桐生川に沿った道を奥へ進み、程なく鳴神山登山口に着いた。料金は3060円であった。 登山口には車で来た夫婦連れが出発の準備をしていた。鳥居を潜って沢沿いの登山道に入る。入り口に「全国で熊の活動が活発化しています。注意して登山して下さい」との看板が立てられていた。昔、東北の山で熊と至近距離でにらめっこをしたことがあるが、それ以来出会っていない。林道とも登山道ともつかない幅広の荒れた道を進む。すぐに、案内書にある大滝が現れた。薄暗い杉檜林の中、滔々と滝音を響かせている。ただし、滝そのものは落差7〜8メートルほどで平凡である。名前負けの感がする。右から高捲くように滝上に回り込み、さらに沢沿いの道を登る。道は半ば沢となっており、石がゴロゴロしていて、いたって歩きにくい。「これでもハイキングコースか」とブツブツいいながら登ると、登山道はとんでもない状態となった。2〜3ジグザグを切った急勾配が現れ、何を考えたのか、その表面にコンクリ舗装が施されている。その上を水が流れ、水苔も生えて路面はつるつる。足が置けないのである。辿れない登山道、いったい誰が何を考えてこんなことをわざわざしたのだ。怒りが込み上げる。登山道脇の薮の中にルートを求めざるを得ないが、そこは刺草の密生した猛烈な薮。足場も極めて悪い。手足を傷だらけにして、何とかこの難所を抜ける。 登山道は完全に沢と一体となり、踏み跡は判然としなくなる。まさに沢登りそのものである。ただし、水流も細く、難所もないので、適当にルートファインディングをしながら登ればよい。薄暗い谷の中は静寂そのもので、人声はおろか、小鳥の声さえしない。やがて水流も絶え、上空に稜線が見えてくる。ジグザグを切って最後の詰めに入る。稜線直下の一角にロープが張られ、「カッコソウ移植地」との標示がなされている。カッコソウはサクラソウ科の野草で、世界中でこの鳴神山にしかない貴重な植物とのことである。 登り上げた稜線は、肩の広場と呼ばれる鞍部で、雷神岳(なるかみたけ)神社の社殿が鎮座している。鳴神山は昔、雷神嶽(なるかみだけ)と呼ばれていたらしい。即ち、雨乞の山であったのだろう。ここまでノンストップで登って来たので、ひと休みしたいが、山頂までもう一息。そのまま鳥居を潜り、岩盤の露出した岩道をよじ登る。程なく東峰と西峰の狭い鞍部に登り上げる。右に岩場を登る。上方から人声がする。山頂はもうすぐである。ツツジの潅木が茂る岩場をひと登りすると、ついに山頂に達した。 小さな石の祠が三つほど並ぶ山頂には3人の単独行者が先着していた。いずれも、私と反対側の駒形登山道を登ってきたようである。鳴神山登山道はそちらが本道なのだろう。目の前には鳴神山のセールスポイントである大展望が広がっている。一角に腰を下ろし、握り飯をほお張りながら、連なる山々に見とれる。まず目を奪うのは、ひときわ大きな男体山である。その左の独立峰は、おそらく太郎山であろう。女峰山、日光白根山は残念ながら、雲に覆われ見えない。目を大きく左に振ると、袈裟丸山と皇海山が一目で同定できる。反対側、東を眺めると、安蘇の山々が尾根を重ねながら累々と続き、その背後に古峰ヶ原高原が霞んでいる。 単独行の二人はすぐに下山し、山頂は私と埼玉県の蓮田市から車で来たという同年配の男性の二人だけとなった。あまり山は詳しくないと見え、「あれが日光白根ですか」「いや、太郎山ですよ。日光白根はあいにく雲の中ですね」「皇海山はどれですか」「あれですよ」「あれが百名山ですか」。彼は、あとは下るだけだというが、私はここが出発点、ゆっくりもしていられない。 行きがけの駄賃に、西峰にも寄ってみた。小さな石の祠があるだけで、潅木につつまれ展望もない。肩の広場まで下り、いよいよ縦走を開始する。幸い、吾妻山を示す道標もあり、縦走路は確りしていそうである。始めは杉檜の植林の中であったが、すぐに美しい雑木林の尾根道となった。木々はまだ色づいてはいないが、だいぶ葉が疎となった梢に秋が感じられる。いくつかの小ピークを越え、「吾妻山7.2k 、鳴神山1,4k」の道標の立つピークに達する。振り返ると、木々の間から微かに鳴神山が見える。何処かで鳴神山をはっきり見たいものである。すぐに地図上の811.5メートル三角点峰に達した。地図に山名記載はないが、「花台沢ノ頭」との標示がある。文献によっては「花笛沢ノ頭」とも記されている。視野は狭いが、鳴神山山頂以来初めて展望が西に開け、目の前に大きな赤城山が立ちふさがっている。ひと休みする。 緩やかに下っていくと、尾根は大きく広がり、尾根筋もあいまいになる。踏み跡は確りしているものの、尾根筋を外れて、下っているような気がする。念のため、薮を濃いで尾根筋と思われるところまで行ってみたが、やはり辿っている踏み跡が正しいようだ。次第に尾根筋に戻り、ひと登りするとそこが三峰山であった。地図上の697メートル標高点峰で、小さな石の祠と石の神像が立っている。ちょうど反対側から同年配の単独行者がやって来た。鳴神山まで行くという。私以外にもこんな縦走路を辿る物好きがいる。山頂は樹林の中で展望は一切ない。この山を「高畑山」と記載している文献もある。 緩やかに下っていく。前方木々の合間に顕著なピークが見える。これから辿る大形山だろう。ルートは90度左に曲がり、目の前に深いギャップが現れた。急坂を下り降りるとそこが金沢峠であった、狭い鞍部で、山田川流域の大崩集落と桐生川流域の金沢集落を結ぶ峠道が乗越している。ただし、峠道の踏み跡はかなり薄そうである。目の前には、大型山へ登り上げる急斜面が待ちかまえている。一気に急登に挑む。登り上げた山頂部は平坦で、681.5メートルの三角点は一番奥にあった。反対側から若者が一人登ってきて、同時に山頂に到着した。吾妻山から鳴神山を往復するという。「出発が遅くなってしまったのだ急がないと」の一言を残して、休むことなく出発していった。 いくつも小さなピークを越えながら平凡な尾根道を行く。「岡平」「西方寺沢ノ頭」の標示を過ぎる。568.3メートル三角点峰を右から捲くと、右に「自然観察の森」への下山路が分かれる。ここから先は「関東ふれあいのみち」として整備されたハイキングコースである。稜線に戻り、「鳳仙寺沢ノ頭」の標示を見、「きのこ会館」への下山道を左に分ける。480メートルピークでひと休みする。樹林の中でひとの気配はまったくない。ここで90度右に曲がり緩やかだが長い下りに入る。突然左に視界が開け、今日の終着地である桐生の街並みが眼下に見通せた。いつの間にか、こんなに歩いてきたのだ。薮っぽい平凡な鞍部に下り着く。「村松峠」との標示がある。 峠からは急登が待っていた。丸太で階段整備された急坂が延々と続く。階段の道は歩幅があわず実に登りにくい。さすがに疲れた。「これを登りきれば吾妻山、今日最後の山だ」と自分に言い聞かせながら急登に耐える。ようやく上方に頂が見えてきた。何か大きな建造物が建っているようだ。ついに登りきった。その瞬間がっくりとした。大きな電波反射板の立つ頂きには「女山」との標示があるではないか。どうやら吾妻山はもう一つ先らしい。下って、再び丸太の階段を登る。13時35分、鳴神山を発ってからちょうど3時間半、ついに吾妻山に到着した。 山頂には石の祠があり、南東方向に大きく展望が開けている。眼下に桐生の街並みが広がっている。今日の終着点・桐生駅も見える。その背後には幾つかの丘陵が島のごとく浮かび、その間を渡良瀬川が流れている。その奥に続く関東平野は真昼の太陽の光の中に霞んでいる。備え付けのベンチに座り、最後の握り飯をほお張りながら、展望に見入る。この山は桐生市民の散歩コースと見えて、休んでいる間も軽装のハイカーが何人も登ってくる。 しばしの休憩の後、下山に移る。ここから先、下山コースは特に決めていなかったが、皆が登ってくる「吾妻山公園」と標示された道を下る。下りだしてびっくりした。もはや鼻歌混じりのピクニックコースと思ったのだが、何と何と、目の前には岩盤の露出したすさまじい急坂が現れた。時には足だけでは足りず、手も動員して下らざるを得ないような道である。さらに驚いたことに、こんな道を足元もおぼつかない老人がよたよたと登ってくる。一人また一人と。登りはまだしも、下りは歩けるのだろうか。他人事ながら心配になる。途中、短い区間だが、男坂と女坂に分かれる。男坂は私でさえ危険を感じる岩道である。下るに従い、眼下の街並みがぐんぐん近づいてくる。 ようやく岩道の急坂が終わり、平坦な尾根道となる。いくつも分かれる道を適当に進むと、「吾妻山公園」に行き当たった。その前に光明寺という立派なお寺があり、そこから街並みに入った。駅への道はよくわからないが、人に聞くのも癪だ。山頂から眺めた方向感覚を頼りに駅を目指す。14時55分、過たず桐生駅に到着した。無事のゴールインである。切符を買おうとしたら駅員が「列車がちょうど到着している。走れ」と入場証明書を手渡す。階段を一段飛ばしでホームに駆け上がる。まだまだ体力は残っていたようである。
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