二王山から八森山へ

積雪をついて、安倍奥屈指の難ルートに挑む

1994年2月27日

              
 
関ノ沢集落→湯ノ森集落→二王山→二王峠→八森山→上渡集落

 
 安倍川西岸に二王山と見月山という二つの山がある。いずれも踏み跡の薄い篤志家向けの藪山である。見月山については今年の1月に登った。次は二王山に登ってみたい。この山への登山道は、安倍川流域の湯ノ森集落からとその裏側にあたる仙俣川流域最奥の集落・奥仙俣からの二つある。というよりも、この山頂を介して結ばれる道は二つの集落を結ぶ昔の生活道であり、山頂を通ると云えども一種の峠道である。
 
 二王山へのルートを決めかねた。湯ノ森集落から奥仙俣集落へ、またはその逆コースをとるのが常識であるが、常識的であるだけに面白味に欠ける。静岡市岳連発行の「静岡市の三角点100」によると、二王山と見月山の中間にある1,044.6メートル三角点峰を八森山(はちもりやま)と云い、登山道はないものの安倍川流域の上渡集落からルートが取れるとある。ただし、このルートはあるかないかの微かな踏み跡を利用するもので経験者以外無理なようである。にわかに二王山から八森山までの縦走が頭の中に浮かんだ。しかし、どう調べてみてもこの二つの山を結ぶ縦走の記録は見つからない。果たして縦走は可能なのかどうか。行ってみることにした。
 
 まず、湯ノ森集落から二王山に登り、様子をみて縦走可能と判断したら稜線を八森山へ縦走しよう。無理ならば奥仙俣集落に下ればよい。八森山までの縦走は地図で見る限りでは尾根筋がはっきりしているので、藪が深くない限りはなんとか辿れそうである。ただし踏み跡の類はまったく期待できそうもない。さらに八森山からの下山が問題である。「静岡市の三角点100」では、山頂から北東に伸びる尾根に切れ切れの微かな踏み跡があると書かれているが、この時期、雪がかなりあるであろうから、踏み跡を見つけることは期待できない。いわば、この北東尾根をうまく見つけられるかどうかがこの計画の最大のポイントである。
 
 センター発6時17分の梅ヶ島行きのバスに乗る。市街地を抜けると、いつもの通りバスは私の貸し切りとなった。山々には昨夜雪が降ったとみえて、行く手の山々が朝日に真っ白に輝いている。新雪がかなりあるとすると楽しみではあるが同時に縦走は困難を増しそうである。「お客さんどこまで行くんだい」「六郎木まで」。バスはただ一人の客を乗せて安倍川の奥へと進んで行く。
 
 関ノ沢集落の六郎木バス停に7時40分に到着。本来、一つ手前の湯ノ森バス停で下りればよいのだが、地図上に引く赤線の問題がある。辿ったルートを地図上に赤線でなぞることが、山行きの隠れた楽しみなのだが、関ノ沢集落からは赤線が十枚山を経て遙か我がマンションへと続いている。今回、関ノ沢集落から湯ノ森集落まで一停留所歩けば、この赤線が連続することになるのだ。10分ほど梅ヶ島街道を歩いて7時50分、湯の森集落に到着。早朝の集落に人影はない。三郷川沿いの道へ入るとすぐに二王山の登山口を示す小さな道標があった。いきなりものすごい急登だ。踏み跡程度の道であり、おまけに北側にあたるため、所々に氷化した残雪があり滑りやすい。8時10分、ようやく支尾根に達した。ここで入島集落からの道が合流する。初めての小休止をとる。
 
 ここからすばらしい道となった。よく踏まれたしっかりした小道が緩やかに続く。安倍奥の山々でこれだけ立派な登山道は珍しい。さすが昔の峠道である。道の付け方も実にたくみである。尾根上の小ピークをたくみに巻きながら緩やかに登っていく。天気は快晴無風の絶好の登山日和であり、風の音さえしない。キツツキの木を叩く音のみが朝の静寂を破る。西側の視界が大きく開け、大光山、十枚山、浅間原と続く安倍東山稜が朝日に輝いている。樹林地帯に入ると雪が現われた。氷化した残雪の上に昨夜の新雪が積もって滑りやすい。スパッツと軽アイゼンをつける。樹林を抜け雑木林に入ると雪は消え落ち葉の道となった。アイゼンを外す。再び左側に安倍東山稜が大きく広がる。ガレ場の縁でひと休みである。「あそこが刈安峠、地蔵峠と細島峠はあすこだ。あの送電線のあるところが浅間原か」。過去の山行きを懐かしく思い出しながら、心行くまで展望を楽しむ。相変わらずキツツキの音のみが響わたる。
 
 道はあくまでも緩やかである。再び雪が現われ、登るにしたがってその量を増す。ただし雪は氷化しておらず、アイゼンは必要ない。足跡一つない新雪を踏み締め、緩やかに登っていく。20〜30センチの積雪だが、道型ははっきりしていてルートの心配はない。千メートルを越えるあたりからすばらしい雑木林となった。安倍奥の山々で初めて出会う雑木林らしい雑木林であり、奥武蔵の山々を思い出させる。やがておなじみのY・K氏の道標があり、山頂を巻いて奥仙俣集落への道が分岐する。もう山頂までは15分ほどのはずである。道はますます緩やかとなる。地図で見ると二王山の山頂部は緩やかな高まりで、二重山稜のように複雑な地形となっている。案内書には迷いやすいと注書きがあったが、道はしっかりしておりその心配はなさそうである。小さな尾根状の高まりを越えて窪地状に出ると道が二分する。今越えた尾根状の高まりに再び向かう道と目の前の同じような高まりに向かう道である。おそらく右側のピークが三角点ピークであろう。1分で山頂に達した。10時15分である。
    
 山頂はY・K氏の山頂表示があるのみで、三角点は雪に埋もれ見つからない。北側の視界が開け、八紘嶺、大谷崩ノ頭が目の前に連なる。雪に覆われ、雑木林に囲まれた山頂はあくまでも静かで、実に気持ちがよい。案内書には藪に囲まれたつまらない山とあったが、どうして、安倍奥でも一、二を争うすばらしい山だ。季節がそうしたのであろうか。10時30分、いよいよ八森山へ向かう。分岐まで1分戻り、新たな道を進む。小さな尾根状のうねりが何本も走り、山頂部の地形は実に複雑である。振り返れば、私の足跡のみが1本、雪を乱して続いている。
 
 緩く下って、小さなピークを越えるとガレの縁に出た。山頂部の緩やかな地形もここでおしまいである。同時にあれほどしっかりしていた小道が途絶えた。コースサインは、左側が伐採地、右側がまだ若い植林の縁に沿って急な斜面を下っている。戸惑いながら、コースサインに沿って急斜面を30メートルほど下ると植林にぶつかり、微かな踏み跡もコースサインも途絶えた。周りを探ってみたがルートは見つからない。右手奥に二王峠に続くと思われる尾根が見える。ルートはこの尾根上にあるはずであり、コースサインはあったものの、今辿った踏み跡はルートが違う気もする。先程のガレの縁まで戻り、二王峠に続くと思われる尾根にルートを探ってみるが、それらしい気配はない。注意深く、再び先程の行きづまった地点まで進んでみる。やはりルートは見つからない。要はルートと思われる左奥の尾根に達すればよいとの結論を出し、植林の縁に沿って左から大きく周り込むようにしながら目指す尾根に達した。期待通り尾根に踏み跡があり、おまけにY・K氏の道標があって正規のルートに出たことが確認できた。本来のルートは、行きづまった地点から、植林の中を潜り抜けてこの地点に達しているようである。積雪の中ではとても探し出せないルートである。この地点が二王峠である。時に11時40分、視界が大きく開けて周囲の山々が一望である。ただし、あいにく南アルプスは見えない。目の前には大岳がひときわ高くそびえている。ひとまずピンチを脱したので腰を下ろして一服する。今日の計画はここから八森山までの縦走であるが、この積雪ではどうも無理なような気がしてきた。おとなしく奥仙俣集落へ下ったほうがどうもよさそうである。
 
 11時50分、出発する。明るい尾根道を5分も進むと突然モノレールが目に飛び込んだ。見れば、椎茸栽培場があり、案内書にあった通りそこまで奥仙俣集落からモノレールが上がってきているのだ。この瞬間、今までのすばらしい山歩きが目茶苦茶にされたような嫌な気がし、この人工物に沿った下山道を辿る気がしなくなった。逃げるようにそのまま尾根の続きに踏み込む。どうやら行きがかり上、八森山まで縦走をすることになりそうである。しばらく進んでみて駄目ならこの地点まで戻ればよい。
 
 ここから尾根は樹林地帯となった。ないものとは思ったが、心のどこかで期待していた踏み跡もコースサインもやはりない。椎茸栽培場にあったY・K氏の道標もこの南に続く尾根方向は何も示しておらず、これからの困難が思いやられる。ザックにしまい込んであった二万五千図をヤッケのポッケに移す。ここからは地図とにらめっこしながら進まなければならない。地図で見る限り八森山までの尾根は千メートル前後の平坦な地形で尾根筋は明確である。八森山までは何とか行けそうではあるが、下山道がやはり心配である。

 樹林の中の展望の利かない藪尾根を進む。積雪があり、藪も浅いので、歩くのはそれほど困難ではないが、それでも灌木の枝とスズタケが剥き出しの顔を打つ。展望がまったく利かない状況で尾根を正確に辿るのはそれなりの技術と山勘が必要である。尾根は特徴のない小ピークを連続させているので、現在位置を確認することも難しい。時々尾根筋が不明となりルート決定に試行錯誤する。ここまで来たらもう戻ることは無理である。八森山まで行くしかない。覚悟を決めてさらに先に進む。それにしてもこのルートを歩いた人はいるのだろうか。今歩いてみても赤テープのひとかけらも見当たらない。雪の上に人の裸足に似た足跡がある。熊の足跡かも知れない。こんな人跡希な藪の中では熊にさえ懐かしさを覚える。

 行く手に何個目かの小ピークが現われ高度計が955メートルを示す。この高度から考えと現在位置は地図上の987メートル峰の手前のはずである。であるならば、行く手のピークから尾根は急激に向きを南から東に変え、しかも痩せるはずである。ピークの登りに掛かるとスズタケの密生となった。獣道と思える微かな踏み跡を利用してこのピークを右から巻く。思った通り尾根は左に90度カーブして、痩せた小さな鞍部に達した。登山道と分かれて以降初めて明確に位置確認ができほっとし、小休止とする。12時30分である。ここまではルートを間違わずに来ることができた。あと一つ小ピークを越えて緩やかに登れば八森山のはずである。行く手、木々の間に八森山と思えるピークがみえる。密生したスズタケを押し分け、次のピークを越すと尾根筋は消えて樹林の中の緩やかな登りとなった。雪が再び深まり、場所によっては脛まで潜る。ちょうど13時、ついに八森山の山頂に達した。
 
 山頂はまったく展望の利かない樹林の中の薄暗いところで、三角点のそばの樹木に山頂を示すプレートが二つばかり打ち付けられている。山頂部は広々としていて尾根筋も消失し方向感覚が掴み難い。さあ、今日最大の問題点である下山道を見つけなければならない。もちろん道標はおろか踏み跡らしきものも一切ない。ただ一面の雪である。休む間もなく二万五千図を雪の上に広げ、その上にコンパスを置いて方向を固定し、下るべき北東尾根への方向を求める。私の読図能力と山勘を試される最大の試練である。二度ほどの偵察の結果、ルートと思える雪の緩やかな斜面を発見する。目的の北東尾根は山頂から直接北東方向に向かわず、右から大きく周り込むようにして派生しているようである。

 13時15分、山頂を出発。緩やかに傾斜する雪のプラトーを注意深く下る。すぐに崩壊した作業小屋を見る。ここで少々迷ったが、左に周り込むように進むと斜面が急となり尾根筋が現われた。スズタケの密生した急斜面を下る。微かに踏み跡らしきものが現われる。尾根筋を外さないようにだけ注意し、どんどん下る。時々現われる踏み跡らしきものがルートの正しさを教えてくれる。尾根が北東から東に向きを変える小ピークがスズタケの密生となっていてルートが見つからない。ようやく南側を巻くように進むルートを見つけ、ハードな藪漕ぎのすえスズタケの密生を抜ける。斜面は緩やかとなるが、灌木とスズタケの藪に入ると踏み跡は消える。左側藪越しに二王山が見える。今日初めて仰ぐ二王山である。檜の植林地に入るとようやく踏み跡が明確になった。やれやれである。これでどうやら無事下山できそうである。緊張が解けると急に空腹を覚え、ひと休みとする。はっきりした踏み跡をジグザグを切ってどんどん下る。眼下に安倍川の流れが白く光っている。いつしかあれほど晴れ渡っていた空が厚い雲に覆われている。荒れた茶畑が現われ、人家が現われ、さらに下るとついに安倍川の辺に達した。吊橋を渡り上渡集落に入る。ついにこのハードな縦走をやり遂げたのだ。時に14時45分である。