安蘇の山 太平山稜縦走

冬枯れの雑木林の尾根を木漏れ日を浴びながら

2004年1月10日

                
ブドウ棚の向こうに晃石山を望む
 
新太平下駅(705)→太平下駅(720)→太平山登山口(730)→隋神門(810)→太平山神社(815〜820)→太平山(830〜840)→ぐみの木峠(850)→晃石山(915〜925)→桜峠(950〜1000)→馬不入山(1030〜1035)→岩船山登山口(1115)→高勝寺(1130〜1140)→岩船山(1145〜1150) →岩舟駅(1215)

 
 太平山、晃石山、馬不入山、岩船山と続く山稜は安蘇山地前衛の山並みである。言うなれば、関東平野の北限において最初に盛り上がる山々である。それだけに、古代より人間とのかかわり合いが深い山々でもある。太平山の中腹には天長4年(827)慈覚大師により創建されたといわれ太平山神社が鎮座し、麓には雨月物語で有名な中大寺が伽藍を並べている。また、岩船山山頂には日本三大地蔵尊の一つ高勝寺が建つ。山稜上には「関東ふれあいの道」というハイキングコースが開かれていて、関東平野の展望が絶佳だという。また、晃石山は関東百名山にも選ばれている。一度は訪れてみたい山々である。

 太平山から岩船山まで全山縦走するとなると少々距離が長い。北鴻巣発5時24分の1番列車に乗り、大宮、栗橋と乗り換え、東武日光線の新太平下駅に着いたのは7時03分であった。朝の冷気がぴんと張りつめている。本来のアプローチは栃木市からバスで太平山神社参道入口まで行くようであるが、今日はこの駅から歩き通す計画である。距離的には少々遠いが、鉄道の駅から直接歩いたほうが時間の無駄がない。道がよく分からないので方向感覚を頼りに薄い街並を抜けるとJR両毛線の太平下駅にでた。ここに案内図が掲載されていた。里道を辿る。辻辻には道標もありもう迷うことはない。この辺りはブドウの栽培が盛んである。ブドウ棚の向こうにこれから辿る山並みが朝日に輝いている。

 新太平下駅から25分で登山口に着いた。太平山神社への表参道は東側から登るのであるが、南に張り出すこの支稜上にも登山道が開かれている。杉林の中を延々と階段が続く。辺りは静寂そのもで人の気配はまったくしない。稜線近くに達すると道は巻道となり緩やかに登っていく。車道を横切りさらに登ると少年自然の家の前で太平神社へ通じる立派な車道に跳びだす。初めて展望が開け、朝もやの中に筑波山が墨絵のように浮かび上がっている。筑波山の姿はいつどこで眺めても惚れ惚れする。さすが、「西の富士、東の筑波」と昔から讚えられただけのことはある。わずか867メートルの山なのだが。

 車道を辿る。すぐに謙信平と呼ばれる平坦地にでる。説明書きには次の通り記されていた。「寛永11年(1568)関東平野を競い、対立した越後の上杉謙信と小田原の北条氏康は大中寺で仲直りした後、上杉謙信はその軍を引き連れて太平山に登り兵馬の訓練を行いました。その時に謙信は南の方に空の果てまで広がった平原を見渡して、あらためて関東平野の広さに目を見張ったと言われています。その場所が謙信平と呼ばれています」。何軒もの茶店が軒を並べ、南側には大展望が開かれている。空気の透明度がよければ遠く新宿の高層ビル群が見えるとのことだが、今日はあいにく下界は靄の中に霞んでいる。栃木市生まれの文豪山本有三の文学碑への道を左に分け、車道を少し下ると隋神門にでた。ここで麓から急な石段となって登ってくる太平神社参道と合す。この石段を登ってくるのはかなり大変だろう。折から、三人連れのおばちゃんハイカーが息を切らして登ってきた。

 この隋神門は、享保8年(1723)に徳川8代将軍吉宗により建築されたもので、朱塗りのなかなか立派な神門である。門をくぐり、急な石段を登る。さすがに息が切れる。登り上げると太平山神社に達した。本殿に詣でベンチでひと休みする。おじちゃん、おばちゃんハイカーが続々と集まってきて騒がしい。どうやらここを集合場所としたようである。早々に出発する。神社の裏手より登山道に入る。樹林の中のよく踏まれた道である。一峰を巻いてわずか10分で山頂に達した。誰もいない。山頂は思いのほか粗末であった。富士浅間神社の小さな社殿が建つだけで、山頂標示もない。社殿裏手の一番高いと思われる場所に座り込んで握り飯をほお張る。ここまで朝飯抜きで登ってきた。

 下から先ほどの集団が登ってくる気配に、逃げるように山頂を発つ。急な斜面を下ると次の312メートル峰に建つ電波塔に通じる車道に飛びだす。車道を横切り電波塔ピークを南から巻くと、ぐみの木峠に達した。杉林の中の何の変哲もない峠である。大中寺への道が南に下っている。そのまま登りに入る。振り向くと雑木林の木々の間から太平山がちらりちらりと見える。ぽつりぽつりと人とすれ違う。ザックも背負っていないところを見ると、ハイキングというより朝の散歩なのだろう。早朝の雑木林の尾根道は気持ちがよい。知らず知らずのうちにピッチが上がる。いくつもの小ピークを越えながら次第に高度を上げる。

 そろそろ晃石山と思うころ、道が巻道と尾根道に分かれる。巻道が本道のようだが、晃石山を巻いてしまう心配がある。道標はないが尾根道を選択する。ひと登りで晃石山山頂に達した。誰もいない。雑木林に囲まれ、展望はないが、静かな気持ちのよい頂である。山頂には小さな祠が鎮座し、傍らには一等三角点が設置されている。栃木県内の一等三角点は、黒磯市の三本槍ヶ岳、藤原町の松倉山、宇都宮の八幡山、そしてこの晃石山の6ヶ所である。座り込んで再び握り飯をほお張る。

 ひと下りで先ほどの巻き道に合した。あとで知るのだが、やはりこの巻道が本道で、山頂直下に鎮座する晃石山神社を経由して山頂に登るのがルートだったようである。残念ながら、晃石山神社をショートカットしてしまった。いくつものピークを越えながら雑木林の尾根道は続く。冬枯れの小楢の林、小道を覆う落ち葉のジュータン。この辺りが、太平山系縦走路の極美なのだろう。稜線はやがて向きを南に変え、急な下りに入る。道の真ん中に立派な木製の手摺りが設置されているが、余り役には立たない。雑木林の間から、行く手に馬不入山が見える。

 下り着いたところが四阿が建つ桜峠であった。一人の登山者が休んでいたが入れ違いに出発していった。ひと休みする。明確な小道が乗越ている。道標が東に下る道を清水寺、西に下る道を村檜神社と示している。説明書きがあり、「この峠は、古代、この山並みの両側を通っていた東山道の連絡路として利用された」とある。清水寺方面から幼児2人を連れた父親が登ってきたのを潮に出発する。

 再びいくつものピークを越えながら高度を上げる。雑木林の尾根道がどこまでも続く。道はよく踏まれ、道標完備なので地図を見ることもない。空は真っ青に晴れ渡り快晴無風である。木の間隠れに北方にちらりと雪山が見えた。日光連山だろうか。峠から20分で馬不入山に登り上げた。この頂も無人であった。久しぶりに南方に大きく視界が開けている。眼下に関東平野が靄の中に霞み、その中にいくつもの丘陵が島のごとく浮かんでいる。「陸の松島」と讚えられている景色である。右手には三毳山が大きな島となってが見える。振り返ると、こちらは雑木林の間からであるが、越えてきた晃石山が高くそびえ立っている。備え付けのベンチでひと休みしていたら、50絡みの登山者が登ってきて、得意げに見える景色を大声で説明し始めた。誰も聞いてはいない。耳障りなだけである。

 急坂を下り、小峰を越えると、長い階段の下りとなった。アベックが息を切らせて登ってくる。車道を横切ると下りは終わった。林の中の小道を進み、氷の張る溜め池のほとりでひと休みする。再び溜め池が現れ、ここで車道にでた。側には鷲神社がある。里道となった車道を進む。三つ目の溜め池を過ぎると、右に分かれる小道を、消え入りそうな標示が「岩船山登山口」と示している。

 小道を辿る。田んぼの向こうにこれから登る岩船山が逆光の中黒々と浮かんでいる。どこが頂ともつかない長い尾根状の山である。確かに、上州の荒船山と似た形であり、昔は舟の形であったのだろう。しかし、周りは完全な絶壁で囲まれている。石切り場の跡である。この山は、建築材として有名な岩船石を産することから、徹底的に破壊された。まさに稜線のみを残して、周りをすべて削り採られた哀れな姿である。農家の庭先をかすめ緩やかにカーブする小道を山に向かって進む。

 絶壁の下部に至り、標示に導かれて山中に向かう車道に入る。至る所に「危険 立ち入り禁止」の看板が立ち、石切り場に向かう工事道路のようでもあり、果たして登山ルートであるのか不安となる。車道は石切り場をかすめ、ものすごい急傾斜となってジグザグを切ってに上部に向かう。登るに従い北方に視界が開け、辿ってきた太平山から馬不入山に続く稜線がよく見える。さすがに息が切れ、立ち止まって越えてきた山々を眺める。さらに登ると、突然目の前に朱塗りの立派な山門が現れた。岩船山高勝寺である。

 山門をくぐり、本堂に進む。この岩船山は死者の旅立つ山と信じられ、古代よりの霊場である。境内はシンとしてひとの気配はない。この地点はすでに山頂部の一角であるが、ここまで来たからには172.7メートルの三角点まで行ってみたい。本堂の裏手の高みに続く石段を見つけ辿る。奉納された地蔵仏が点々と立つ。卒塔婆の乱立する高みが最高地点であった。足下から垂直の絶壁が切れ落ち、金網を張られた先に三角点はあった。絶壁の先には煙る関東平野が続き、眼下にはこれから向かう岩舟駅が見える。

 山頂を辞す。まだ12時前であり、ずいぶん早い下山となった。高勝寺の表参道となる長い長い石段を下る。600段あるという。下り終わると、岩舟駅は一足長であった。待ち時間ゼロで両毛線桐生行きの電車がやって来た。

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