房総半島の山 鋸山 

いささか俗化したが、いまだ名山の誉れは失っていない 

2016年1月10日


 
南面より望む鋸山
                            
浜金谷駅(909)→関東ふれあいコース登山口(924)→観月台(939)→日本寺北入り口分岐(959)→石切り場(1010)→車力道コース分岐(1021)→地球が丸く見える展望台(1032〜1045)→鋸山山頂(1102〜1107)→地球が丸く見える展望台分岐(1122)→車力道コース分岐(1134)→関東ふれあいコース分岐(1143)→日本寺北口・百尺観音(1157〜1201)→地獄覗き(1210〜1215)→大仏(1246〜1258)→表参道入り口(1317)→保田駅(1344〜1453)

 
 今年の最初の山登りは房総半島の鋸山である。鋸山と聞くと、ハイキングの対象よりも、小中学生の遠足、あるいは家族でのリクレーションの対象としてのイメージが強い。海岸から一気に盛り上がり、鋸の刃のごとく岩峰が連続する特異な山容。南面一帯が曹洞宗日本寺の境内となっていて、巨大な大仏を始め多くの石仏が岩陰を埋める独特の霊的雰囲気。あちこちに見られる100メートルにも及ぶ垂直の岩壁となった巨大な石切り場跡。鋭い岩峰の展望台から眺める眼下の浦賀水道とその背後に見える富士山。急な上り下りは少々難儀ではあるが、危険と言うほどのこともない。おまけに今ではケーブルカーも架かっている。遠足やリクレーションの対象として人気があるのはよく理解できる。極めて記憶は曖昧であるが、私も小学校の遠足か、あるいは臨海学校のついでであったのか、この山に登った記憶が微かにある。ただし、裏付けとなる写真の類いはいっさい残っていない。

 このようなイメージの鋸山ではあるが、「山」としてもそれなりの地位を占めている。関東百名山に選ばれ、日本百低山にも選ばれている。そして何よりの自慢は、その山頂に329.1メートルの一等三角点「鋸山」を持つことである。何と、数少ない一等三角点峰の一つなのである。このため、ハイキングの対象としても十分存在価値がありそうである。調べてみると、遠足やリクレーションの対象が鋸南町保田を拠点とする鋸山南面であるのに対し、ハイキング対象は主として富津市金谷を拠点とする北面で、何本かのハイキングコースも開かれている。

 前々から一度はこの一等三角点峰の頂きを極めておきたいと思っていたのだが、日帰りで行くには何しろ遠い。列車の乗車時間だけでも3時間半から4時間も掛かる。そのため、いまだその頂きは未踏のまま残されている。しかし、近郊の山も粗方登りつくしたことだし、少々無理をしてもそろそろこの山に御挨拶をしておかねばならないだろう。

 早朝5時半、夜明け前の真っ暗の中家を出る。南の空低く、シリウスがひときわ明るく輝いている。今日は3連休の中日、一日穏やかな晴天が約束されている。北鴻巣5時40分発の上り列車に乗り、赤羽、東京と乗り換え、総武線で千葉に向う。新小岩の手前で日の出を迎えた。真っ赤な太陽がビルの建ち並ぶ地平から姿を現した。市川を過ぎると右手進行逆方向に真っ白な富士山がくっきりと姿を現した。今日は山頂からの大展望が期待できそうである。千葉で内房線の普通列車に乗り換える。車内はガラガラである。

 9時9分、北鴻巣から3時間半掛かって、ようやく浜金谷の小さな駅に到着した。跨線橋から眺めると、これから向う鋸山が真青な空を背景に、そのギザギザの山体を朝日に輝かせている。列車からは同じく鋸山に向うと思われる数組のハイカーが下車した。小さな街並みの中を登山口目指して進む。途中、富津市観光協会の運営する「金谷観光案内所 石の舎」があった。ここでハイキングマップを入手できた。これは大助かりである。適当なハイキング案内地図がなく少々不安を感じていたところである。ただし、入手した「鋸山ハイキングマップ」を眺めて思わず噴出してしまった。見事なまでに北面のハイキングエリアのみ記載されており、南面の日本寺エリアは記載なしである。確かに南面は鋸南町の領域で富津市ではないがーーー。ちなみに、帰路、保田駅前の鋸南町の観光案内所で鋸山の案内地図を入手したが、こちらは見事なまでに南面についてのみの記載であった。役所の縄張り意識の強さを改めて見る思いである。

 街中の道は曲がりくねるが、角角に確りした道標があるので迷うことはない。ガードを潜って鉄道線路の北側に出ると「安兵衛井戸と沢コース」が左に分かれる。何組かのパーティがそちらに向っていった。更に小道を少し進むと尾根の末端に突き当たったり、道は三つに分かれる。道標が、尾根の左に回り込んでいく小道を「車力道コース」、尾根の右に進む小道にはなんの標示もない。そして、真ん中の尾根を登り上げていく急な階段道が私が今日辿る予定の「関東ふれあいの道コース」である。即ちここがこのコースの登山口である。

 急な石段が延々と続く。周りは房総の山特有の鬱蒼とした照葉樹林である。立ち止まって上を見上げても、石段は絶える事無く続いている。それでも登り始めたばかり、私の足取りは快調である。ヒィヒィ言いながら登る若い女性の二人組を追い抜く。いったんベンチのある踊り場に出る。振り返ると、登ってきた石段道の向こうに小さな金谷の街並みが広がり、その背後に船の行き交う浦賀水道、そして更にその向こう、空との境に真っ白な富士山が消え入るように見えるではないか。

 更に急な石段を登り続ける。登山口から約15分の登りで、最初の目標地「観月台」に登り上げた。小さな展望台となっていて、視野は狭いが、登ってきた方向に展望が開けている。展望の目玉はやはり富士山である。この山が見えると、なぜか嬉しくなる。ひと息入れた後、先を急ぐ。石段の急登は終わり、道は樹林の中の下りに変わった。よく踏まれた山道である。途中トイレがあったのには驚いた。道は再び登りに転じ、グイグイ登って行く。後ろから犬を連れた若い男女が追いついてきた。しばし抵抗したが、力尽きて抜かれてしまった。

 観月台から20分の登りで、日本寺北口分岐に達した。このまま真っ直ぐ稜線に向って登っていくと、稜線の向こう側、即ち南面に展開する日本寺境内に達する。ハイキングルートは、ここを左に折れ、稜線の北側を巻くように進んで山頂に向うことになる。この道がいわば鋸山の縦走路である。私の今日の計画は、この地点から山頂を往復し、その後日本寺境内を遊覧するつもりである。

 稜線の北側を巻くようにして縦走路を東に進む。ただし、平坦な巻き道とはいささか趣が違う。大岩や小岩峰を登ったり巻いたりしながら越えて行く。道はよく踏まれているが、短いながら急な上り下りが続く。思いのほか、ハイカーの姿が多い。この領域にいるものは皆ザックを背負ったハイカーであり観光客ではない。

 分岐から数分進むと右手上空に凄まじい景色が見えてきた。100メートルはあろうかと思える石切り場跡の垂直の岩壁の上に突きだした「地獄のぞき展望台」である。展望台上にうごめく何人もの人影が見える。日本寺境内の名所ではあるが、あんな怖いところによくぞ展望台など造ったものである。私も、山頂往復後行ってみるつもりであるがーーー。

 「石切り場跡」との道標に導かれて、ちょっと横道に入る。垂直の壁となって立ちはだかる巨大な岩壁の下に立つ。凄まじい景色だ。江戸時代後期から昭和60年まで続いたという石材切り出しの跡である。それにしても、どのようにして切りだせば眼前にそそり立つ100メートルにも及べ垂直の岩壁が作り出されるのであろう。

 縦走路に戻り、大岩や岩壁の間をくり貫いて造られた道を進むと左手より「車力道コース」が合流する。「関東ふれあいの道コース」と並ぶ鋸山のメイン登山道である。「車力」とは切りだされた石材をネコ車に乗せて麓まで運ぶ女性達の呼称であったとのことである。一本80キロの石材3本一度に運ぶ重労働であった。この道が利用されたのだろう。

 ルートは石段の凄まじい急登に変わった。確り手摺りが設置されているので助かるが、恐怖を覚えるほどの急登である。しかも、すれ違いもままならない狭さである。さすがに息が切れる。ヒィヒィもがきながら何とか登りきると、そこは稜線の一画で右へ展望台への道が分かれている。

 分岐からわずか1分の登りで展望台に達した。「地球が丸く見える展望台」である。小広く開けた岩峰の頂きで、数個のベンチが設置され、10人ほどのハイカーが陣取っていた。どうやらこの地が鋸山ハイキングのメインターゲットのようである。周囲はぐるっとおよそ200度にわたって大展望が開けている。ベンチにザックを放り投げると、何はともあれ大展望の観賞である。浦賀水道の向こうに三浦半島が霞み、その背後にうっすらと富士山が見える。まさに絵葉書の景色である。振り返ると、眼下に保田の街並みが広がり、その背後に里見八犬伝縁の山「富山」が一目でそれと分かる双耳峰を聳え立てている。あの山に登ったのは2011年の10月、もう4年以上昔のことである。ベンチに座り、朝食兼昼食のパンを頬張りながら天下の絶景を眺め続ける。

 15分の休憩の後、いよいよ鋸山山頂を目指す。分岐まで戻り、稜線上の縦走路となった道を進む。相変わらず小さなかつ急な上り下りが続く。千葉テレビ中継所の建つ、小峰を左から巻いてひと登りすると、待望の山頂に達した。樹林に囲まれた小さな頂きで、ベンチが設置され、わずかに北方へのみ視界が開けている。山頂の一画には、お目当ての一等三角点「鋸山」が確認できる。山頂には若いアベックと中年の婦人の三人が先着していた。一休みする。

 わずか5分ほどの休憩で、もときた道を戻る。展望台分岐を過ぎ、車力道分岐を過ぎ、石切り場分岐を過ぎる。点々とハイカーとすれ違う。思った以上に鋸山はハイカーで賑わっている様子である。山頂から30分あまりで関東ふれあい道コース分岐に戻った。そのまま、道標に従い、「日本寺北入り口」と指し示された稜線に登り上げる道に入る。ここから先は金谷観光案内所で入手したハイキングマップには記載がない。

 何とも凄まじい登り道である。確り石段整備はされているのだが、一段一段の段差が大きく、しかも、恐怖を感じる急斜面である。手摺りも最初は確りしたアルミ製であったが、途中からはロープに変わってしまった。手摺りで体勢を確保しなければ、怖くてとても登れない。おまけに狭くてすれ違いもできない。躓きでもして転げ落ちたら一巻の終わりである。途中岩壁に突き出た小さな展望台でひと息入れ、更に登り続ける。

 分岐から約15分のきついきつい登りの末、ようやく日本寺北入口の拝観料徴収所に到達した。ここで600円もの少々高価な拝観料を払い、鋸山南面に大きく展開する日本寺の境内に入る。途端に多くの観光客が湧きだす。ここまで出会ったザックを背負ったハイカーとは明らかに違う人々の群れである。幼児連れも多い。登山スタイルの私は少々浮いた存在である。ここから先はもう山登りではない。

 拝観料徴収所で入手した境内案内図に基づき境内を歩く。岩壁に彫られた高さ30メートルにも及ぶ巨大な「百尺観音」を見た後、少々長く急な石段を登って、最大の見所「地獄のぞき」の展望台に登り上げる。今朝方恐怖をもって下から見上げた、あの垂直の岩壁上の展望台である。展望台は多くの観光客で賑わっていた。突き出た岩場の先端は順番待ちの状況である。展望台からは期待に違わず360度の大展望が得られる。浦賀水道とその背後に浮かぶ白い富士山。振り返ると、房総の緑の低い山並みが地平線の彼方まで波打つごとく続いている。

 「地獄のぞき」を下り、岩陰に無数の石仏が並ぶ五百羅漢石像群を見て、巨大な大仏の立つ大仏広場に到る。ここは広大な日本寺境内の拠点となる休み所、多くの観光客がベンチに陣取り、お弁当を開くなどして休んでいる。広場の奧には高さ31.05メートルもの巨大な大仏の坐像が見られる。奈良の大仏の18.18メートルを遥かにしのぐ日本一の大仏だそうである。私も座り込んで昼食のパンを頬張る。

 しばしの休憩の後、いよいよ下山に移る。保田駅まで歩いて下るつもりである。広場を抜け、表参道への道に入ると、あれほど群れていた人影は消えた。心字池、観音堂を過ぎ、表参道入り口の拝観料徴収所より境外に出た。あとは人影もない里道をのんびり歩きながら保田駅へと向う。左手には、名前のごとくギザギザの山頂を連ねた鋸山が壁のごとくそそり立っている。
 

登りついた頂  
     鋸山  329.1 メートル
                                              

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