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草薙駅(930)→草薙神社(945)→ゴルフ場→山頂(1050) |
市街地の広がる静岡平野の真中に、大きな台地が盛り上がっている。南側は絶壁となって海に落ち込み、北側は緩やかな裾を引きながら市街地に続いている。この台地は、正式には有度山と呼ばれ、今は日本平の名の下に人々に親しまれている。日本観光地百選の平原の部第一位に選ばれた絶景の地である。その頂に立つと、眼下に清水港を抱くように美保の松原が広がり、その背後には大きな富士山がそびえている。駿河湾の向こうには伊豆の山々が石廊崎まで見渡せ、振り返れば、安倍奥の山々の背後に南アルプスの高嶺も見える。いささか絵葉書的ではあるが、絶景の地であることは確かである。駿河湾に落ち込む急斜面では名物の石垣イチゴの栽培が営まれ、また、谷によって隔てられた久能山には徳川家康の奥津城・東照宮があり、日本平とあわせて観光名所となっている。山頂まで立派な車道が通じており、山頂はいつも観光バスでにぎわっている。私も静岡に居を定めて以来、何度もこの山頂に車を走らせた。
この大きな台地は標高300メートルを越えており、しかも海岸から直接盛り上がっているだけに、見た目にはなかなか高く見える。「静岡の山百」にも選ばれており、山としても認知されているようである。晩夏の徒然なる一日、たまには歩いて登ってみるのもよい。幸い、いまだに山頂に至るハイキングコースが何本か残っている。 カメラだけを持って家を出て、静岡鉄道草薙駅で下りる。今年は記録的な猛暑が続いており、静岡市も昨日で40日連続の真夏日を記録している。今日も9月に入ったというのに、朝からぎらぎらと真夏の太陽が照りつけて、平日で人通りの少ない街は気怠さが支配している。駅前の大きなコンクリートの鳥居を潜り、草薙神社への道を辿る。草薙川に添って町中の道を緩やかに登っていくと、約15分で日本武尊の象の立つ草薙神社に着いた。草薙神社は日本武尊の伝説を秘めた古い神社である。考古学によると、弥生時代から古墳時代にかけての古代には、大井川が西日本と東日本を分ける大きな政治的文化的境界線であったらしい。西国を統一した古代天皇王朝が日本武尊を総大将として東国への侵略を開始し、これを迎え撃つ東国勢との間で、焼津から草薙にかけての地で大きな戦いが行なわれたのであろう。これが記紀に語られている日本武尊の草薙の剣(天の叢雲の剣)にまつわる戦いである。歴史は常に勝者のものである。日本武尊の名は残ったが、敗者の名は残っていない。楠の大木の茂る境内はしんとして人影もない。一人古代の戦いに思いを馳せる。 車道をさらに辿る。大きな草薙団地を過ぎると、人家もまばらとなる。ただし、狭い車道は車の通行が激しく恐い。清水方面への道を分けると、ようやく静かな道となった。この辺りは蛍がたくさん見られるとの話を聞いたことがある。道端には蔓草である仙人草の白い花が咲き誇っている。やがて草薙川始点の標示を過ぎると茶畑が現われる。日差しは強いが、日陰に入るとひんやりする。季節は確実に秋に向かっていることが実感できる。標示にしたがって車道を離れ、左の山道に入る。すぐにゴルフ場の脇に出てフェンスに沿っての登りとなる。馬走集落への道を分け、樹林の中を登る。この辺りが自然が一番残っている。やがて別荘や会社の保養施設などのある舗装道路に出るが人影はない。畑中の野道を辿れば山頂は近い。左にホテルの大きな建物を見て山頂の一角の車道に飛び出した。辿り着いた山頂は真夏の平日とあって閑散としている。霞みが濃く、富士山は見えないが、眼下には美保の松原や清水港が広がり、背後に伊豆の山々がうっすらと浮かんでいる。振り返れば、安倍奥の山々の背後に屏風のような大無間連峰が見える。見慣れた風景である。有度山の307.2 メートルの三角点はこの山頂にはなく、谷を隔てた隣のピ−クにある。見た目には三角点ピークのほうがわずかに高そうであるが、地図を見ると、この山頂も300メートルは越えている。三角点ピークには道がなく、この夏場には藪が深くてとてもいけない。 ロープウェイで久能山東照宮に行ってみることにする。乗客は私一人であった。久能山もこの台地の一峰であるが、海からの浸食によって有度山から切り取られている。千数百段の階段を下り、バスで市内へ帰る。
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