奥多摩の低山 三室山と青梅丘陵 

青梅市周辺の低山をハイキング

2014年4月24日


 
雷電山山頂
名郷峠
                            
日向和田駅(810)→吉野街道(820)→梅の公園(830)→山道(840)→琴平神社(915〜925)→三室山分岐(945)→三室山山頂(950〜955)→奥の院(1015〜1020)→愛宕神社(1100)→吉野街道(1105)→軍畑大橋(1120)→軍畑駅(1130)→榎峠分岐(1145)→榎峠(1155)→雷電山山頂(1235〜1240)→辛垣城跡分岐(1255)→辛垣城跡(1305)→名郷峠(1320)→スノザワ峠(1345)→三方山(1400〜1405)→404m標高点ピーク(1440〜1445)→矢倉台休憩所(1505)→ハイキングコース入口(1550)→青梅駅(1600)

 
 春を通り越し、初夏のような暖かな晴天が続いている。ゴールデンウィークも間近である。連休の大混雑が始まる前に、新緑の山を楽しんでこよう。青梅丘陵に行ってみる気になった。東京都青梅市付近の多摩川左岸に続く標高500メートル以下の低い山並みである。この山域はハイキング案内もほとんど見かけないし、手持ちの昭文社の登山地図「奥多摩」を眺めてもハイキングコースの記載はない。ただし、実際は整備されたハイキングコースが開かれているはずである。多摩川右岸稜の三室山を一つ付け加えれば、ちょうど一日のコースとなる。

 北鴻巣発5時51分の上り列車に乗る。夜は既にすっかり明けている。今日は平日だが、まだ通勤ラッシュには到っていない。大宮、川越、拝島、青梅と乗り換え、8時6分、青梅線の日向和田駅に到着した。車内には多くのハイカーが見られたが、この駅で降りたのは私一人であった。空は雲一つなく晴れ渡り、街並みの向こうに新緑の山並みが連なっている。今日も暑くなりそうである。

 青梅街道を横切り、神代橋で多摩川を渡る。多摩川が思いのほか深い渓谷となっているのに驚く。吉野街道に出て、「梅の公園」を示す道標に導かれ、山懐に向う細道に入る。右に「曹洞宗天沢院」、左に「梅の公園」を見て、谷沿いの道をしばらく進む。家並みが切れると、石の鳥居を潜って登山道に入る。鳥居はこの登山道が三室山山頂近くに鎮座する琴平神社の参道でもあることを意味しているのであろう。休んでいた男性単独行者を追い越す。

 スミレの花が一面に咲き乱れている急斜面を登って、杉檜林の中に入って行く。緩く、きつく、樹林の中の特徴のない登りが続く。時折、登山道がピンクの花びらで染まる。見上げると、花真っ盛りの山桜がピンク一色の枝を伸している。登山道は確りしているが、時折顔にかかる蜘蛛の巣が鬱陶しい。私が今日最初の通過者である証拠である。林の中は風もなく物音一つしない。

 二俣尾方面からの登山道を合わせ、更に登ると、細い踏跡が左に分岐し、道標が琴平神社を示している。私は、当然、神社に立寄るつもりである。数分トラバース気味の道を進むと、支尾根の先端に鎮座する琴平神社に登り上げた。海上交通の守り神である金比羅さんが何でこんな山の中に祀られているのかと不思議に思うが、掲げられた説明書きによると、この琴平神社は養蚕の神様として信仰されてきたようである。ひと休みして、持参のパンを一つ齧る。朝から何も食べずにここまで登ってきた。

 三室山から東に延びる尾根筋に登り上げ、更に高度を上げていく。登山を開始して以来人影はまったく見ない。琴平神社から20分も登ると、三室山から南に延びる支尾根を乗っ越す。小さな手製の道標が登山道から分かれ支尾根を登っていく弱い踏跡を「三室山」と示している。登山道は三室山山頂を通らず南から巻いて、日の出山、御嶽山へと向っているのだ。

 踏跡を5分も登ると三室山山頂に達した。周りを植林に囲まれた何の変哲もない頂きである。もちろん人影はない。山頂標示の傍らに三等三角点「萱尾」が確認できる。私の手持ちの二万五千図「武蔵御嶽」(昭和51年1月30日発行)ではこの三角点の標高は646.9メートルとなっているが、インターネットで確認する最新の国土地理院データーでは646.7メートルと20センチ縮んでいる。東面がわずかに開け、多摩川沿いの家並みが見える。

 すぐに下山に移る。勘を頼りに山頂から北東に続く弱い踏跡を辿ると、過たず、二俣尾から愛宕尾根を登ってくる登山道に出た。この登山道も三室山の頂きを通らず、西側から巻いて、日の出山、御嶽山へと向っている。確りした登山道をドンドン下る。この愛宕尾根登山道は2001年6月に登りのルートとして辿ったことがある。緩やかな一峰に達すると、そこに愛宕神社奥の院が鎮座していた。山中にしては極めて立派な社殿である。ひと休みし、再びパンを頬張る。

 更に下ると88番と記した板碑が現れ、更に下るに従い、87番、86番、ーーーー、と次々板碑が現れる。おそらく四国霊場88ヶ所を模した宗教施設なのだろう。この碑を巡回すれば、四国88ヶ所巡礼と同じ御利益が期待出きるのだろう。55番の碑を過ぎたところで、登ってくる老夫婦とすれ違った。今日初めて山中で見かけた人影である。

 眼下に見える街並みがぐんぐん近づく。突然黒い何かが目の前の登山道を横切った。ぎくっとして凝視すると、何と 、蛇である。種類を確認する暇もなく道脇の叢に逃げ込んでしまったが、かなり大きかった。もう春、蛇も活動を開始したようである。

 すぐに、愛宕神社境内に下り立った。二俣尾の街並み背後の高台に鎮座する立派な神社である。中世、この辺りを支配した三田氏が居城・辛垣(からかい)城の鎮守として勧請創建した神社である。社殿に今日一日の無事を祈り、急な石段を下る。

 街並みの中の吉野街道を北東に向う。空は真青に晴れ渡り、日差しが強い。セーターを脱ぎ捨てる。15分ばかり街道を歩き、「軍畑大橋南」交差点を右折する。軍畑大橋で多摩川を渡り、青梅街道を横切り、ものすごい急坂を登って軍畑駅に達する。ただし、ここから電車に乗って帰るわけには行かない。時刻はまだ11時30分、これから今度は多摩川左岸稜である青梅丘陵を青梅駅を目指して縦走するつもりである。

 青梅丘陵ハイキングコースの入り口となる榎峠を目指し、上り坂となった都道193号線を北上する。ダンプカーがひっきりなしに行き交い、少々怖い。この道はポピュラーなハイキング対象である高水山へ向うルートでもあるため、「高水山」を示す道標は頻繁にあるが、「榎峠」或いは「青梅丘陵」を示す道標は見かけない。どこかで高水山への道筋から右に分かれるはずなのだがーーー。少々不安になる。聞こうにも人影はない。

 不安に駆られながら15分も街道を歩くと明確な三差路があり、道標が左の道を「高水山」、右の道を「榎峠」と示している。やれやれである。更に、ダンプカーの行き交い、ヘアピンカーブを繰り返す都道を登る。峠付近に達すると、右側山際に「青梅丘陵ハイキングコース」を示す道標と山肌を登っていく明確な踏跡を見つけてほっとする。

 登山道はよく整備されており安心するが、いきなり、丸太で階段整備された急登が長々と続く。辺りは鬱蒼とした杉檜の植林である。上方から単独行の男性が下ってきた。ポピュラーとは言えないこの山域に私以外のハイカーの姿を見て何となく安心する。最初の目標は標高494メートルの雷電山である。息を切らして一峰に登りつくがNo.8の標示があるだけで雷電山ではない。再び階段状の急登となった。

 榎峠から急登を続けること40分、ついに雷電山に到着した。鬱蒼とした杉檜林の中の平凡な頂きである。男が一人握り飯を頬張りながら休んでいた。無愛想な人で目を合わせようともしない。北側にわずかに視界が開け、眼下に採石場が見える。「雷電山」とはカミナリさんを祀った山であり、雨乞の山である。この山名は全国に多い。

 樹林に包まれた尾根を進む。展望は一切ない。道端に野の花の姿もない。小さなピークを幾つも越える。雷電山から15分も進むと、分岐となった。登山道は山稜を大きく右から巻きにかかるが、尾根通しに進む細い踏跡を道標が「辛垣城址 急坂」と示している。その道標に落書きがあり「行くべし」と記されている。私は当然「行くべし」である。

 しばらく緩やかに登り、短い急登を経ると緩やかにうねる開けた山頂部に出た。「辛垣山 457m」との私製の山頂標示がある。ここが辛垣(からかい)城址である。青梅市教育委員会の説明書きがあり、次のように記されている。

  『この辛垣山(四五〇メートル)の山頂には、青梅地方の中世の豪族三田氏
   がたて篭った天険の要害である辛垣城があり、市内東青梅六丁目(旧師岡)
   の勝沼城に対して「西城」と呼ばれた。永禄六年( 一五六三)八王子の滝山
   城主北条氏照の軍勢に攻められ落城、城主三田綱秀は岩槻城(埼玉県岩槻市)
   に落ちのびたが、同年十月その地で自害し、三田一族は滅亡した。城跡に
   あたる山頂の平坦部は、大正末期まで行われた石灰岩の採掘により崩れ、
   当時の遺構は、はっきりしないが、掘切りや竪掘りをとどめている現状で
   ある』

 書かれている通り、見るべきものは何も残っていない。遠い昔の栄枯盛衰を思うだけである。

 もとの登山道と合流し、少し下ると名郷峠に達した。小さな石の祠があり、道標が南に下る小道を「二俣尾駅」、北へ下る小道を「北小曽木バス停」と示している。多摩川流域と北小曽木川流域を結ぶ昔からの峠なのだろう。

 ピークを更に2〜3越え、440メートル峰に達すると東側に大きく展望が開けた。視界の先に低い山並みが累々と続いているが、とても同定はできない。視界に向ってベンチが一つ設置されていた。更に5分ほど進むと、「ノスザワ峠」と記した私製標示が幾つも立つ雑然とした場所に出る。峠らしからぬ場所だが、ここも多摩川流域と北小曽木川流域を結ぶ要衝であったのだろう。

 名郷峠を過ぎて以来、次の目標は454.3メートル三角点峰の「三方山」と定めているのだが、頻繁に現れる道標には「三方山」の名は一切現れない。道標の示す縦走路の行く先は常に「青梅鉄道公園」である。ただし、道標には頻繁に「三方山」を示す落書きがなされている。

 男女二人連れとすれ違う。登山道が顕著なピークを左から巻きにかかる。注意深く進むとピークに向って登り上げていく細い踏跡を見つけた。何やら胸騒ぎがする。踏跡を登り詰める。我が勘に過ちはなかった。到達した頂は周囲を杉檜の植林に囲まれた小平地で、「三方山」を示す私製の山頂標示があり、その横に二等三角点「二俣尾」が確認できる。目指した三方山山頂である。無人の山頂に座り込み、ひと休みする。そろそろ足に疲れを覚えだしている。

 縦走路に戻る。すると北方に大展望が開けた。展望に向ってベンチがあり、展望図も添えられている。武甲山等奥武蔵の山々が見えているらしいが、どうも見慣れた山々が目に入らない。腰を落ち着ければ同定できるだろうが、ちょうど二人連れの女性が声高にやって来たので逃げ出した。送電鉄塔の下を潜り、大きく右に曲がり稜線を南に向う。子犬を連れた若いアベックとすれ違う。いい加減疲れ果てた。ベンチのある404メートル標高点峰と思えるピークでひと休みする。

 いつしか登山道は道幅も広がり、小道とも云える穏やかな表情となる。人の気配も次第に濃くなる。すれ違う人の多くは、もはやハイカーではなく裏山の散歩を楽しんでいるという様子である。日向和田駅分岐を過ぎると、続いてきたと山道は終わり、車の通れるほどの広い通りとなった。右側に矢倉台休憩所が現れる。どうやらこの道はトレイルランのコースとなっていると見え、距離表示もあり、時折トレーニングをしているランナーが行き交う。右手眼下に見えている青梅の街並みが次第に近づいてくる。車通行可能な道だが車の姿はないので助かる。足はもう、棒のようである。

 15時50分。ハイキングコースは終了し、一般道路に飛び出した。青梅丘陵ハイキングの終了である。車の行き交う鋪装道路を青梅駅へと向う。今日一日よく歩いた。

登りついた頂  
   三室山  646.8 メートル
   雷電山  494  メートル
   三方山  454.4 メートル                             

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