小笠山と高天神山

 自然が一杯の山と戦国の昔を偲ぶ山

1996年3月2日


小笠山山頂
 
小笠山 小笠山駐車場(955)→小笠神社→小笠山山頂→電波塔ピ−ク→小笠池→小笠山駐車場(1155)
高天神山 高天神城搦手口→高天神社→馬場平→本丸跡→三の丸跡→搦手口

 
 風邪を引くやら何やらで、しばらく山から遠ざかっている。明日は駿府マラソンを走るので本来なら家で休養すべきなのだろうが、天気がよいので軽いハイキングに出かけてみることにする。小笠山がよい。早く登らないとこの山はどうなってしまうかわからない。ついでに近くの高天神山にも登っておこう。
 
 地図帳を見ると、遠州の南部は緑色に塗られ、一見大きな平野が広がっているように見えが、実は200メ−トル前後の低い山並が海岸部まで押し寄せている。この山並の主峰が小笠山である。標高わずか264.4メ−トルであるが、「静岡の百山」にも選ばれた根張りの大きな山である。この地域はいまだ自然が多く残されているなのだが、非常に残念なことに、静岡県はこの地域に大規模スポ−ツ施設などの大型プロジェクトを計画している。将来小笠山は大きく姿を変えてしまう可能性がある。小笠山が小笠山であるうちに登っておかなければならない。

 また、小笠山の南方に高天神山がある。高天神山というよりも高天神城跡として名高い。戦国時代、この山城をめぐって今川、徳川、武田の軍勢が何回も凄惨な戦いを繰り返した。とくに天正9年(1581年)の戦いにおいては、徳川軍の兵糧攻めの前に城を守る武田勢は力尽き、最後は城兵800人が城外に突撃して全員玉砕した。世にいう高天神城の戦いである。この山もぜひ一度登ってみたい。

 8時35分、車で家を出る。東名高速を掛川インタ−で下りて小笠山に向かう。ヘアピンカ−ブを何回か繰り返し、9時55分、中腹の駐車場に着いた。誰もいない。南方に視界が開け、低い山並が遠州灘に向かって続いている。空はよく晴れ上がっているが、春特有の霞が掛かっている。カメラだけを持って出発する。長い階段を登り上げると小笠神社に着いた。視界が大きく開け、眼下には掛川の街並が見え、低い山並がアメ−バ−の足のように海に向かって広がっている。春霞の彼方に遠州灘は微かに見えるが、御前崎の灯台は確認できない。神社のそばには小笠山ビジタ−センタ−があり、小笠山の自然を解説している。

 縦走路に入る。気持ちのよい照葉樹の森が一面に広がっている。すぐに小笠山砦跡に着く。高天神城を攻撃するために徳川家康が築いた砦跡である。尾根道をさらにたどる。小笠山一帯は昔の大井川デルタが隆起して形成されたとのこと。地層は小笠山礫層といい、川原にある丸い小石が層になって形成されている。それだけに浸食が激しく、尾根の両側はすさまじい絶壁である。案内にも「低山と思って舐めて掛かるとひどい目に遭う」とある。多聞神社の小さな社を過ぎしばらく行くと、法多山尊永寺への道が右に分かれる。ここに道標はないが上部へ通じる踏み跡がある。小笠山の三角点に通じるはずである。2〜3分で山頂に着いた。何の標示もなく、264.4メ−トルの四等三角点のみが寂しく置かれている。わざわざここを訪れる人はいないようだ。

 戻って縦走路を電波塔ピ−クに向かう。照葉樹林の中の小道はなんとも気持ちがよい。植林は一切なく、自然が一杯である。道はよく整備されているのだが、道標が整備されていない。時々朽ちた道標が現われる程度である。小さな上下を繰り返し、小笠池への道を左に分けるとすぐにとNTTの電波塔の建つ小ピ−クに達した。地図を見るとこの地点が265メ−トルで、三角点ピ−クをほんのわずか上回り小笠山の最高地点となっている。

 本来のコ−スは先ほどの分岐まで戻って小笠池に下るのであるが、さらに先の大きな無線中継基地の鉄塔の建つ264.2メ−トル三角点ピ−ク付近まで行って、適当に小笠池に下ってみることにする。少し下ると、尾根を絡む真新しい車道に飛び出した。車道を歩くのもおもしろくないので尾根に上がってみると微かに踏み跡がある。踏み跡をたどる。どこかに小笠池に下るル−トはないかと思うのだが、尾根直下は深い絶壁でとてもル−トを取れるような場所はない。15分ほど尾根をたどるが、再び車道に追い出されてしまった。小笠池へのル−トを求めて車道をしばらく進んでみたがル−トはない。仕方がないので戻ることにする。

 電波塔ピ−クを経て小笠池分岐まで戻る。ル−トに従い支尾根を下る。登山道は確り整備されているが、ナイフリッジのすごい岩尾根である。両側は深い絶壁で恐い。わずか二百数十メ−トルの山とも思えないほどの迫力である。相変わらず照葉樹の自然林で気持ちがよい。どんどん下ると小笠池に下り着いた。灌漑用に谷を塞き止めて造られた人造湖である。真暗なトンネルを潜り、上下を繰り返しながら、池畔の道を進む。相変わらずまともな道標はなく、勘を頼りの前進である。吊橋で小笠池を対岸に渡り、ひと登りすると今朝ほどの駐車場に出た。12時5分前であった。小笠山は自然が手付かずのまま残っており、すばらしいところである。この自然をぜひ永く保ってほしいものである。

 車を15分ほど走らすと、高天神城搦手口に着いた。この高天神城は小笠山から南に延びる尾根の末端の小ピ−クにある。標高はわずか132メ−トルである。昔は鶴翁山といわれたようであるが、二万五千図には高天神山と記載されている。登り口に大きな駐車場があり、史跡としてよく整備されているようである。急な長い石段を息せき切って登り上げると尾根の鞍部に達した。まず尾根を右にたどって高天神にお参りする。城が築かれる前から鎮座している古い神社である。大きな貫禄のある社であるが人影はない。神社の裏手の高みが馬場平で展望台になっている。南に視界が開け、遠州灘が白く浮かんでいる。北側の木々の合間からは小笠山が見え隠れする。

 鞍部まで戻って左側の高みを目指す。登り上げたところが本丸跡である。小平地で、とても千人もの城兵が詰めた城とも思えない。一人石に腰掛けて、戦国の昔を思う。家康の猛攻にも、この城は最後まで落ちなかった。長篠の戦いで大敗した武田勝頼にはもはやこの城を救援する力はなかった。城兵は兵糧攻めにあい餓死者を出しながらも降伏せず、最後は全員で敵陣に突撃して玉砕した。武田武士の誇りを全うしたのである。武田氏が滅亡するのはこの戦いからちょうど1年後である。

 
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